罪人ノ輪舞
1.知り合い?
「驚いた驚いた。よもや、このようなものまで貰えようとは」
アンが、手に持った可愛らしいランタンを愛おしそうに見つめながら呟いた。
「ほんと、わざわざ有難い話だよね」
「あれじゃのう。肝を試してみたくなるのう」
「夜道は危ないので却下」
きっぱりと断ると、アンは少ししゅんとしてまたランタンに目を落とした。
正午、証書を受け取った流れでの出立時、シャトから二人に手渡された、同胞皆からの気持ちらしい。
ちなみに、せっかく貰ったものを壊してしまうと嫌だかという理由から、自身のランタンは袖元に仕舞い、ハルのそれを半ば奪い取って手に持っている。
ご機嫌に、楽しそうに。
「気に入っているみたいだね」
「それはのう。贈り物なんぞ、ギルド加入時に受けたアヤの組手依頼じゃ」
「えらく贈られてたね。皆、あれを通って認められて加入してるんだよ」
加入許可試験第一段階として、加入申請者と一対一での組手。
時間一杯粘るか、決定的な攻撃を“繰り出す”か、いずれかの条件を満たせばクリアだ。
というのも、アヤは指定範囲内をひたすらに動き回りながら、申請者に逃げる隙を与えぬよう絶え間なく寸止めと実打の攻撃を繰り返す。見極め、止め、且つ自身でも攻撃をしなければならないという条件なのだ。
その段階でアヤに触れられたものは、今までただ一人しかいない。
「納得いかんのう、それがハルで、加えて初期の地位が副長とは」
「僻まない僻まない。その副長である僕から直接修練を受けていた、なんて、他の皆なら飛んで喜んでいるよ」
「自分で言うのか。草木にやられおった愚か者が」
「それは流してくれると助かるかなぁ…」
目には目を、小言には小言を。
堂々巡りの主導権の握り合いは、結局いつも決着がつかないままで話題がすり替わる。
今回も、初めはどこに行こうかという話へと流れた。
「まぁ隣国だよね、普通は。徒歩なら野営一回で行けるし」
「遠いのう。走るわけにはいかないのか?」
「急ぐこともないしね。せっかく無期限の許可を貰ったわけだし」
お主と二人とはつまらんのう。とまた愚痴を零すと、少し頬を膨らませてご立腹の様子。
しかし、そう易々と体力を消耗して動けなくなってもらうと、いざという時に頼りにならなくなってしまう。
ハルとしては、どうにか堪えて欲しいところであった。
そんなこんなと言い合っている内に、二人は森を抜け、開けた空間へと出ていた。
凹凸の激しい大草原が広がり、遠くの方には湖も見える。ふわりと吹き抜けた風が頬を撫でる感触が心地良く、アンは目を瞑り、全身でその贅沢を味わった。
「外とは良いものじゃのう。やはり、決断して正解じゃった」
「国境付近だから、こっちの方には来たことなかったからね」
「じゃのう。さてハル、とりあえずは水分確保にあの湖を目指すとしよう。視界に広がる範囲じゃと、建物らしきものは一つもない」
遺跡なら、その湖の傍にあるが。
それはどうやら、興味の対象外らしい。
丁度ボトルの水も無くなっていた頃だったからと断る理由もなく、ハルはアンの提案に賛成した。
そうと決まれば、と早歩きをして先を行くアンに、呼び止めるハルの声は届かない。
自由も良いところだ。
呆れて肩を落としてしまった。
しばらく歩いて、走って、歩いてを繰り返す内に、湖の端に架かった桟橋へと辿りついた。
早速とボトルの栓を開けて組み始めようとするアンを制して、まずはハルが水質の調査。
毒素を持つ水生生物でもいれば、それに侵されていることもあるからだ。
小指を付け、しびれや痛みがないことを確認する。
次いでその爪先に付いた分だけを舐める。
「どうじゃ?」
「―――うん、問題なさそうだ。汲んでも大丈夫だよ」
「おぉ、それは良かった」
無邪気に笑って、アンはボトル満タンまで水を汲んだ。
