少年と武士と、気になるあの子。

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君と武士と、夏の終わり(九)


 ガチャン――軽いけれど、堅牢な二重ロックになった玄関のドアが、そんな音を立てて閉まる。ドアの開閉によって、私が帰宅したことに気付いた姉がリビングの方から顔だけを覗かせるも、それをほとんど無視するように私は挨拶をすることなく足早に自分の部屋へと向かっていった。
 勢い良く開けたドアを同様に閉めて背をドアにもたれさせると、持っていた荷物をその場に下ろした。いや、下ろしたというよりもむしろ勝手に肩からずり落ちていったといった方が良いかもしれない。
 まだ心がざわめいている。というよりも、全くざわめきが収まらないの。ドアにもたれかかったまま、私は天をを仰いで何度めか分からないため息をついた。
「竹之内……」
 自分の意思とは裏腹に、勝手に口からあいつの名が出ていた。必死であの時の状況を思い出して状況を整理しようとはするのだけど、何故か全くといって上手くできず、むしろ混乱するばかりだ。
「はぁ……大丈夫、だよね」
 再びため息。私はそのため息の後、もたれていたドアから離れベッドに倒れ込んだ。体重を受け止めるベッドのスプリングが、妙に心地良く感じられる。ベッドが変わったわけでもなく、あくまで気分の問題なのだろうが、それだけひどく疲れてしまっていた。
 うつ伏せに倒れ込んだ私は、うだるように寝返りを打って仰向けになった。明るい照明をじっと見つめていると、だんだんに先程のことが明確に思い起こせるようになってきた。
 今日、小学校時代からの友人である美樹子とのランチを楽しんだ後、なんの偶然なのか、街をぶらつく竹之内と出会った。あいつと会ったのは夏休みの始めの頃、待ち合わせたのためにやってきた駅前の交差点で、地下へ、友達と降りていくのを見かけた時以来だ。
 それはこちらが気付いただけで、厳密にあいつと会って話したとか、そういうわけじゃない。けれど、長期休みに入ってからというもの、見ることのなくなったあいつを見かけたことが、妙に嬉しく感じられて仕方なかった。多分、今度あいつと会うのは新学期だろうな、あれ以来そう思っていただけ余計に。
 だけど――。
 悠里は先程のことを思い返す。あの後、今に至るまでの間、ずっと何度も何度も思い返しては堂々巡りになっているのだけど、それでも思い返さずにはいられない。
 突然お姉ちゃんからきた連絡の旨。その内容はまさかの、あいつからの電話で折り返すように、というものだった。それだけでも驚いたことは言うまでもないのだけど、さらに驚いたのはその直後に、店の外で偶然にもそのあいつと出くわしたことだった。
 なんであんな場所をうろついてたのか知らないけれど、とにかく私はあいつと出会った。何故かそれだけで気持ちが上がる。けれど反面で、美樹子と一緒にいるところで出会ったのはちょっと良くない感じがした。美樹子は女子校通いということもあるからか、妙にあいつに対して興味津々の様子だったのである。
「そういえば今日の竹之内、また少し変だったな……」
 興味津々だった美樹子は元より、竹之内は妙におかしな時がある。もちろん、それはあいつのお母さんから何となくだけど聞いているし、学校でもたまに別人なのでは?と思ってしまう時があるくらいに、性格が豹変してしまっている時がある。今日はどうやらその日で、店先で出くわした時は始めからその状態だった。
 正直……と思う。悠里には、あの状態の善貴は少し取っ付きにくい印象があり、やや苦手な感がしないでもなかった。もちろん、だからといって善貴への恩や感謝がなくなったわけでも、あるいは悪いイメージがあるというわけでもない。
 いや、正確には苦手というより、むしろ好奇に近いかもしれない。そこらにいる男子高校生とは明らかに違って見えるのである。顔貌かおかたちや外見的なものが何か変わったわけでもないのに、あの状態の善貴について、興味と違和感の両方を持っていた。
 少なくとも、あの事故以来、善貴は明らかに変わってしまったのは間違いない。他のクラスメイトや友人たちはどうか知らないが、少なくとも私はあの状態になったあいつは、性格だけでなく運動や行動自体も明らかに違っていることに気づいていた。
