風の調べと、竜の誓い【旧:男の娘だけど~】

高瀬暖秋

芽吹き始めた心【3】

 

 狐の獣との会合を終えて、オーグは獣に用意された道のりをやや小走りで進んでいた。小走りというのも、獣の物言いにこの先の不安を感じ取ったからだ。まるで自分が命を失う事になるような、それよりも更に恐ろしい事が起こるような、そんな物言いに。

 怯えている、わけではなかった。

 あの獣に対して発したあの言葉に、嘘偽りはない。オーグはただ純粋に、少女に会ってまた他愛のない話でもしようとクレシアの家を発った。
 ならば、そこに恐怖などはない。あるとすれば、また少女に拒絶されるのではないか、といったものぐらいだ。そして、それはそれでいいともオーグは思っていた。

 しかしそんなところに告げられた獣の予告。オーグが命を失う事になる。そんな事を告げられては不安になるのも当然だった。

 ただ、その不安は決して怯えから生じるものではなかった。オーグは自身の身の危険を予告したその言葉に怯えているわけではなかった。オーグの胸中に生まれた不安は、あくまでも少女に対するものだった。

 先を進むならば、オーグの命は保証しない。その予告はつまり、オーグの進む先には生死の瀬戸際を彷徨うことになる程の危険が伴うという事を意味している。そしてオーグが向かっているのは少女の元。
 それらが総じて意味している事とはつまり、少女の身に何かしらの危険が迫っているという事だった。

 その発想にオーグが辿り着いたのは狐の獣と別れて少し経った後。用意された道とはいえ、山の中としてはやけに静かすぎる。そんな異変を感じ取って、そんな最悪の想定に思い至った。そしてそれと同時に歩みを進める足を速くした。

「……大丈夫だよな。あの子」

 前へと進む速度を落とさず、オーグは少女の事を案じる。
 この際に限って杞憂かもしれない、なんて事は考えなかった。あくまでも最悪の想定をしておくことで、常にどんな状況にも対応出来るようにと心掛けた。

 そんな緊張の中、オーグの耳に重厚な音が届く。それなりの質量を持った何かが倒れた、そんな音だった。音の大きさからして、音源はそう遠い距離にない。
 オーグは咄嗟に音のした方へと向き、その場所へ足を運んだ。

「一体、何があったんだ」

 音の発信源へと到着したオーグのその目に映ったものは、半ばにして折れている木の幹だった。その木は明らかに強引な力によって折られており、幹の折られた面は荒々しくささくれだっていた。
 しかもそのような状態になっていたものはその一本だけではない。その他にもその一本を中心にして周りの数本も纏めてへし折られていた。

 そんな所業を目の当たりにして、オーグは絶句する。それは明らかに人間の成せる所業ではなかった。まさに薙ぎ倒すという言葉が相応しいそれは、例え賢者の力を全開にしたアレンであっても恐らくは不可能だろう。しかしそれが実際にオーグの目前で起こっている。その事がオーグの身に降りかかる災厄の恐ろしさを物語っていた。

「不味い、不味い、不味い」

 新たに増えた不安要素にオーグは心を乱す。だがそれでも身体だけは本能的に動いていた。
 倒されている木々を道標にして、その災厄へと自ら向かっていく。途中で何度か躓きそうになりながらも、もがいて、足掻いて、その先にいるはずの少女の元へと向かっていく。あわよくば、既にその危険を察知して少女が身を隠している事を願って。

 そうした思考を巡らせながら、オーグは何故かかつての事を思い出していた。かつて大切な父の背を追いかけて、大いなる驚異へと向かっていったあの時の事を。遂に追いついたその時には既に失われていた父の姿を。

 それらはとても現在の状況と似通っていた。また会いたいと願った者を追って、自ら危険へと立ち向かっていく、そんな状況。
 しかしオーグにはかつての出来事と現在いまを重ね合わせる気はさらさらなかった。現在いまにかつてと同様の結末を迎えることなど認めない。最後には失ってしまったかつてを経験しているからこそ、現在いまを救う。そんな願いがオーグの身体を動かした。

「……頼むよ! 頼むから、無事でいて!」

 そんな願いのような叫びを発しながら、オーグは遂に災厄の主へと辿り着く。

 血に飢えた眼孔に光を宿し、その力の限りで弱者を踏みにじる獰猛な獣。
 それに対を為すように、自らの不利を自覚してその最期を待つ幼い少女。

 それらの二つの影が、新たにその場に現れたオーグを迎えた。

 少女の姿を確認して安心したのも束の間、オーグはすぐさまその焦点を獣へとあてる。
 強靭な肉体に、鋭利な刃物と同等の脅威と成り得る牙と爪、それらはまさに醜悪。動物としての機能よりも人を殺めることに特化したようなその形容に、言わずもがなオーグは身震いした。

 そうしている内に少女もオーグの存在に気が付いたのか、オーグが少女へと視線を戻すと少女と目が合った。途端にオーグには少女の表情がハッキリと見えた。
 息を乱して荒い呼吸を繰り返す口元。恐怖のためか、目を逸らしたい現実を見るために見開かれている双眸。その目尻には小さな雫が伝っていた。

