少年と武士と、気になるあの子。

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夏は過ぎ去りて風が吹く(五)


 再び、黙々と木刀を振り始めたヨシタカを静かに見守る。目前を、木刀を握った両手が通り、すぐさまその手が振り下ろされる。瞬間、木刀を握った手に必要以上の力が加えられているのが分かった。
(一朝一夕には行くまいか)
 彼は心中でぼやく。いくら自分と入れ替わり、その形と技術を身に着けさせても、どうしても体の慣れということにおいて、細かな部分が疎かになっている。大凡の動きは出来ていても、一番必要になる最も根本的な部分が出来ていなければ、結局は同じだ。
 こればかりは、善貴の意思に賭けるしかない。どれだけ自分がこの体に馴染ませようとも、それを引き出そうとする意思が本人に無くては意味がない。それができなくては、いつまでも技術として使うのは自分と入れ替わっている時だけだ。
(だが……)
 その様子はまるで、かつての自分と瓜二つだ。父に、祖父に教わった剣と振りの極意。今でこそ考えずにできるが、上手く出来ずにいつも怒号のような厳しい叱責があったのを思い出していた。
 あれはいつの頃だったか。確か、まだ兵法修行を初めて三ヶ月も経っていなかった頃ではなかったろうか。年の頃も六つか七つか……そんな頃だった。いずれは家督を継ぐ身であるということを意識し始めていたのも、この頃だったはずだ。
 日中夜を問わず、いつも兵法を極めんがために多くの時間を費やしていた。ある時は、寝ていたところに忍び寄ってくる者の存在に気づけず、翌朝の朝飯を抜かれただけでなく、集落の横の森に放り出されたこともあった。
 またある時は、父の打った木刀を返し損ねて肩の骨を折られたにも関わらず、一本取れるまでは休むことすら許されないこともあった。
 構えた時、相手の視線はどうか。目の動きは。開き具合は。血走っているか。冷静か。呼吸は肩でしているか。口を閉じているか。
 ならば姿勢は。柄への指のかかりは。踏み込みはどうだろう。一瞬で入ってくるか。それとも、切先一寸を見切れるか。切先の通る間合いは……。
 そのどれもが祖父や父からの教えだった。相対した時の相手のそうした状況を瞬時に見抜き、かつ今自分の状況と、相手の立つ場がどうかも判断する。そして、自身の退路を保っておくこともまた忘れない。もし危うくなった際に、撤退して自身の都合の良い場に持っていくことは常に考えておくべきだ。
 その一つ一つ、何もかもが次の一瞬へ生を繋ぐための法だった。そのどれもが、一つ判断を誤れば即、死に繋がらないと言い切れないほどに。
 恐らく、それをどれだけ口で説明しようと、戦いの無いこの日の本で生まれ育ったヨシタカに、これを真髄にまで理解させるにはあまりに難しいだろう。その様子は普段の生活ぶりはもちろんだが、現代を生きる全ての者を見ても頷けることだった。
 だからこそ、少しでも身の危険を感じる場に身を置かせ、それを体で、感覚で分からせるしかなかった。それでもなお、そもそもが身の危険を感じること自体が非日常である現代に、分からせることは難しいかもしれない。
 それでようやく見つけたあの三人にふっかけた諍いで、ようやく少しは愚鈍なりに意識が変わってきているかもしれないという、かすかな実感を持った。
 それならば、次の段階に進んでも良いだろう。俺は無心で木刀を振るヨシタカに、次の修行を考えながら重くなってきた意識を途切らせた。



