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春野ひより

決意



「あんた、自分のことちゃんと
話せるようになったんやなあ」

「なに、それ」

 徐に顔を上げた先には、
 優しく微笑む祖母の顔があった。
 てっきり、もっと呆れた表情を
 されるものだと思っていたが、
 祖父だったらこうはいかなかっただろう。

「あんな、人から拒絶されるのが
怖くない人間なんていないんやで。
皆どっかで怯えてる。
せやけど皆その恐怖が
気にならんくらいの大事なモノを
背負ってるからなんとか
やっていけてるんや。
あんただって大事なモノあるやろ」

 大事なモノ。
 頭の中で復唱されたその言葉は、
 ぐるぐるとまわって喉に落ちた。

「僕は、自分が大事だ」

 祖母は笑った。

「皆そうやで。
人間は自分を大事に出来るからこそ
他人を大事に出来るんや。
自分を大事に出来んかったら
他のこともないがしろになる。
ただな、利己的に生きたらあかん。
自分が大好きで甘やかしてたら
それは自分の為にならへんのや。
そこを履き違えたら最後に何も残らへん」

「ばあちゃんは、何か失ったものがあるの」

「ぎょうさんあるで。
真っ当に生きとったつもりやけど、
時間は巻き戻されへんし、
人生は一度きりやからな。
失敗することの方が多いやろ」

 祖母のように寛大で善悪の
 判断が明確な人でも、失うことがある。
 失敗して、当然。

 中学の頃、ある日突然時間を巻き戻す
 超能力を手に入れた少女が、
 身近にある問題を解決していく
 小説を読んだ。
 最後は超能力を使ったおかげで
 世界が崩壊していくので、
 超能力を手に入れた時点まで
 巻き戻して二度と使わないことを
 決心して生活していくといった、
 言ってしまえばありきたりな物語だった。

 その小説の中で、一人の人間との
 対立が起きた時、穏便に事を
 済まそうとする主人公だったが
 なかなか上手くいかず、
 能力を五回使ったところでやっと
 正解と言える状況に
 持ち込めた場面があり、
 僕は超能力が無ければ人と
 普通に接することが出来ないのかと
 不思議に思った。
 一度で人生を成功させるのは
 無理なのだと、
 なんとなく落ち込んだのを覚えている。
 現実は、全て一度。
 一度きりの判断で問題が起き、
 後悔が先に立たない。
 頭では分かっているはずなのに、
 やはり高望みしてしまう。
 それ自体が、人生に対して
 おこがましい態度なのだろうか。
 人間は生まれた時から運命がある。
 どこかの国の先哲者が言っていた気がする。
 起きるべくして起きた、こと。
 それにはもう口出しは出来ない。
 僕は失敗するべくして失敗した。
 そういうことか。

「上には上がいるやろ。
全部他人と比べてたらそら
自分は出せへんわ。
でもあんたの人生はあんたのもんや。
最高級の幸福はあんたのもんなんやで」

 わかってはいても、
 やはり体は自分勝手に動く。
 自分にとっての利益が欲しくて。

「でも、自分にしか出来ないことが
ないのが、辛い」

 祖母は梅酒を一口飲んでから、
 薄くなってないものの
 白がかった髪を触ると、
 頬杖をついて僕を真っ直ぐと見た。

「あんた、深く考えすぎなんやないの。
あれやあれ、あんたくらいの歳は
もらとりあむ言う時期なんやろ。
せやったらそない面倒に考えんと
自分に出来ることをやればええやん。
人間一人に出来ることなんて
たかが知れてるで」

 現代社会でこの間習った単語が
 祖母からポンと投げ出されたことに驚いた。
 悩んで、自己を見つけ出す時期。
 迷ってもいい猶予のある時期。
 面倒に悩み過ぎ。
 果たして本当にそうなのだろうか。
 相も変わらず俯いて何も喋らない僕に
 痺れを切らした祖母は、
 戸棚から小さな小包を出した。

「ほら、これあげるから。
今日はもう学校のこととか部活のこととか
考えるのやめ。
ここでは宿題も禁止。
ゆっくり心休めて、な」

 白い包み紙を開けると、
 小さい器があり、その中には
 色鮮やかな金平糖がころころと
 入っていた。
 莫大な海の中で光り輝く貝殻のように、
 金平糖たちは自分の色を出していた。
 温かい。

「来て、良かった」

 温かさを身にまとった僕の頬を、
 これまた温かい水滴が伝った。
 ぱた、ぱた、と太ももに落ちて
 染みを作るそれは、
 溢れて止まらなかった。
 嗚咽が嗚咽を呼び、僕は子供のように
 しゃくりあげながら泣いた。
 何が辛いかなんて、
 言葉では言い表せないが、
 とにかく心が悲鳴をあげた。
 ずっと、苦しかった。
 辛かった。
 誰にも聞かれたくなかったけど、
 誰かに言いたかったことがやっと言えた。
 取り繕っていた自分の中の正直な
 自分がやっと本音を言った。
 恥ずかしいとは思わなかった。

「誰にも置いていかれたくない。
僕もみんなと同じ景色を見たい。
僕を認めてもらいたい。
頼ってもらいたい」

「それだけ向上心があれば十分やね。
諦めてるより何倍もええわ」

「ばあちゃん、もうちょっとだけ
頑張ってみるよ」

「そうしたらええ、
好きなだけ自分に素直に生きなさい」

「ごめん、迷惑かけて」

「まだあんたはそうやって言うて。
〝ありがとう〟って言いなさい」

「うん…ありがとう」








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