そして、倣ってハルも汲もうとした折だ。
少し離れたすぐ近く――丁度、アンが無視をした遺跡の方から、女性の悲鳴が二人の耳を打った。
ハルは咄嗟に柄に手を掛け、アンは拳を握って身構える。
「どう見る?」
「野生の何かに襲われたか、通りすがりの野蛮人に眼を付けられたか――どっちにしろ、手は貸した方が良いかな」
「じゃのう。嫌な声で啼いておった、厄介事とは捨て置けん」
「獣なら遠慮はいらないけど、対人戦なら殺さないようにね」
「了解じゃ!」
笑顔で威勢よく放たれた声に、本当に大丈夫なのだろうかと心配するハルであった。
先んじて飛び出していったアンに、遺跡の入り口付近まで来てから追い付くと、ハルは中がどんな状態であるかを尋ねた。
男が四人。
得物持ちが二人左右に並び、後衛のような男、正面中心に堂々と構える男の四人が、恐らくは悲鳴を上げたであろうそこに唯一人だけいる女性に、今まさに襲い掛かろうとしているところだった。
対人の制圧戦。
且つ殺さないという条件付きであれば、正面から向かって行けば不利になりかねない。
ここは冷静に、慎重を期して行こう。
そう、ハルが口を開きかけた時。
「このド阿呆ども、その娘っ子から離れんか」
遺跡の入り口、丸々姿が見える位置に仁王立ちして腕を組み、堂々と言い放った。
あまりに愚か過ぎる行動にハルが唖然としているが、アンはお構いなしに男の方へと歩いていく。
「見たところ賊のようじゃが――話し合いをせんような下郎どもなら、拳で説教してやろう」
一方的な言い分に、男達は一斉に向き直って、得物を持つ者は構え、睨みをきかせる。そうして、こういった類の者には最早お決まりの「誰だてめぇ?」などという弱々しい威圧で以って、闖入者たるアンの相手を始めた。
「二度も会いとうない馬鹿どもに名乗る名など、生憎とわっちは持ち合わせてはおわぬ」
「呼び方を変えた程度で天狗か? はっ、随分と幼稚な頭だな」
「好きに呼べ、主に興味などハナからないわ。ええか、そこの娘っ子は――」
刹那、金属が風を切り裂く音が響く。
アンがリーダー格の男に手の平を向けた瞬間、
「わっちの知り合いなんじゃ」
袖元に隠していた野太刀の刀身が男の方へと伸び、その切っ先が喉元へと触れていた。
血は流れていない。その僅か三尺ほどの距離丁度の分だけ伸ばしたのだ。
それだけで死を予感したか、斬られる未来を想像したか、いずれにせよ周りの三人を束ねて遺跡を後にした。
なんじゃ、つまらん。
溜息と共に零れた言葉は本心からきていた。
「さて」
再び野太刀を袖元へと仕舞うと、アンは“知り合いだ”と言って助けた女性に向き直った。
「久しいのう、ナル」
アンの言葉にぴくりと動くと、頭を抱えて蹲っていた両手を解き、声のした方を見上げる。
偉そうに両手を腰に当て、明るくも怖くもある笑みを浮かべるその人物を、ナルと呼ばれた女性は確かに知っていた。
「あ、アン…?」
言われたアンは「うむ」と頷いた。
知り合いの助けでほっとしたのか、ナルは途端に笑顔になって、同時にそのまま涙を流し始めた。
「怖かった……薬の原料を取りに来て……見つからなくて、どんどん探して歩いてるうちに遠い所まで来ちゃって、疲れたから休んでたらいつの間にか寝て……それで、さっきみたいなことに…」
「そういえばここいらが故郷じゃと言っておったな。なに、追っ払ったから心配はいらん。丁度わっちらも街へと行くところじゃ、今のうち存分に泣いておけ。道は長い」
「アン、こっちに来るの? なら、今日は是非うちに泊まって行って。夕食をご馳走したいから」
と、どんどんと会話は進んでいくが。
一人蚊帳の外だったハルには、まず二人の関係性、そしてナル自身のことが気になって、尋ねた。
ハルがまだアンと出会う前。
