罪人ノ輪舞

ぽた

2.助けとお祭り

 商業都市ロホ。
 またの名を“争いのない街”とされるここは、世界で最も犯罪件数報告の少ない平和な場所として有名だ。
 ここをそう呼ぶ人は皆、口を揃えて「老後はロホで」と言う。
 誰もが羨む、穏やかでまったりとした隣国の一画である。

「あんな所にアルカの花が咲いてるんだね」

 メインストリートを通り抜け、路地裏へと入って行った折、ハルがそんなことを呟いた。
 先の草原で、遺跡裏の森に入った直ぐの場所に、それはひっそりと咲き誇っていたのだ。

「ハルさん、知ってるの?」

 ナルが尋ねると、聞かれた本人ではなくアンが「薬膳マニアなだけじゃ」と少し毒の混ざった答えを出した。
 聊か不本意の物言いではあったが、あながち間違ってはいない自信のこれまでを鑑みるとそう強くも怒れず、ハルは誤魔化すように苦い笑いを返した。

 そうは言えどもハルの薬膳に対する知識欲はそう古くはなく、ギルドに入った折、たまたまアヤの書斎で関連する本を見かけたことがきっかけであって、元より好きだったというわけではないのだ。
 しかし、それでも高々数年でそれを全て頭に叩き込んだというのだから、地頭が良く、また結果としてそれに対する好奇心が強かったことに違いはない。

「しかしそうなると、寄り道もしていられないね。だって、アルカの根が及ぼす効果といえば――」

「うん。去痰きょたん、そして浄血」

 消え入りそうな声で言って、ナルは目を伏せた。

 ナルの母が抱える症状は、血液状態の悪化による嘔気、嘔吐、それに伴う吐血、加えて、スライムのようにどろっとした喀痰。半年前から発症していて、本来ならちゃんと診る予定だった筈の医師に先延ばされ、この時期までもつれ込み、母の容体も悪くなるばかりだから――ということだった。

しかし問題もまだ残っていて。
 目当ての花の根を手に入れることは出来たが、それをどのように煎じてやればちゃんと効能が行き渡るような薬になるのか、ナルは本で読んだばかりで実践したことがなかった。

「そういうことなら、益々同行して良かった。食事をご馳走になるついでに、僕をお母さんに会わせてくれない?」

「別に構わないけど……まさか?」

「そのまさか。ちょっと手間はかかるけど、協力してくれると助かるよ」

「な、何でもする…! 少しはお金もあるから…!」

 燃えるような瞳。
 両手を強く握る姿からは、その決意にも似た心の強さを感じる。

 じゃあ、とハルはナルを呼び止め、千切った葉の部分をナルに手渡した。
 帰り次第、これを乾燥させてくれ、と。
 少しだけ葉を濡らして紙で包み、暖炉や囲炉裏の傍に置いてやるのが早いと教えると、ナルは「うん!」と力強く頷いた。

 きっと、直ぐによくなることだろう。
 ハルはふと、そんなことを予感した。

 そうしてナルの家に辿り着くと、廊下を抜けてまず目に入って来たのは寝転ぶ女性の姿。
 居間にいるのは、とてもではないが動くことが怠いという本人の訴えからだ。
 急な部外者があまり時間をかけて騒ぎ立てても仕方がないので、ハルはさっさと仕事にとりかかった。
 なるべく手早く、しかし丁寧に。



 毒抜きをした根を煎じきる辺りまで作業を終える頃、ナルが先の葉を持ってハルのところへやってきた。
 丁度いい具合に乾燥し、香りもしっかりとたっている。

 それを確認すると、今度は小瓶に入れてくれとナルに申し付けた。

「アルカの葉の花香瓶かこうびん…?」

「料理の端に置いておくと目に楽しくなるものだけど、香りにも実はリラックス効果があってね。花香瓶にしておけば、この根だけでなくて全て満遍なく利用できるんだ」

「ねぇ…」

 ナルが素直に関心するのも無理はない。
 あの森林地帯に赴く前にナルが読んだ本には、そういった文言は一切書かれていなかったのだから。薬膳百科事典なるものを開いて読んだというのに、だ。
 しかし、ナルはそれを一切疑いもせずに話を聞いて関心している。
 不思議なことに、嘘を言っているようには思えない。
 知り合いであるアンの友人だから――というだけでは説明がつかない、何とも言えない感覚がナルの頭の中に残った。

「出来た。後はこれをお母さんに飲ませたいんだけど……起きてからでも――」

「……起きています」

 不意に聞こえた声は、今正に口にしたナルの母からだ。
 薄っすらと目を開けて上体を起こし、来客の方へと視線を向ける。

「少し前から、声は聞こえていました……ありがとう、見知らぬ方」

「通りすがりの薬膳師じゃ。そこの娘っ子に頼まれての」

「話をややこしくしない。アンは水でも飲んでて」

 せっかくのユーモアをないがしろにされたアンは、渋々と口を尖らせて水を一口。
 ナルは少し心配そうにそちらを見やったが、すぐに目下の目的を思い出して、ハルと共に母へと向かい合った。

