少年と武士と、気になるあの子。

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夏は過ぎ去りて風が吹く(六)


 その日、四限目の授業が体育であることを知った先生が、途中で交代したいと申し出てきたので、僕は三限目終了と同時にトイレへと駆け込んだ。
 始めこそ互いの意識がない時でなければ交代ができなかったのだけれど、互いにこの状態に慣れてからというもの、最近ではちょっと意識をすれば交代できるようになってきていた。
 これがなんとも不思議な感覚なのだけれど、以前はこの不思議な感覚がなんとも言えず不快だった。しかし、最近はこなれてきたためだろうか、以前ほどの不快感はなくなり、意識が中へと収まる感覚にも慣れてきたのだ。
 互いが意識を共有し、互いでそれを同意の上で交代するときは切り替わり自体がスムースに行くからかもしれない。起きたら突然意識が交代していたりすると、時に妙な違和感があったりもするので、滞ることなく行えるに越したことはない。
 こうして先生と意識を交代した僕は、足早に教室へと戻っていった。教室ではすでに女子たちが更衣室へと移動し、男子だけとなっていた。
「よしき氏、早く行こうぜー」
 すでに着替え終えていた裕二が寄ってきた。相変わらず痩せ細った体は、まさに骨と皮だけといった風で、ちょっと小突いただけで簡単に折れ崩れてしまいそうなほどに華奢だ。
「うむ、しばし待て」
「あれ? 今日っていつもの感じじゃなかったっけ?」
「体育と聞いて気が昂ぶっておるのだ」
「ああ、なるほどね。……っていうか、よしき氏って体育、あんま好きじゃなかったよね?」
「最近はそうでもないのだ」
「ふーん」
 いくら記憶に混乱があるという体でいるとはいえ、裕二の鋭い突っ込みには気が休まらない。先生も先生であまり目立つ行動は控えるべきだろうに、どうもこういう時はいつも自分の気持ちを優先してしまうので困る。
 手早く体操着に着替えた先生は、教室を出たところで内海と合流し、体育館へと移動した。今日は珍しく男女で体育館を使うことになっているらしく、片側を男子、もう片側を女子という形で行われるようだった。すでに準備されている道具を見てみると、男子がバスケ、女子がバレーらしい。
 授業開始のチャイムと同時に、男子女子それぞれの体育教諭たちが今日の授業内容を伝え、今日は体育館で男女それぞれが授業を行うことになっていることを告げる。その説明を聞く前からすでに事情を察していた男子たちは、心なしかいつもよりも返事する声に威勢よく感じられた。
 まぁ、ある意味で当然といえば当然かもしれない。体育館中央のネットで間仕切りしてはあるが、自分たちの背後には女子たちがいるわけだから。これで意識するなという方が無理だろう。
「ちょうど四〇人だから、チームは八つに分けて行うぞー」
 体育の時間は男女別になるのだけど、人数と教諭人員の問題もあって隣のクラスと合同で行われる。普段は男女で外と中と別々であるが、この時はとばかりに、両クラスの元バスケ部のメンバーが代表となって四人ずつ、各チームのリーダーとなってチームを作っていった。
 うちのクラスはといえば、バスケ部の人員が三人しかいないため、他の元運動部のメンバーが抜擢された。うちには運動センス抜群の伊東がいるので、こんな時はいつも彼が抜擢される。
「じゃあ、竹之内で」
「む、俺か」
 伊東は、チームを作るに至って、まず僕を抜擢した。元々僕も中学の時は一応運動部にいたからさほど運動が苦手ってわけじゃない。けれど、現役を引退してさほど時間の経ってない伊東と、以前ほど走り込んでいない僕とではかなり差があるように思う。
 にも関わらずあえて僕を選んだ伊東の狙いは、ここのところ運動面で急激に頭角を現している”僕”への期待と評価の意味合いがあるはずだ。実際、先生はかなり運動面でセンスがあり、こと運動に関しては、一度二度見れば大抵のことは熟してしまうほどの才能がある。
 この点に関して言えば、間違いなくこの身体の持ち主である僕以上に、この身体を上手く使っていると言っても過言ではなかった。悔しいけれど、瞬発力や瞬時の判断力というのに、まるで迷いも勢いも違うのである。
 これが瞬時の判断を間違うと、即、死に繋がりかねない戦場で磨きをかけた人間と、そうでない人間との差なのだと認めざるを得なかった。その運動神経の良さは、各運動部員たちが助っ人に欲しがるほどなのだから、天性による才能に、より磨きをかけるとこうなる良い見本だ。
「じゃ、よろしく頼むよ」
「ああ。ところで”ばすけ”とやらはどんなのだ」
 あ……いけない。そういえば先生はバスケットを知らないのだった。”僕”の思いがけない台詞に、伊東はもちろん、聞いていた周囲のクラスメイトたちも一瞬我が耳を疑ったに違いない表情をしていた。
 僕は焦ったように、急ぎバスケのルールを教えた。その説明のたびに、ゴールやボールとを見比べながら、小さく頷いていた。周りからはとんでもなく変な奴だと思われているだろうが、ここは我慢だ。
