罪人ノ輪舞
4.門出を祝う、その前に
昼餉をご馳走になった後で、ゆっくりしていっては如何かと村から誘いを受けたが、諸々の手続きがあるからとアヤが断って、そのままギルドへと帰ってきていた。
帰路、別に休んでいっても良かったのではないか、と愚痴を垂れるアンだったが、ハルがちょっと耳打ちしてやると、いの一番に駆けていた。
それもその筈。
「後先を考えない危うさはまだ少し残りますが、働きは十二分だとハルから報告を受けました。よって、国外での依頼受理許可証書を発行いたします」
「当然じゃの」
ギルド長室にて、真っ当な文句で以ってその仕事ぶりを讃えるアヤを相手に、ふんぞり返って誇らしげな表情を浮かべるアン。
隣ではハルが額を押さえて首を振っていたが、お構いなしにふふんと鼻を鳴らす。
しかし、
「サボりはいかんようじゃ。いまいち思った風に身体が動かん。ハル、少し休んだら稽古をつけてはくれぬか?」
自分の力量を過信し動くが、その後でそれをしっかりと見直すことが出来ている。
ちゃんとした人間らしさを培いつつあるアンの成長ぶりが、今回アヤが許可証を発行するに至った一番の理由だった。
とは言え、やはり危うさが残っているのも事実。
国外へ出るまでに出来るだけ矯正し、且つ外では目を離さぬようにと、アヤはハルに頼みつけた。
証書の発行は明日の正午。
依頼を受けるだけなら、今からでも問題はないのだそうだが――
「明日なら明日でよかろう。それよりもわっちは身体を動かしとうて仕方がない。何より、ハルに負けた気がしてならんのじゃ」
「言いがかりもいいところだね、自分がサボってたのが悪いんでしょ?」
「監督不行き届きというやつじゃ」
それはいくらなんでも横暴が過ぎるというものだ。
ギルド長室を出ると、そういえばとハルが思い出したように口を開いた。
「自分のこと、話すって言ってなかったっけ?」
「おぉそうじゃったそうじゃった。今日は誰も仕事には出ておらぬな?」
「僕らが独り占めしちゃったからね」
「なら好都合じゃ。行くぞ、ハル」
にやりと不敵な笑みを浮かべると、アンはさっさと走って階下へ。
そのままロビーへと繋がる階段上の手すりに上った。
少しの時間を置いても何のアクションも起こさないアンに、何だ何だとざわつく声が上がり始めた。
ハルも同様にどうしたのかと窺うと、どうやら一人一人の顔に目を通しているらしかった。
そうして一番端、最後の一人に視線を送り終えると、
「皆、聞いてくれ。わっちは今から、皆に向けて謝罪をする」
その一言に、静かになり始めていた場が再びざわつき始めた。
天真爛漫――悪く言えば唯我独尊なところがあるアンだったが、それすらも皆から慕われる理由であった。
そんなアンが、わざわざ皆の視線を集め、こうして大きく物を言う事は、鬨の声を上げる時以外にはなかったことなのだ。
何が語られるのか、と神妙な面持ちで固唾を飲む眼下の同胞たち。
その中心で腕を組む切り込み隊長のシャトを指名した。
「ここにおける第一の準則は何じゃ?」
「依頼、及び依頼外における共通認識だ。対人戦において、対象を死に至らしめる傷を負わせないこと」
「その通りじゃ」
シャトの回答、アンの頷きを受けた他の同胞たちは、それだけでアンの言わんとしていることを察したようで、どこか不安げだった目が真剣な眼差しに変わった。
「ここへ来る以前、わっちは人を殺めた。殺めた者の数など覚えておらぬ程に殺めた」
衝撃的な発言に、しかし皆の表情は崩れない。
真面目に、正面からそれを聞き入れ、頭の中で整理していく。
「わっちの特異体質の所為でな、他国から追われることが多かったのじゃ。それ以外にもわっちを奴隷として売って金に換えよう、などという輩にも襲われた。その度、全ての者を殺めて来た。一都市の人数くらいには達しておろう」