「薬草を取りに――」

 と言いかけたところで、ハルがナルの前へと一歩出て制した。
 振り向きざまに「それは秘密だ」と目で語られる。

「市場に出回っていたアルカの花を、偶然僕が最後の一つを買い取ってしまって。しかし事情を聞きますと、何でも貴女の体調が悪いと。そこで、本日一度きりの夕食を条件に、これを譲り渡させて貰ったのです」

「まぁ。それはすいませんでした……そうは言っても、どうにもこの身体は――」

「治ります。いえ、治します」

「え……?」

「そこの連れでありますアンが、以前に娘さんと面識があったらしく、その親御さんとありましては見過ごせませんから。人助けをして一食得られるなら、それは十分過ぎる対価というものです」

 状況は嘘ものだが、言葉は本心だった。
 幼少のハルの夢は、人を助ける人間になること。物理的にでも精神的にでも、どちらでも良かったが。
 こうして自分の力で助けられる人が目の前にいて、それをわざわざ見過ごして何食わぬ顔をするなど、出来ようはずもなかったのだ。

 ハルは優しい笑みを一つ浮かべると、作ったばかりのアルカの薬を手渡した。

「これを飲んでしばらく安静にしていれば、よくなります。じきに、今出ている症状も収まってくる筈です」

「ほ、本当ですか…?」

「えぇ。おまけと言っては大袈裟ですが、同植物の花香瓶も用意しました。こちらは娘さんが手を入れてくれたんですよ」

「そうなの…」

 ハルの少し後ろで照れくさそうに笑っているナルに視線を移すと、

「ありがとう、ナル」

 優しく温かく、ふわりと溶け込む感謝の言葉。
 それを聞けただけで、ナルは益々頬を赤らめて俯いてしまった。

 ナルの母は、ハルから受け取った薬を手に、水と共に喉へと流し込んだ。
 口内に広がる独特の苦みに、瞬間だけ顔をしかめるが、すぐに「ふぅ」と息を吐いて落ちついた。

 これだけのことで本当に善くなるのか、正直疑わしい面もないことは無かったが、医者にも回されて相手にして貰えなかった現状を考えると、最後の頼みとばかりに委ねてみるのも悪くないと思えた。

「感謝を申し上げます、えっと――」

「隣国の小規模ギルド“咎”から参りました、ハルと申します」

「アンじゃ」

 それぞれ全く異なる口調と態度で以っての自己紹介。
 初対面へのアンの無礼さはなかなかに際立っていたが、ナルの母は笑って過ごすと代わりに自己紹介を始めた。

「ナルの母、カルラと申します。その節は、わざわざ私なんかの為に譲っていただいて……貴方も、何か使う用事があったのではないですか?」

 そう問われて、今更嘘だとも言えず。
 ハルは不可解ではない程度に濁して話題をすり替えた。

「いえ。僕のはただの研究ですから。目先にそれを必要としている人がいるなら、譲らないわけいもいきませんよ」

「それはそれは。すいません」

「またぞろ、市場でも覗きに行きますから。それよりも、今は挨拶もそれくらいにして。ゆっくりとお休みになって、早く治してください」

「ありがとうございます。ごめんなさいね、アンさんも。来客の相手も出来ず……ちょっとだけ、休ませてもらいます」

「気にしやんで良い。ゆるりと寝ておれ」

 口調は置いておいて、珍しくも優しい言葉をかけるアンに、ハルは多少なりとも感動してしまっていた。
 よもや、自発的にそんな台詞が口から出ようとは。

 寝転がったカルラに布団にかぶせなおすと、ナルに花香瓶を枕元に置くよう指示した。
 寝ている間にも嗅覚や味覚、聴覚といった五感は感じ取れているので、わざわざ再び起きるのを待つ必要はないのだ。
 加えてアルカの香りは長く続く為、しばらく眠っている時間程度では消えることがない。

 ナルは花香瓶を母の頭上から少しだけ離した位置に置き、その額をそっと撫でた。
 今朝に比べて何処か穏やかに見えるのは、望みが無さそうだった未来への救いの手が来たからか、この香りの所為か。

 どちらにしても、顔色が善くなったのは、素直に喜ばしいことであった。

「さて。ありがとう、アン、ハル。これで本当に善くなるんだよね?」

「やれることはちゃんとやった。後は神様次第かな」

「そっか……ううん、十分過ぎるよね。ありがと」

 柔らかな表情は、母親そっくりである。

 カルラが寝付いて一段落つくと、早速と報酬である食事の話がしたいところではあったが、昼餉というには遅く、夕餉というには早い、中途半端な時間だった。
 そうして、どうしようかと話していると、アンが街を見て回りたいと言い出した。
 観光気分とまではいかないが、せっかくの初仕事の後だ。
 少しばかり気が緩んで、判断が甘くなるハルであった。

