風の調べと、竜の誓い【旧:男の娘だけど~】

高瀬暖秋

竜帰祭【3】

 

 祭りの進行は嘘のように滞りなく進められた。
 男衆は村からの資材運びや祭事場の建立に汗を流し、女衆は祭りを彩る装飾や食事、また各々の衣装の準備に取り組み、幼子たちはその活力で祭りを活気付ける。

 そもそもが古くから伝わる祭りだ。これまでも幾度と無く行われてきたためか、日ノ出から始まった祭りの準備は日の落ちる頃にはすっかりと整っていた。

 そんな中、村の一員ではないアレンとオーグ、ベルナルドはというと、各々の役割を任せられて力になっていた。

 とは言え、ベルナルドは未だに手負いの状態である。万全な状態なら比喩的でなく百人力と言ったところだろうが、今はそうはいかない。
 そこでドナが提案したのが、祭りの灯りに群がる獣と山賊を追い払うというものであった。

 たとえ手負いであっても、ベルナルドの体格は常人と比べれば圧倒的。更には威圧感のあるその顔面。包帯を目の映らない範囲で収めてその手に槍を握らせれば、一目見て敵わないと悟らされる屈強な用心棒の完成である。

 一方アレンとオーグはというと、『竜装を賜りし者カムラジャル』として選ばれたガーネットの希望によって、ガーネットの着付けを手伝うことになった。

 とは言え、これもまたほとんど名目上の話である。
 今年だけでなく、祭りが行われる度にアレンはこの着付けを手伝っており、アレンが『竜装を賜りし者カムラジャル』の着付けを任されるのはそもそも決まっていた。
 そこでガーネットは、オーグに祭りを存分に楽しんでもらうべく、わざわざ仕事の無いアレンの補佐を頼んだのであった。
 もっとも、その結末は苦笑の漏れるようなものであったが。

 ともかく、かくしてウルワ村の祭りは始まった。
 幼子は親の手を引き、親はそんな子らを温かく見守り、若い衆は互いに手を取り喜びを分かち合う。
 忙しい日常から切り離された、華やかな一時。その誰もが相好を崩し、抱えている苦悩を忘れ去った。

 そして、それはアレン達にも言えることだった。

「父さーん、こっちこっちー!」

 朗らかで、耳を塞ぎたくなるほど騒がしい声がアレンの耳元で叫ばれる。
 しかし、かといってアレンがそれを不快に思ったかと言うと、まるで違っていた。

 そもそもが息が詰まるほどの喧騒の中だ、オーグがどれほど大きな声を上げたとて、今更気にするほどではない。
 それに、思わずうるさいと言ってしまいそうなその声は、実にアレンの知るオーグらしいものだった。少なくとも、初めて出会った頃のオーグのような影は無く、むしろ微笑ましく想うほどだ。

 オーグの声が届いたのか、手を振る先にいたベルナルドが手を振り替えして応じた。隣にはドナも立っている。
 どこか気分が優れないのか、やや表情が曇っているようにも見えるが、こちらを見つけるや否やまたベルナルドらしい笑みを浮かべた。

「…………? 父さん、具合でも悪いのかな?」

 アレンの感じた違和感にオーグも気が付いていたようで、隣でオーグが眉をひそめた。

 ベルナルドはああしてよく笑うことがある。傷が痛む時も二人を心配させまいと気丈に振る舞おうとするので、治療するアレンからすれば少しだけ迷惑に思うことがある。

 今回もその類いだろうか、とアレンにオーグの不安が伝染しかけたが、どうやらそういうわけでは無いらしく、槍を杖がわりにしながらもベルナルドはこちらに歩いてきた。

「待たせたな、少し話込んでしまった」
「それはいいけど……父さん大丈夫? 調子悪そうだけど?」

 不安げに問い掛けるオーグ。ベルナルドはその不安を拭い去るように、オーグの髪をワシャワシャと撫でた。

「心配するな。お前が馬鹿みたいな事をしていたから、少し呆れていただけだ」
「なっ!? み、見てたのかよっ! 違うんだよ父さんっ、あれは、そのっ」
「気にするな、お前が馬鹿なのは今に始まったことじゃない」
「そうじゃなくてっ! ああもうっ、アレン! アレンも何か言ってよ!」
「そうですよ、ベルナルドさん。ベルナルドさんは勘違いしてます。オーグはガーネットの着替えを覗こうとしたんじゃなくて、僕の着替えを覗こうとしたんですから」
「……オーグ、お前って奴は」
「完全にフォローを求める相手を間違えたっ!」