 翌朝、早い時間に夏服だとそろそろ肌寒く感じ始めた朝に、僕はいつものように登校していた途中にあるコンビニに寄って食料を買い込むことにした。
『これが美味そうだの』
 そういって先生は陳列された焼きそばパンに意識を向けて言った。彼はこちらの世界に慣れてからというもの、米と小麦をこよなく愛するようになったらしい。
『これも美味そうだ』
 そういって次に意識を向けたのは、ちょっと高めの値段に設定されたお好み焼きだ。先生によれば、今でこそ庶民に馴染みの深いお好み焼きも、戦乱の世を生きた人からは考えられないくらいの極上の味、であるらしい。もっとも、それはあらゆる料理に大して言っているようなきがするので、まぁとりあえず口に合うということだろう。
『おい、ヨシタカよ。あれもだ』
 矢継ぎ早に指し示す先には、ミートソースのスパゲッティがあった。
(いやどれだけ食う気だよ)
 あまりの食欲旺盛ぶりに、善貴はため息をついた。この人の胃袋は底なしだ。そもそも、体自体は僕自身なのだから少しは遠慮してほしい。ついでにいうと、その金銭を払うのだってこの僕なのだ。
 まぁ、最近は食欲旺盛になった”僕”に、母が気を利かせていくらか食費をもらえているので、助かると言えば助かるのだけれど。それどころか母はこれまでの少食気味だったことを憂いていたようで、大食漢になった今の僕を見て心なしか嬉しそうにしていたくらいだ。
 とはいえ……。
「もうこれ以上は駄目ですからね」
『む。待て、この程度では腹ごしらえにもならん』
「そう言いますけど、お金払うのは僕なんですよ?」
『むぅ……』
 なんだかやけに渋るな、今日は……。最近涼しくなってきたこともあり、朝の稽古も運動量が増えたからだろうか。それに、最近は今までの軽めの木刀ではなく、棒や大太刀の木刀による稽古も行っているので、必然的に多く体を、力を使うのも多くなるのも確かなのだけど。
 思えば、この人は瀬名川とその友人、美樹子と会った時もそうだった。食というものに対して、まるで遠慮というものを知らない。生きた時代が時代だから、僕もそんな時代に生まれていればそうなるかもしれないとは思ったけれど、その体に来る負担は意識が交代した時に僕にも共有されるのだから勘弁してほしい。
 そう言えばあの時の瀬名川も、僕に対して呆れ気味だったな。流石に、あれは僕もドン引きだったから、むしろ瀬名川の態度のほうが正しい対応といえるだろう。善貴は、そう考えると美樹子は少し変わっているな、などと思いながら商品をレジへと持っていく。
「っはよー」
 商品を購入してコンビニを出ようとしたところ、入れ替わりに瀬名川が声をかけてきた。思わず声をかけられて、僕は驚きを隠せずにキョトンとした。今までこちらから声をかけることなどなかったし、朝に向こうから声をかけてくることもなかったから、完全に油断していた。
 僕がクラスで余計な噂が立たないよう、配慮して話しかけないようにしていたのに気づかなかったんだろうか……。そりゃぁクラスの頂点にいるグループという立場だから、別に最底辺にいるであろう自分に声かけることも”情け”でしないかもしれないけれど……。
 そう思っていただけに、思わぬ声掛けに僕はどうしようか完全に思考が止まっていた。瞬時に反応できない僕に、瀬名川に一歩遅れてきた金森由美が返した。
「おはよーセナ」
「おはよ由美」
 遅れてきた友人に返した瀬名川は、続けざまにコンビニへと入っていく由美に促され、僕との挨拶もままならずにコンビニへと入っていった。すれ違いざまにこちらを見る目が怪訝と、どこか非難めいたものであることに気づかず、僕はどこかホッとして学校へと急いだ。
 九十九折の坂道を登って、そろそろ校門というところにまで来た時、先生がつぶやいた。
『悠里、少し変わったか?』
「え? 瀬名川がですか?」
『うむ。普段と違っているような感じがしたが……』
「そうですか? いつも通りだと思いますけど」
『いや、だがな……ふーむ』
 そう言ったきり、先生は再び黙り込む。まあ、おかしいといえば今まで声をかけなかったはずの自分に、今日はなぜか声をかけてきてくれたという一点については、変わったことかもしれない。
 けれど、それ以外であの子が何か変わったような印象は無い。つっけんどんな感じがいつも通りだし、結局友人の由美に促されてそれ以上は何もなかったことが良い例だ。
 あまり気にしすぎないことにして僕は九十九折の上り坂から校門を抜け、校内へと入っていった。コンビニで昼食までの繋ぎを買ったせいだろうか、まだ始業前だというのに早くも小腹が空いてきていた。一限目の前にちょっと腹に入れておこうと、善貴は足早に教室へ向かった。




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