風の調べと、竜の誓い【旧:男の娘だけど~】

高瀬暖秋

空想の存在【2】



 思えば、アレンがあの家を旅立つことを決めたのには、自惚れなく間違いなくオーグの存在が関係している。

 自分が、あの日アレンの家に逃げ込まなかったら。
 自分が、あの日アレンに助けを請わなかったら。
 自分が、あの日ベルナルドを見捨ててウルワ村で生きることを決めていたなら。

 間違いなく、アレンは今もきっとあの家に居たはずだ。
 毎日、変わり無く、平和な一日を過ごしていたはずだ。

 しかし、そんなあり得たかもしれない現在は、オーグの存在によって霧散した。

 そんな幻想達がアレンの本当の幸せだったなんて、卑屈になっているわけでは無かった。今こうしてアレンと居ることをオーグは幸せだと感じていたし、アレンもそう感じていると信じていた。

 けれど、やはり不安だった。
 自分自身がアレンの人生を狂わせたという罪悪感のような感情を、感じられずにはいられなかった。

 故に、オーグは問うた。アレンは、自分を恨んではいないのか、と。

「そうだね。正直後悔はしてないけど、それはオーグの質問の答えにはなってない、かな」
「何それ、どういう意味?」
「オーグが言いたかった『後悔』って意味はさ、『今』に満足してるかどうかって意味だと思うんだけど、違うかな?」
「……どうだろ? あんまり考えたことなかったけど、そうかもしれない」
「まあ、もしもそう何だとしたらだけど、僕は今に満足してるわけじゃないんだ。……でも、後悔はしてない」
「…………?」

 いまいちアレンの物言いを理解できず、オーグは首をかしげた。

「それって、ホントに後悔してないって言えるの? もしああだったら、こうだったらって考えちゃうんだったら、それは後悔じゃないの?」

 オーグは何度も考えてきた。

 もしもあの山で過ごした一月で、少しでも違う選択をしていたら、アレンと出会うことはなかったのだろうか、ベルナルドを失うことはなかったのだろうか、と。

 そして、その度にあり得ないはずのあらゆる『今』を想像する。
 今よりもずっと幸せな、欠けるものの無い『今』を。

 きっと、それを人は後悔と呼ぶのだと、オーグは思っていた。

 けれど、アレンは言った。

「僕もね、あの時こうしてたら、ああしてたらって、考えることはあるよ。でもね、それは変わらない現実と比較して、落ち込むためじゃない。変わらない現実がかけがえの無いものだって、改めて確認するためなんだよ」
「……それは、後悔じゃないの?」
「どうなんだろうね。あんまり確かなことは言えないけど、一つだけ断言できるよ」

 夜空を見上げて、己の小さな手を見下ろして、オーグの目を見つめて、アレンは言う。

「僕は『今』に満足してるわけじゃないけど、納得はしてるんだ。昔の僕のひとつひとつの決断が『今』になってる。君と出会った事も、旅に出た事も全部、自分で決めた事だから、後悔はしてない」

 アレンはそう言って、オーグに微笑みかけた。
 それはまるで、罪悪感に苛まれているオーグを気遣った笑顔のようで、オーグは思わず見入ってしまった。

「アレンは、強いんだね」
「そうかな? 他の人よりも、ちょっと諦めがいいとは思うけど……」
「いや、強いよ」

 自分なら、そんな風に考えられない。
 今歩いている道があまりにも不確かで、ずっと下を向いていなければ転んでしまいそうになる。

 そして、後ろを見て、思うのだ。
 今よりもずっと、歩きやすい道を選べたのではないか、と。
 今よりもきっと、なだらかな道があったのではないか、と。

 恐らく、アレンにはそんな心配は無いのだろう。
 ふと、オーグは考えていた。

 自分の立っている場所にすら怯えている自分と違って、アレンは前を向いて歩いていているのだ。
 過去は確定したものだと割り切ることで今の足元を確かなものにして、この先に続く道を見据えているのだ。

 どうすれば、この先歩きやすい道を選べるのか、と。
 どうすれば、この先なだらかな道を選べるのか、と。

 それこそが、オーグとアレンの大きな違い。
 弱い自分と強い彼の、大きな隔たりなのだ、と。

 そんな風に、オーグの気が沈み始めた矢先のことだった。

「えいっ」

 アレンはおもむろに立ち上がると、急に振り返って足に掛けていた毛布をオーグめがけて投げつけてきた。

「――もがっ!?」

 シリアスな空気から急転直下。思いもよらぬアレンの暴挙に、オーグはまんまと被害に遭ってしまう。
 理由無き暴力を咎めてやろうと、オーグはすぐさま毛布を顔から剥ぎ取って起き上がった。

 だが、毛布を剥ぎ取った先にあったアレンの表情は悪戯に笑うものではなく、どこか慈愛に満ちたもので、すぐに毒気を抜かれてしまった。

「オーグは、後悔してるの?」
「……してる。毎晩毎晩、眠る前までずっと考えるよ」
「そっか。なら、それで良いんじゃない?」

 アレンはオーグの迷いを容易く肯定する。

「別に、後悔することが悪いってわけじゃない。後ろを向いてばっかりで前に進めないのは良くないけど、君の後悔は必ず次に繋がるよ」
「……そう、かな?」
「この僕が保証する」

 アレンにしては珍しく、何の根拠も、何の説得力も無い、そんな一言。

 けれど、オーグは不思議とその言葉を信じることができた。アレンが言うのならと、納得することができた。
 その一言で、オーグの心中の曇りはスッカリ晴れてしまった。

「それとね、オーグ。これも言っておきたいんだけど」

 比較的上向きになった心で、毛布をアレンに渡したオーグ。
 アレンは改めてその毛布を受け取って切り株に座り込むと、人差し指を立ててオーグを見た。

「僕はあの家を出たことを後悔してないし、それに君が責任を感じる必要も無いよ。……だって、あの時君は僕に付いてきてくれたから」
「――――」
「あの時君をあの家に置いてきたなら、今頃僕は後悔してただろうけど。だけど、君は立ち上がってくれた。だから僕は今、後悔なんてしてないよ」

 アレンは何の脈絡もなく、ごく自然な日常会話の如く、まるでオーグの不安の何もかもを見透かしたように、そう言ったのだった。

 予想だにしなかった言葉に、オーグは言葉を失う他無かった。
 しかし、その驚きと共に、全てを告げなくても自分の思っている事を察してくれるアレンに、清清しい敗北感を感じた。

「ありがとう」

 それ以上の言葉はいらなかった。
 オーグの声はただ、静かに夜の山に消えていった。



 □□



 その言葉を期に、少しの間、二人の周囲の空間を静寂が支配する。夜になったことで少しばかり冷えた風が二人の間を通り抜けた。

 しかし、オーグはそれを寒いと感じなかった。そして事実、肌寒くは無かった。

 オーグは分かっていた。隣にいる少年がオーグの事を気遣って、冷たい風が当たらないように風の流れを操作していることを。
 だから、幾ら冷たい風が通ろうと二人の温度が下がることは無かった。

 そんな中、沈黙を切るためにオーグは言葉を発した。

「なあ、アレン」
「なあに、オーグ」

 言葉を発せば、すぐに言葉が返ってくる。
 それが少しだけ心地よくて、オーグは足を宙で遊ばせた。

 そして、次に言おうとしていた言葉を口に出すのに、僅かに躊躇った。
 今ここで、聞いていいものなのかと迷う自分がいた。

 けれど、ほんの少しの勇気が、オーグの背中を押した。


「アレンの、両親の話を聞かせてほしいな」


 その言葉に、アレンは小さく頷いた。


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