少年と武士と、気になるあの子。

B&B

出会いと邂逅(五)


「ま、いいか。行こうぜ」
 そういって男児は、履き替えた俺を連れ立ち、”きょうしつ”なる場所へと案内した。途中、大変だったねとか、あれからどうしたのとか、ヨシキを心配するように矢継ぎ早に口を聞く男児に、俺は適当に濁して流した。
 一応、医者の川原から概要は聞いているが、だとしても自分にそんな記憶がないのだから、それ以上のことを言えるはずもない。第一、大変だったといえば今こうしていること自体が大変なのだから、今どうこうの問題ではない。
「ところでお主の名は」
「え……そこまで忘れてんの? まあ、記憶が混乱してるって話だったし仕方ないけど、意外とキクね、それ」
 何がキクのからは分からんが男児は特に気にした様子もなく、祐二とだけ答えた。
「そう、よしき氏とは千年前からずっとこうなる運命だったのです」
 祐二と名乗った男児は、わけの分からないことを口走りながら、片手を胸に、何やら真剣な様子で語り始めた。千年前はヨシキと祐二は、報われぬ恋に身を焦がした故に命を落とした、恋人同士だったのだとか。
「ふむ。つまり身分違いの恋か。それは確かに報われそうにないな。身分違いの恋などしたところで、あるのは苦しみといらぬ諍いしかない」
「え? あ、いや冗談……。つか、よしき氏が珍しくボケにボケツッコミ返すなんて思わんかった」
 真剣に返したのがよほどおかしかったのか、祐二は困惑げにギョッとした表情で返した。その様子を見ると、普段ヨシキがどんな日常を送っているのか、いまいち予想できずにこちらも困ってしまう。
「ま、まあいいか。記憶の混乱が……」
 そういったきり祐二は黙り込んだ。よほど、いつもとは勝手が違いすぎているのだろう。それはお互い様なのだが、こちらも同じで、普段のヨシキの様子が分からないではうまく対応しかねる。
 結局無言のまま、俺と祐二は教室へと向かった。案外すぐ近くで、四階建ての建屋の一階部分にあたる東の角にある室間が件の教室であるようだ。
「おはよーっす。よしき氏が来たぜー」
 祐二に遅れて教室へと入った。全員が黒いごわごわの制服に身を包む男児たちが、各々好き勝手に教室のいたるところで、机と座り台に腰かけていた。どうやら、ここでも机と座り台は対になっているようで、それぞれが個人に与えられたものなのだろう。…
 祐二はヨシキの席まで丁寧に案内してくれた。この数日の間にこの座り台に腰かけることを学んだが、要は木の板に、鋼らしい冷たく硬い材質とで組み合わせて作られたものだ。家の座り台は全く違い、木で骨組みができていたので…その学び舎と家とでは、同じ座り台にしても全く赴きが違っているらしい。
「よしきん、きたんやね」
 席につくと、すぐにやや大柄な男がヨシキのところへやってきて、満面の笑みを浮かべた。祐二がうつみっちと呼んだので、この男はうつみっちという名で呼ばれているのだろう。よしきんというのは当然、今は自分のことを差しているのは理解した。
「うむ。医者によれば体の方は大事ない」
「そっかー……って、んん?」
 うつみっちも祐二と同じく、何やら様子が違うことに困惑した様子だ。しかし、同様に記憶に混乱があるという説明を祐二がしたことで、この男児もそれを大いに納得した。どれほど記憶の混乱ということで納得できるのだと思ったが、それならそれで、こちらもやりやすいので便乗しておくほうが賢明だ。
 一通りの挨拶を交わしたところで、俺は改めて教室内をそれとなく眺めた。俺の知る限り、学び舎といえば、寺で坊主が数人の弟子である小僧たち相手にするものだと思っていたが、この時代の日の本は違うらしい。この机と椅子と呼ばれる座り台の組数から判断するに、少なくとも三〇名からなる人数がいるようだ。
 目の前の席に座った祐二は、傍にやってきたうつみっちと、何か謎めいた言葉の応酬でやり取りを繰り返していた。それを聞いたところで、内容が分かるわけでもなく聞き流していると、ふと視線を感じてそちらの方を振り返った。
 教室に入った時からずっと注目されていることは気付いていたが、他は好奇の目に晒されているというくらいのものだったのに、この視線は少しばかし違って感じられたのだ。
 その視線の主と、俺の視線とがぶつかり合う。その主は思わず目を逸らし、それまで喋っていた友人達との会話に戻っていった。しかし、その気配は明らかにこちらに向けられたままで、バツが悪くて目だけを逸らしたのがバレバレであった。
「あの女子おなご――」
 見覚えがある――そう言おうとして、祐二とうつみっちに遮られる。
「「いや、おなごって」」
 けたけたと大声で笑いだした二人に、俺はそんなにおかしなことを言っただろうかと本気で考えて聞き返そうとしたところを、頭の高い場所から聞いたこともない音が響き渡る。
「あ、”チャイム”だ」
 チャイムとはこの音のことだろうか。規則的に、かつ抑揚のある不思議な音色で鳴るチャイムに耳を澄ましていると、他の学徒たちはすぐに各々の席へと戻っていった。どうやら、この音が何らかの合図であるらしいと理解するのに、数瞬たりともかからなかった。
 多くの学徒が、チャイムによって意識を一斉に目の前の黒い板へと向ける。だというのに相変わらず、一つの意識だけがこちらに向けられていることが、ずっと気がかりだった。もちろん、その主があの女子であることにも――。

