風の調べと、竜の誓い【旧:男の娘だけど~】

高瀬暖秋

月の無い夜に【3】

 

 その後、祭りはつつがなく終わりを迎えた。

 各々が舞や語り、食事などを楽しむ。それはアレンとオーグも同様で、二人は共に晴れやかな笑顔で祭りを楽しみ、入り江に笑い声を響かせた。

 そうして日が落ちて数時間後には、入り江いっぱいに広がっていた篝火が減っていき、祭りの終わりが訪れる。

 月明かりすら無い夜道を通る危険性を考えて、帰郷するのは夜が明けてからだ。故に最小限の篝火だけ置いたままにして、獣避けに数人見張りを付けて夜を超える。
 祭りのときからあった天幕が一層数を増やし、徐々に準備が進んでいった。

 そんな中、自ら進んで見張りを請け負ったアレンは、焚き木で暖を取りながら物思いに耽っていた。

 ――友達ができた。

 アレンの胸中に広がっていたのは、そんな感動だった。

 言わずもがな、オーム山で独りで生活を営むアレンには友達が少ない。ウルワ村のようにある程度関係を持つ村もあるにはあるが、そこに友達と呼べる人物はほとんど居ない。
 居たとしてもガーネットやドナのような、友達と呼ぶよりも他に相応しい呼び方のある関係ばかりだった。

 と言うのも、それは他ならぬアレンがそうあることを望んでいたからだ。
 あの山を出てもっと居心地の良い場所を作ってしまえば、きっと自分はオーム山を捨てて村に移り住んでしまう。
 そんな恐怖から、アレンは意図的に人々との関係に線引きをして接し、友達を作ろうとも思わなかった。

 ところが今日、自分に友達ができた。
 そんな小さな喜びがどうしようもなく嬉しく、アレンが柄にも無く心を弾ませていた。また、そこにはオーグと家族でなくなった悲しみは欠片も無く、心のままに頬笑むアレンの姿があった。

 そんなアレンの元に、一つの影が近付いていく。足音に気が付いて視線を向ければ、そこにはベルナルドが居た。

「どうかしましたか、ベルナルドさん?」
「いや、どうと言う事は無いがね。少し、君と話がしたかった」

 槍を杖がわりにしてゆっくり歩いてくるベルナルドを迎え入れ、ベルナルドが腰を下ろした隣にアレンも座り込んだ。

 そうして互いに腰を下ろし、ユラユラと揺れる火を眺めていると、ふとベルナルドは相好を崩した。
 話をするどころか、何故か急に笑ったベルナルドに、どうしたのだろうかと首を傾げるアレン。そんなアレンに気が付き、ようやくベルナルドは口を開いた。

「失敬。どうも、この頃幸せだと感じる事が多くてね。こうして君と並んで座っただけでも、どうやら私にはこの上無く嬉しい事らしい」
「フフッ、それは奇遇ですね。僕も今、幸せな気持ちでいっぱいです」
「そうかい。だが、それは何もこの状況が嬉しいわけでは無いだろう? 君にはもっと嬉しい事が他にある。違うかな?」
「……? どうして知ってるんですか?」

 妙に自信ありげに話すベルナルドに、不思議そうに首を傾げるアレン。そんな様子をクスリと笑うと、ベルナルドはその理由を答えた。

「さっき、オーグから散々聞いたからね。とても嬉しそうに、アイツが寝付くまで君の話を聞かされた」
「……なるほど。そうするとまた、僕の幸せな事が増えましたね」
「そうだな、違いない」

 和やかな会話を経て、二人はまたクスクスと笑った。
 その後も他愛の無い会話を弾ませ、二人は焚き木の火を頼りに夜を過ごしていった。
 月の無い、新月の夜。目に映るものは実に少なく、会話に没頭するにはあまりにも適した状況だった。

「ところで、ベルナルドさんはどうして帝国領まで旅をしてるんですか? 旅をするだけならわざわざアルバーン帝国に来なくても、クレイジオ王国内で良かったんじゃないですか?」

 会話の中、ふとアレンがそんな質問をした時だった。本当に僅かに、今まで揺らぐことの無かったベルナルドの目が揺らいだ。
 しかし、すぐにいつもの表情を取り戻し、ベルナルドは極自然を振る舞って会話を続けた。

「私は若い頃から旅を続けていてね。今に至るまでに王国内はある程度歩いてしまった。だから、帝国領まで足を伸ばしたんだ」
「……危険を犯してまで、ですか?」
「ああ、そうだ。昔から周りからは愚かだと言われてきたよ」