「なるほど。そういうことか」
「竹之内ってバスケ、知らなかったっけ?」
「大丈夫だ伊東よ。おおよそのことを掴んだ」
「え? あ、まぁなら良いけど……」
 伊東はなんだか解せない表情をしていたけれど、これで特に何か追求してくるようなことはなかった。本当は違うのかもしれないけれど、例の事故の件以来、クラスメイトらはさほど”僕”に関して突っ込んだことを言わない。気を使っているのか、あるいは腫れ物のように扱っているだけなのか意見の分かれそうなところではあるけれど……。
 ともかく、こうして先生にとって人生経験初のバスケットが始まった。

「よーし。じゃ、時間もないから始めるぞ。ゲームは各試合五分ずつだ。いいな」
 そういって体育教諭は両クラス同士で対戦することを告げると、早速ゲームが始まった。センターサークルのジャンプボールから始まるバスケは瞬く間に三試合が終わり、いよい伊東率いる四チーム目の試合へと移っていった。
「よしき氏、いっけー!」
「よしきん、がんば!」
「うむ」
 内海と裕二、二人からの声援を受けて”僕”はおもむろに立ち上がる。ルールを熟知していない先生のことだから心配はしていたのだけど、幸いにも試合が最後ということもあり、先生は前三試合をじっと見つめ、競技について見定めているようだったので大丈夫だろう。
 こんなことをいうのもなんだけれど、先生の運動センスはそれほどにずば抜けていた。それこそ、こちらが見ていて安心できるほどに、である。
”僕”や伊東を含むチーム五人と相手チームがコート内に入った。ジャンプボールにはこのチーム一の長身である伊東自身が務めることになるのは当然で、彼はセンターサークル内に入り、跳ぶ準備に入る。
 ジャンパー以外の他のメンバーはセンターサークルの周りを囲み、コート中央で引き締め合う。身長一七〇センチを少し超えるほどしかない僕の相手は、僕よりも数センチ大きめだが僕すらも知っている帰宅部の代表格と言っても良い相手で、”僕”の相手にはならないだろうことがすぐに予見できた。
 体育教諭の一声と共に、ボールがセンター内で高く上がった。落ち始めたボールめがけ、伊東と相手のジャンパーが飛び上がってボールを奪い合う。ボールをタッチできたのは伊東だった。
 タッチしたボールを味方チームが取った。ジャンプを終えた伊東はすぐにサークルから走り、素早くゴールに向って行く。
「ヘイ!」
 伊東が手を上げて合図した。それを見計らって”僕”も走り出していた。相手のマークマンは”僕”の動きに全くついてこれずに背後へ簡単に回られてしまい、こちらの姿を見失ったようだった。
「竹之内」
 ボールを取った味方が伊東にロングパスを出した。そのボールをすぐにゴール近くまで走り込んでいた”僕”にパスを繋ぐ。パスを受け取った”僕”は、そのままゴールにシュートした。
 しかし、そのボールはリングに届くことなくボードの裏側に、弧を描きながら落ちた。
「ああー」
 クラスメイトたちから感嘆の声が漏れた。速攻のチャンスが潰れたのだからそれも当然だった。確かに先生の運動神経は抜群だけれど、今日始めてバスケをやった人間が、そう簡単にゴールを狙えるはずもない。
「むぅ。案外難しい物だな、”ばすけ”というのは」
 今の速攻が絶好のチャンスであったことは理解しているらしい。悔しそうに手の感触を確かめていた。
「ドンマイ。切り替えよう」
 伊東が手を叩いて鼓舞する。流石に陸上部でエース級の活躍をしていただけあって、意識の切り替えも早かった。同じ陸上競技をやっていた善貴としても、いかに彼が優れた選手であるかを認識できるくらいだ。
 エンドラインから相手チームがボールをコートに投げ入れる。それを読んでいた伊東がパスカットに行くが間に合わず、逆にこの隙をついて敵チームが速攻をかけた。
 相手にはこの夏までバスケ部員だったメンバーがいるので、彼に速攻を出されると有象無象の寄せ集めでしかないこのチームでは、ほとんど対抗できない。おまけに彼はバスケ部のスタメンだった。
 その彼による素早い速攻から放たれたシュートは、リングのネットを小気味よい音を立てながら通り抜ける。先取点は相手チームだ。
 パスを受けてから、こちらのチーム全員を置き去りにして素早いモーションからシュートするという鮮やかなプレイは、見ている者の目を引きつけるには十分だった。このプレイで、相手のクラスの男子はもちろん、体育館の半分を使ってバレーをしているはずの女子たちをも巻き込んだ。
「いっけー!」
 このプレイに弾みがついたのか、相手チームのクラスメイトである女子たちからの声援を受けたためなのか、とにかく相手チームはノリにノッた。瞬く間にこちらのゴールを奪い、開始三分ですでに六ゴール、一二点を上げていた。
「くそっ、流石にスタメン相手じゃこっちが不利だ」
 もう時間もないせいか、こっちは完全に気持ちが切れていた。それなりに運動経験のある者もいるチームなのでもう少し何とかできるかと思ったのだが、バスケ部でスタメン、おまけに全国大会にまで行って活躍するくらいの優秀な選手相手では、運動センス云々では到底太刀打ちできそうになかった。