誰も、口は挟まない。
「そんなわっちが、この国以外での依頼許可を貰った。つい今し方じゃ」
ぴくりと全員の眉が動いた。
誰もが反対し、それを止めようと一斉に襲い掛かって来る。
そんな光景を予見していたのだが。
「率直な意見を聞きたい。わっちを脅威だと――この場所にとって不利益な存在だと思うのならば、今ここでわっちを殺せ。ハルの働きによって抑制されてきてはおるが、今日とて獅子を狩った際、少し滾ったのじゃ。それがいつ主らにも向けられるのか分からぬ」
眉根を下げ、本心からそう語るアン。
対して皆は、一様に拳を強く握っていた。
いよいよ、ここで終わりか。
そんな覚悟を、軽く流すように、
「「「うぉぉぉおおお!!!」」」
一斉に、その拳を天へと突きあげ、声を上げた。
笑い、叫び、高らかにその功績を讃えた。
「良かったじゃねぇかお嬢! 目標だったんだろ?」
「喜ばしいことだな、まったく。おい、樽持ってこい!」
何が起こっているのか。
と、口を開けて呆けるアン。
ともすればこの人たちであれば――そう思わなかった訳でもないハルにとっては、嬉しい誤算ではあった。
「おいハル、説明せい。皆は一体何を喜んでおるのじゃ…?」
との問いかけに、ハルが答えるが早いか、シャトが「何言ってやがんだ!」と、アンの肩に腕を回して組んだ。
「それはよ、お嬢。俺らの、いやこのギルドへの思いやりってやつだろう? 随分と丸くなったじゃねえか、結構なこった」
「こ、これ、シャト…!」
「何ならあいつらに直接聞いてみると良い」
シャトはそう言って、アンを自身方へぐいと引き寄せたまま、ロビーへと飛び降りた。
そのまま皆にもみくちゃにされ、口々にかけられるのは賛辞の言葉だった。
過去を語りながら、アンはそれをあまり良くは思わなくなっていることに気が付いていた。今いるこの場所が愛おしく、大切に思えてきていたから、自分を投げ打つことで護られるのであれば、と。
しかし皆は、それすらも受け入れて言葉を浴びせる。
めでたい。良かった。大したものだ。
皆が自由に、けれど統一された心で。
「大体な、お嬢。このギルドの名前は“咎”だろ。特に初期メンバーの俺みたいな奴は、どうしようもなかった。それを拾ってくれた恩人がアヤ様って訳だ」
「まったくその通りだ。昔がどうとかはよく分かんねーし、話さないってんなら聞かないが、ここじゃ一番頑張ってんのはお嬢だろ。結果この国じゃ誰もが認めている訳だから、そうしょぼくれた顔は無しだ」
「そ、そうか……」
心底安心して、つい深い息が漏れてしまう。
それを目聡く見つけた皆が、誰ともなしに酒を勧めた。
心配事などなかった。
過程がどうあれ、それを塗りかえるだけの働きが出来ていたというわけだ。
「つくづく可笑しな奴らじゃ……」
呟くと、顔を上げて満面の笑み。
「金はわっちが全て出してやる。遠慮はいらん、好きに飲んで食べるがよい!」
アンの一言に、場は更に熱気を増した。
そうして、昼間から開かれた賑やかな宴も終わり。
皆が寝静まったギルドの裏庭にて、ハルとアンは対峙していた。
「自分から煽っておいて、この為に飲まなかったなんてね。酔ってなくて残念だ」
「言うておれ。一本先取じゃ、加減はいらん」
「了解。じゃあ投げるよ」
組んだ親指の上にコインを乗せ、掛け声の後でそれを弾いた。
弧を描いて宙を舞い、一、二、三秒で地に落ちた。
それと同時に、一気に間合いを詰めようと思い切り踏み込むアン。
急ごしらえの小細工が通用しないと分かっているハルが相手とあって、最初から真っ向勝負を仕掛けようというわけだ。
しかし。
