罪人ノ輪舞

ぽた

3.喧噪の後で

「なんじゃ。ミヤビじゃったのか」

 祠前。
 獅子の気配がない中で遠くから静かに向かってくる、ハルのものではない足音に外へ出て来てみたところ――といった具合の状況だ。
 アンに次いでわらわらと出て来た村人たちが取り囲むと、話の余地なくその姿は見えなくなってしまう。

「皆さん落ち着いてください。現状での脅威は去ったとは言え、またいつ別の個体が出現するやも分かりませんから。これより私は、新しい獅子除けを施しに行かなくてはいけませんので、この子をお願いいたしてもよろしいですか?」

 そう言ってアヤは、おぶっていたハルを傍らにあった麻袋の上へ寝かす。
 レイシの効果が行き渡るまで痛みが取れる訳ではないからと、アヤが睡眠薬を飲ませておいたのだ。

 これまで、そして此度も村を救ってくれた恩人たちの願いとあって、村人は一斉に「お任せください!」と拳を握った。

 というのも、広大な大地を有する大陸の一画であるこの小国では、ギルドは咎一つしか存在しておらず、自警軍なども配備されているにはされているが、それよりも咎の気付き――アンの働きの方が早く、唯一にして絶対の信頼を得られているというわけだ。

 アヤ様の頼みとあらば。アヤ様の部下ともなれば。

 そう口々に言う中にも、ハル様の為なら、と呟く者もいるのが、個ではなく団体に信頼をおかれている証拠だ。

「では任せます。アン、そろそろ回復もしている頃合いでしょう? 手負いの方もおられるようですから、ハルを屋内に運ぶ手伝いだけ頼んでもよろしいですか?」

「無論じゃ。情けなくもまぁぐっすりと眠っておる。カエンにやられたのか」

「そのようですね。飲水に溶かせる物も持ってきていますので――はい。起きたらこれを飲ませてください。本人が動き出せるようになるまでは絶対安静でお願いいたしますね」

 優しく温かな笑みを残すと、またも村人が一斉に「承知いたしました!」と声を張る。
 それでさえも下手をすれば刺激しかねないからと、アンが「しー」と人差し指を口に添えて苦く微笑んだ。

「では、この場は任せます」

 身に染み付いた綺麗な礼を一つ残して背を向けると、アヤは村を後にした。

 見えなくなる辺りまで手を振ると、頼まれた通り、早速と準備に取り掛かる村人たち。
 今寝ている麻を持っていくのでは心地が悪いだろう。そう思ったクーが、普段は赤子かその母体を護る為に使っている唯一の夜着よぎを、今は使っていないからと納屋から持ってこさせた。

 誰が反対するでもなく、誰が咎めるでもなく、皆一様に頷き恩人の容体を見守る中で、アンはハルを担ぐと、クーに何処なら良いかと尋ねた。

「どこでもお使いいただいて構わないのですが……そうですね。祠の前の物であれば、雨風は確実に凌げる造りとなっております」

「申し訳なさに少し気は進まんが、まぁそこじゃろうな。案内を頼めるか?」

「はい!」

 元気な反応を返すと、クーが先導して歩き出す。
 後ろに一人、夜着を抱えた男衆のタツを連れ、アンもその背中を追って歩き出した。

 先までいた祠の前、立ち並ぶ民家の一番端に、それはあった。
 先代の村長が使っていたもので、手入れは毎日しているが、今は誰も使っていない。

 部屋の奥にある暖炉を焚いて傍に夜着を敷かせると、アンはその上にふわりとハルの身体を降ろした。
 開いた夜着で包み、しばしその様子を見守ってみる。

「特に苦しんだりといった様子はないようじゃな。すまんの、クー、タツ」

「恩に恩で返すのは当然のこと。日々支えて貰っている礼と言うには到底足りないものではございますが、何でも申し付けてください」

 と、タツ。
 村の中では十本の指に入る腕っぷしを誇る、逞しい身体を持った男衆の一人である。
 しかし、見た目のパワフルさとは打って変わって、裁縫に料理も得意といった、家庭的な面も持ち合わせていて、ハルらがやって来る少し前から一緒になっている奥方とは、変わらず円満な日々を過ごしているのだとか。