 さも打ち合わせをしていたかのような会話の流れに、アレンとベルナルドは思わず忍び笑いを漏らした。
 袋叩きにあった肝心のオーグは膝を付いてブツブツと何かを呟き、軽い人間不信に陥っている様子。子供がいじけてしまったようなその姿は、二人の忍び笑いを大笑いに昇華させるのに十分過ぎた。

 そうして三人が何気無い一幕に心を委ねていると、不意にその耳に陽気な音が届く。
 いや、正確には音楽と言うのだろう。小気味よくリズムを刻む打楽器の音と美しい音色を響かせる管楽器の音が一瞬にして場を支配して、全ての注意をかっさらっていく。

「なっ、何なに!?」
「しっ、オーグ。……始まった」

 つい先ほどまで絶望にうちひしがれていたオーグはハッと驚いて立ち上がり、恐らく答えを知っているであろうアレンへと視線を移す。
 そのオーグの予感は正しいものであり、そうしてオーグが見つめた先のアレンは、僅かばかり口元を綻ばせてオーグを制した。

 この旋律を、アレンは知っている。当たり前だ、幼い頃からウルワ村で祭りが行われる度に、アレンはそれを耳にしてきたのだから。

 ウルワ村での祭りにおいて、祭事としての役割を果たす礼拝を行う前に、必ずとある・・・余興が行われる。
 それは普段口頭で受け継がれていく神話の伝説を、まるで別の方法で伝えていく手段であり、聴覚以外の感覚をも用いて伝承を伝える。
 様々な楽器を用いて奏でられる音楽は聴覚に、人々の喧騒や熱気は嗅覚や触覚に、そして今まさに行われようとしている余興は人々の視覚に訴えかける。

 果たして、何が行われようと言うのか。
 既にそれを知っているアレンは密かに心を踊らせ、そんなアレンを見守るオーグは微かな不安をその胸中に潜ませる。
 しかし、そんなオーグの不安を他所に、余興は何の気無しにその姿を人々の前に晒すのだった。

 舞台は祭事場、人々を明るく照らす灯台のお膝元に、遠目ながらぼんやりといくつかの人影が現れる。
 ある者は篝火を手にゆらゆらと舞台を闊歩し、ある者は竜の張りぼてを被って堂々と舞台に上がり、そしてまたある者は周りと比べて一際華やかな装飾を小さな身に纏って、人々の注目を一身に集めた。

 そうした光景を目の当たりにして、オーグはハッと目を見開いた。

「ねぇ、アレン。あれってまさか、ガーネット?」

 オーグの指差した先は舞台、そこにはオーグよりもやや小さい背丈の子供が一人、いとも堂々とした立ち振舞いで衆人を見下ろしている。
 その衣装は先ほどアレンが天幕の中でガーネットに着付けた衣装に相違無く、当事者であるアレンには一目で舞台上の子供がガーネットであると分かった。

 オーグもまた同様に天幕から出てきたガーネットを見ていたはずだが、それでも『まさか』と言葉を濁したのは、舞台上のガーネットが面を着けていたからだろう。

 その面は舞台の両端でとぐろを巻くような動きをしている竜の張りぼてとは似て非なる物であり、隠されているのは目元のみで髪や口元はさらけ出されている。
 確かに赤茶色の頭髪はガーネットを連想させるものの、堂々としたその雰囲気からガーネットだと確信を得るには至らない。

 しかし、それでも的中してみせたオーグに密かに下を巻き、アレンはその問いに頷いた。

「祭りが行われる度、村の女の子の中から一人『竜装を賜りし者カムラジャル』として選ばれるんだけど、今回はガーネットが選ばれたんだ。ちゃんと神話について理解できてないと選ばれなくて、選ばれるのは名誉なことなんだよ」
「その、『竜装を賜りし者カムラジャル』って?」