踏み込みの際に生じた僅かな隙の内に、それ以上身体を前へと持っていけない程の至近距離まで、既にハルが詰めていた。
何が起こったのか、と状況を把握するより早く、抵抗も出来ないまま、アンの視界には気が付けば青空が広がっていた。
「それがアンの弱点だよ。初速もよくて、繰り出される攻撃も大したものだ。でも、隙が大きい」
更にその頭上から、ハルがそう言いながら手を差し出してきた。
その手を取りながら立ち上がり、事態の把握に努める。
「馬鹿を言え、コンマ五秒もない隙じゃぞ?」
「十分過ぎるよ。アンも感じたろう、森で獅子の気配が一斉に消えたのを」
「アヤの動きか。トリックも細工も無しという訳か」
異常が過ぎる程のものではあったが。
しかし、言われてみれば確かに、その刹那に広範囲を網羅できるというのなら、高々この数メートル程度であれば、可能は可能は話ではあった。
「まぁね。でも、これは僕が特別出来る訳でもない、ただの技術だ。ちゃんと修練していれば、身に着けられるものだよ」
何ともなしにそう言うが、簡単にいきそうもないことは、流石のアンにも分かった。
間合いを詰められたことに何の細工もなかったことが分かると、今度はどうして抵抗の余地なく倒されてしまったのかを尋ねた。
「異国に古くから伝わる武術の一つでね。ちょっとそこの壁に向かって、足の爪先だけを付けて立ってみて」
「鼻先は付けるなということか。分かった」
言われた通り、壁に足の先だけを付けて向かい立つ。
すると、すぐにそこに生じた違和感。壁に向かって身体を伸ばして立っていると、僅かではあるが、軸が後方へと持っていかれていた。
「その感覚だよ。僕自身が壁になってそれ以上進めない間合いまで詰めると、身体の軸は反射的に後ろに傾く」
「なるほどの」
「そこまでくれば、後はその力の向きの駆け引きだ。後ろにいった軸を戻そうと生じる力を利用して、アンの身体を自分の方へと引き寄せて――」
「小賢しい足払い、というわけか」
「そ。これで少しは、修練も悪くないと思ってくれれば良いんだけどね」
それを会得したいと思うかは、アン次第だった。
軸の把握に力のかかり具合、細かな動作を丁寧に観察し、行わなければならない御業。
力任せに押すだけ、引っ張るだけだと、相手の力の流れには乗れず、思うように操作できなくなる。
少し考えてアンは、
「面白そうじゃ。たまにはキツイ修練も良い」
「良かった。じゃあ早速と――」
先ずは講義から、とばかりに話は始めんとした矢先、何やら物騒な物を手に歩いて来るアヤの姿が、二人の視界に飛び込んで来た。
そうしてアンの前まで来ると、持っていきなさいとそれを差し出した。
「刃渡り五尺はあるのう。大太刀か」
「細めの刀身、且つ見た目の割には軽い振り心地ですから、大いに活躍してくれましょう。とは言え大きく目立ちもしますの、必要時以外は“袖元”に隠しておくとよいでしょう」
アンだけが扱える、目には視えない保管庫らしいもののことだ。
基本どこへ行くにも手ぶらなのは、そこに何でも仕舞ってしまっているからだ。
元よりあまり多く持ち歩くのを好まない性分ではあるが。
素手での戦闘に絶対の自信を持つアンだったが、せっかくの贈り物だけに、アンは素直に受け取った。
「ハルにはこちらを。これは帯刀しておいても問題はないでしょう」
「脇差ですね。良いのですか?」
「どちらも、貴方達がここに来る以前――先代のギルド長が使っていたものです。せっかくの門出には相応しいかと。お守りとしては心強いと思いますよ?」
「それは良い。断るのは無粋というものですね」
有難く頂戴すると、今使っている小太刀を背中のホルスターから外し、代わりにそれを帯刀してみると、これの為にあったのではないかという程にしっくりときた。
