罪人ノ輪舞
3.失敗作
見た目には人と区別が付かない程に精工な造りで知られる、一昔前に量産された戦争の道具だ。
不自由なく従順で、且つスペックの高いものを名前持ち、戦争に必要な何れかのスペックが決定的に劣り、使われなかった廃棄ものを失敗作――簡単命令に従わせるだけの駒として扱われた。
しかし、現代においてはそのどちらも、危険だからと一斉処分されたと文献にはある筈だったのだが――
「今の時代を生きるわっちらが、よもやこれを目にする日が来ようとはのう。先に感じた違和感はこれじゃったのか」
大通りのお祭り会場。屋台設営をする人々の件だ。
皆が笑顔で、楽しそうに準備を進めていた。
二人にはその笑顔の半分が、不自然に自然な気がしていたのだ。
どこか乾いた、無機質な笑み。
元ある人の表情から変化したものではなく、それが普通であるかのような、面白みのない笑みを、あそこにいた多くの人が浮かべていた。
どう言葉にしようものかと悩んでいた二人だったが、なるほどこれなら説明がつく。
「いくら見た目を似せようが、心には近付けない。あくまでこれらは“者”ではなく“物”だからね」
「じゃの。さてどうする、ハルよ。初仕事の報酬はまだじゃが、身に余る大仕事が目の前にあるぞ」
アンはニヤリと不敵な笑みを浮かべてそう言った。
確かに、ギルドにいた頃とは段違いな大仕事になりそうではある。
人形がこの一体だけだというのなら、未廃棄届を国の管理部に出せばいいだけの簡単な話だが、こと此処に於いては、それが国単位に及んでいる。
下手に首を突っ込んで、小規模でも戦争なんかにでもなってしまえば、あの家に向ける顔がなくなってしまう。
「なんてね」
「心の声が漏れておるぞ?」
「怖いことを言わないでくれよ。僕が何を考えていたって?」
「見捨てればあのギルドに戻り辛くなる。が、それを理由で助ける訳でもない。違うかの?」
ふふん、と鼻を鳴らして言い切るアン。
ハルは素直に驚いていた。
「これはビックリだ。いつからそんなに、僕のことを分かるようになったんだい?」
「阿呆なことを抜かすでない。わっちのような者を助ける主のことじゃ、懐の広さはその時から知っておるわ」
「そ、っか……ありがと、アン」
アンは少し照れくさそうに視線を逸らした。
と、二人の意見が食い違わなかったことは一旦。
アンの懸念は、これだけボロボロになったオートマタを、如何にして元の姿に戻すのかということだった。
もう百年以上も前の戦争に使われた代物だ。造り手、及び直し手は、誰一人として生きてはいない。
整備をする者はいる筈だが、不良品たるこの子を持って行っても、取り合ってはくれないだろう。
「――とかって思ってるんじゃないの?」
「意地が悪いのう、ハルよ。お主にはわっちの心が読めたのか?」
「勿論。今日の夕食は何かな、でしょ?」
「……本気か?」
「当然嘘だよ」
何じゃ嘘か、とアン。
もう割と長い付き合いだが、ハルは嘘と本当の言葉に境目を見つけにくい。
「して、どう直すかじゃが――」
と思考し始めたアンの横を過ぎ、ハルが人形の前にしゃがみ込んだ。
そうして辺りに目をやり、何やらぶつぶつと呟いている。
やがて頷き、立ち上がると、アンに向き直って「任せて」と一言。
「作り手ではない者に、これが直せるのか?」
「中身は正直なところあまり分からない。でも、外見のとりあえずの修理なら、大丈夫そうだ。幸い、ここに壊れたパーツの部品は全て散らばっている」
「物さえあれば可能なわけじゃな」
「一応ね。これでも、アンと出会う前は物作りだったから」
「ほほう」
これは知らなかったことだ。
アンがあまり身の内を語らないことに遠慮して、ハルも自分のことについて話すことはあまりない。
さらっと言ってのけたが、出会う前の話なんて、初めて聞いたことだった。
ハルは部品をかき集めると、アンに一つ頼み事。
国単位で人形を使っているなら、周囲に怪しい人影――それらを管理、見守っている存在がないか、確かめてくれと頼んだ。
「安い用じゃ」
頷くと、アンは目を閉じて周囲を警戒し始める。
通り抜ける風の音の強さ、方向、曲がり具合。
靴音の響きに、そのリズムの一定性。
