Color

春野ひより

決断




 後の噂で、彼の右耳が聞こえなく
 なったと聞いた頃だった。

 幼馴染みの番谷から連絡がきた。
 彼の顔を見なくなってから
 早一ヶ月経とうとしていた時だった。

 放課後、小さい頃二人でよく遊んだ
 公園に呼び出された僕は、
 部活を休んで向かった。
 荷物を地面に放った小学生がいるなか、
 体の大きい僕がいるのは
 若干の違和感があった。

 彼はまだいないようだった。
 男の子も女の子も似たような声で
 笑いあっている。

 何も無い、無邪気な時間。
 この時に幸せじゃなかったら
 いつ幸せと感じるのだろうかと思う。

 蛸の出来た左手をぐにぐにと
 押しながら番谷を待つ僕の中には、
 緊張と不安とが入り混じっていた。
 悠久に続くかと思われる夕日を
 一人眺めて幼馴染みを待っていた。

 番谷が公園に来たのは小学生たちが
 帰ってから二時間程経過した時だった。

「……久しぶり」

 部屋着姿でのそのそと現れた彼は、
 最後に会った時と髪の長さ以外は
 あまり変わっておらず、
 ついでに時間を守らないところも
 変わっていなかった。
 僕は荷物を置いて彼の元に歩み寄った。
 まるで幽霊にあったかのような、
 実体が信じられずにいたのだ。

「なにが久しぶりだよ。心配させて」

「うん。ごめん」

 思った以上に元気そうな番谷に
 安堵したものの、最後に会った時の
 違和感は拭えないままなのが引っかかった。

 くしゃ、と自身の髪を撫でた番谷は、
 僕の目をじっと見つめると、苦笑した。

「いろいろ、迷惑かけたよな。
お前に何も言わなくてすまなかった」

「謝らなくていいけど、
できればこの一ヶ月間何してたのか聞かせて」

「荷物持つから、歩こう」

 番谷は置いてきぼりだった
 僕の荷物を取りに行くと、
 僕と肩を並べて歩き始めた。
 てっきり座って何時間も話すものだと
 思っていたから拍子抜けした。

 髪を触ってみたり、鼻を掻いてみたり、
 自分の足元を見たりと、彼にも
 緊張している節があったが、
 僕はただ歩きながら彼の言葉を待った。

「どこから話せばいいんだろうな」

 空を仰いで言った番谷は、若干曇が
 晴れたような顔だった。

「まあ、聞いてくれ」

 そこからの彼の話は、僕の知らない、
 いや、知ろうともしていなかった
 世界の話だった。

 話は耳にしていたものの、
 自分とは関係の無い世界。

「俺、両性愛者なんだ」

 そう、思っていた。
 番谷はこの一ヶ月間、様々な集まりに
 参加していたという。
 それは一般人の両性愛者、
 同性愛者が自分たちで主催した
 小さな集まりのものから
 大きな集まりまで。
 より深く且つ様々な観点から見た
 その世界を体感してきたようだった。

 見るもの全てが異世界に感じて、
 人の一つ一つの意見が新鮮で、
 彼がそう感じたのなら尚更部外者の僕には
 理解が難しいのじゃないだろうかと思った。

 それでも彼は本当に楽しそうに
 この一ヶ月間のことを僕に伝えようと
 話してくれた。

 同性愛者も両性愛者も未だ日本では
 広く知られておらず、法律でも
 婚姻は認められていない。
 あげく腫れ物に触れるかのような
 視線を送られることも少なくない。
 だから日本では公言する人が
 少ないのだという。
 それでも情報社会が発展すると共に
 一部では情報を共有することができ、
 今までに比べたら断然公言できる人が
 増えてきた。

 そう生き生きと話す番谷に僕は
 どこかほっとして、胸を撫で下ろした。
 すっきりしたような、それでもどこかまだ
 話し足りないような彼の表情に
 僕は無意識に笑ってしまった。

