少年と武士と、気になるあの子。

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交わらない交差点(四)


 かつかつと小気味良い足音を立てながら、地下鉄の階段を上がって地上へ出ると、ふと、たまたま振り向いた先にここしばらく見ていない男の子の姿を見つけた。彼はいつもいる仲の良い二人の友人と共に、道を挟んだ反対側の階段を降りていくところだった。
 私は一瞬目を疑った。夏休みに入って早二週間近くが経ち、しばらくの間彼の姿を見ていなかっただけに、思わぬ偶然に驚いてしまった。大声で呼べば聞こえない距離じゃない。けれど、さすがにそれは恥ずかしかったのでできなかった。何より、彼の友人たちもいるところを突然声かけようなんて、彼らに怪訝に思われるかもしれない。
 向こうはこちらに気付くことなく階段を降りていき、あっという間に姿が見えなくなった。今すぐにでもこの階段を降りて行けば、すぐにでも追いつけるだろうけれど、これから姉との約束がある。今晩は親の仕事終わりに、久しぶりに親子で外食する予定があるので、それをほっぽり出して彼らの後を追いかけるわけにもいかなかった。
「あーもうタイミング悪すぎ」
 本音をいえば、それこそ半ば姉が強引に取り付けた約束なので、優先事項としてはこちらの方が高いのだけれど、そんなことをしようものなら口うるさい姉のことだから、また後で何を言われるか知れたものじゃない。姉の口癖は、言いたいことがあるなら自分で稼げるようになってから言え、だ。
 私は地団駄を踏み、姉との約束を恨めしく思いながら姉との待ち合わせ場所へと向かう。後ろ髪引かれる思いで、消えていった彼の残像を追って階段の方を見つめた。もしかして何か忘れ物でもしたりして、ひょこっと顔を出したりしないだろうか。それこそ、その時はこっちに気付いてほしいと思ってしまう。
 ちょっと抜けてそうなあいつのことだからあり得るかも……そう思っても、現実はそんなに都合良くできているはずもない。少しの間見つめていたあたしは、いくら待とうと顔を見せるはずもない彼に、ため息をついて今度こそ姉との待ち合わせ場所に向かって歩き出した。
 まぁ、もし姉との約束がなければ、今日あいつの姿を見つけることもできなかったことなので、人のせいにできるようなものでもない。あたしは自分にそう言い聞かせて気分を切り替える。
 真夏の炎天下、わずかな時間とはいえ、じりじりと肌を刺すように焼く陽射しに溶けてしまいそうだ。足早に冷房の効いた建物に避難したいところだけど、そうして早歩きにすると汗がどっと吹き出てきてしまいそうで、結局ゆっくりとした足取りになって、ようやく駅ビルの中へと避難できた。
 高架になった駅ビルの地上部分は東西に吹き抜けになっており、夏の湿った熱い空気も同時に漂いこそすれ、日陰になったこととビルの中から漂ってくる冷気が、幾分かここにいつ人たちを和ませてくれる。
「あ、きたきた。悠里、こっち」
「遅れてごめん。電車、一本間に合わなかった」
「気にしなくて良いよ」
 そんな何気ない会話もそこそこに、姉が買っておいてくれた切符を手渡され、改札をホームへと降りていく。間もなく入ってきた電車に乗り込み、まだ比較的空いている車内の座席に二人で腰かけるとすぐに動き出した。
「そういえば」
「うん」
「さっき、ヨシタカくんと会ったよ」
「はぁ!?」
 姉の口から思いがけない人物の名前が出て、思わず声を荒げてしまう。
「悠里、声」
 車内に響いた声に、姉は驚きつつも窘めた。そりゃあたしだってちょっと大きかったとは思うけど……とにかく今はそんなことどうでも良い。
「ヨシタカって……ちょ、どういうことよお姉ちゃん」
「だからぁ、例の竹之内ヨシタカくん、さっきそこで会ったんだって」
「そこってどこ」
 抑えたつもりだけど、それでもまだ幾分か声が大きい気がする。けれど、姉がまさかあいつと会うなんて……。
「それ、先に教えてよ」
「何、ヨシタカくんに興味あんの?」
「え? ……いや、そんなわけないし!」
「あんた、動揺しすぎじゃない?」
 駄目だ、姉といるとなんだか調子が狂う。姉のことは嫌いじゃないけれど、こういう風にずけずけとしたところは正直、ちょっと好きになれない。
「大体、なんでお姉ちゃんがあいつのこと知ってんの?」
「高木君に聞いた」
「直哉から?」
「うん」
