風の調べと、竜の誓い【旧:男の娘だけど~】

高瀬暖秋

悪の象徴【1】

 

「……んっ、しょっ!」

 意識的に息を止め、腹に力を入れて腰を持ち上げる。
 十キロを優に超える重量が指にのしかかり、思わず二三歩後ろに下がってしまう。

「大丈夫、オーグ?」

 胸の前で抱える荷物の重さのあまりによろけるオーグを見て、その隣を歩くアレンが不安そうに尋ねてくる。

「大丈夫、大丈夫。俺、力だけは人一倍あるから!」

 平気だという意思表示として、自分の胴よりも大きな荷物から顔を出して笑ってみせる。
 だが、それをアレンはどうにも不安を拭いきれないような様子でオーグを見ていた。

「そりゃあオーグは獣人だから、人並み以上に力があるのは知ってるけど……それは流石に無理じゃない?」

 基本的に獣人は人間よりも優れた肉体を持っていることは世界の一般常識だ。オーグのような子供でも、中には大の大人ですら持ち上げられない大岩を持ち上げる例もあるらしく、その膂力を計る際に外見はまるで当てにならないのだ。

 が、この状況でのアレンの不安の種はそこではない。呆れにも近い眼差しでアレンが見つめるのは、荷物を抱えているオーグの体勢にあった。

 オーグが今抱えているのはおおよそ十五キロに及ぶ巨大な酒樽。当然の如く胴はオーグよりも大きいために持ち上げるには底を持たねばならず、底を持てばオーグの視界が覆い隠されてしまう。
 お世辞にも背が高いと言えないオーグが一度それを持てば、ほとんど酒樽が歩いているようにも見えなくないほどだ。
 一歩歩けば上体が揺らぎ、二歩歩けば「うわっ」という不安な声がオーグの口から出る。

「……やっぱり、手伝おうか?」
「い、いやっ! 大丈夫、わっ!? だっ、だから!」
「言ったそばから転びそうになられると僕もなんて言ったらいいのか分からないんだけど……とりあえず、貸して」

 あたふたしているオーグに見かねて、呆れ混じりの笑みを浮かべたアレンはそっとオーグの持つ酒樽に手を添える。
 そうしてようやくオーグにも余裕が生まれ、ほっと口から吐息が漏れた。

「ほら、無理してたんじゃない。それを落としちゃったら、たとえオーグが良くても皆が良くないんだから。もっと僕を頼ってくれていいのに」
「そりゃそうかもしれないけど……その、アレンにはお礼がしたかったから」
「お礼?」

 そうだよ、と答えて、オーグは今度こそ落ち着いた足取りで歩き始める。

「この前の事もそうだけど、アレンにはお礼してもしきれないくらい助けてもらってるから。だから、そのお礼」
「……別にいいのに、気にしなくて」
「いいや、するね。だって、俺はまだアレンに何も返せてないもん」

 傷付いたオーグ達を匿い、騎士達の追っ手を阻み、あまつさえオーグの心のわだかまりを解消してくれた。そんなアレンに対して、オーグは未だ何も返せていない、ただ施しを受けているだけ。

 それでは、オーグの面目が立たない。所詮オーグの力では大したことはできないが、それでもアレンのために力になりたいと思ったのだ。

 そんなオーグの心情を読み取ったのか、アレンはオーグに聞こえるか聞こえないか程度の声でぼそりと呟く。

「……そんな事、無いのにな」
「……? アレン、何か言った?」
「いいや、何でもないよ。ほら、転ばないように気を付けてね」

 どこか喜びの色が滲んでいるアレンの声に首を傾げながら、オーグは歩調を合わせて酒樽を運んでいくのだった。

 ――結局のところ、先日の一件はあれ以上肥大化することなくその幕を下ろした。
 ウルワ村の方にまた山賊が現れることはなく、アレンも帝国の騎士達の魔の手を難無く避け、それどころか手玉に取ってみせたらしい。

 らしい、と言うのもオーグはそれ自体を見てはいないからだ。ちょうどその時間辺りにオーグはウルワ村で一騒ぎを起こし、逃亡したのだから当たり前である。

 故に、オーグが知っている情報は人から人へ、口伝えに巡ってきた内容であるから、その真偽は分からない。
 内容としては村の人々からの協力も受けた上で囮を使って騎士達を北に誘導しただとか、一切の痕跡を隠してしらを切り続けただとか、中には騎士達全員を崖から突き飛ばして強引に証拠隠滅したなんて出鱈目なものもあった。