アンを殺さんと追いかけて来る数名を巻いている内に、道端で偶然通りすがったナルを捉え、交換条件で動くなと脅してきたのだ。
その頃のアンは、ただただ槍のように尖っていて、その少女を助ける為に、言葉には耳を貸さずに追手へと襲い掛かり、結果として全員殺めた。
そしてナルが礼をしたいと言い出し、その当時ナルが使用していた住処へと招かれ、食事を振舞われた。
そんなことから数日後に別れ、以降はこれが二度目の対面というわけだ。
「昂りはしたが何とか抑えられて良かった。あの時はすまなかったな、怖い思いをさせて。見たいものでもなかったろう」
「そんな…! 今回もだし、本当にありがとう、アン!」
そう言ってナルは立ち上がって駆け寄り、力の限りに抱き着いた。
アンはナルの頭を撫で――という光景は、傍から見ているハルにとっては、仲の良い姉妹のようにも見えてしまう。
「ナルさんは――」
「呼び捨てで構わないわ」
「――じゃあ、ナル。言い方は謝るけど、見た所君は色なしだね? 自分でも分かってはいると思うから言うけど、そういった意味では君もアンも、変わらず金になる。加えて日差しには弱いだろうに、どうしてまた昼間から薬草取りに来ていたんだ?」
「えっと、それは……」
言いにくいのも無理はない。
瞳だけが赤く、毛先に至る全てが白いナルのようなヒトは稀で、所謂裏の取引には頻繁に利用される奴隷候補だからだ。
言い淀むナルに、アンが割って入ってそれを止めた。
「おいハル、わっちの数少ない知り合いじゃぞ。そのような言い方は如何なんじゃ?」
「責めているわけじゃない。理由が知りたいんだ。出来ることなら、それを手伝いたい」
そう言うと、ようやくナルはその理由を話し始めた。
数日前から母親が病に伏したのだが、町中の医者には治せないのだとか。
しかし幸か不幸か、街はずれの森林地帯にある薬草を使えば、快方へと向かわせることも不可能ではない、と。
それがこの場所だったのだが――この一帯は魔物や賊の報告も多数出ており、依頼を出来る程の金もない為に、単身ここへと歩いてやってきたのだ。」
「なるほど……そういうことなら手伝おう。どうあれ街に行くのなら、その目的も達成出来るよう護衛を申し出るよ」
「お、初仕事じゃな?」
「そういうこと。報酬はまぁ、食事を提供してくれるみたいだし、それを有難く頂戴するとして――どうかな、ナル?」
ハルの提案に、ナルが断る筈はなかった。
散々探し回っても見つからず、怖い目にあって、それでみすみす帰るなんてこと、馬鹿馬鹿しくて母へ報告のしようがない。
そうと決まれば早速と立ち上がり、ハルは少しでも陽を防げるようにと、自身で着こんでいたフード付きの羽織をナルに手渡した。
「ないよりはマシでしょ?」
「えっと……ありがとう」
「どういたしまして。それじゃあ、行こうか」
ハルの号令の下、アンが周囲に他の賊の気配がないことを確認すると、三人は遺跡から出ていく。
とりあえずは日没までに、その薬草を見つけなければならない。
「見つかるといいね」
「うん!」
頼もしい護衛を得て、すっかり元気を取り戻して笑顔の白い女性。
知識としては知っていても見たことのなかったハルは、改めてまじまじとその白い肌に目を通す。
「これ、ハル。目つきが淫猥じゃぞ」
「誰が獣か。申し訳ない言い方をすると、興味深くて」
「怒っても良いんじゃぞ、ナル」
「え、と……アンの友達なら、大丈夫だと思う…」
その実、無理をしているような表情。
流石のハルも、そこで視線を向けるのを止めた。
探している薬草の特徴を聞いて再び歩き出すと、ナルを中心に広がり、いつでも助けに行けるようにしながら探索を開始。
それから特に脅威はないまま、実に三時間の後のこと。
ようやく目当ての物が見つかり、一行はそのまますぐに街を目指して歩き始めた。