気配。
意識を集中させ、あらゆる情報を深くまで感じ分けていく。
「ふむ」
時間にして約三十秒。
いつもより時間をかけた感知を終えると、アンははっきりと首を横に振った。
「そうか。ありがと」
「礼は不要じゃが――これだけの見た目なら、持って運んで宿で作業するわけにもいかぬな」
「うん。ここでやるしかなさそうだ」
ハルはそう言うと、アンの袖元からあるものを取り出してくれと言いつけた。
言う通りにしてアンが取り出したそれは、中から何やらガチャガチャと音の響く、桐の箱だった。
ハルに手渡し中身を確認すると、そこには工具の類が一式、詰め込まれていた。
「出立前にこれだけ頼むと仕舞わされたものじゃったが――なるほど持って歩くわけにはいかぬが、またなぜ持ち出そうと考えたのじゃ?」
「例えば、移動に車を買ったとする。で、アンが使ったら間違いなく故障する。だから――」
「待て、一つ毒を吐かんかったかの?」
「気のせいじゃない? まぁ言ってしまえば、備えあれば何とやらってことだよ。こうして、無駄にはならなかった訳だからさ」
「それはそうじゃが…」
便利機能的に使われた気がして、少々納得のいかないアン。
しかし、こうして人、基人に似た何かを助けることに繋がるというのなら、またある意味で面白いではあった。
アンに一歩下がらせると、ハルは早速と作業を開始した。
そうして作業を進めること、約三時間。
終える頃には、すっかり日も落ち、辺りは真っ暗だ。
簡単な命令として『ここを離れない』ようにしておくと、ハルはアンと連れ立って、ナルの家へと戻っていった。
そうして夕食をご馳走になった後で、騒ぎ立ててカルラさんを起こしては、と適当な理由をつけ、宿を取ると言って外へ出てきていた。
去り際、変に勘付かれてはいけないからと、ナルには「お母さんの傍にいてあげてね」と言い残しておいたのだが――果たして、効果は。
背後に何者かの気配がない当たり、今のところは、勘繰ってついて来てはいないようだった。
祭りとあって騒がしい大通りを抜け、先の角へと向かう。
すると視界に入って来たのは、目を開け意識を保ちながらも、言いつけ通りに動かないでいる人形の姿だった。
これがもし人なら、とも考えるが、寧ろ人形であるが故に、殊更胸が苦しくなった。
起動している、否意識のある人形に向かい合い、ハルとアンがしゃがみ込んだ。
目を真っすぐに見合わせると、その瞳の濁りの無さは明らかに人外だが、ここまで精巧だったとは、と改めて感心してしまう。
「さて――先ずは何から話したものかのう」
「名前、かな。ひいては、識別番号でもいい」
そう二人で話していると。
「第四特攻小隊所属予定、機体番号零三、使い捨てモデルです」
そんな言葉を聞いた途端。
アンが苦しそうな表情を浮かべ、そのまま俯いてしまった。
当然だ。
アンの過去を少しばかりでも知っているハルには、その理由は瞭然だった。
すぐには言葉も出にくかろうと、変わってハルが人形に尋ねた。
「手の甲のバツ印、君は隊に入らず棄てられてしまったようだ。言っている意味が分かるかい?」
「はい。私には“感情”の起伏が一切存在しなかった為に廃棄されました」
人形、それも戦争の道具であるものに、果たしてそれが必要だったのかどうか。
体のいいただの作り捨てな気がしてならない。
「呼び名はあったかい?」
「いいえ。指示語による分別だけです」
それはまた酷な話だ。
感情云々なんて言い分を敷いておきながら、その実人間性を全否定とは。
笑顔で話しながら、ハルは聊かの怒りを募らせていた。
「宛てはあるかい?」
「ありません。争いがない以上、私のような人形は消えていくだけです」
と。
それもまた、おかしな話である。
戦えないからいらない、と棄てられた旧時代の遺産が、ただ壊れているだけというのは道理ではない。
手入れされ劣化を防ぎ、といった工程の継続でもなければ、こうして百年以上もの間、ここに入る筈もない。
誰か、これらを管理している人、あるいは部署のようなものが存在している道理だ。
「宛てがないなら、僕らがここを出るのと一緒に行こうか」
「貴方が、私の主様ですか?」