「それは有難いことじゃ。まぁそう仕事もなさそうじゃから、ゆるりとしておれ。足も崩して構わん」

 アンが指摘したのは、傍らでハルを見守るタツとクーの座り方。
 自身のだらんとした姿勢とは正反対の正座だ。
 村に住む者として慣れているから普通のこととはいえ、せっかくの仲なら緩いフレンドリーさを求めるアンにとっては、堅苦しさの象徴だった。

「何でも申し付けろと言うておいて、よもや断りなどせんよな?」

 悪戯に笑って言うアンに、タツとクーは目を見合わせ、可笑しそうに溜息を吐いた。

「意地が悪いです、アン様。そう言われては断りようもございません」

 タツは足を崩し、クーは横座りへと変更。
 そうして、どうでしょう、と言わんばかりに注がれる視線。
 アンは大変満足し、うんうんと頷いた。

 すると、眼下で穏やかに眠るハルの口元が、赤子のようにむにゃむにゃと歪んだ。
 何かあったか、と皆して見やると、しかしすぐにまた控えめな寝息を立て始める。

「随分とぐっすりじゃのう。獅子を仕留め植物にやられるとは情けないぞ、主」

 アンがそう呟くと、そういえばとクーが小さく挙手をして発言。
 たまに、こうしてアンがハルの事を“主”と呼ぶことがあるのを、前々から不思議に思っていたらしい。

 語ると長くはなるのだが、と前置いて、

「簡単に言うとじゃな、わっちの行動はハルによって制限されておるのじゃ」

「制限?」

「そうじゃ」

 拘束具や呪術の類ではない。
 敷いた約束事を破れば、ハルによって仕置きがあるというだけの、単純な話だ。

 命に関わる程度のものこそあれども、それを甘んじて受け、常に傍にいるのはアン自身の意思である。


「約束事ですか。それは――」

「おっとそこまでじゃ」

 問いかけかけたクーを制し、アンは立ち上がる。

「肩透かしをくらわせすまぬが、中身だけは教えられぬのじゃ。それすらも、事の一つとして敷かれている故な」

「そう、ですか。すいません、過ぎた質問を」

「よいよい。知らぬことを知りたいと願うのは、人として当然の心理じゃ。詫びるべきはわっち自身の問題じゃから、クーが眉根を落とす必要はない。すまぬな」

 優しく、慈しむように。
 クーの頭に手を乗せると、無造作にわしゃわしゃと髪をかく。
 相手がハルであれば憤慨もしていただろうが、頼りになる憧れの相手からとあって、クーは嬉しそうに頬を緩めた。

 そのままクーの横を通り過ぎると、アンは扉を開いて外へ出る。
 いつの間にやら帰ってきていたアヤの気配に、僅かではあるが気付いていたからだ。

「こっちは盤石じゃ。他にやることはあるかの?」

「いいえ。中に入っても?」

「わっちの家ではない。好きにせい」

「それでは」

 小さく上体を倒しながら「失礼します」と中へ。
 ハルの傍まで来るとしゃがみ込み、その額に触れる。

「発熱もしていませんね、良かった」

「お主が綺麗に全部屠ほふりきってしまうからじゃろう。森にうごめいておった気配全部、瞬きの内に消え失せてしもうたぞ」

「ここが襲われてはいけないので、ちょっと本気を出してしまいました」

 舌先をぺろりと出し、可愛らしい反省の表情。
 平然とやってのけてこうしてここにいるが、それは中々に可笑しな話ではあった。

 一対一であれば数秒、群れでも数等なら分はかからない程度の時間があれば、アンにもハルにも獅子を狩ることは可能だ。
 しかし、ここに来る道程でアンが感じた森の気配は、百に達そうという程の数だった。
 それを瞬間で――なんて、軍の絨毯爆撃でもしない限り、人の身では不可能だ。