 オーグの率直なイメージではアレンならばどれもやりかねないとさえ思えたが、本人に直接聞いたところ、取り敢えず騎士達の捜索を北に向かわせたという本筋は間違っていないとの事。
 余談ではあるが、最後の出鱈目な内容をアレンが完全には否定せず、オーグが内心戦慄したなんて事もあった。

 一方オーグの方の事の顛末はと言うと、こちらも何事も無く穏便に話は片付いた。
 実のところ、現実から逃避しようと逃げ出したオーグがその被害妄想を増大させただけで、ウルワ村ではそれほどの騒ぎになってはいなかったのだ。

 獣人への差別意識が強く、かつアレンから予め話を聞いていなければ話は変わっていただろうが、ベルナルドの懸命な説明もあり、村への被害は少々の恐怖を広げるだけに収まったのである。

 それどころか、あのまま賊に暴れられた場合と比べれば、その被害などあって無いようなものである。一番の被害者であるガーネットに至っては、あの亜獣がオーグだと分かると毛皮を触らせてほしいなんて事を言い出す始末だ。
 今までの恐怖が幻のように村人に受け入れられ、オーグもオーグで呆然としたのは愉快な思い出である。

 そして、現在。
 あの後数日に及ぶ騎士達の捜索を完全に振り切ってから、おおよそ五日の時が流れた。
 少なくとも多少の安寧を手に入れたオーグ達親子は、ベルナルドは傷の回復に専念し、オーグは村の手伝いをしながら各々心休まる時間を過ごしていた。

「そう言えば、これって何に使うんだよ? やたら重いし大きいけど」
「このお酒?」
「そう。普通に飲むだけならもっと運びやすい大きさで作れば良いんじゃないの?」

 ふとオーグの頭に浮かんだ疑問は、今自分が運んでいる酒樽について。力だけならあり余っているオーグでも苦戦しているように、お世辞にもそれは運びやすいとは言い難い。ならば、故意にこの大きさにする理由は何なのか。
 そんなオーグの問いに、アレンはあんぐりと口を開けて答える。

「オーグって馬鹿だけど、頭は回るんだね」
「一言余計だろ?」
「僕はオーグの事馬鹿だと思ってたし実際頭は良くないけど、そういう目の付け所は良いんだね」
「一言以外余計だよっ!?」

 微妙に異なるやり口での褒め言葉罵倒に、的確にツッコミを挟むオーグ。そんな光景に更にニコニコと微笑むと、アレンは「実はね」と説明を始めた。

「近々、ウルワ村でお祭りがあるんだ」
「お祭り?」
「そう、お祭り。僕も何度か参加したことがあるんだけど、その度にこうしてお酒と食事をお供え物として用意するんだよ」
「……酒と食事、ね」

 おもむろにそう呟き、今日一日で自分が運んだ荷物を思い返す。

 オーグがウルワ村で助力したことは多岐に渡る。畑の整備然り、家の修繕然り、力のあるオーグが肥料や木材の運搬を任されることは少なくなかった。

 ところが今日に限って、運んだ物は大きな酒樽と血抜きを済ませた生の獣肉。酒はともかく、生の肉に関しては燻製などの加工もしておらず、一体何に使うものなのかと思案していたオーグだったが、それはアレンの一言で解決した。

 だが、同時にもう一つ疑問が生まれる。

「でも、俺が運んだのは確か生肉だったけど、どうして生のままでお供えするんだよ? 俺が神様だったら火は通ってた方が嬉しいけど」

 オーグの問いに「オーグらしいね」とアレンはクスリと笑う。

 一瞬、出会って一月もしない内に食いしん坊認定されているのか、と頬を膨らませそうになったオーグだったが、続けられた言葉によってそれは勘違いだと理解する。

「お祭りは地域でそれぞれ違うからね。旅をしてきたオーグには不思議かもしれないけど、この辺りではお供え物はあえて“未完成”、できるだけ自然に近い形にしておくのが決まりなんだよ。このお酒もほとんど水で、何ならオーグも飲めるしね」

 どうやら、オーグの胃袋への嘲笑ではなく、旅をしてきた背景を思っての笑みだったらしい。
 アレンの説明になるほど、と相槌を打ちながら、オーグは時折酒樽を抱える手を持ち直し、次々と運んでいくのだった。

 二人が全ての供え物を運び終える頃には日は既に真上まで昇ってきていた。
 供え物の運搬を始めたのは朝の事だったが、村の端にある倉から祭事場まではそれなりに距離があり、更に動きが基本的に反復作業だったのもあり、昼になる頃にはオーグの体力は底を尽きていた。