 高木直哉とは、小学校以来の同級生で、謂幼馴染という間柄のやつだ。ただ、自分とは通う学部が違うので、あまり接点がないのだけど、どういうわけか最近は姉と繋がりができたらしい。まあ、その理由も大方予想はできるのだけど。
「高木君があんたとヨシタカくんと会ってるの見たんだって。いつだったかな? 二人で電車に乗ってるの見たって言ってたよ」
 二人で電車に乗った時っていつのことだ。あいつと一緒に電車に乗ったのだってそもそも二回しかない。つまり、そのうちどちらかで直哉に見られていたということになる。あいつのことだから、それを人に言いふらしたりはしないだろうけれど、なんだか変なところ見られてしまった……。
「別に、あいつとは何の関係もないよ」
「そうなの? あんた、男なんて全く興味なさそうだったけど、ようやく春が来たのかと思ってたわ」
 けたけたと笑う姉を尻目に、窓の外に広がる黒一色の世界へとため息混じりに見つめる。姉の言い分を認めるわけではないけれど、これまで男子と二人きりで電車に乗ったことなんて、あれが初めての経験だった。それを傍目から見ている人たちには、そう勘ぐられても仕方ないのかもしれない。
 そもそも私からすれば、何故あいつなのかということから自問自答しなくちゃいけない。それを考えるには自分でも良く分からないというのが正直なところだった。あえて言えば、多分……。
「借り、あるもんなぁ……」
 暗い黒一色の窓の外を見つめたまま、隣に座る姉にも聞こえないくらいの小声で呟いた。初夏の頃、あの合宿所で起こった事故であいつに助けられて以来、自分の中に、あいつに対してのわだかまりがあるのは自覚している。
 自分のせいであんな場所に落ちてしまったのに、わざわざそのためだけに助けに来てくれたことは感謝しているつもりだ。あの時は自分も落ちてきてる癖に、と思ったが結局その後の斜面の崩落時には、彼がいてくれなければ本当にどうなっていたか分からない。
 おまけに彼は彼で、あの後しばらくの間、意識不明の重体となってしまったのだ。それは明らかに、自分のせい以外の何者でもないことくらい重々承知している。さらに彼は、あの事故後まだ本調子ではないようで、その時の記憶が曖昧になってしまっただけでなく、少しばかり性格も変わってしまったのである。
 それ以前の彼は、本当に目立たない存在だったと思うのだけど、ここのところ、急に目立つようになった気がするのだ。少なくとも男子たち、それも運動部の子たちからは際立った運動神経を評価されて、助っ人に来てもらえないかと頼まれるくらいには。
 この前だってそう。体育の授業中、たまたま空いた時間を由美や瑞奈たち、他数人の女子たちとサッカーしている男子たちを眺めていたときのことだ。彼はサッカー部のレギュラーと同等に渡り合っていただけでなく、それ以上に目立っているくらいだった。
 その時も由美たちが随分目立つね、なんて言っていたのを思い出す。それだけではない。特に仲良くしているわけではないが、女子ながら男気のある高倉さんも随分と熱心に彼のことを応援している様子だった。
 つまり、姉の言葉を借りると、高三というこの時期に突然の高校デビューを果たしてしまった彼に、どことなく皆の注目が集まってしまっているのである。彼自身がどう思っているのか知らないけれど、とにかく今私達の間でちょっとした注目の男子になったのは間違いない。
 それがあの事故の後というのがなんだか妙な繋がりを感じてしまって、私も少しばかりの興味がないわけではない。けれどそれは、明らかに彼への感謝と自責の念から来るものであって、決して他の女子が抱くようなものとは違う。
(あー、なんで最近いつもあいつのことばっかり考えてるんだろ)
 きっと、さっきあんなところであいつを見かけたからだ。それと突然こんな話を振ってきた姉の……。
 本当、ちょっと前までなんとも思っていなかったのに、なんで急にこんな気持ちになるのか自分でも理解できない。あるのは、あいつに助けてもらったから、だからだと強引に結論付けて降車駅に着いた電車を降りた。
 とにかく、今日は折角の外食なんだからあまり気にせず食事を楽しもうと、頭で切り替えたつもりだったけれど、結局食事中もふとした時にあいつのことを考えてしまって、喉を通る食事もほとんど味がしなかった。




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