何度か跳びはねて、少し走って、一瞬の素早い動作も織り交ぜて――と激しく動いてみても、ズレることも外れて飛んでいくこともなく、その場にきちっと留まったままだった。
もう一度礼を言って頭を下げると、アヤの方が逆に恐縮して「いえいえそんな」とかぶりを振った。
「それで、明日以降のお仕事ですけれど……短期で出来るものを?」
「あ、と、それなんですけど――」
「旅、ですか」
ハルからの話を聞いて、アヤが小さく洩らした。
兼ねてより、元々許可を得ているハルだけでなくアンも得られたら、と話していたことではあった。ただ依頼を請けてこなし、またここへ帰って来るのではなく、これまで溜めたお金を使って、しばらくふらふらと世界を見て周りながら仕事をしようと。
「籍はここに置いたままで出ますから、結果としては貢献も出来ます。如何でしょう?」
恐る恐る尋ねるハル。
しかし、心配など杞憂であった。
元より、そうしてはどうかと勧める為にここに来たのだから。
そも、戻って来るのであれば、野太刀と脇差をわざわざお守りにと持たせる必要はない。
「言われてみればそうじゃな。とちったか」
一大決心とばかり告白をする必要はなかった。
「自身の力は、常に思っている以下のものだと思いなさい。誰にとっても、過信は一番の敵なのですから」
「つい先ほど、自身の至らなさを痛感したばかりじゃ」
「では、有事の際には、ハルが抑止力となってくださいね」
「善処はします」
本気で暴れられれば誰にも止められないだろうが。
握手を交わし、二人はギルドを後にした。
しばらくここを離れるので、借りている家の管理人にも挨拶をしなくてはいけない。
ただ楽しみだけでなく、存外に堅苦しくやることも多い。
それでも、本を読んだだけで実際に視たことがない異国の地へこれから赴くのだと思うと、素直に胸も躍った。
帰路、別に休んでいっても良かったのではないか、と愚痴を垂れるアンだったが、ハルがちょっと耳打ちしてやると、いの一番に駆けていた。
それもその筈。
「後先を考えない危うさはまだ少し残りますが、働きは十二分だとハルから報告を受けました。よって、国外での依頼受理許可証書を発行いたします」
「当然じゃの」
ギルド長室にて、真っ当な文句で以ってその仕事ぶりを讃えるアヤを相手に、ふんぞり返って誇らしげな表情を浮かべるアン。
隣ではハルが額を押さえて首を振っていたが、お構いなしにふふんと鼻を鳴らす。
しかし、
「サボりはいかんようじゃ。いまいち思った風に身体が動かん。ハル、少し休んだら稽古をつけてはくれぬか?」
自分の力量を過信し動くが、その後でそれをしっかりと見直すことが出来ている。
ちゃんとした人間らしさを培いつつあるアンの成長ぶりが、今回アヤが許可証を発行するに至った一番の理由だった。
とは言え、やはり危うさが残っているのも事実。
国外へ出るまでに出来るだけ矯正し、且つ外では目を離さぬようにと、アヤはハルに頼みつけた。
証書の発行は明日の正午。
依頼を受けるだけなら、今からでも問題はないのだそうだが――
「明日なら明日でよかろう。それよりもわっちは身体を動かしとうて仕方がない。何より、ハルに負けた気がしてならんのじゃ」
「言いがかりもいいところだね、自分がサボってたのが悪いんでしょ?」
「監督不行き届きというやつじゃ」
それはいくらなんでも横暴が過ぎるというものだ。
ギルド長室を出ると、そういえばとハルが思い出したように口を開いた。
「自分のこと、話すって言ってなかったっけ?」
「おぉそうじゃったそうじゃった。今日は誰も仕事には出ておらぬな?」
「僕らが独り占めしちゃったからね」