 外に出て見ると、此処に来るまでは真っ青だった空が、急に白く暗い化粧をしていた。
 一面に広がる雲は分厚く、いつ振り出してもおかしくはない状況だ。

 傘を手に歩き始めて、とりあえずはと大通りを目指す。

「そういえば、アンはどうしてこっちに来たの?」

 歩きながら、ふとナルが尋ねた。

「渡航の証書を貰ったんでの、せっかくじゃからと前々から話しておった、国々の行脚というわけじゃ」

「旅ってこと? 良いなぁ、楽しそう」

「わっちのことじゃ、そこいらで襲われても可笑しくはない。せっかく手に入れた隠れ蓑を手放し、火に飛び込むようなものじゃ」

 それを聞いたナルは、少しばつが悪そうに顔を伏せた。
 そう気にすることではない。
 アンはそう言ったが、ナルはごめんなさいと返してしまった。

 そんなこんなで大通りまで出て来ると、来た時には目的のことで頭がいっぱいになっていたものだから気が付かなかったが、沢山の屋台が軒を連ねていた。
 飲食店、物売り、硝子細工に飴細工。子どもだけでなく大人も楽しめる、バラエティーに富んだ並びだ。

 普段はない屋台をこうして出しているのは、今日から明日にかけてのお祭りの為だ。
 時間を忘れ、天気を忘れ、皆一様に騒いで踊る。
 ただただ明るく騒がしい声が、この街一帯に木霊するのだ。

「“ロホの夜忘れ”って言うの。色々と複雑な国だったんだけど、随分と昔のある日に独立したんだ」

「それが、今日?」

「そう。その日、当時ここに生きていた人たち皆が、とにかく騒いで、その独立を祝福したのが始まりなんだって」

「ほう、それはまた面妖な」

 一番直近の隣国だというのに、そんな話、ハルとアンは聞いたことがなかった。
 自分から調べなかったこともあるが、それだけのイベント事なら、他国にも噂くらい行き渡っていてもいいものだ。

「私は家を離れる訳にはいかないし、二人にお食事を振舞わないといけないから――あ、材料の足しを買わないと」

「手伝う?」

「ううん、大丈夫。ごめんね、自由に見て回って飽きたら、家に帰っててくれたら良いわ」

「了解じゃ」

 存外優しい一面も持っているかと思えば、その実やはり自分の楽しみを優先。
 手伝いの“て”の字も出さずに、与えられた優しさに甘えようとは。これはまた教育が必要だな。ハルはふと、そんなことを考えた。

 ナルが走って去っていくのを見送ると、二人はどうしたものかと腕を組んだ。
 屋台に手を出せばナルの料理が食べられなくなる。

「とりあえずは歩いてみようか」

「じゃな。またぞろ、面白い出会いなんかもあろう。祭りなぞというものの空気も、実を言うと初めてじゃ」

「祭り騒ぎなら毎日あったけどね」

「ふふ、違いないわ」

 出てから一日も経っていない家を思い、ふと思い出を呼び起こす。
 気が付けば大事なものになっていたそれらは、アンにとって、真人間にしてくれた本当の“家族”であることに他ならない。
 元より自身の親の顔を知らずに育ったごろつき故に、唯一そこが居場所だと思えていた所なのだ。

 皆が笑顔を浮かべ、楽しそうな雰囲気で屋台の設営、商品の準備をしている。
 しかし、そんな様子を見ているアンは、それにどこか違和感のようなものを感じてしまっていた。
 それは少なからずハルにも感じ取られていたようで、穏やかに人々を見つめる目の奥に、その本質を確かめるような色が見て取れた。

 喧噪木霊する通りを抜けて少しすると、随分と静かな住宅街へと出た。
 古ぼけた家にタイルの捲れた通り道。
 とても“平和”とは程遠い、けれどそれが当たり前ような――

「のう、ハル」

「何かな、アン」

「気持ちが悪くはないかのう?」

「少し居心地が悪いのには同意するよ」

 違和感の正体は、まだすぐには分かりそうもない。
 しかし、それが確実であることは間違いないのだ。

 どう表現したものか。どう説明したものか。
 ただ少し胸がざわつくような感覚が、肌に張り付いて離れない。

 そんな折のことだ。

「ハル、あれを」

 アンが指さしたのは、細くて薄暗い横道。
 目を凝らしてもハルには何も見えないが、アンには確かに、そこに人影を見た。

 通りに入って駆け寄って、袖元から頂き物のランタンを取り出し、火を点けた。

「皆には感謝じゃな。少し、この国に興味が出て来た」

「だね。嫌な方向に、随分と面白い国だ」

 横たわるのは、息無く横たわる、背丈はアンと同じくらいの女の子。
 しかし死んではいない――否、動いてはいないだけの、

「こんなところに失敗作オートマタがいるとはね」

 右腕を肘からがれ、目元の眼球レンズ部分を露出し、手背のロゴにバツが刻まれた、旧代の自動人形だった。

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