 その後、俺はやってきた教師たちにも、戻ってきたなと何度も言われ続けるうち、それらの言葉にもだんだんと辟易し始めていた。ようやく何回目かも分からないチャイムの音で、学徒らが持ってきている鞄を手に、一斉に教室を出ていった。
 先ほどやってきた担任の話から、今日一日が終わりであることを告げたので、それぞれが家路に着くのであろうことは容易に考えつく。
 それにしても大変な一日だった。勉強というが、その内容は予想通り、全く理解できるものではなかった。俺の知る限りの学というのは、一人の坊主がその延々と講釈を垂れたり、あるいは必要な知識と文字を教えるという類のものだが、ここでいうところの勉学は、まるでそれらとは様相が違うのだ。
 その仕組み自体も全く違い、戸惑った。チャイムを合図に、教科ごとに教師が入れ替わり立ち代りやってくるという仕組みで、どうやら教師一人ひとりが専門の教えを、チャイムで区切られた時間の枠の中で教えるという仕組みであるらしい。
 何とも忙しいやり方ではあるが、専門的にやるというのは割合悪い仕組みとも思えず、その点、俺には新鮮だった。その内容を理解したわけではないが……。
 それでもいくつかの教科については悪くないものもあった。地理というものは、大いに俺の知識欲を満たすのに有り余るほどの刺激的な内容だった。あまりに刺激的過ぎて思わずそんなのが在りうるのかと、声を張り上げてしまったほどだ。
 逆に、数学とかいうやつは、一体何を言っているのかさっぱりだった。そもそも数字自体からして、俺にはそれが何を意味しているのか理解できなかったのだ。”えっくす”だとか”わい”だとか、妙な記号と線ばかりで、結局それで何を言いたいのかがまるで理解できず、つまらなくなった俺はその場で眠りこけた。
 その態度があまりに目立ったのか、数学の教師からは何度も名指しされたが、どうにも「竹之内」と呼ばれてもすぐに反応できずに、結局それとはまた別に注意されることがしばしばだった。
 しまいにはその教師に向かって、それで結局この数学をやることで何が言いたいのだ、と反問したところ、教室内の空気が一瞬にして凍りついたのを、俺は忘れることはないだろう。
 そして”たいいく”とかいう教科も、良く意味が分からなかった。結局は遊んでいるだけにしか思えず、ぼうっと学徒たちがやっているのを見ていたが、今度はそれを体育教師に注意され、やれる範囲でいいから参加しろと言われて参加した。
 ところが、そこでまた俺は何かをやらかしたらしい。”ぼうる”と呼ばれる白と黒の球を蹴って転がす遊びらしいが、とりあえず”ごうる”という、網の張られた一角目がけて球を蹴れば良いということで、目の前にやってきた球を思い切り蹴り飛ばすと、それが何の冗談なのか教師の頭に当たって、思い切り倒れこんでしまったのだ。
 よほど当たり所が悪かったのか、あるいはそもそも思い切り蹴ったこと自体がまずかったのか、学徒らも唖然としてこちらと教師の方を見ていたのはどんな意味があるのだろう。思い切り蹴ったのは、たまたまだ蹴れば良いというので蹴っただけだったのだが……。
 ただ、後から数人の学徒らから”さっかあぶ”とかいうのに、今からでも良いから参加しないか、とは誘われた。よく分からんと誘いを断ったが、よほど連中の目を見張るような蹴りだったらしい。
 結局、それを惜しむ声もあったのが今日、唯一の安寧の一時であることだったのだと自分を言い聞かせた。次からは、またあの教師めがけて”ぼうる”をぶつければ良いわけだから、簡単だった。
 そうしてようやく今日一日が終わり、家路につけるということもあってか、俺もにわかに緊張が体から抜けたのを如実に感じ取っていた。それでも、俺はどうしても確かめておかねばならないことがあった。
「よしき氏、帰ろうぜ」
 祐二の誘いを無言のまま手で遮り、その人物の傍へ寄っていく。彼女の周囲の学徒らも、俺がその人物たちのいる輪の中に向かっていくのを、少しばかりの好奇の目を向けている。
「お主、先ほどから何か用があるのか」
 いい加減、この気配に嫌気が差していた俺は、思い切ってその気配の元である、あの女子に言った。女児用の制服を着ているが、その女子は間違いなく昨日、男に絡まれていたあの女子だろうということは、一目見た時から気付いていた。
 だからこそ向こうもずっと、こちらに視線を向けてきていたことくらいは分かっていた。だとしても、いい加減どうにかしてほしいものだと、こちらも痺れを切らしたのである。
「え? なに、突然……」
 女子たちが困惑しているのも無視して、俺は続けようとしたその瞬間――。
『ごめん。なんでもない』
 そんな情けない言葉と共に、俺の意識がどこかに飛ばされた。




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