アンが、手に持った可愛らしいランタンを愛おしそうに見つめながら呟いた。
「ほんと、わざわざ有難い話だよね」
「あれじゃのう。肝を試してみたくなるのう」
「夜道は危ないので却下」
きっぱりと断ると、アンは少ししゅんとしてまたランタンに目を落とした。
正午、証書を受け取った流れでの出立時、シャトから二人に手渡された、同胞皆からの気持ちらしい。
ちなみに、せっかく貰ったものを壊してしまうと嫌だかという理由から、自身のランタンは袖元に仕舞い、ハルのそれを半ば奪い取って手に持っている。
ご機嫌に、楽しそうに。
「気に入っているみたいだね」
「それはのう。贈り物なんぞ、ギルド加入時に受けたアヤの組手依頼じゃ」
「えらく贈られてたね。皆、あれを通って認められて加入してるんだよ」
加入許可試験第一段階として、加入申請者と一対一での組手。
時間一杯粘るか、決定的な攻撃を“繰り出す”か、いずれかの条件を満たせばクリアだ。
というのも、アヤは指定範囲内をひたすらに動き回りながら、申請者に逃げる隙を与えぬよう絶え間なく寸止めと実打の攻撃を繰り返す。見極め、止め、且つ自身でも攻撃をしなければならないという条件なのだ。
その段階でアヤに触れられたものは、今までただ一人しかいない。
「納得いかんのう、それがハルで、加えて初期の地位が副長とは」
「僻まない僻まない。その副長である僕から直接修練を受けていた、なんて、他の皆なら飛んで喜んでいるよ」
「自分で言うのか。草木にやられおった愚か者が」
「それは流してくれると助かるかなぁ…」
目には目を、小言には小言を。
堂々巡りの主導権の握り合いは、結局いつも決着がつかないままで話題がすり替わる。
今回も、初めはどこに行こうかという話へと流れた。
「まぁ隣国だよね、普通は。徒歩なら野営一回で行けるし」
「遠いのう。走るわけにはいかないのか?」
「急ぐこともないしね。せっかく無期限の許可を貰ったわけだし」
お主と二人とはつまらんのう。とまた愚痴を零すと、少し頬を膨らませてご立腹の様子。
しかし、そう易々と体力を消耗して動けなくなってもらうと、いざという時に頼りにならなくなってしまう。
ハルとしては、どうにか堪えて欲しいところであった。
そんなこんなと言い合っている内に、二人は森を抜け、開けた空間へと出ていた。
凹凸の激しい大草原が広がり、遠くの方には湖も見える。ふわりと吹き抜けた風が頬を撫でる感触が心地良く、アンは目を瞑り、全身でその贅沢を味わった。
「外とは良いものじゃのう。やはり、決断して正解じゃった」
「国境付近だから、こっちの方には来たことなかったからね」
「じゃのう。さてハル、とりあえずは水分確保にあの湖を目指すとしよう。視界に広がる範囲じゃと、建物らしきものは一つもない」
遺跡なら、その湖の傍にあるが。
それはどうやら、興味の対象外らしい。
丁度ボトルの水も無くなっていた頃だったからと断る理由もなく、ハルはアンの提案に賛成した。
そうと決まれば、と早歩きをして先を行くアンに、呼び止めるハルの声は届かない。
自由も良いところだ。
呆れて肩を落としてしまった。
しばらく歩いて、走って、歩いてを繰り返す内に、湖の端に架かった桟橋へと辿りついた。
早速とボトルの栓を開けて組み始めようとするアンを制して、まずはハルが水質の調査。
毒素を持つ水生生物でもいれば、それに侵されていることもあるからだ。
小指を付け、しびれや痛みがないことを確認する。
次いでその爪先に付いた分だけを舐める。
「どうじゃ?」
「―――うん、問題なさそうだ。汲んでも大丈夫だよ」
「おぉ、それは良かった」
無邪気に笑って、アンはボトル満タンまで水を汲んだ。
そして、倣ってハルも汲もうとした折だ。
少し離れたすぐ近く――丁度、アンが無視をした遺跡の方から、女性の悲鳴が二人の耳を打った。