「わっちの主じゃ!」
その一言に、何か何故だか納得のいかなかったらしいアン。
人形の言葉を遮って前に立ち、ハルの腕を取って見せしめる。
「生憎と、この小僧はわっちの主なんじゃ」
「よく分かりませんが――でしたら、貴女が私の主様なのですか?」
「そういうことになるのう」
「理解しました。それでは、同行させていただきます」
「うむ、苦しゅうないぞ」
すっかりご機嫌の様子。
弟子のような感覚なのだろうか。
ともあれめでたく居場所は得られたわけだが、それに伴って必要なのは名前だ。
呼び名が過去と同じ“あれ”とか“それ”では意味がない。
と、考えていた矢先に、アンが「そうじゃ」と閃いた。
「玉のように綺麗な瞳が、澄んだ瑠璃色をしておる」
「驚いた。アンにしては真面な名付けじゃないか」
「じゃろう? では――」
ハルの手を解くと、アンは人形の方へと近寄り、手を差し出した。
「ルリ――お主の名前は、今日これより“ルリ”じゃ。聞かれたら、そう名乗れ。良いな?」
「ルリ、ルリ――登録しました。どうぞご存分にお使いください、主様」
そう返して、頭を下げる人形改めルリ。
しかし、アンはむすっとして答えない。
「違う、なっとらん。わざわざ主であるわっちが名前つけてやったのじゃ、ブランドなんぞよりも格が上なんじゃぞ? 人として接さねばならん」
「ひと――すいません、分かりかねます」
「そうか。なら教えてやろう。わっちの手を取れ。右の手でじゃ」
「――こう、ですか?」
ぎこちない動きで以って、なんとかアンの手を取る。
すると、アンは少しご機嫌になって頷いた。
「そうじゃ。そうしてこう言うんじゃ。“よろしく”と」
「よろしく――お願いいたします」
「よう出来た。では宿を取りに行こうかの」
素直な仲間が出来て、すっかりご満悦なアン。
途中から置いてけぼりだったハルは、少々肩を落としながらも、その微笑ましい光景に思わず笑みを浮かべてしまっていた。
「真人間、か」
ともすれば、自分よりも人間らしい人間なのではなかろうか。
ふと、そんなことを思ってしまった。
不自由なく従順で、且つスペックの高いものを名前持ち、戦争に必要な何れかのスペックが決定的に劣り、使われなかった廃棄ものを失敗作――簡単命令に従わせるだけの駒として扱われた。
しかし、現代においてはそのどちらも、危険だからと一斉処分されたと文献にはある筈だったのだが――
「今の時代を生きるわっちらが、よもやこれを目にする日が来ようとはのう。先に感じた違和感はこれじゃったのか」
大通りのお祭り会場。屋台設営をする人々の件だ。
皆が笑顔で、楽しそうに準備を進めていた。
二人にはその笑顔の半分が、不自然に自然な気がしていたのだ。
どこか乾いた、無機質な笑み。
元ある人の表情から変化したものではなく、それが普通であるかのような、面白みのない笑みを、あそこにいた多くの人が浮かべていた。
どう言葉にしようものかと悩んでいた二人だったが、なるほどこれなら説明がつく。
「いくら見た目を似せようが、心には近付けない。あくまでこれらは“者”ではなく“物”だからね」
「じゃの。さてどうする、ハルよ。初仕事の報酬はまだじゃが、身に余る大仕事が目の前にあるぞ」
アンはニヤリと不敵な笑みを浮かべてそう言った。
確かに、ギルドにいた頃とは段違いな大仕事になりそうではある。
人形がこの一体だけだというのなら、未廃棄届を国の管理部に出せばいいだけの簡単な話だが、こと此処に於いては、それが国単位に及んでいる。
下手に首を突っ込んで、小規模でも戦争なんかにでもなってしまえば、あの家に向ける顔がなくなってしまう。
「なんてね」
「心の声が漏れておるぞ?」
「怖いことを言わないでくれよ。僕が何を考えていたって?」
「見捨てればあのギルドに戻り辛くなる。が、それを理由で助ける訳でもない。違うかの?」
ふふん、と鼻を鳴らして言い切るアン。
ハルは素直に驚いていた。
「これはビックリだ。いつからそんなに、僕のことを分かるようになったんだい?」
「阿呆なことを抜かすでない。わっちのような者を助ける主のことじゃ、懐の広さはその時から知っておるわ」
