少年と武士と、気になるあの子。

B&B

目覚めた少年(四)


 それからの数日間は、特に何かあるわけでもなく穏やかに時が過ぎていった。病院から出たその日、夕刻になってヨシキの父親がいずこから帰ってくると、その父を交え、ヨシキの今後をどうすべきか三人で話をすることが多かった。
 記憶障害についてはどうなのか。今後は定期的な病院通いが必要だとか、その費用はいくらになるだとか。それに”じゅけん”なるものについてはどうするのか……。二人は特にこの一点について、特に重点的に話していたようだった。
 こちらからも何か言えることがあれば助言もできようが、いかんせん二人にとって、嫡子たる善貴のことを指して言っているわけだから、おいそれと口を挟むわけにはいかなかった。その”じゅけん”というのが何であることから始めなくてはならない自分が、助言できようはずもない。
 むしろ下手に割って入れば二人にまた何か厭われかねない。病院を出たその日の夜、父親を交えた夕食の時に味わったあの空気はごめんだった。かといって適当に話を合わせようにも、その意味がうまく理解できないところで結果は同じだろう。
 なので、二人が真剣に話を始めたところで無言で我関せずを貫いた。時折、こちらに話を振られたが、適当にごまかした。そうすると決まって二人は自分のことだぞと、批難めいた目で見てきたが俺は徹底的にそれを無視する始末だった。そうするしかなかったのだ。
 そうしてやっと、この家にやってきて五日目の夜がやってきた。夜は良い。何をやるというわけでもないが、不思議と気分が落ち着くのだ。寝床の窓の傍でどっしりと胡坐をかいでいた俺は、じっと夜空を見上げてそんなことを思っていた。
 半分に欠けた月が青白い光を放っている。右半分が欠けた月は、ちょうど真っ二つに分かれており、まるでそこから綺麗に断ち斬られたかのようにも見える。
(何事もなく過ごしてはいるがどうすべきか)
 ふと何気なく思い浮かんだ。それなりに馴染んだつもりではいるが、この体をヨシキと呼ぶ両親には悪いが、ここのルールなどほとんど分からない。何かやろうとするも、何をしでかすか分からない俺にいちいち注視するあの目も気に入らず、こうして過ごしてしまっているのだ。
 そもそも、大前提として俺自身なぜこんな目に遭ってしまっているのか、皆目見当がつかない。ここが日の本であり、俺の過ごした時代とは違うらしいということは理解できたが、なぜこんなことが起きたのか、元の体に戻れるのかという漠然とした不安。それが重くのしかかる。
 欠けた月を眺めながら、今の俺はあの月と同じだ、と口をついていた。意識はある。しかし、あの暗い森に追いやられ、深手を負った体はどうなったのだろう。意識だけはどうも俺の知らない誰かの中にあるらしいこの状況は、断ち斬られた今の月のようだった。
「考えても仕方ない」
 今すぐにでも解決できる問題ではないことだけは理解できている。少なくとも神隠しにあったわけでもないので、今はこの体を使わせてもらうことにしよう。幸い、この体は”今”を生きる体のようだから、それを利用しない手はない。もし神隠しにあってこんな時代に来ていたら、それこそもっと大変な目に遭っていなかったとも言い切れない。
 そう思い立って、俺は気分転換に体を動かすことにした。いくらこの時代に適した体とはいえ、何もしないというわけにもいかなかった。まだ本調子ではないが、刀傷や矢傷を受けているわけではない。あの夜受けていた深手を思えば、この程度はなんてことはない。それどころか、負傷というには笑い草ものだ。
 立ち上がって寝床を出た俺は階段を降りた。ヨシキの両親が”てれび”なるものをじっと見ている。初めて”てれび”を見た時は中々に驚いたものだが、慣れてしまえばそう大して驚くようなものではない。目まぐるしく変わる絵が何とも滑稽ではあったが、これはこれで悪くない。
「善貴?」
「うむ、母上。木刀はないか」
「木刀?」
 また何か良からぬことを言ったのだろうか。両親はまたも驚いた様子だ。反面、何のことか分からないといった困惑の色合いもあるようだが。
「うむ。こうも動かないでいると体が鈍ってしょうがない。そろそろ体を動かしておこうと思ってな」
「何言ってるの、木刀なんてあるわけないじゃないの」
 む。またやってしまったらしい。ヨシキは木刀すら握ったことがないようだ。女みたいに細い腕とやわな手を見てなんとなくそんな気がしていたが、どうでも良いところで勘はあたるものらしい。
「むぅ……木刀がないとは困った」
「木刀で何するの? あんた、今まで木刀とか興味なかったでしょう」
「うむ。素振りでもしようと思ってな。あれを持っている時は何も考えずにすむのだ。ないのなら、何か代わりになるようなものがあれば良いのだが」
「代わりって言ってもねぇ……」
 母親はそういいながら席を立ち、玄関へと向かって何か代わりになりそうなものがないかを探し始めた。俺もそれに続いて、玄関の収納に何があるかを物色してみると、手ごろなものを見つけた。
「これはちょうど良い」
 見つけたものは箒だ。箒ではあるが俺の知る箒と違い、柄は長く、見知らぬ金属でできているようだった。持ってみると思ったよりも軽かったので素振りには向いてないが、まぁなんとかなるだろう。しかも便利なもので、柄と箒は取り外しができるようになっていた。
