少年と武士と、気になるあの子。
君と武士と、夏の終わり(一)
その日、夏休みも終盤に差し掛かり、新学期の始まりまで幾ばくもない八月最後の週末の暑い夜のことだった。僕はいつも通り夜の稽古を終えて、汗だくになった体をシャワーで流した後、部屋で勉強に取り組んでいると不意に声をかけられた。
『ヨシタカ』
「どうしたんです」
『前々からずっと思っておったのだが、なぜわしはお前の中におるのかとな』
そう問われて、僕は思わずノートに滑らせていたシャーペンを止めた。当然、その問いは僕自身何度も考えたことがあるテーマで、その都度考えを放棄してきたテーマでもあった。
「突然ですね。まあ、いつものことといえばいつものことですけど」
『以前から思っておった。同じ日の本の生まれという以外に、歳も体格も、果ては生きる時代すら違う我らが、なぜこうして一つの体におるのかとな』
「もちろん僕だって同じこと考えたことはありますよ。自分の中に一体どこの誰かも分からない人がいるなんて、どう考えても変ですよ。不思議と、もう慣れてしまってはいますけど」
僕がそういうと、ふむ、と肯定とも否定とも言えない、曖昧な返事の後、少し考えたように語りだした。
『ちょっと前だったか。”てれび”とかいう、あの箱で言っておったことを思い出してな』
「テレビ?」
何のことかと記憶を遡っていると、先生がえらく気にしていたものがあったのを思い出した。確か、人の記憶についてのドキュメンタリー番組で、記憶に関する様々な事柄を紹介していくという番組だった。あの時、えらく気になったらしく、僕と交代したほどだった。
『あの中で言っておった……なんだったか』
「なんです?」
『呼び名を忘れたがの、人の記憶を年齢の違う自分に送るとかいう奴だわ』
善貴はそう言われて、ふとそれがなんだったかと思い起こす。確か、祐二がゲームでそうしたテーマの作品があって、それが……。
「……タイムリープ、だったっけ」
『おお、そう、それだ。その”タイムリープ”とやらが今の我らに近い状態ではないか?』
「うーん、まぁ似てるといえば似てる状態ですが」
タイムリープ、その名の通り時間跳躍というのはタイムトラベルの一種で、自分の意識や精神だけが時間を超えて過去や未来の自分の中に潜り、その時の記憶を共有するという概念である。
先生の言いたいことは分からないまでもないが、これでは矛盾が生じる。そもそも媒体も、生きる時間即ち年齢に違いはあれど、同じ人間の中で意識共有がされるものだ。しかも、タイムリープの概念は、例えば八〇年生きる人物がいたとして、その人物の生まれてから死ぬまでの時間しか意識を跳躍できないという制限がある。
つまり、ある人物の中に全く違う時間を過ごした人物の意識が共有されているということなので、そもそも僕自身に意識や経験が共有されていなければ説明がつかない。僕と先生の意識は全くかけ離れたもので、自分の持つ感覚が示す通り、一つの体の中に違う人間の意識が二つ収まっているといった状態だ。
だから僕は先生の記憶や経験、つまり武芸、兵法と呼ばれる類のものは共有できていない。それは向こうにも言えることで、僕がこれまで身につけてきた勉強の知識や経験が共有されていないことも、十分にタイムリープへの証左になる。
『では何故我らは、このようなことになったのか理由を説明できるか』
「いや、さすがにそれは……」
そこまで言われると口ごもる。というか、僕だって分からない。ある日突然自分の中に、全く違う人間の意識があったなんて、正直言って恐怖でしかない。慣れはしたけれど、どう考えたってこの現状はおかしなことなのだ。
「僕にも説明なんてできませんが……そうですね、ちょっと調べてみますか。気にはなってますし」
『うむ。こうしていることに慣れはしても、やはり窮屈に思うこともないわけではない。そう考えるとやはり、はっきりさせておくべきことかもしれんと思ってな』