「そ、っか……ありがと、アン」
アンは少し照れくさそうに視線を逸らした。
と、二人の意見が食い違わなかったことは一旦。
アンの懸念は、これだけボロボロになったオートマタを、如何にして元の姿に戻すのかということだった。
もう百年以上も前の戦争に使われた代物だ。造り手、及び直し手は、誰一人として生きてはいない。
整備をする者はいる筈だが、不良品たるこの子を持って行っても、取り合ってはくれないだろう。
「――とかって思ってるんじゃないの?」
「意地が悪いのう、ハルよ。お主にはわっちの心が読めたのか?」
「勿論。今日の夕食は何かな、でしょ?」
「……本気か?」
「当然嘘だよ」
何じゃ嘘か、とアン。
もう割と長い付き合いだが、ハルは嘘と本当の言葉に境目を見つけにくい。
「して、どう直すかじゃが――」
と思考し始めたアンの横を過ぎ、ハルが人形の前にしゃがみ込んだ。
そうして辺りに目をやり、何やらぶつぶつと呟いている。
やがて頷き、立ち上がると、アンに向き直って「任せて」と一言。
「作り手ではない者に、これが直せるのか?」
「中身は正直なところあまり分からない。でも、外見のとりあえずの修理なら、大丈夫そうだ。幸い、ここに壊れたパーツの部品は全て散らばっている」
「物さえあれば可能なわけじゃな」
「一応ね。これでも、アンと出会う前は物作りだったから」
「ほほう」
これは知らなかったことだ。
アンがあまり身の内を語らないことに遠慮して、ハルも自分のことについて話すことはあまりない。
さらっと言ってのけたが、出会う前の話なんて、初めて聞いたことだった。
ハルは部品をかき集めると、アンに一つ頼み事。
国単位で人形を使っているなら、周囲に怪しい人影――それらを管理、見守っている存在がないか、確かめてくれと頼んだ。
「安い用じゃ」
頷くと、アンは目を閉じて周囲を警戒し始める。
通り抜ける風の音の強さ、方向、曲がり具合。
靴音の響きに、そのリズムの一定性。
気配。
意識を集中させ、あらゆる情報を深くまで感じ分けていく。
「ふむ」
時間にして約三十秒。
いつもより時間をかけた感知を終えると、アンははっきりと首を横に振った。
「そうか。ありがと」
「礼は不要じゃが――これだけの見た目なら、持って運んで宿で作業するわけにもいかぬな」
「うん。ここでやるしかなさそうだ」
ハルはそう言うと、アンの袖元からあるものを取り出してくれと言いつけた。
言う通りにしてアンが取り出したそれは、中から何やらガチャガチャと音の響く、桐の箱だった。
ハルに手渡し中身を確認すると、そこには工具の類が一式、詰め込まれていた。
「出立前にこれだけ頼むと仕舞わされたものじゃったが――なるほど持って歩くわけにはいかぬが、またなぜ持ち出そうと考えたのじゃ?」
「例えば、移動に車を買ったとする。で、アンが使ったら間違いなく故障する。だから――」
「待て、一つ毒を吐かんかったかの?」
「気のせいじゃない? まぁ言ってしまえば、備えあれば何とやらってことだよ。こうして、無駄にはならなかった訳だからさ」
「それはそうじゃが…」
便利機能的に使われた気がして、少々納得のいかないアン。
しかし、こうして人、基人に似た何かを助けることに繋がるというのなら、またある意味で面白いではあった。
アンに一歩下がらせると、ハルは早速と作業を開始した。
そうして作業を進めること、約三時間。
終える頃には、すっかり日も落ち、辺りは真っ暗だ。
簡単な命令として『ここを離れない』ようにしておくと、ハルはアンと連れ立って、ナルの家へと戻っていった。
そうして夕食をご馳走になった後で、騒ぎ立ててカルラさんを起こしては、と適当な理由をつけ、宿を取ると言って外へ出てきていた。
去り際、変に勘付かれてはいけないからと、ナルには「お母さんの傍にいてあげてね」と言い残しておいたのだが――果たして、効果は。
背後に何者かの気配がない当たり、今のところは、勘繰ってついて来てはいないようだった。
祭りとあって騒がしい大通りを抜け、先の角へと向かう。
すると視界に入って来たのは、目を開け意識を保ちながらも、言いつけ通りに動かないでいる人形の姿だった。