 夏休み前にあった体育の授業で行われたサッカーでは、サッカー部の男子顔負けのプレイを見せることもあった。その前にも彼の家を訪ねた時も、庭で運動していたようだからそのせいかとも思ったけれど、多分違う。何が、と問われれば、何となく、としか言いようもないのだけど、確かに違う。
 あの汗を吸収して透けたTシャツから見えた彼の素肌と肉体は、間違いなく運動しているからこそ出来上がった肉体のそれだった。痩身だけれど、少し硬そうな筋肉ができ始めていた体は、もっと鍛えたらきっと細マッチョとか呼ばれそうな、そんな感じだ。
 だからといって極端に運動神経が良かった奴かといえば、そうではなかったように思う。もちろん、あの合宿以前に彼のことをあまり知らないのだから、自分に今との比較ができるだけの明確な判断基準があるわけでもなかったが。
 仰向けだった悠里は、ごろんとベッドの上を体を横にした。すると、ショーパンのポケットに入れっぱなしにしたままだったスマホがベッドと腰に挟まれて、その存在を自己主張する。スマホを取り出すことを忘れていた悠里は、気怠げにポケットからそれを取り出して意味もなくホーム画面を開いた。
 画面を開きついでに、思わぬ形で入手した善貴の家の電話番号を呼び出し、その番号を眺める。今この番号に電話すれば、多分あいつの声を聴くことができる。そう思うと、嬉しくもあり、それ以上に恥ずかしくもあった。もちろん、自宅の番号だから家の人が出ることも十二分に考えられる。けれど、それを取り次いでもらえば同じだ。
「電話、してみよっかな……」
 思えば姉からの電話も、あいつへの電話を折り返すように、という内容だった。つまり、ここで電話するのが礼儀かとも思ったけれど、結局それは偶然の出会いの元、あやふやになってしまった。というより、その時に必要なことは聞かれたので、折り返す電話の用すら今は無いのだ。
 むしろここで電話などしてしまおうものなら、それこそ怪訝に思われかねない。むしろ、そう思われるのがオチだ。安堵する思いもあれば、何だかそれが無性に寂しくもある。
 そして、それらの感情の後ろで見え隠れしてる、負の感情の存在にも。いつもは無愛想で、私の受け答えにはほとんどと言って良いほど反応が薄い癖に、今日初めて会ったはずの美樹子に対しては、妙に親しそうに話すあいつの行動に、まるで面白く思っていない自分がいるのだ。
 だけど……と思う。どちらかと言えば奥手、いや絶対に奥手である竹之内には、あれくらい興味を持ってくれて、しっかりとした気遣いもできて、さらには明るくリードしてくれそうな美樹子の方がお似合いなのかも、と。
 彼女への、これまで私には見せてこなかった対応に、まるで遠慮というものを感じなかった。普通、初対面の女の子から奢ってもらうとかあり得る? いや、無理だろう。少なくとも私が男の子の立場なら絶対にできない。もちろん、それはここの性格や基準、常識にもよるだろうけれど、大抵の男の子はそうだろう。
 もちろん、女の子からして見てもそれは同じだ。いきなり無遠慮におごってもらっただけでなく、足りないからと言って食べかけのものまでねだろうなど、流石に行き過ぎではないか。普通の女の子ならかなりドン引きしてしまうのに、そんなのまるで気にしてる様子はなかった。一応、言葉では断りを入れていたようだけど、言葉と行動が噛み合っていなかった感は否めない。
 そんな竹之内の行動に、美樹子は美樹子で普段以上に楽しそうな様子だった。それが私の中に、何か言い得ぬ鬱屈したものが顔を覗かせたのも、悔しく感じられて仕方なかった。なぜそんな風に思うのか、その理由までは分からなかったけれど……。
「まぁ、それは良いよ、それは」
 問題はその後だ。ファーストフードのお店を出た時、そこをまたナンパに遭ってしまった。それも数にものを言わせた最低なナンパ男たちで、身の危険を感じるくらいの最悪な連中だ。おまけに美樹子は私と違ってあの手の連中に対して耐性がなく、完全に怯えきっていた。
 私も私で、普段なら由美や瑞奈たちと一緒にいるところであの手の連中と出くわすことが多いので、嫌な時はもっと強気に出るのだけど、今日ばかりは分が悪く、正直、美樹子がいなければ、完全に手足が震えていたかもしれない。
