LOVE NEVER FAILS

AW

どうして

 リーシャが何か呟いた途端、淡い光が放射状に広がっていく。

 照らし出された銀世界、ここが彼女の私室であると気付くのは簡単なことだった。

 デジャヴ――最近味わったばかりの感覚。

 もし、ここが月も太陽もない闇世界というならともかく、時間的に深夜だと考えるのが自然だ。
 午前8時を示していた腕時計を、0時ぴったりに合わせておく。


 僕のノートを取り出し、何かを描き始めるリーシャ。

 左側から昇るのは小さいけど太陽か。左端には彼女がいる。右端で激しく蠢く点は戦争か。味方の数は少ないけど、敵を撃退して追撃に移る。なんだ、僕なんか必要ないじゃん!

 と思った瞬間、下の方から突如として迫り来る多くの点――もう1つの敵勢力。あっという間に包囲され、彼女の周囲で僅かに残っていた点が沈みゆく太陽と共に姿を消していく。

 なるほど、分かった。この動画は今日これから起こる未来なんだ。この窮地を救うのが僕の使命ということか。命懸けの大仕事を前に、身体中の震えが止まらない。

 ドンッと右の拳で力一杯心臓を殴る。

 現代日本で格差社会のレール上を歩むか、未知の異世界で可愛い子のために一旗上げるかと問われたら、迷わず後者だろう。後悔はない。未練もない。やるっきゃない。


「ノブナガ、********」

 自分を言い聞かせるために何度も頷く僕に、リーシャが続きを示す。

 ノートの左隅、枠の中に居るのは僕だ。リーシャは居ない。太陽がゆっくり右へと動いていく。枠の外では、点が目まぐるしく動き回っている。と、そこに別種の点が無数に現れる。点は進軍を止めると、モーゼの十戒よろしく左右に割れる。そして、大軍の中から1つの濃い点が進み出てきた。迎え撃つのは――やっぱり、僕か。何やら種族を代表した一騎打ちを行うようだ。

 そして、僕は楽勝した。


「なるほど、一騎打ちか」

 自慢の勇者の剣を回す。要は剣道の試合と同じ。これで思いっきり面を当てれば頭蓋骨粉砕確定だろう。でも、殺人なんて絶対に嫌だ。これは単なる試合。籠手か胴打ちで、相手の戦意を挫けさえすれば大丈夫だ。

 頷く僕に、彼女は何度も“その時まで”ここで待つようにと指示をした後、急いで部屋から出て行った。

 僕はベッドに腰掛け、今日の出来事を思い出しながらにやけていた。



 彼女は、戻って来なかった。

 変な期待で興奮していた僕は、当然、一睡もできなかった。

 部屋は相変わらず薄暗いまま。腕時計で時間を確認して懐中電灯を消す。4時間が経っている。つまり――感覚的には12時頃か。チョコレートで空腹を満たす。最悪の場合、試合は日本時間の深夜になる。時差ボケで負けたら笑えない。今のうちに寝ておこう。

 彼女のベッドに潜り、羽のように軽い銀色の布団を抱き締めながら夢の国に旅立った。


 騒々しい雄たけびで目が覚める。

 布団を押し退けると、部屋には自然光で満ちて明るかった。今は6時――つまり、ちょうど2時間寝たのか。

 10畳ほどの部屋を見回してもリーシャは居ない。

 外からは、金属音と歓声が断続的に聴こえてくる。

 もしかして、一騎打ちが始まった!?

 ヤバい、寝過ぎてしまった!

 彼女にあんなに懇願されたのに。期待されていたのに。寝坊とか、馬鹿すぎでしょ!

 とにかく行かなくちゃ!