「はい、オーグ」
「ん。ありがと、アレン」

 小休止しようと近くにあった木材の上に腰を下ろし、オーグが喉の渇きを感じた最良のタイミングで、そばに寄ってきたアレンから水筒を差し出された。

 オーグの疲労をいち早く察知して、空かさずアレンがフォローする。ここ数日で何度もやってきたやり取りだ。何気なくオーグも受け入れているが、本来は世話スキル最大のアレンにしか行えない所業であることをオーグは知らない。

 そうして、全身に染み渡るような冷水で身を休めていると、どこからか声をかけられる。
 しわがれた魔女を思い浮かべる、けれど聞き覚えのある優しい声。ドナだ。

「これ、オーグや。お主は何に腰かけとるか分かっとるんか?」
「え? 何って、木……だと思うけど?」

 聞かれたままに答えたオーグ。そんな様子にドナは溜め息を吐く。続けて、呆れたアレンがオーグに説明した。

「それは祭事に使う木材だから、君が上に乗っていい物じゃないんだよ」
「嘘!? ごめんなさい、すぐ下ります!」

 驚いた衝撃でその場が飛び出し、華麗なターンを決めて素早くお辞儀。慌ただしくも素早いそれにアレンは舌を巻くが、当の本人は下げた頭の中で大きく目を回している。
 その姿には何とも誉め難いオーグらしさが滲み出ていた。

 そんな姿を二人に笑われ、オーグが微妙な歯痒さを感じていると、ふと疑問が沸く。

「そういえば、聞こうと思ってたんだけど、このお祭りって何を称えるお祭りなの? 俺、あんまり宗教とかは詳しくないから分からないと思うんだけど、手伝う手前一応知っておきたいな」

 オーグがふと疑問に思ったのは、この祭事の崇拝の対象。よそ者のオーグがああだこうだと言われて納得できるとは言えないが、それなりに作業を手伝ったのもあり興味は少なからずあった。

「君は馬鹿だけど、そういう素直さは美点だと思うよ」
「……だから、一言余計だって」

 ごめんね、一言謝罪を挟み、話は本題に入る。

「そもそもこの辺りではマリーツィアって神様が崇められてることが多いんだけど、それは分かる?」
「うん、聞いたことある」

 マリーツィア神。その名前は旅の道中で何度か耳にしたことのある名前だ。その教えは知らないが、所々に教会もあったことからこの帝国に広く伝わっていることはオーグにも分かる。

「マリーツィア神は太陽の神様。大いなる輝きによって人間に知恵を与えて国家に繁栄をもたらすサハフィリス教の唯一神。他にも色んな見方はあるんだけど、主な見方は人間・・の神様だということかな」
「人間の神様?」
「うん、かつて何も無かった世界に『人間』という個体を作り出し、知恵を与えて世界を構築した。また、その教えの布教された地域に神の御加護を与え、知恵無き亜獣による侵略を抑圧する。……と、こんな風にちょっと人間贔屓な神様って感じかな」

 獣のためにあらざる、人間のための神様。それは、獣人を排外するこの国の在り方そのもののようだ。

 いや、違うか。この国であったからこそ、サハフィリス教の教えが生まれたのか。生まれて、受け入れられたのか。
 ベスティア神の怒りベル・ル・ハッラを後押しするように生まれた国家とその教えの関係を理解して、オーグは静かに憤りを覚えずには居られなかった。

「……君の言いたい事、分かるよ。確かに獣人の君からすればその教えは横暴なものだし、筋が通ってないと思うよね。……でも、人は一人じゃない。君のように間違えてると思う人も居れば、そんな教えが救いになる人も居るんだよ」
「……うん、分かってる」

 教えとは、迷える誰かを導くもの。たとえオーグ一人がそれに反感を覚えたとしても、その教えは必ず他の誰かを救っている。

 故に、その教えが決定的に間違いであることはあり得ない。オーグがそれに賛同しないことはできても、その教えを間違いであると糾弾することはできないのだ。
 それを、オーグは理解してしまっている。故に、それ以上口出しはできなかった。

「……それで、その話をしたってことはこのお祭りで奉る神様もそのマリーツィアって神様なの?」

 マリーツィア神の事を話したのは祭の崇拝対象であるから、という当然の帰結を迎え、そうオーグは確認する。が、対するアレンは首を横に振ってそれを否定した。

「そうじゃなくてね。普通はマリーツィア神が奉られるって事が言いたかっただけで、このお祭りで奉られるのは全く別物。というか、それは神様・・ですら無いんだ」
「神様じゃ……ない?」

 そう、と頷き、アレンはその言葉を口にする。

「この村が、僕達が奉っているものは神様じゃなくて、なんだから」

 いつしか耳にしてその意味を理解できなかったその言葉が、オーグの前にまた姿を現した。


コメント

コメントを書く

「ファンタジー」の人気作品

書籍化作品