「なんだよ」

 馬鹿にされたのだと勘違いした番谷は、
 僕を横目に睨んだ。
 その顔が余計に面白くて、
 僕は笑いを堪えながら

「いや、相当な悩み事なのかなと思ったら
存外楽しそうな話で何よりだなと思って」

 そう言ったら、番谷は面食らった顔で
 目をまんまるく開けていた。

「はあ?こっちはお前に気持ち悪がられるか
不安で話出せなかったっていうのに」

「僕そんな人じゃないよ」

「だろうと思ったけど…それでも、
その、やっぱ、変だろ。
男が男を、とか」

「別に普通なんじゃないの。
逆に普通だっていうことを日本に
知らしめるんじゃないの」

「そ、そうだ!」

 揚げ足を取られ顔を赤くさせながら
 意気込む彼が子供のように無邪気で、
 しかし誰よりも力を持ったように
 輝いているから、僕は適わないなと
 一人笑った。

「じゃあ、今の日本の対応が不満だから
同性愛に寛大な海外に行って
勉強しようってこと?」

「そういうこと。この時代になって
まだ同性愛が禁止されるなんて法律が
あってたまるか」

 そう言って拳を握りしめた番谷は、
 いつも通りの、僕が知っている番谷に
 戻っていた。

「ご両親には話したの」

「あぁ。驚いてたけどしっかり
聞いてくれて、最終的には応援してくれたよ。
やっぱ、親ってすごいよな。
変に考え過ぎてた俺が馬鹿みたいだ」

 一ヶ月間で番谷が得たものは、
 どうやら新しい世界の知識だけでは
 無かったようで、僕もなんだか嬉しく、
 誇らしく思った。

「お前にちゃんと話せるように一ヶ月
色んなことを体験してたんだ」

「その期間の勉強は僕が教えるから
僕の負担は増えるけどね」

「…ごめん」

 打って変わって表情に影を落とした彼は、
 他のことが視界に入らないほどに
 一生懸命に自分の信念を貫こうと
 しているのだと思った。
 僕に、と言ってくれてはいるが
 きっと自分が本当にやりたい事を
 本能的に行っただけで、
 その行動力は僕が手助けしたものでは
 ないとわかっている。

 正直、僕自身こんなにあっさりと
 受け入れられるとは思ってもいなかった。
 非難の目で見ていたわけではなかったが
 実際その立場の人と対面する状況は
 考えていなかったため、
 どう対応するかはその場次第だった。

 もしかしたら、話し出してくれたのが
 番谷だから良かったのかもしれない。
 決して人を選んでいる訳では無いが、
 身近で最も信頼を置く人物だったために、
 軽蔑のしようがないのだ。

 世間で最近やっと話題にあがってきた
 世界は、意外と彼と同じく身近なもの
 なのかもしれない。

 知らぬ間に自宅に到着していて、
 番谷は僕の荷物を返すと、
 じゃあと手をあげて踵を返した。
 明日皆にも今日と似たようなことを
 話すと言っていた番谷に、
 何か助けになることはないかと
 ずっと考えながら帰路についていたが、
 結局何も思いつかずに時間が来てしまった。

 もう大分遠くに行ってしまった彼の影が
 僕の足元にまで届いていて、
 何故かそれに暖かみを感じた僕は、
 夏の生温い空気を肺いっぱいに吸い込んだ。
 ひゅっと喉が音を鳴らして、
 見る見るうちに増した莫大な活力が
 僕の身体全体を覆い、蝉の合唱に
 負けないくらいの大声で叫んだ。

「番谷ぁ!気張れよ!!!」

 顔が真っ赤になるまで叫んだ。
 息が無くなって苦しくなるまで
 叫ぶなんてここ何年も
 経験していなかったが、吐き出したあと
 すぐに吸った空気は今までとは違う
 全く新しい味だった。

 足元の影がぴたりと止まり、
 遠くで振り向いた番谷は腕を高々と
 振り上げて僕より大きい声でこう言った。

「見てろ!俺が変えてやる!!!!」

 逆光で影しか見えない彼だったが、
 きっと輝かしいまでの笑顔で
 叫んでいるのだろうというのが
 声色でわかる。

 通行人が僕らをじろじろと見る視線が、
 普段なら気になっていたはずだが
 今日は心地よいとさえ思えた。

 番谷が、また僕に色を与えてくれた。
 僕は僕なりに、彼の背景として
 役立とうと再決心した。





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