これがもし人なら、とも考えるが、寧ろ人形であるが故に、殊更胸が苦しくなった。
起動している、否意識のある人形に向かい合い、ハルとアンがしゃがみ込んだ。
目を真っすぐに見合わせると、その瞳の濁りの無さは明らかに人外だが、ここまで精巧だったとは、と改めて感心してしまう。
「さて――先ずは何から話したものかのう」
「名前、かな。ひいては、識別番号でもいい」
そう二人で話していると。
「第四特攻小隊所属予定、機体番号零三、使い捨てモデルです」
そんな言葉を聞いた途端。
アンが苦しそうな表情を浮かべ、そのまま俯いてしまった。
当然だ。
アンの過去を少しばかりでも知っているハルには、その理由は瞭然だった。
すぐには言葉も出にくかろうと、変わってハルが人形に尋ねた。
「手の甲のバツ印、君は隊に入らず棄てられてしまったようだ。言っている意味が分かるかい?」
「はい。私には“感情”の起伏が一切存在しなかった為に廃棄されました」
人形、それも戦争の道具であるものに、果たしてそれが必要だったのかどうか。
体のいいただの作り捨てな気がしてならない。
「呼び名はあったかい?」
「いいえ。指示語による分別だけです」
それはまた酷な話だ。
感情云々なんて言い分を敷いておきながら、その実人間性を全否定とは。
笑顔で話しながら、ハルは聊かの怒りを募らせていた。
「宛てはあるかい?」
「ありません。争いがない以上、私のような人形は消えていくだけです」
と。
それもまた、おかしな話である。
戦えないからいらない、と棄てられた旧時代の遺産が、ただ壊れているだけというのは道理ではない。
手入れされ劣化を防ぎ、といった工程の継続でもなければ、こうして百年以上もの間、ここに入る筈もない。
誰か、これらを管理している人、あるいは部署のようなものが存在している道理だ。
「宛てがないなら、僕らがここを出るのと一緒に行こうか」
「貴方が、私の主様ですか?」
「わっちの主じゃ!」
その一言に、何か何故だか納得のいかなかったらしいアン。
人形の言葉を遮って前に立ち、ハルの腕を取って見せしめる。
「生憎と、この小僧はわっちの主なんじゃ」
「よく分かりませんが――でしたら、貴女が私の主様なのですか?」
「そういうことになるのう」
「理解しました。それでは、同行させていただきます」
「うむ、苦しゅうないぞ」
すっかりご機嫌の様子。
弟子のような感覚なのだろうか。
ともあれめでたく居場所は得られたわけだが、それに伴って必要なのは名前だ。
呼び名が過去と同じ“あれ”とか“それ”では意味がない。
と、考えていた矢先に、アンが「そうじゃ」と閃いた。
「玉のように綺麗な瞳が、澄んだ瑠璃色をしておる」
「驚いた。アンにしては真面な名付けじゃないか」
「じゃろう? では――」
ハルの手を解くと、アンは人形の方へと近寄り、手を差し出した。
「ルリ――お主の名前は、今日これより“ルリ”じゃ。聞かれたら、そう名乗れ。良いな?」
「ルリ、ルリ――登録しました。どうぞご存分にお使いください、主様」
そう返して、頭を下げる人形改めルリ。
しかし、アンはむすっとして答えない。
「違う、なっとらん。わざわざ主であるわっちが名前つけてやったのじゃ、ブランドなんぞよりも格が上なんじゃぞ? 人として接さねばならん」
「ひと――すいません、分かりかねます」
「そうか。なら教えてやろう。わっちの手を取れ。右の手でじゃ」
「――こう、ですか?」
ぎこちない動きで以って、なんとかアンの手を取る。
すると、アンは少しご機嫌になって頷いた。
「そうじゃ。そうしてこう言うんじゃ。“よろしく”と」
「よろしく――お願いいたします」
「よう出来た。では宿を取りに行こうかの」
素直な仲間が出来て、すっかりご満悦なアン。
途中から置いてけぼりだったハルは、少々肩を落としながらも、その微笑ましい光景に思わず笑みを浮かべてしまっていた。
「真人間、か」
ともすれば、自分よりも人間らしい人間なのではなかろうか。
ふと、そんなことを思ってしまった。
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