ハルは咄嗟に柄に手を掛け、アンは拳を握って身構える。
「どう見る?」
「野生の何かに襲われたか、通りすがりの野蛮人に眼を付けられたか――どっちにしろ、手は貸した方が良いかな」
「じゃのう。嫌な声で啼いておった、厄介事とは捨て置けん」
「獣なら遠慮はいらないけど、対人戦なら殺さないようにね」
「了解じゃ!」
笑顔で威勢よく放たれた声に、本当に大丈夫なのだろうかと心配するハルであった。
先んじて飛び出していったアンに、遺跡の入り口付近まで来てから追い付くと、ハルは中がどんな状態であるかを尋ねた。
男が四人。
得物持ちが二人左右に並び、後衛のような男、正面中心に堂々と構える男の四人が、恐らくは悲鳴を上げたであろうそこに唯一人だけいる女性に、今まさに襲い掛かろうとしているところだった。
対人の制圧戦。
且つ殺さないという条件付きであれば、正面から向かって行けば不利になりかねない。
ここは冷静に、慎重を期して行こう。
そう、ハルが口を開きかけた時。
「このド阿呆ども、その娘っ子から離れんか」
遺跡の入り口、丸々姿が見える位置に仁王立ちして腕を組み、堂々と言い放った。
あまりに愚か過ぎる行動にハルが唖然としているが、アンはお構いなしに男の方へと歩いていく。
「見たところ賊のようじゃが――話し合いをせんような下郎どもなら、拳で説教してやろう」
一方的な言い分に、男達は一斉に向き直って、得物を持つ者は構え、睨みをきかせる。そうして、こういった類の者には最早お決まりの「誰だてめぇ?」などという弱々しい威圧で以って、闖入者たるアンの相手を始めた。
「二度も会いとうない馬鹿どもに名乗る名など、生憎とわっちは持ち合わせてはおわぬ」
「呼び方を変えた程度で天狗か? はっ、随分と幼稚な頭だな」
「好きに呼べ、主に興味などハナからないわ。ええか、そこの娘っ子は――」
刹那、金属が風を切り裂く音が響く。
アンがリーダー格の男に手の平を向けた瞬間、
「わっちの知り合いなんじゃ」
袖元に隠していた野太刀の刀身が男の方へと伸び、その切っ先が喉元へと触れていた。
血は流れていない。その僅か三尺ほどの距離丁度の分だけ伸ばしたのだ。
それだけで死を予感したか、斬られる未来を想像したか、いずれにせよ周りの三人を束ねて遺跡を後にした。
なんじゃ、つまらん。
溜息と共に零れた言葉は本心からきていた。
「さて」
再び野太刀を袖元へと仕舞うと、アンは“知り合いだ”と言って助けた女性に向き直った。
「久しいのう、ナル」
アンの言葉にぴくりと動くと、頭を抱えて蹲っていた両手を解き、声のした方を見上げる。
偉そうに両手を腰に当て、明るくも怖くもある笑みを浮かべるその人物を、ナルと呼ばれた女性は確かに知っていた。
「あ、アン…?」
言われたアンは「うむ」と頷いた。
知り合いの助けでほっとしたのか、ナルは途端に笑顔になって、同時にそのまま涙を流し始めた。
「怖かった……薬の原料を取りに来て……見つからなくて、どんどん探して歩いてるうちに遠い所まで来ちゃって、疲れたから休んでたらいつの間にか寝て……それで、さっきみたいなことに…」
「そういえばここいらが故郷じゃと言っておったな。なに、追っ払ったから心配はいらん。丁度わっちらも街へと行くところじゃ、今のうち存分に泣いておけ。道は長い」
「アン、こっちに来るの? なら、今日は是非うちに泊まって行って。夕食をご馳走したいから」
と、どんどんと会話は進んでいくが。
一人蚊帳の外だったハルには、まず二人の関係性、そしてナル自身のことが気になって、尋ねた。
ハルがまだアンと出会う前。
アンを殺さんと追いかけて来る数名を巻いている内に、道端で偶然通りすがったナルを捉え、交換条件で動くなと脅してきたのだ。