 そこを、あいつはまた助けてくれた。おまけに、今回は私だけでなく美樹子も一緒だ。お手洗いに行ったので一足遅れてやってきた竹之内は、すぐに私たちとナンパ男たちとの間に割って入り、強引に男たちの壁から連れ出した。
 当然男たちは怒り出し、人気のないところにあいつを連れて行ってしまった。竹之内は身を呈して私と美樹子を守り、連中から逃してくれたのだけれど、当然私達はすぐに近くの交番を探して喧嘩になるかもしれないので止めてほしいとお願いしに行った。
 しかし、運良く在中していたお巡りさんを連れて辺りに戻ってきた時には、既に全てが終わってしまっていた後だった。すぐ裏手のビル同士によってできた空間の地面に、例のナンパ男たちがものの見事に倒されてしまっていたのだ。そこに竹之内の姿はなく、彼がどうなったのか私たちには分からず自舞のままお巡りさんに説明を求められ、ようやく解放されたのが一時間半ほど前のことだった。
 その帰り、あの後ずっと神妙に黙ったままだった美樹子が、ふと口にした言葉が脳裏をよぎる。
『……竹之内くんって、格好良いね。あんな人、私初めてだよ』
 それってどういう意味? 突然、何気なしにそう言ったあの子に対し、私はそう言おうとして言葉を呑み込んだ。誰を見るというわけでもなく、ぼんやりとしたあの子の真意に何となく気付いてしまって、何も言えなくなってしまったのだ。
 私は取り繕って、「そうだよね、あいつちょっと変わってるから」とか、「学校じゃほんとに目立たなくて、オタクグループの友達といつも一緒にいるよ」なんて、つい貶めるようなことを言ってしまったのがいけなかった。
 あの子は黙って頷いていたけれど、乗り換え駅に着いて電車から降りる去り際に、私を一瞥して言った言葉が突き刺さっていた。
『そうかもねー。だけどさ、私、竹之内君にすごく興味湧いちゃった。また会いたいかなって』
 多分、貶めるようなことを言った私に対して窘めの意味もあったろう。けれど私には、それ以上に大きな衝撃を与えるには十分過ぎるほどの意味を持つ言葉だった。
 ばいばいユーリ、またね。そんな言葉と共に笑顔で手を振っていた美樹子に対して、私はほとんど反応できずにいたに違いない。というより、この辺りの記憶が妙に曖昧だった。
 軽く目の前が真っ白になってしまったかもしれない。それくらいに、あの色恋沙汰に興味もなく話も聞かなかった彼女からの突然の告白に、私は何だか心が晴れずにいる。
「もー! 何なんだよ! 竹之内のくせにー!」
 つい大声を上げてしまった。それを怪訝に思った姉が、部屋のドアをノックする。
「悠里? 気でも触れたか?」
「ち、違うもん!」
 あの姉はなんでこうも空気が読めないのだろう。姉のああ言うところが私は嫌いだ。早くどっか行ってよと投げた言葉を上手く躱して姉は続けた。
「まあそれは良いけどさ、あんた、竹之内くんに連絡しときなさいよ」
 そう言って部屋の前から去って行く姉の気配を感じ取り、悠里はうつ伏せになって枕に顔を埋めた。
「もうしなくたって良いんだって……」
 連絡をもらった直後に会ったなんて言えない私は、枕にくぐもった声で呟いた。けれど、私達を逃してくれた後どうなったのか、それがすごく気になって仕方ない。何があったの? あんなことしたのは竹之内なの? 怪我してない? ……それを確認するだけでも十分に連絡する価値はあるんではないか。
 そう思って手にしていたスマホに、あいつの自宅の番号を表示させる。そうだ。あの後どうなったのか、それを確かめるだけでも十分連絡を取る理由はある。そう思って通話ボタンをタップしようとしたものの、何故か躊躇ってしまう。何度か通話しようと思っては止め、いたずらに時間だけが過ぎて行き、気付けば二三時になろうとしていた。
 そうして最後の最後で、悠里は意を決してその通話ボタンをタップする。なぜかベッドの上で正座し、スマホを耳に当てる。心臓が刻む鼓動がやけに早く、うるさく聞こえて仕方なかった。



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