 あっけらかんとしてそう話すベルナルド。
 だが、アレンにはその姿がどうにも何かを誤魔化しているように見えた。故に、アレンはベルナルドに問いかけ、そして確信した。

「それは嘘、ですよね。ベルナルドさん」
「…………どうして、そう思う?」
「貴方がオーグ・・・を危険に晒すわけがありません」

 アレンの言葉を受けて、ベルナルドは言葉を失った。突き出されたアレンの言葉が的を射ていて、何より自分自身が納得してしまうほどの理由であったから。
 先ほどまで浮かべていた嘘の笑いは剥がれ落ち、いつになく真剣な表情をしてベルナルドは揺れる火を見つめた。

「……私が帝国に来たのには二つ理由がある。一つは名前も忘れてしまった恩人に恩を返すため。私のこの槍は、その恩人から預かっている物だ。だが、こちらはほとんど手掛かりが無く、恐らく恩人ももう生きてはいない。だから、こっちはもう一つの理由のついでのようなものだ」
「……その、もう一つの理由は何なんですか?」

 そう問うたアレンの言葉にもう一度ベルナルドは深く考え込んだ。それから数分間、沈黙が続いた。時折焚き木からパチリと音が鳴り、それがまるでベルナルドを責め立てているような錯覚をアレンは覚えた。

 だが、ここまできて、聞かないわけにはいかない。ベルナルドの、或いはオーグの事に関することであれば尚更、アレンは何でも知っておきたかった。
 故に、ただただベルナルドによって沈黙が破られるのを、アレンは待った。

 そしてやがて、その時は訪れた。

「アレン。今から話す事は、誰にも話さないと約束してくれ」

 まっすぐにベルナルドの目を見つめて、アレンは頷いた。
 そして、ベルナルドはようやくその言葉を口にした。

「オーグは、オーグ・ヴィングルートは……俺の本当の息子じゃないんだ」



 □□



「昔私が気の赴くままに旅をしていた時に、オーグを見つけた。あの子はまだ赤子で、何の抗う術も無いのにも拘わらず、深い森の中に捨てられていた。オーグは亜獣が無際限に沸き続ける森の中で、無傷で眠っていた。だが、驚く事はそれだけでは無かった」

「オーグの眠る傍らを、我が子を守るように亜獣が佇んでいたんだ。オーグを襲わず、母親のような温かい眼差しでオーグを見守っていた」

「しかし、その亜獣はもう永くは無いようだった。最後の力を振り絞って、文字通り死力を尽くしてオーグを守り抜いていた」

「亜獣は私を見つけると、何故だかゆっくりと私に歩み寄ってきた。殺意も敵意も無く、ただ慈愛の心で私を見ていた。その真摯な思いが伝わり、私も歩み寄った。そして、私はオーグを託された」

「オーグが亜獣に変化することを知っている今だから分かるが、アレはきっとオーグの同族、それも親しい関係にある存在だったのだろう。何か事情があって里を離れる必要があり、あの亜獣はオーグを誰かに託すためにあの場所に居た。――そして、私が託された」

「以来私は旅を続けた。オーグの故郷を探すために」

 周囲が眠り始めて静寂がより深まっていくなか、その静寂を何とか切り裂こうとしているかのように、ベルナルドは淡々と昔語りを語っていった。

 きっとそれは、ベルナルド自身が沈黙に耐えられそうに無かったから。自分でも自覚してしまうほどに、今の自分の体はその見た目に反して小さく震えていた。

 隣で座るアレンは何も言わずにただ話を聞き続けていたが、時折何かを考え込むように尚も燃え続ける焚き木に枯れ木を加えた。
 他人の話を遮らず、その真意を理解した上でその者の想いに答える。それがアレンという少年の善なる本質である事はベルナルドにも分かっていたが、その聡明さが今だけは憎らしかった。

 しかし、ある程度話を終え、ベルナルドがこれ以上何を話せばいいかと悩んだところで、アレンは固く閉ざしていた口をようやく開いた。

「……オーグは、その事を知っているんですか? その事実を知っていて、ベルナルドと旅を続けているんですか?」
「…………いや、アイツには何も話していない。旅の目的も、あくまで恩人への恩返しのためとしか伝えていない」
「……そう、でしょうね」
「…………?」

 ベルナルドの答えを聞いたアレンは、何故かベルナルドがそう答えると分かっていたかのように小さく頷いた。そんなアレンの様子を不思議そうに横目で見るベルナルドだったが、その理由を追求する前に再度アレンが問いかけてきた。

「ベルナルドさんは、オーグの故郷を見つけたらどうするつもりなんですか?」
「……無論、オーグの元を離れるつもりだ。自分と同じ種の仲間がいるのなら、もう私は不要だろう」