 少女はあの幼さでどれ程の恐怖を感じたのだろうか。そんな事をオーグは考えるもその行動に意味はない。例えどれだけ少女の想いを感じて同情しようと現状は変わらずに進む。ならば、行動を起こすしかない。
 そう、オーグが少女を助けるために動こうとした――その時。

「来ないでっ!!」

 少女はそんなオーグを拒絶した。
 これ以上自分へ踏み込むな、とオーグの存在を否定するように、獣の唸り声すら差し置いてその叫びを轟かせた。
 そしてそれは今までの拒絶とはまた違った意味合いを含んでいた。含んでいたからこそ、少女はその言葉を真っ直ぐに、オーグへと向けて言い放った。

 そして、それを受けたオーグは――、

「ふざけるな! 今! 行くから! 待ってろ!」

 少女の拒絶を、拒絶した。

 オーグには少しの曇りもなく、少女の想いが届いた。少女の今の拒絶が自身の領域を守るための防衛手段ではなく、こうして再会が叶ったオーグの身を案じての事だという事が。オーグに危険な目にあって欲しくはなかったから、あえて拒絶して危険の渦中にいる自身から突き離そうとしたという事が。

 だからこそ、その想いはオーグを動かした。その想いに対するのは以前のような曖昧な拒絶ではなく、明確な拒絶をもって答えた。
 強く地面を踏み締め、最大限の膂力をもって地を駆ける。爆発的な瞬発力をもって少女の元へとオーグは距離を詰めた。

 同時に獣も動きを見せる。突如接近したオーグに反応して、その鋭い眼光をオーグへと向け唸り声をあげた。

 互いの距離、おおよそ二十メートル。獣を避けて少女を連れて逃げるには余りにも長い距離だった。現実的に考えて、このままオーグが少女を救うために獣の前に飛び込めば深手を負うことは目に見えている。

 だが、そんな事は関係なかった。一度駆け出したオーグの身体は止まらない。その視界に映るものはただ一つ、涙に濡れた少女の表情だけだった。

 そうして二つの影が交差する。
 オーグは少女に覆い被さるようにその場から飛びつき、獣はオーグに対してその暴力的な前足を振り下ろす。あわよくば避けれることを願ってその場から飛んだオーグだったが、その前足は狂いなくオーグの身体へと叩きつけられる。

「――があっ!?」

 少女を庇うように獣へと向けた背中から強い衝撃が走る。刹那、全身が燃え盛るような痛みに襲われる。肺からは全ての酸素が吐き出され、一瞬脳がその機能を失いかける。しかし無意識でも両腕に抱えている存在だけは手離すことはなかった。

 体長四メートルの獣と獣人とはいえ所詮は人間のオーグ。その二つの存在が衝突すれば、結果は明瞭である。
 オーグの身体は少女を抱き抱えたまま数メートル横へと吹き飛ばされ、地を転がり何度もその土を飲むことになる。口の中で土の味と血の味が混じり、相応の不快感がオーグを襲う。頭部から血が流れているのか、片目を開けようとすれば視界が紅く染まった。直接獣の打撃を受けた背中は既に感覚が無く、その容態は不明。だがしかし、例えその身が悲鳴をあげようともオーグは無理矢理身体を起こした。

「オーグ! オーグ!」
「……大丈夫、だよ。俺は歩けるから……逃げよう」
「でもっ!!」

 オーグは震える手で少女の頬に触れる。その震えは温もりを宿した、暖かい手だった。

「……大丈夫。君が無事なら、俺は大丈夫」

 そう言って精一杯の虚勢を張った。自身の不安が少女へと伝播することを恐れて、無理にでも笑ってみせた。

 そして、それを見た少女はまた一粒大粒の涙を流した。だが、それ以上の涙を流すことはなかった。少女は服の袖で涙を拭い、少年を見つめた。その少女の瞳は少年を信じる覚悟を決めた、一際輝きを放つものだった。

「……んっ。こっち」
「えっ? ちょ、ちょっと」

 少女はおもむろにオーグの手を握ると、そのままオーグを引っ張って歩き出す。逃走中に足を挫いたのか、歩く度に痛む足を引きずり、その苦痛に表情を歪めている。しかしそれでも少女はその歩みを止めず、ひたすらにオーグの手を引いた。

 そうして辿り着いたのは、急な傾斜にぽっかりと横穴の空いた洞窟だった。そう大きくはないが子供二人が入るには有り余るほどに余裕がある。
 少女はその洞窟を指差し、オーグに入るように促した。

「あそこに隠れようって?」
「獣、来てない。隠れる、一番」
「うん、分かった。行こう」

 今更、断る理由がなかった。少年は少女を信頼し、少女は少年を信頼した。その繋がりの在り方がオーグに安静を与えた。

 少女の提案に同意すると、オーグは洞窟の中へと入っていった。


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