「よし、おれと竹之内であいつにつこう。それでも止められるかわかんねーけど」
 伊東が肩で息をしながら言った。僕も全くの同意見だ。しかし、こちらが彼に二人でマークしたところで簡単に出し抜かれてしまっているのが事実で、はっきり言ってそう提案されても止められるかは分からない。
「ま、なんとかするしかあるまい」
 ここまでのところ、最初以外に目立った動きをしていなかった先生が言った。ようやく体のエンジンがかかってきたと言わん表情である。
「なんか策でもある?」
「いや、特にない」
 先生のように達観したような言い方で言われると、言われた方はつい期待してしまいそうになる。ないんかよ、という伊東の呆れ笑いによる突っ込みに、”僕”は苦笑しながら肩をすくめた。
「くるぞ」
 再び相手のエースが突っ込んできた。自分一人で蹴散らせると思って、単独速攻をかけてきいるのだ。僕らは両側から挟み撃ちにするように、向っていった。
 当然のように、二人の間を相手のエースは難なくすり抜け、あっさりとゴールを決める。本当に手立てがなかった。いくらバスケ部のスタメンだからって、こんなにも実力差があるというのか。
「……やばい。まじであいつ止めらんないわ。こっち、まだ一ゴールもしてないってのに、もう一四点だ」
 しかも、この得点全てが彼一人によるものだった。相手チームは彼が得点を上げるたびに、歓びの声を上げて彼を鼓舞している。その様子を見ると、もう相手チームは彼一人で良いのではないかとすら思えてくる。
 その様子を眺めていた先生が言った。
「良し。伊東よ、うぬは”しゅーと”はできるか」
「ん? まぁできるけど……」
「ならばお主が決めれば良い。俺が相手を撹乱しよう」
 そういって、エンドラインからパスを貰うと、”僕”はすぐに走り出していた伊東にパスを出した。続いて相手エースに向って走り出した。パスカットをしようとした彼が、猛突進してきた”僕”に驚いて、一瞬取ろうとしたボールから目を離した。
 ボールを取り損ねた彼は、あっ、と声を漏らしながら、そのボールを取ろうと手を伸ばす。”僕”はその手を遮って、取り損なったボールを奪い返したのだ。
「竹之内!」
 すでにゴールそばで待機していた伊東に低い位置からパスを繋いだ。これまでエースがカットされることなどなかった相手チームは、完全に油断していたに違いない。パスが通って、受け取った伊東はシュートし、ようやくうちに一ゴール目が入った。
「よーし!」
 クラスからの声援が沸いた。スコアは一四対二だが、この二点が大きいことを誰もが理解していた。流石に相手の彼も、こんな形で得点されるとは思わなかったに違いない。しかし、向こうも全国大会にまでのし上がったチームのスタメンだけあって、すぐに攻撃へと入るためにエンドライン近くにまで寄った。
 伊東はそのパスを出させまいと、エンドラインギリギリでディフェンスに回る。苦し紛れに出されたパスを、エースの彼が走り込み受け取ろうとするのを”僕”は先に走り込み、パスカットする。
「ぬお!」
 思わず漏れ出る彼の呻き声を耳元に聞きながら、ワンドリブルで伊東へとバウンドさせながらパスを出し、さらに追加点を上げた。再びクラスからの応援が大きく上がった。依然として得点差は一〇点もあるけれど、この立て続けの二ゴールが如何に難しいものであるかを物語っていた。
 ようやく上がった反撃の狼煙も、その二〇秒後には早くも相手エースの反撃によって再び得点が開いた。もう時間がない。負けるのは確定していたが、せめて後もう一ゴール欲しい気持ちだった。
 オフェンスに回る僕らに対し、相手はもう得点などどうでも良いといった感じだ。エンドラインでボールを出そうとしているこちらのことなど、あまり気にしている様子がない。
 パスの入ったところを、味方が受けてフロントラインへとボールを運ぶ。しかし、相手は守ればそのまま試合終了になることを思ってか、全員がゴール近くでディフェンスに入っていた。
「これじゃあ入れないぜ」
 伊東が舌を巻く。
「ヨシタカよ」
 先生からの突然の質問。
『はい?』
「ここからボールを投げても良いのか?」
『あ、はい。大丈夫ですよ。多分、ここからならスリーポイントと言って、さらに一点多く入るシュートに認められるかと思います』
 そう説明すると先生は小さく頷いて、攻めあぐねている味方にパスを出させた。
「がんばれー!」
「竹之内くん、急いでー!」
 クラスの男子も女子も関係なく、パスを貰った”僕”に声援を送った。パスを受けた先生は、その場でゴールめがけて下半身からジャンプすると、長い放物線を描くようにボールを放った。
 誰もが一瞬息を呑んだように感じられた。
「竹之内ー!」
 その一瞬を誰かが大きく僕の名を叫んだ瞬間、釣られるように湧いた声援の中、ボールはリングの中に収まって落ちた。



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