 柄の頭は紐を通すことができるようになっているようで、ここに錘をぶら下げてやれば簡易の素振り用木刀ができるというわけである。先に錘を垂らすと当然、先重さきおもになり重心のバランスが崩れてしまうが、それを理解しておけばむしろ十分な稽古になる。
 箒を分離させ母親に錘になりそうなものがあるかを聞けば、ペットボトルくらいしかないという返答だった。”ペットボトル”が何なのか分からないが、それを寄こすよう言い持ってきてもらうと、それを紐に括りつけて柄に繋げる。これで簡易の素振り木刀の出来上がりだ。いや、この場合は素振り棒というべきか。
 獲物ができたところで早速靴を履いて建屋の外に出た。初め、違和感だらけだった靴も慣れてしまえばなんてことはない。少々蒸れるのが気がかりだが、まぁ大勢に変化はないと見て良いだろう。
 この家には敷地内に庭があり、素振りくらいには十分にこと足りる広さだった。京の都では狭苦しく連なる長屋仕立ての家屋には坪庭があったりもしたが、この辺りは坪庭よりも遥かに広い庭を持つ家屋が密集している。さすがにかの名家、武内の名を冠しているだけはある。
 薄暗く、家屋から漏れる明るすぎるくらいの灯りが薄っすらと庭を照らしていた。その中心付近まで歩み寄り、出来上がった棒をすっと正眼に構える。棒の先に、水の入ったペットボトルがずしりと重い。
 俺は呼吸を丹田へと送り込むように、体の全神経をも丹田へと流し込む心持で体重に重しをかけた。そのまま呼吸を二度三度繰り返したところで、正眼に構えた棒を上段に構えると一気に引き下ろした。重く風の切る音がわずかに遅れ、次の瞬間には勢いよくペットボトルに入った水の重みが棒にかかり、それが手に、腕に、肩に伝わる。
 ペットボトルを吊るしてあるため棒が重く感じられるが、それでも昔振っていた素振り木刀に比べればだいぶ軽い。しかし先重になり、かつ振った直後にずっしりとかかる重みは、この細腕にはちょうど良い鍛錬になる。
 これはつまり、一から体を作り直さなければならないことを意味している。この体躯は、かつての自分の体躯と異なり、身の丈、幅ともに一回りも二回りも小さい。それを一から作るというのは、正直相当な困難を要するが、かつての修行を知っていれば何とかなるだろう。
 俺はため息とも、丹田呼吸ともつかない呼吸を一息、再び上段から振り冠って振り下ろす。再び風を切る音にわずかに遅れてやってくるペットボトルの重み。
 丹を思い切り膨らませて何度も振った。だんだんに下半身が決まってきたところで、棒を八相に抱えるように立てると、右足を軽く後ろに引いた。陰の構えだ。
 一呼吸して丹に気を送り込んだ。後ろに引いた右足を踏み込むと同時に、棒を袈裟に振り下ろした。直後に両足を瞬時に踏み変えて逆袈裟に棒を振る。
 さらに右足を素早く深く踏み込んで上段から止めの一撃――。三度四度同じ形を繰り返し、体の感触を自らに覚えこませるように繰り返す。立て続けに二本目、三本目の型を繰り出して、それらを何度も繰り返し繰り返し行う。
 体が温まってきたところでより基礎的な鍛錬へと移った。より細部の体の動きを確かめる方法、地面に倒れた瞬間体を反転させる方法、無手で敵を制するために必要な鍛錬も全て一通り行った。
「型と錬法は問題なしか」
 今できうる限りの稽古を一通り終えて、納得するように呟いた。なよなよとした体ではあるが、基礎的な鍛錬を行うには問題ないらしい。それならばと、再び丹田に気を集中させて棒を正眼に、力に頼らず支えるだけの心持で棒を振り冠った。一番最後に、瞬時に全身のありとあらゆる部位から伝わる力を、刀に見立てた棒に集中させた瞬間に繰り出す渾身の一振り――。
 先ほどと違って棒の先からペットボトルの重みが感じられなかった。
 直後、水の入ったペットボトルは庭先の壁にボゴンと鈍い音を立てながら辺りに水をぶちまける。渾身の一振りが繰り出す速さと重みに、紐はもちろん、ペットボトル自体が耐え切れなかったのだ。
「むぅ、この程度も耐え切れんか」
 思いついた時は良い鍛錬になるかと思ったが、この程度ではそもそもが欠陥だったようだ。木刀ではないのだから仕方のない話だが、毎回稽古のたびにこれでは流石に難がある。何か別の方法を考えなければならないだろう。たった一度の振りで壊れてしまうようでは、先が思いやられる。
「善貴」
 家の戸を開けて、中から母親が顔を覗かせて言った。
「そろそろ上がんなさいよ。もう十二時になるわ」
 初めて十二時という言葉を聞いたときは良く分からなかったが、要は子の正刻のことを指しているらしいことが分かってきた。となると、随分と時は経ってしまっているようだ。
 ふむ、と小さく頷いて今日は切り上げることにした。まぁ、初めてなのだからこの程度で十分だろう。体のあちこちが、普段使っていない筋を使ったことを示して、疼くように熱を帯びているのを感じた。おそらく、明日は筋肉痛に苛まれることは間違いないだろう。
「時に母上。折角用意してもらったあのペットボトルなのだが」
 事情を説明すると、母親は壁にぶち当たって破裂してしまっているペットボトルを見つけて深くため息を漏らした。そんなにため息ばかりついていると幸福を逃してしまうだろうに、と俺は老婆心にそう思いながら玄関から上がった。
 とりあえず、木刀をなんとかすることを目下の問題として、汗を流しに風呂場へと向かった。




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