Color

春野ひより

番谷




 道行く人が背景に見えて、
 そう思っている僕も世界の背景。
 どうやら今日も僕は呆れられたらしい。

 足取り重く帰路についていた時、
 背後から僕の名を呼ぶ声が聞こえた。
 振り返ると見慣れた顔が
 僕を追いかけてきている。

「また置いていったな」

 そう言うと彼は肩を上下させて
 僕の横で立ち止まった。
 さり気なく自分の荷物を僕の肩に
 下げるあたりが幼馴染み、番谷だ。

「道場は息苦しくて長居したくないんだ」

「そりゃ気持ちはわかるけどさ」

 番谷はあの時一番後ろから
 僕を支えてくれていた英雄だ。
 僕が失敗した後でも、きちんと自分の
 役目を果たした。

 番谷はあの時成功したのだ。

 足が弾まない僕の歩調に合わせて
 番谷は僕と同じく蛸のできた手で
 頭をかいた。

「あからさまだよな、みんな」

 そう言ってくれる彼も本当は裏で
 僕のことを悪く言っているのかも
 しれないという最低な考えが脳裏を横切る。
 だが真実は皆の対応に僕が
 救われていることを彼は知らない。

 挽回という言葉が存在しない弓道は、
 僕らの人生そのものの様に思える。

 一度失敗したら、その先は一切の色がない。
 最近はそう思えて仕方がない。

 番谷と僕が出会ったのは
 保育園にいた時だった。
 番谷はいつも集団の中心にいて、
 才能があって、周りから憧憬の視線を
 集めていた。
 僕もその集団の中の一人である。
 小学生から続けていた野球と高校で
 決別をして僕と同じ弓道部に所属した。
 そこでも、番谷は輝いた。
 同学年からは何故番谷が部長でないのか
 と言う声が多数聞こえたものだ。
 しかし番谷はいつも僕を支えてくれた。
 自分が中らず余裕がない時でも、
 番谷は笑顔で優しく僕を想ってくれた。
 今もし僕に番谷という存在が
 なかったとしたら、とっくに僕の世界は
 崩壊していたかもしれない。
 番谷は世界の背景ではないのだから。

「ちょっと、話していいか」

 日が落ちてきて、番谷の顔に影が
 できているように見える。
 僕は無意識に背筋がしゃんと伸びて、
 彼の言葉の続きを待った。
 
「俺、留学しようと思うんだ」

「……え」

「驚いた?」

「まあ、うん」

 僕の反応に笑う彼には、少しの迷いがあった。
 番谷は決断したらすぐ行動に移す。
 それが自分にとって価値のあるものに
 なるのなら周りを振り切ってでも行動する。
 しかし、いつもと異なり迷いのある
 その顔に違和感を持ち、僕は聞いた。

「何か悩んでるの」

 番谷は地面を見つめていて
 僕の方を向かない。
 心做しか足取りも重くなった気がする。

「理由が理由でな。
親にも言えてなくてまだ確定じゃないんだ」

 僕は間髪入れずに聞く。

「どういうこと」

「お前にもまだ話してないこと」

「なに、ちゃんと聞くよ」

 番谷がこんなに話がまとまらないまま
 話を切り出すなんて珍しい。
 それほどの悩みなのだろう。
 僕は僕の知らない彼に戸惑っていた。

「……悪い、またいつか話す」

「わかった」

 歯切れの悪さに依然違和感を持ちつつも、
 詮索はしなかった。
 いつの間にか僕の中では弓のことより
 番谷が多くを占めていた。
 人々の喧騒は相変わらず背景だった。



「ただいま」

 光のない我が家に着き、
 溜め込んでいた疲れがどっと溢れ出した。
 自室に荷物を置きベットに倒れ込む。
 しかし僕の背負っている何かもっと
 暗くて重い荷物は脳内に、背中に、
 べったりとこびりついて取れない。

 学生は勉学が資本だ、なんて言うけれど、
 他に大事なことがあるような気がして
 ならないのは僕だけの思うところでは
 ないはずだ。

 文武両道。そんな言葉も聞くけれど、
 僕らにはもっと大事にしなければ
 ならないことがあるはずだ。
 そう、思いたい。

 僕が今大事にしていることが周りから
 見たら価値のないものだとしたら、
 僕の努力が無になってしまう。 
 それだけは嫌だった。
 もし僕自身がそれを認めてしまったら、
 完全に僕の世界が崩れてしまう。
 誰がどんな手を加えようとも、
 僕の世界は一向に色がないものに
 なってしまう。
 それならば、その恐怖と表裏一体の中
 僕はどう生きていけばいいのだろうか。
 波紋が波紋を呼び、僕の心は海底の
 奥深くに眠ってしまう。

 先ほどの番谷の言葉が脳裏を過ぎる。
 彼は、自らの足で一歩先に進もうとしている。
 その横で、僕は立ち止まったままだ。
 いや、横ですらないのかもしれない。
 彼はもう遠くにいて、そこからまた遠くに
 行こうとしているのかもしれない。

 目に見えて置いていかれる孤独感と
 不安感が、僕の焦燥感に拍車をかける。
 ここまで自分に自信が無い自分が
 酷く情けなくて、余計に嫌いになる。

 僕も周りに認められたい。
 尊敬されたい。
 しかし何も手がつかない。
 そんな日々が続いていた。
 理想と現実は掛け離れるばかりで、
 僕の思考はそこで止まった。





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