「なら好都合じゃ。行くぞ、ハル」
にやりと不敵な笑みを浮かべると、アンはさっさと走って階下へ。
そのままロビーへと繋がる階段上の手すりに上った。
少しの時間を置いても何のアクションも起こさないアンに、何だ何だとざわつく声が上がり始めた。
ハルも同様にどうしたのかと窺うと、どうやら一人一人の顔に目を通しているらしかった。
そうして一番端、最後の一人に視線を送り終えると、
「皆、聞いてくれ。わっちは今から、皆に向けて謝罪をする」
その一言に、静かになり始めていた場が再びざわつき始めた。
天真爛漫――悪く言えば唯我独尊なところがあるアンだったが、それすらも皆から慕われる理由であった。
そんなアンが、わざわざ皆の視線を集め、こうして大きく物を言う事は、鬨の声を上げる時以外にはなかったことなのだ。
何が語られるのか、と神妙な面持ちで固唾を飲む眼下の同胞たち。
その中心で腕を組む切り込み隊長のシャトを指名した。
「ここにおける第一の準則は何じゃ?」
「依頼、及び依頼外における共通認識だ。対人戦において、対象を死に至らしめる傷を負わせないこと」
「その通りじゃ」
シャトの回答、アンの頷きを受けた他の同胞たちは、それだけでアンの言わんとしていることを察したようで、どこか不安げだった目が真剣な眼差しに変わった。
「ここへ来る以前、わっちは人を殺めた。殺めた者の数など覚えておらぬ程に殺めた」
衝撃的な発言に、しかし皆の表情は崩れない。
真面目に、正面からそれを聞き入れ、頭の中で整理していく。
「わっちの特異体質の所為でな、他国から追われることが多かったのじゃ。それ以外にもわっちを奴隷として売って金に換えよう、などという輩にも襲われた。その度、全ての者を殺めて来た。一都市の人数くらいには達しておろう」
誰も、口は挟まない。
「そんなわっちが、この国以外での依頼許可を貰った。つい今し方じゃ」
ぴくりと全員の眉が動いた。
誰もが反対し、それを止めようと一斉に襲い掛かって来る。
そんな光景を予見していたのだが。
「率直な意見を聞きたい。わっちを脅威だと――この場所にとって不利益な存在だと思うのならば、今ここでわっちを殺せ。ハルの働きによって抑制されてきてはおるが、今日とて獅子を狩った際、少し滾ったのじゃ。それがいつ主らにも向けられるのか分からぬ」
眉根を下げ、本心からそう語るアン。
対して皆は、一様に拳を強く握っていた。
いよいよ、ここで終わりか。
そんな覚悟を、軽く流すように、
「「「うぉぉぉおおお!!!」」」
一斉に、その拳を天へと突きあげ、声を上げた。
笑い、叫び、高らかにその功績を讃えた。
「良かったじゃねぇかお嬢! 目標だったんだろ?」
「喜ばしいことだな、まったく。おい、樽持ってこい!」
何が起こっているのか。
と、口を開けて呆けるアン。
ともすればこの人たちであれば――そう思わなかった訳でもないハルにとっては、嬉しい誤算ではあった。
「おいハル、説明せい。皆は一体何を喜んでおるのじゃ…?」
との問いかけに、ハルが答えるが早いか、シャトが「何言ってやがんだ!」と、アンの肩に腕を回して組んだ。
「それはよ、お嬢。俺らの、いやこのギルドへの思いやりってやつだろう? 随分と丸くなったじゃねえか、結構なこった」
「こ、これ、シャト…!」
「何ならあいつらに直接聞いてみると良い」
シャトはそう言って、アンを自身方へぐいと引き寄せたまま、ロビーへと飛び降りた。
そのまま皆にもみくちゃにされ、口々にかけられるのは賛辞の言葉だった。
過去を語りながら、アンはそれをあまり良くは思わなくなっていることに気が付いていた。今いるこの場所が愛おしく、大切に思えてきていたから、自分を投げ打つことで護られるのであれば、と。