 金属バットを握り締め、声のする方へと走り出す。


 ドアを出て、真っ直ぐな廊下を走り抜けると建物の外に出た。

「おわぁ!」

 危うく転落死しかけた。

 この建物、実は大木の幹だった。10mくらいの高さにできた空洞、そこが彼女の家。周りにも似たような大木が立っているけど、ここが1番高いかもしれない。

 下へと続く螺旋階段を見つけ、1段跳びに走り出す。

 眼下にはたくさんの生物が見える。右側にはリーシャと同じような背格好をした子が20人ほど。全て女の子だ。しかも、みんな可愛い。

 対して、右側には小鬼のような不細工な緑色の生物。ファンタジー映画に出てくるゴブリンのような感じか。

 確か、敵軍に攻められているんだよね? 意外と緊張感が感じられない。中央で繰り広げられている2人の決闘に向けられているのは、悲鳴ではなく、女子中高生のような黄色い歓声だった。


 最後の5段を一気に跳ぶ。

 僕の両脚が地面を叩いたとき、全員の視線が僕に集中したのを感じた。決闘も中断している。

 これは、待ち焦がれた勇者に向けられる視線じゃない。ピンチに現れる勇者に向けられるべきは、感謝と期待に満ちた瞳のはずなのに。いくら鈍感な僕でも、その視線が好奇心から徐々に敵意に変わっていくのを感じざるを得ない。

 僕は慌てて構えていた金属バットを下げる。

 すると、決闘をしていた一方の人物――僕より少し背が高いエルフのイケメン――が、奥に立つ兵士たちに何やら指示を出し始めた。



 その後、僕は縄で縛られて地下の牢獄に入れられた。

 抵抗は不可能だった。両脇を歩く兵士が即座に刺殺できるよう短槍を構えていたから。

 大声で何度も何度も叫んだ。僕は君たちを助けに来たんだって。リーシャに頼まれたんだって。元の世界に帰してくれって。

 でも、全く聴き入れられなかった。そもそも言語が通じているとも思えないけど。


 岩を掘って造られたような牢は、冷え冷えとしていて僕の孤独感をさらに煽った。

 服や靴が脱がされていたこともあり、唯一、僕を温めてくれるのは剥き出しの地面だった。

 足を縛られたまま、ドリルのように身を捻って地面を穿つ。その僅か10cmほどの穴だけが、僕の心の拠り所となっていた。

 リーシャは、夕方になっても、夜になっても現れなかった。その代わり、1時間おきくらいに堅牢な木枠が外され、家畜の糞尿が放り込まれた。


 最初は、寝坊した自分をひたすら責めた。

 それもいつの間にか、最初から騙されていたんじゃないかという疑惑にとって代わっていった。

 空腹には慣れていたつもりだったけど、体内時間で夜を迎えるあたりから理性が狂い始めてきた。死を覚悟したのはその頃か。自分で命を絶つこともできるけど、どうせなら盛大に仕返ししてやりたいと思った。

 ゴミ棄てに来た若いエルフの女の子が、死んだふりをしている僕に近づいてきた。無警戒過ぎだ。

 脚で押し倒し、馬乗りになる。意外と大きな胸の感触にびっくりする。このまま殺すことも姦すこともできたけど、首筋に膝を当てて脅すに留めた。

 僕の心を察したのか、身の安全を優先したのかは分からないけど、女の子は僕の手足の縄を解いてくれた。罪悪感で涙が溢れた。

 青紫に染まった手足の指には既に感覚がない。強く縛られたことで血が止まり腐ってしまったのか、皮膚どころか骨まで逝ってしまったのか。

 這うように牢を抜け、地上を目指す。

 さっきの女の子は腰が抜けてしまったのか、糞尿の海で横たわったままだった。


 しばらくすると、膝下に感覚が戻ってきた。

 長時間の正座から解放された後のような、心地よい痺れが全身を駆け巡る。

 大丈夫だ、きっと走れる。

 地下牢を抜け、外に出る。月明かりに木々が応える幻想的な風景が目に映る。

 大丈夫だ、見張りは居ない。

 何やら祭りの準備をしているようで、奥の方に灯が集中している。

 僕は即座に行先を決めた。

 あの大木の幹――彼女の家だ。リーシャにまた会いたいと願った。会わないといけないと思った。復讐したい気持ちは確かにある。でも、まずは彼女の話を聴かなければと思った。彼女のあの笑顔に裏があるなんて思えなかったから。