全くその通りだった。自分で言うのもなんだが、どうにも現状この体は本来僕の物であるはずなのに、なぜか後から入ってきた先生でいるときの方がスムーズにことが行えているような気さえする。
僕にはできないのに、多少強引にやれば向こうと意識を交代させられてしまうし、そうでなくとも左手を勝手に動かしたりもできるのはちょっと反則だと思う。
幸い、まだ数日間は夏休みだ。早速明日から行動しようということになり、僕は早めに勉強を切り上げることにした。これまで二人とも、何となくこの話題を避けてきたけれど、いい加減そうもいかない。時間のあるうちにやれることをやっておいた方が良いだろう。
そう決めると、僕は切りの良いところで勉強を終えノートを閉じた。最近は熱帯夜であることが恒常化して、今夜も例に漏れず寝苦しい夜だったが、二人の決意を祝福するかのように、少しだけ湿った空気が風に乗って部屋を吹き抜けていった。
翌朝、日も昇りきらない午前五時半、目覚ましが鳴るよりも早く起きた善貴は、いつも通りに最近の日課となった稽古と鍛錬を二時間に渡って行い、それを終えた。相変わらず頭の中で叱咤する声と共に。
早めの朝食に、受験生らしく朝食後は勉強を一時間程度やった後、そこで改めて二人がなぜこうなったのか、原因を突き止めるべく会議となった。もっともそれは、端から見れば一人で会話している危ない人でしかないのだが。
「まず、お互いこうなってしまった時、最初はどうだったか覚えてることはありませんか? 僕は気付いたときにはすでに先生が動いてたのが最初でした」
『わしは気付いたときには、病院というところで寝かされておった。あの白ばかりの部屋だ』
多分、病室のことだろうと考えた善貴は、お互いの最初を確認しあったとことで次の質問をぶつけた。
「なら次は、気付いた最初の直前、こうなってしまう最後の記憶はどうです? 僕は……入院する直前、確か崩落の事故現場に居合わせて……」
善貴は口ごもる。そうは言ったものの、あの時の記憶はすごく曖昧なのだ。軽い怪我をした悠里をかばう様に突き飛ばして、崩落に巻き込まれたはずだった。しかし、その時の記憶がいまいち明瞭でなく、細かいところまで思い出せないのだ。
『わしは確か戦場だった。敵の奇襲に遭って、命からがら逃げ落ちたところだった』
「それからはどうしたんですか?」
『うむ、それが良く覚えとらん。刃傷で血を流しすぎたのか、意識が朦朧としておったのまでは覚えがあるんだが、そこから先は全くだ。そこから死んだのかどうかも良く分からんのだ。気付けばこの有り様よ』
「うーん……これといった収穫はなし、か」
『だが、お互い全く記憶が曖昧という点は同じだな。そこに何か意味があるんではないか』
「かも……しれませんけどね。だけど、これだけじゃあ何ともいえませんよ」
『ふうむ』
沈黙が降りる。お互い、何の情報も得られそうにない。先生が言うように、記憶が曖昧という点では共通しているけれど、僕は崩落、先生は戦場での負傷と、ここに共通点は見られない。
何かもっと、別の共通点はないものかと考えを巡らせていると、ふと昨晩話したタイムリープのことを思い出した。自分の意識が別の時代の自分に意識が時間を越えて乗り移り、その時代の自分が別の記憶を共有するというタイムリープ。僕達の場合はこのタイムリープとは違うけれど、全く違う人格意識が別の人間の中に入ってくるなんて、何か共通点がなければできないのではないか、善貴はふと思い立ったのだ。
「戦場って言いましたよね? それっていつ頃なんでしょうか」
『正確な時刻など覚えとらんぞ』
「大体で構いませんよ。もしかしたら何かヒントがあるかも」
『ううむ……おお、そうだ。森の開けた場所で、雲ひとつない晴れ渡った星空だったのは覚えているな』
「星空?」
つまり、夜ということか。夜、森の開けた場所……時代を考えれば、多分満点の星空だったに違いない。今でも外灯のない田舎の山奥などに行けば、天候の条件さえ揃えば満天の星空を見ることができる。