しかし皆は、それすらも受け入れて言葉を浴びせる。
めでたい。良かった。大したものだ。
皆が自由に、けれど統一された心で。
「大体な、お嬢。このギルドの名前は“咎”だろ。特に初期メンバーの俺みたいな奴は、どうしようもなかった。それを拾ってくれた恩人がアヤ様って訳だ」
「まったくその通りだ。昔がどうとかはよく分かんねーし、話さないってんなら聞かないが、ここじゃ一番頑張ってんのはお嬢だろ。結果この国じゃ誰もが認めている訳だから、そうしょぼくれた顔は無しだ」
「そ、そうか……」
心底安心して、つい深い息が漏れてしまう。
それを目聡く見つけた皆が、誰ともなしに酒を勧めた。
心配事などなかった。
過程がどうあれ、それを塗りかえるだけの働きが出来ていたというわけだ。
「つくづく可笑しな奴らじゃ……」
呟くと、顔を上げて満面の笑み。
「金はわっちが全て出してやる。遠慮はいらん、好きに飲んで食べるがよい!」
アンの一言に、場は更に熱気を増した。
そうして、昼間から開かれた賑やかな宴も終わり。
皆が寝静まったギルドの裏庭にて、ハルとアンは対峙していた。
「自分から煽っておいて、この為に飲まなかったなんてね。酔ってなくて残念だ」
「言うておれ。一本先取じゃ、加減はいらん」
「了解。じゃあ投げるよ」
組んだ親指の上にコインを乗せ、掛け声の後でそれを弾いた。
弧を描いて宙を舞い、一、二、三秒で地に落ちた。
それと同時に、一気に間合いを詰めようと思い切り踏み込むアン。
急ごしらえの小細工が通用しないと分かっているハルが相手とあって、最初から真っ向勝負を仕掛けようというわけだ。
しかし。
踏み込みの際に生じた僅かな隙の内に、それ以上身体を前へと持っていけない程の至近距離まで、既にハルが詰めていた。
何が起こったのか、と状況を把握するより早く、抵抗も出来ないまま、アンの視界には気が付けば青空が広がっていた。
「それがアンの弱点だよ。初速もよくて、繰り出される攻撃も大したものだ。でも、隙が大きい」
更にその頭上から、ハルがそう言いながら手を差し出してきた。
その手を取りながら立ち上がり、事態の把握に努める。
「馬鹿を言え、コンマ五秒もない隙じゃぞ?」
「十分過ぎるよ。アンも感じたろう、森で獅子の気配が一斉に消えたのを」
「アヤの動きか。トリックも細工も無しという訳か」
異常が過ぎる程のものではあったが。
しかし、言われてみれば確かに、その刹那に広範囲を網羅できるというのなら、高々この数メートル程度であれば、可能は可能は話ではあった。
「まぁね。でも、これは僕が特別出来る訳でもない、ただの技術だ。ちゃんと修練していれば、身に着けられるものだよ」
何ともなしにそう言うが、簡単にいきそうもないことは、流石のアンにも分かった。
間合いを詰められたことに何の細工もなかったことが分かると、今度はどうして抵抗の余地なく倒されてしまったのかを尋ねた。
「異国に古くから伝わる武術の一つでね。ちょっとそこの壁に向かって、足の爪先だけを付けて立ってみて」
「鼻先は付けるなということか。分かった」
言われた通り、壁に足の先だけを付けて向かい立つ。
すると、すぐにそこに生じた違和感。壁に向かって身体を伸ばして立っていると、僅かではあるが、軸が後方へと持っていかれていた。
「その感覚だよ。僕自身が壁になってそれ以上進めない間合いまで詰めると、身体の軸は反射的に後ろに傾く」
「なるほどの」
「そこまでくれば、後はその力の向きの駆け引きだ。後ろにいった軸を戻そうと生じる力を利用して、アンの身体を自分の方へと引き寄せて――」
「小賢しい足払い、というわけか」
「そ。これで少しは、修練も悪くないと思ってくれれば良いんだけどね」