 聞き慣れない単語に首を傾げるオーグに、アレンはほら、とガーネットを指差して答える。

「あのお面は竜を象る半面なんだけど、あれはつまり人でありながら竜の恩恵を身に付けているってことを表してるんだ。そして、その事から『竜装を賜りし者カムラジャル』はある存在と同一視されている。何だか分かる?」
どういつし・・・・・って、同じ事って意味だよな? と、なると、んん? えっと――」

 質問をそれを上回る難度の質問で返され、腕を組んで頭を抱えてと悩みに悩むオーグ。勿論答えとなる言葉はオーグも知っているものであるが、アレンの見た限りその答えに辿り着きそうな様子はない。

 このまま待ってみてもいいかとも考えたが、もうじき余興が始まってしまう。もはや、意地の悪いことをする理由も無く、アレンが答えを口にしようとすると、思わぬところからその答えは飛び出してきた。

「……ふむ、賢者の事だろうか、アレン君」
「はい。正解です、ベルナルドさん」

 未だに悩むオーグを差し置いて答えを口にしたのは、二人の背後で会話を聞いていたベルナルドだった。

「よく分かりましたね。ベルナルドさんは神話について詳しいんですか?」
「いや、そういうわけではないよ。ただ、旅をしていると色んな事を耳にしてね。その中に、似たような話があっただけさ」

 さも何でもないように話すベルナルドだが、実際のところそんな簡単な話ではないだろう。
 先日創世神話について教えたオーグや普段から書物に囲まれているアレンならともかく、神話の物語など自ら知ろうとしない限りそう知り得る機会のあるものではない。
 更には神話という背景を知らずに『竜』が悪であるという共通認識を持っていれば、『竜の恩恵を身に付ける』という言葉から賢者を連想するのはまずあり得ない。

 故に、恐らくベルナルドは数々の旅の行き先で自ら進んでそういった事を学びとっているのだろう。もしくは、それ自体が旅の目的かもしれない。

 そう言えば、ベルナルドに旅の目的を聞いたことが無かったなと、ふとアレンが考えていると、気が付けば場が静寂に包まれていた。

 ハッとして、アレンは舞台の上へと視線を向ける。衆人やベルナルドやオーグでさえも息を飲んで何かを待っている中、場にコツコツと小気味の良い音が響く。
 そして、その音が鳴り終わる頃、舞台の上では先ほどまで踊っていた者達は影へと立ち退き、代わりにそこには杖を突くドナの姿があった。

 そして、皆が静まりかえり、全ての視線がドナに集められたのを確認して、ドナは口を開いた。

「今宵は新月。神々がその姿をくらませ、この世の真なる支配者が姿を現す一時。我らがここで、かの存在を迎え入れられることを、今一度喜び分かち合おう。我らがこの地に生を受けた喜びを、死してかの存在に迎えられる喜びを、この『竜帰祭リオナスファ』をもって確かめ合おう」

 そうして張り上げられたドナの声に普段の穏やかさは無く、更に言えば毅然とした力強い言葉の一つ一つからは若干の険しさすら感じられる。

 とは言え、確かに普段とは異なる一面であるが、長い付き合いである村民とアレンは決してドナの心中が荒立っているわけではないことを承知している。
 また、思慮深いベルナルドも状況を把握して一心にドナの話に聞き入っていた。

「――清らかな眼で世界を読め。さすれば、我が身がかの存在によって守られていることを真なることと受け入れられる――」

 だが、そうした険しい口調でドナの語りが進んでいく中、ベルナルドと同様にアレンが耳を澄ませていると、不意に視界の端で何かが動いた。
 ほとんど無意識にその影を追ったアレンが見たものは、篝火に照らされて光を放つ銀色の頭髪。

「オーグ?」

 間違いない。水面の輝きのような銀色も、歳の割に大きくない背丈も、何より頭部にある二つの耳が、その影がオーグであることを物語っている。
 そう気が付いた時には、既にアレンの耳にドナの声は届いていなかった。

 そして、どうしてか器用に人混みをすり抜けて遠ざかっていくその背中を、アレンは声をかけずに追いかけていった。


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