 大して頭で考えず、ほとんど反射的に漏れたそんな言葉。
 アレンはそれを聞いて、酷く悲しそうな表情を浮かべた。

「……ベルナルドさんは、オーグを愛していないんですか?」
「――――」

 一瞬、何と言われたのか全く理解ができなかった。
 頭が真っ白になり、ぼやけた視界でアレンを見て、ようやく理解が追い付いた。
 そして続けて、何か怒りのような感情が沸々と腹の底から沸き上がってくるのを感じた。

「愛していないわけっ、ないだろう!!」

 アレンが何を言っているのか、分からなかった。どういう話の流れでそうなったのか、理解ができなかった。
 自分はこんなにも、オーグの事を考えているのに。自分はこんなにも、オーグを愛しているのに。

 オーグを想っているからこそ、ベルナルド・ヴィングルードはオーグのそばに居てはいけない。それはあくまで偽者の親子であって、偽物の絆であって、きっとオーグを幸せにするものでは無いのだから。

 そんな激情のままに吐き出された言葉が自分の耳に届いて、ベルナルドはハッとして冷静さを取り戻した。

「も、申し訳ない、アレン君。君に怒鳴ってしま――」

 慌ててアレンに謝ろうとしたベルナルド。作り笑いを浮かべて隣に座る少年の方を向いて、ベルナルドは見た。
 何故か涙を流しながら、何かに怒っているように険しい表情を浮かべているアレンを。

「す、すまない! 驚かせるつもりは無かったんだ! 少しカッとなってしまって……」
「……違います」

 アレンは、首を横に振った。
 強い眼差しで、温かい涙を頬に伝わせながら、ベルナルドを見つめたまま。

「オーグから聞いているかもしれませんが、僕はさっき彼に、家族ごっこは止めにしようと言われました」
「……ああ、聞いたよ。君とは家族では無く、友達になりたかったと言っていた」
「はい。そしてそれを聞いた時、僕は心から喜びを感じました。オーグが本当に僕と向き合ってくれた気がして、本当に嬉しかったんです」

 頬を伝っていた涙を強引に腕で脱ぐって、アレンは言葉を続けた。

「オーグはこう言いたかったんだと思うんです。言葉だけで結ばれる上っ面だけの家族よりも、心を通じ合える友達になりたいって」
「ああ、そうだろうね。あの子はそういう子だ」
「僕も、オーグらしい言葉だと思います。そしてそれを聞いた僕は、こうも思ったんです。オーグにはもう、何物にも変えようの無い大切な家族がいるんだと」
「…………」
「家族よりも友達であってほしいなんて、本当の家族がいない人からは生まれない言葉です。……少なくとも、この僕からはまず生まれない」

 アレンはそう言って、少しだけ悲しそうな顔をした。アレンが最後に言った言葉は、アレンの背景を知っているベルナルドにはどれだけの苦悩が込められた言葉なのかハッキリと伝わった。

 そして、俯いていた顔を上げて、アレンはまた強い信念の籠った眼差しでベルナルドの目を見た。

「余計なお世話だと分かっていますが、言わせてください。ベルナルドさん、本当にオーグの事を想っているのなら、決してオーグのそばを離れるべきでありません。少なくとも、オーグはそれを望んでいるんですから。それに……それに、どんな時だって息子のそばにいる。それが……それがっ――」

 アレンは、その先に続く言葉を上手く紡げないようでいた。
 それがどんな意味の言葉なのか、どんな立場の者を指し示す言葉なのか、アレン・ハーヴィという少年が知らないはずがない。なればこそ、その躊躇いの理由は、きっと少年自身にある。

 ベルナルドには、分かった。
 アレンが拙いながらにも、伝えようとした言葉が。辛い現実に向き合ってまで、自分を励まそうとしてくれたことが。

 ベルナルドは苦悶の表情を浮かべるアレンの頭を、大きな手で撫でた。無理はしなくていいと、ただ感謝の想いを伝えるために、できるたけ優しく撫でた。

「ありがとう、アレン。だから、それ以上は言わなくていい」

 アレンはハッとして、また俯きかけていた顔を上げた。

「もう、分かった。私が、何をするべきなのか」

 ベルナルドはそう言って立ち上がると、隣で座るアレンに手を差し伸べた。アレンがその手を掴んだのを確認して引き上げると、いつものように笑みを浮かべてアレンの背中を押した。

「話を聞いてくれてありがとう。見張りは代わるよ、君は少しでも眠ってくるといい」

 一瞬アレンは何かを躊躇うような仕草を見せたが、すぐに何かを吹っ切るように首を横に振ると、ベルナルドを気遣うようにはにかんでその場を立ち去って行った。

 その背中を、遠い目をしてベルナルドは見送っていた。

「君になら……きっと」



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