その頃のアンは、ただただ槍のように尖っていて、その少女を助ける為に、言葉には耳を貸さずに追手へと襲い掛かり、結果として全員殺めた。
そしてナルが礼をしたいと言い出し、その当時ナルが使用していた住処へと招かれ、食事を振舞われた。
そんなことから数日後に別れ、以降はこれが二度目の対面というわけだ。
「昂りはしたが何とか抑えられて良かった。あの時はすまなかったな、怖い思いをさせて。見たいものでもなかったろう」
「そんな…! 今回もだし、本当にありがとう、アン!」
そう言ってナルは立ち上がって駆け寄り、力の限りに抱き着いた。
アンはナルの頭を撫で――という光景は、傍から見ているハルにとっては、仲の良い姉妹のようにも見えてしまう。
「ナルさんは――」
「呼び捨てで構わないわ」
「――じゃあ、ナル。言い方は謝るけど、見た所君は色なしだね? 自分でも分かってはいると思うから言うけど、そういった意味では君もアンも、変わらず金になる。加えて日差しには弱いだろうに、どうしてまた昼間から薬草取りに来ていたんだ?」
「えっと、それは……」
言いにくいのも無理はない。
瞳だけが赤く、毛先に至る全てが白いナルのようなヒトは稀で、所謂裏の取引には頻繁に利用される奴隷候補だからだ。
言い淀むナルに、アンが割って入ってそれを止めた。
「おいハル、わっちの数少ない知り合いじゃぞ。そのような言い方は如何なんじゃ?」
「責めているわけじゃない。理由が知りたいんだ。出来ることなら、それを手伝いたい」
そう言うと、ようやくナルはその理由を話し始めた。
数日前から母親が病に伏したのだが、町中の医者には治せないのだとか。
しかし幸か不幸か、街はずれの森林地帯にある薬草を使えば、快方へと向かわせることも不可能ではない、と。
それがこの場所だったのだが――この一帯は魔物や賊の報告も多数出ており、依頼を出来る程の金もない為に、単身ここへと歩いてやってきたのだ。」
「なるほど……そういうことなら手伝おう。どうあれ街に行くのなら、その目的も達成出来るよう護衛を申し出るよ」
「お、初仕事じゃな?」
「そういうこと。報酬はまぁ、食事を提供してくれるみたいだし、それを有難く頂戴するとして――どうかな、ナル?」
ハルの提案に、ナルが断る筈はなかった。
散々探し回っても見つからず、怖い目にあって、それでみすみす帰るなんてこと、馬鹿馬鹿しくて母へ報告のしようがない。
そうと決まれば早速と立ち上がり、ハルは少しでも陽を防げるようにと、自身で着こんでいたフード付きの羽織をナルに手渡した。
「ないよりはマシでしょ?」
「えっと……ありがとう」
「どういたしまして。それじゃあ、行こうか」
ハルの号令の下、アンが周囲に他の賊の気配がないことを確認すると、三人は遺跡から出ていく。
とりあえずは日没までに、その薬草を見つけなければならない。
「見つかるといいね」
「うん!」
頼もしい護衛を得て、すっかり元気を取り戻して笑顔の白い女性。
知識としては知っていても見たことのなかったハルは、改めてまじまじとその白い肌に目を通す。
「これ、ハル。目つきが淫猥じゃぞ」
「誰が獣か。申し訳ない言い方をすると、興味深くて」
「怒っても良いんじゃぞ、ナル」
「え、と……アンの友達なら、大丈夫だと思う…」
その実、無理をしているような表情。
流石のハルも、そこで視線を向けるのを止めた。
探している薬草の特徴を聞いて再び歩き出すと、ナルを中心に広がり、いつでも助けに行けるようにしながら探索を開始。
それから特に脅威はないまま、実に三時間の後のこと。
ようやく目当ての物が見つかり、一行はそのまますぐに街を目指して歩き始めた。
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