 螺旋階段を1歩1歩上る。

 降りたときとは比較にならないほどの疲労と距離を感じる。

 5分以上かけ、やっと入口に到達した。

 この国だか村の建物には玄関ドアのような物がない。よっぽど治安が良いのか、風雨を気にせず過ごせるのか分からないけど、それはそれで今は好都合だ。

 息を殺して通路を進む。

 この奥、右側に僕が最初に来た場所――彼女の部屋がある。

 近付くにつれ、物音と囁きが聴こえてきた。

 ドアに身を寄せて気配を探る。

 部屋の中に誰か、それも複数の存在を感じる。

 入るか否か躊躇う。

 でも、今の自分の立場を考えれば、遠慮する必要はないだろ。

 僕は態と大きな音を立ててドアを蹴り開けた――。



「ノブナガ!」


 部屋の奥、僕が寝坊したベッドの上に彼女が居た。

 そして、あの緑色の獣が彼女に覆い被さっている。

 状況が呑み込めない。


「リーシャ? どうして?」


「ノブナガ! ノブナガ!」


 水泳のバタ足のように脚で布団を蹴り上げ、ベッドから抜け出してきた彼女は、今の僕と同じ裸同然だった。

 そしてそのまま僕の胸の中へと身を委ねてくる。

 彼女の白く綺麗な髪がふんわりと僕の鼻腔をくすぐる。状況が全く分からないけど、彼女を救う道を選ぶ。

 今は彼女のこの涙を信じたい!


 奇声を発しながら飛び掛かってきたゴブリンの顔面に、カウンターで足の裏を合わせる。

 いくら筋骨隆々でも、身長が僕の臍くらいしかない奴には負ける気がしない。

 腰から崩れた奴の両脚を掴んで、精一杯振り回す。

 この恐怖はやられた者にしか分からない。

 遠心力に物を言わせ、10回、20回と回し続けると、僕自身も目が回ってしんどくなってきた。

 30回を超えたとき、奴の奇声が聴こえなくなった。

 限界突破――50回を超えた後、奴の汚い体液で手が滑ってしまった。

 木の壁が軋むほどの大爆音が轟く。

 床にペタン座りしていた彼女は、その光景を口を開けて見ていた。


「ノブナガ!」


 再び彼女が僕に抱き着いてきた。

 裸同士で抱き合うとか、中学生の僕には刺激が強すぎだって。

 咄嗟に股間を抑えつつ目を背ける。

 床に転がっていた布団に手を伸ばそうとした途端、彼女は首を振って走り出した。

 またどこかへ行ってしまう――不安から伸ばした右手は、すぐにUターンして再び股間に戻る。

 彼女は僕のバッグを取りに行っただけだった。

 その中から懐かしいノートとシャーペンを取り出し、何が起こったのかを説明してくれた。



 深夜、部屋を出た彼女は早速偉い人に面会し、僕のことを話したらしい。

 その後、裏切者と看做されて僕と同じように囚われていたそうだ。

 違うのは、この部屋に軟禁されただけということ。さすがに僕のように糞尿塗れにはされないか。

 再開された一騎打ちの結果、エルフ側は敗北し、例のゴブリン代表がこの地を治めることになった。さっき吹き飛ばした奴がそうらしい。

 あんなのに負けるなんて、エルフって弱いのか? 抵抗していれば良かったじゃん。

 それは置いといて、そのゴブリンが軟禁されていたリーシャを気に入り、部屋に押し掛けてきたということらしい。

 要するに、最悪の結果になったということ。

 ただ、本当に不幸中の幸いだったことは、彼女はまだ何もされていないということ。それだけで僕は全てが報われた気がした。

 もしかして、あの糞尿エルフ少女は、わざと僕を逃がしたんじゃないだろうかとさえ思えた。まぁ、考え過ぎだね。

 そして、彼女の魔法で僕たちは再び日本へと戻った。

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