かつて祖母が住んでいたという、長野の山奥の村では夜になれば当たり前のように星空を見ることができたと言っていた。つまり、明るすぎる人工的な明かりがほとんどなければ、現代でも条件は同じになる。
「時期などは覚えてますか?」
『夏は過ぎておったな。米の収穫時期と同じ頃合だ。長月の頃ではないか?』
長月といえば九月か……。時期的な共通点があるかも、と思ったが残念ながらそれらしいものはなかった。
『そういううぬこそどうなのだ?』
「え?」
『わしのこともそうだが、わしはこうしてお前の中におるのだぞ? そもそも時代が違う人間の中にいるというこの奇怪な状態を思えば、お前の方にも何らかの問題があったのではないか? 記憶が曖昧なままではそれこそ、原因など突き止められんぞ』
確かにその通りだ。もちろん、僕の方にも何かしらの問題があったからこそのこの状態だ。しかし……。
「あまりその時の状況、覚えてないんですよね……」
『なら、その時のことを覚えておる者はおらんのか』
「その時のことって言っても……」
人のことをあれやこれやと考える割に、案外僕は自分のことは疎いらしい。反問されて返答に困ってしまった。思い出そうとして、僕は肝心なことを失念していることに気がついた。いるではないか。その時の状況を良く知っているかもしれなさそうな人物が。
「あ……」
『誰かおりそうか』
「いる、といえば……」
『なんだ。歯切れが悪いの』
そうは言われても、これまた返答に困る。接点らしい接点のない彼女のことを思い出して、善貴は言葉に詰まった。あの時一緒にいた彼女なら――瀬名川なら何か知っていることがあるかもしれない。けれど連絡を取ろうにも、僕は彼女の連絡先を知らない。これでは話を聞こうにも聞けないのだ。
そのことを告げると、なんとかならんのか、との返し。なんとかできるのならなんとかしている。けれど、今回は事情を聞こうにも相手が悪い。これがもし祐二や内海だったら良いのだけど、いかんせん相手はあの瀬名川だ。仮に連絡先を知っているとしても、突然連絡しようものなら何と思われるか知れたものではない。
「なんとかって言われても、現状どうしようもないですよ」
『学校に行けば会えるのではないか?』
「いや、学校には行ってないですよ、多分」
今は長期間休み中で、おまけに僕も彼女も特進化のように夏休みでも勉強してるような本気の人たちとは訳が違う。一応、予備校とかに行ったりしている可能性もあるだろうけれど、さすがに学校にまで行ってはいないだろう。
『ならば一先ずあの長井や内海に連絡を取ってみるというのはどうだ?』
「うーん……一応、入れるだけ連絡入れてみますが多分、結果は同じと思います」
そういった手前、僕は二人に事故当時のことを聞いてみることにした。二人とも一応は電話に出てくれたけれど、残念ながら教師達からの説教やら何やらで、僕のことはほとんど分からないらしい。
『良し。ならば教師らに聞けば何か分かるやも知れんな』
「ところがね先生……」
担任教師の電話番号を僕は知らない。それを告げると、お前は一体どうしたいのだ、と説教されてしまった。となると……。
「学校、行くしかないかなぁ……」
いくら生徒達が休みだからといって、教師陣は必ずしもそうとは限らない。もちろん、休みも比較的取れやすい時期ではあるから全員が全員いるわけではないだろうけれど、それでも忙しい教師は出勤しているはずだ。もし担任がいないとしても、教師名簿から連絡先くらいは聞けるだろう。
なんとかしろとせっつかれている以上、流石になんとかしないと五月蝿そうだ。僕は盛大にため息をついて、座っていたベッドから立ち上がり、制服に手をかけた。
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