それを会得したいと思うかは、アン次第だった。
軸の把握に力のかかり具合、細かな動作を丁寧に観察し、行わなければならない御業。
力任せに押すだけ、引っ張るだけだと、相手の力の流れには乗れず、思うように操作できなくなる。
少し考えてアンは、
「面白そうじゃ。たまにはキツイ修練も良い」
「良かった。じゃあ早速と――」
先ずは講義から、とばかりに話は始めんとした矢先、何やら物騒な物を手に歩いて来るアヤの姿が、二人の視界に飛び込んで来た。
そうしてアンの前まで来ると、持っていきなさいとそれを差し出した。
「刃渡り五尺はあるのう。大太刀か」
「細めの刀身、且つ見た目の割には軽い振り心地ですから、大いに活躍してくれましょう。とは言え大きく目立ちもしますの、必要時以外は“袖元”に隠しておくとよいでしょう」
アンだけが扱える、目には視えない保管庫らしいもののことだ。
基本どこへ行くにも手ぶらなのは、そこに何でも仕舞ってしまっているからだ。
元よりあまり多く持ち歩くのを好まない性分ではあるが。
素手での戦闘に絶対の自信を持つアンだったが、せっかくの贈り物だけに、アンは素直に受け取った。
「ハルにはこちらを。これは帯刀しておいても問題はないでしょう」
「脇差ですね。良いのですか?」
「どちらも、貴方達がここに来る以前――先代のギルド長が使っていたものです。せっかくの門出には相応しいかと。お守りとしては心強いと思いますよ?」
「それは良い。断るのは無粋というものですね」
有難く頂戴すると、今使っている小太刀を背中のホルスターから外し、代わりにそれを帯刀してみると、これの為にあったのではないかという程にしっくりときた。
何度か跳びはねて、少し走って、一瞬の素早い動作も織り交ぜて――と激しく動いてみても、ズレることも外れて飛んでいくこともなく、その場にきちっと留まったままだった。
もう一度礼を言って頭を下げると、アヤの方が逆に恐縮して「いえいえそんな」とかぶりを振った。
「それで、明日以降のお仕事ですけれど……短期で出来るものを?」
「あ、と、それなんですけど――」
「旅、ですか」
ハルからの話を聞いて、アヤが小さく洩らした。
兼ねてより、元々許可を得ているハルだけでなくアンも得られたら、と話していたことではあった。ただ依頼を請けてこなし、またここへ帰って来るのではなく、これまで溜めたお金を使って、しばらくふらふらと世界を見て周りながら仕事をしようと。
「籍はここに置いたままで出ますから、結果としては貢献も出来ます。如何でしょう?」
恐る恐る尋ねるハル。
しかし、心配など杞憂であった。
元より、そうしてはどうかと勧める為にここに来たのだから。
そも、戻って来るのであれば、野太刀と脇差をわざわざお守りにと持たせる必要はない。
「言われてみればそうじゃな。とちったか」
一大決心とばかり告白をする必要はなかった。
「自身の力は、常に思っている以下のものだと思いなさい。誰にとっても、過信は一番の敵なのですから」
「つい先ほど、自身の至らなさを痛感したばかりじゃ」
「では、有事の際には、ハルが抑止力となってくださいね」
「善処はします」
本気で暴れられれば誰にも止められないだろうが。
握手を交わし、二人はギルドを後にした。
しばらくここを離れるので、借りている家の管理人にも挨拶をしなくてはいけない。
ただ楽しみだけでなく、存外に堅苦しくやることも多い。
それでも、本を読んだだけで実際に視たことがない異国の地へこれから赴くのだと思うと、素直に胸も躍った。
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