「対象がどれだけいようと、どこに隠れようとも、空気中を漂う霧が如く捉え、その刹那に仕留める。“ミスト”とは、よう言うたものじゃ」

「誰に付けられるでもなく言われ始めたあだ名ですが……未だに慣れませんね、それは。もっとこう、しとやかな名前が欲しいものです」

「トラ模様という意味の“彪柄ひょうへい”じゃったか。あの彪の字にも、アヤという読み方があるそうじゃが?」

「まぁ、猫さんですね! それはちょっと嬉しいかもしれません!」

 悪口のつもりだったのに。
 ハルでないと、どうにも張り合いがなくてつまらないアンだった。

 やいのやいのと騒がしくなった空間に、いい加減文句の一つでも言ってやろうとばかりにハルが目を覚ました。

 天井、周囲、自身の身体と順に目を通していくと、すぐに事態を察して飛び起きた。

「お、お見苦しい様を…! それに、このように立派な夜着まで。タツ、クー、ありがとうございます」

 頭を下げての礼に、言われた二人は更なる恐縮で以って頭を下げ返す。
 助けて頂いたことへのせめてもの礼です。と、アンに対するものと同じ言葉で、ハルの厚意を労った。

「直接的な聞き方を謝罪した上で聞きますが、死者は出ていませんか?」

「はい! 手負いの者も数名おりますが、幸いと男衆だけですから、数日もすればまたキリキリと働き始めることでしょう」

「それは良かった。僕らの働きも、無駄にはならなかったというわけだ」

 安堵して胸を撫でおろし、溜まっていた大きな息を吐き出した折。
 すぐ傍らに控えるアヤから、お咎めのチョップが見舞われた。

「無駄になりかけてはいましたよ、迂闊うかつ者。草花の把握は最優先事項でしょう。あのまま貴方が果てていれば、獅子は間違いなくこちらに向かっていた筈です。そうなれば、アン一人では止められなかった」

 返す言葉もなく、ハルは黙りこくってしまった。

 聖者のような微笑みからすっかりお説教モードになっていたアヤと、それを一身に受け止めるハル。
 そんな険悪なムードに助け舟を出したのは、二人の間に割って入って両手を広げて仁王立つクーだった。

「ど、どうか、そこまででお願いしたく存じます……ハル様は、間違いなくこの村を救ってくださった方に相違ありません。此度も、以前も、自警軍より早く駆け付け、即座に事を収めてくださいました」

 称えられた強く燃える瞳は、この場にいる誰よりも上に立つアヤの二の句を飲み込ませるに足るものだった。
 アヤは、はぁ、と小さく溜息を吐くと、

「ギルドに帰ってからといたしましょう。一先ずは、ここの女衆たちに拵えてもらっている昼餉ひるげが先です」

「あ、ありがとうございます…!」

 丸い大きな瑠璃色の瞳を輝かせ、満面の笑みで礼を言うクー。
 何だか助けて貰ってしまった感が否めないハルは、少し複雑な表情を浮かべた。

 それを傍から面白そうに眺めていたアンは、うずうずとしつつも何とか堪えていたが、ついぞ我慢しきれなくて尋ねてしまう。

「クーは主を好いておるのか?」

 と。
 刹那、クーは硬直し、次第に上気していく頬と身体の熱。
 虚を突いた発言は、アンからしてみれば好奇心の延長線上にあるものだった。

 真人間となってからというもの、それまで触れてこなかった世界や人の心理、感情というものに興味を示すようになり、以後たまにこうして、当事者を辱めるような発言も飛び出してしまうのだ。

「な、なな、何を仰っておられるのですか、アン様…!? 私は決して、そのようなことは――」

「祠での待機中に『ハル様なら問題ありません!』と、まだ成人しておらぬ子どもをあやしておったのは何処のどいつじゃ?」

「……っ……! あ、アン様…! お言葉ですが、少しデリカシーというものに欠けます!」

「面白いものは皆わっちの好物じゃ。こうしてかき混ぜるくらいが――」

「ストップ、そこまで。あまりクーを怒らせない」

 先とは違う立場、間に割って入るハル。
 一発、軽いデコピンを見舞うと、アンは両手を押さえてうずくまった。
 やるだけやって満足すると、クーへと向き直る。

「まぁ結果的には無事だったわけだし……ありがと、クー」

「そそ、そんな…! 勿体ないお言葉です…」

「そうして村の女衆たちをはべららせて回る腹づもりじゃな」

 にやにやと悪戯に放たれた言葉はスルー。
 そのままクーに向かい合ったままで、ハルは優しくその頭を撫でた。

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