虫籠

日々谷紺

 校舎沿いに、玄関とは反対の方に歩いていく。プールを横切り、グラウンドに出る。校舎はグラウンド側に浅くへこんだコの字型をしており、そのへこんだところに鉄棒が並んでいた。鉄棒側から校舎を見て右手の方に、様々な用具が収められた二つの小屋があった。片一方にはライン引きや石灰、カラーコーン、サッカーボールに野球の道具などがしまわれており、智樹も授業の準備のために入ったことがある。それに対してもう片一方の小屋は、基本的に授業のために開けられているのを見たことがない。用務員の松原がグラウンドや生徒が使う用具の整備をするための道具をまとめている小屋だった。その鍵が開けられただけで、智樹の胸は高鳴った。この先は、クラスの誰も見たことがない。自分は特別なんだ。そういった優越感が味わえた。
 戸が開けられる。左側には雑に作られた棚に段ボールや木の箱が並び、そこに収められた工具かちらちらとはみ出して見える。正面には松原の腰ほどの高さの横に長い机があるが、その上にも雑多に物が置かれていて作業机としての役割は果たされていないようだ。その机の上に、その場には不釣り合いながら智樹にとっても馴染みのあるものが置かれていた。
「…ちょうだ。」
 緑色のプラスチック製の虫かごの中で、パタパタと飛んでいる揚羽蝶を見つけて、智樹は思わず呟いた。
「うん、蝶々を集めるのが趣味なんだ。」
 智樹はおそるおそる近づいて、虫かごの小さな窓からその姿を見ようと夢中になった。つまらなそうな顔をされなくてよかったと、松原は密かに安堵した。
「大人でも、蝶々を捕まえたりするの?」
「うん。大人でも、蝶々を好きな人はたくさんいるよ。」
「この蝶々、どうするの?用務員さんが、飼うの?」
 純真の目で見つめられ、松原は少したじろいだ。この揚羽蝶は、交配させて標本用の蝶を一から育てるために捕まえたものだった。飼うといえば、飼う。しかし目的は標本。先日、理由もなくミミズを切り刻んだことを反省していた智樹に、「標本のために殺す」と知られるのは、なんとも後ろめいことだ。
「うん、そうだね。ここで飼おうと思ってるよ。」
 本当は持ち帰るはずだったが、出てきた言葉は予定外のものだった。松原の言葉を聞いて、智樹は目を輝かせた。
「ほんとう?また、見に来てもいい?」
「うん。いつでもおいで。」
 丸く透き通った目を真正面から向けられて、断れるはずがなかった。智樹の瞳には、誰もがうっとりとしてしまう宝石のような魅力がある。
 こうして、智樹と松原だけの秘密ができた。

コメント

コメントを書く

「現代ドラマ」の人気作品

書籍化作品