虫籠

日々谷紺

 その日も、智樹はしゃがみ込んでいた。松原も校舎内で仕事をしながら窓の下に見える小さな影に気が付いていた。松原は一日の仕事を終えて帰宅する前に、なんとなくひと息つきたくてぼんやりとその影を見つめていた。
 智樹は、ひたすら俯いて何かに熱中している様子である。最近ではただ空を見つめて時が過ぎるのを待っていた少年が、新しい楽しみを見つけたらしい。何とはなしに、その興味の対象が気になって、知りたくなった。声をかける必要はない。滅多に人の来ない特別教室の並ぶ廊下の、窓のすぐ下に智樹がいる。松原は屋内から智樹の後ろに立って、こっそり観察した。
 はさみを持って、何かを切り刻んでいる。刃は地面に向けられている。胸がざわつく感じがして、松原は外へ出た。

 「何してるんだい?」
 びくりと、ほんの小さく肩が反応する。それでも智樹は顔を上げず、手を止めることもなかった。松原は、少しずつ近づいた。
 予感のした通りだ。
 智樹が切り刻んでいたのは、ミミズである。松原がそれを認識できる程の距離にいるのに、智樹はそれをやめない。
「…切っても切っても、動くんだ、コイツら。」
 ぼそりと智樹は呟く。
「ミミズはね、体を切られても再生できるんだ。すごい生命力だね…。」
 松原のかけた言葉に、はっとして智樹はようやく顔を上げた。
「…怒らないの?」
 地面に吐き捨てるように放たれた先ほどの言葉とは打って変わって、ひどく不安げな、湿度を含んだ声だった。
「怒られるって、思ったのかい?」
 松原の声は、抑揚に乏しいものの、とても柔らかく穏やかだ。
「怒られるってことは、悪いことをしているってことだね?
…君は、それが悪いことだなって感じている。それが分かってやっているなら、仕方がないね…。」
 智樹ははさみの刃を閉じて、ぎゅっとそれを握りしめる。視線は無惨な姿になったミミズからそっと逃れていた。
「…子供はね、そうやって学んでいくんだよ。」

 陽は傾いている。空の色が変わっていくのを、並んで見ていた。
「おじさんもね、子供の頃に君と同じことをした事があるよ。」
 独り言のように話し始める。
「ただの興味本位だったんだ。だけどね、後になって、とても悲しくなった。
…どうして、彼らはすぐに死んでしまうんだろう。もっと、一緒にいたかったなあ…って。」
 少し間を置いて、智樹も独り言のように言った。
「…ごめんなさい。」
「それは、誰に言ったのかな?」
 それまで空を見つめたままだった智樹の視線は、ゆっくりと地面へ降りていった。寄りかかっていた壁から離れて姿勢を正すと、足元の彼らに向かって小さく頭を下げる。
「ごめんなさい。」
 今までで一番はっきりとした口調。それを聞いて松原は微笑むと、校舎の中へ戻っていった。

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