少年と武士と、気になるあの子。

B&B

目覚めた少年(一)


 ぶるり――異様な肌寒さに身震いさせながら俺は目を覚ました。薄ぼんやりとした視界に、見慣れない天井が映った。
「……つっ」
 全く見慣れない白い天井を目の当たりにした俺は、その瞬間一気に覚醒して飛び起きようとしたが、全身を鈍い痛みが走って思わず呻き声を漏らしてしまった。
 異様な世界――それが最初の印象だった。まともに頭が働いていないのか。いやそうではないらしい。きちんと周囲を見回すこともでき、ちゃんと自分が生きていることも認識できている。ここがあまりに見慣れない風景だったからこそ、瞬時に意識が覚醒したのだ。
 それだけに、今見ているこの風景はあまりに異様に感じられて仕方なかった。天井は白く、今自分が寝かされているのもそれに合わせているのか、布団と枕一式も染み一つなく白く綺麗だ。これまで自分が経験したことのない変わった素材の生地を使っているのか、白い掛け布団はややごわついた不思議な肌触りをしている。
 改めて周りを見回して見れば、天井同様の白い布が吊り下げられていて、寝床を内側にして外界と仕切ってある。反対側を振り向けば、風に新緑が揺れる外界の景色が映った。それは、白を基調にした無感動な色合いを持った室間に、やけに映えて見える。
 寝床の周りには、木目調の戸棚がどういう構造なのか白い壁に直接取り付けられていた。その戸棚は、これまたどんな材質でできているのか、透明の材質のもので仕切られており、中にいくつかの湯飲み茶碗や皿が置かれてある。それらの光景は、なんというか異様なまでに無機質な感じがして俺は妙な気分だった。
「ここは、一体……?」
 思わず口をついた。そして自らの声を聞いた時、おかしなことになっていることに軽い戦慄を覚えた。
 若い――それが最初の印象だった。自分で発しておきながら、その声はまるで自分のものとは思えないほどに若く、まだ声変わりして間もない若い男の声だった。
 眉をひそめて、なぜこんな声が出ているのかを真剣に頭を悩ませる。思わず頭を抱えようと改めて自らの手を見るなり、そこでまた驚いた。
「これは……誰の手だ?」
 見覚えのない肌白く細い手。指も男のものとは思えないほどに繊細そうで、まるで女の指を彷彿とさせる。そもそも身に着けている物はなんだ。淡く青白い色をした服で、生地はこの掛け布団のようにややごわついた感がある。とても一介の男が身につけるようなものではなかった。
 俺は慌てふためいて自らの喉に、頬に、口に、目に鼻に、頭にも手をやって確かめずにはいられなかった。すると、触れた指先がそれらをおぼろげながらに輪郭を伴いだした。
 これは――俺の体じゃない。
 すぐにこう結論した。どう考えても自分の体ではなかった。慌てついでに掛け布団を剥いで、下半身がどうなっているのかも確認してみると、やはり上掛けと同様の色をしたものを履かされている。いや、これ自体に問題はない。馴染みのない、ごわついた感覚が嫌悪感を増長させた。
 掛け布団の下で穿き物がめくれて露出した脚もやけに細かった。手と同じ色白の肌に、細く産毛よりも太い程度の脛毛。足の裏などは、どうやったらこうなるのかと思えるほどに皮は薄くて、ちょっと激しい運動でもしたら破けるんではないかと思えるほどに柔らかかった。
「……なんじゃこりゃあ!」
 訳が分からずに、思わず叫び声をあげていた。いや、これは叫ばざるを得ないだろう。なんなのだこれは。俺はまた慌てふためいて、寝かされていた布団がひっちゃかめっちゃかになるのもお構い無しに手足をばたつかせた。
 この時、腕に違和感を覚えたのでその原因が何なのか、視線をそこに落とすと右腕に管が突き刺さっているではないか。またそこに焦って、その管と、管を固定するためだろうか、肌に貼り付けている帯状のものを掴んで剥がした。
 先は尖った針状になっていて、それが腕に突き刺さっていたようだった。人体にこんなものを突き立てるなど正気の沙汰とは思えない。忌々しく針の管を放り捨てると、布団の上を素早く膝をついた中腰の姿勢をとって左手で周囲を探る。
 しかしいくら手探ろうとも目当てのものは見つからない。怪訝に思った俺は、改めて寝かされていた自分の周囲を慎重に見回した。するとその答えがいとも簡単に氷解した。
「……ない」
 目当てのものがないことを悟った俺は、いよいよ自分が窮地に陥っていることを自覚した。武士である我が身を守るはずの太刀がないのだ。これまで見たこともない無機質に感じるほどに真っ白い空間に寝かされ、頼みの綱となる太刀もない。これを窮地といわずしてなんと呼べばよいのか。
 ごくん――意識か無意識か、思わず喉が鳴っていた。魑魅魍魎の類の仕業か? いや、だとすればこんな場所で寝かされてはいまい。ならば神隠しに一種だろうか。いや、それも違う気がする。少なくともこの場は危険だ。俺はそう判断した。
 少なくとも人体にあんな危険なものを突き立て、太刀を隠す者が味方であるとは思えない。むしろここは敵の勢力圏、陣中であると考えるべきだ。ただ、そうなると何が目的でこんな異様な場所に寝かせたのかという疑問がないわけではないが、それでも危険であるとしておくべきだろう。
 そう思うといても立ってもいられなくなった俺は、もう一度喉を鳴らして恐る恐る足を床につけた。ひんやりとした床が畳でないことは明白で、やはりこれまで体験のしたことのない不思議な感触だった。木とも石ともいえないなんとも奇妙な感触だ。
 また、自分が寝かされていた布団は、どういうわけか台の上に敷かれていたことも判った。なぜこんな作りになっているのか、まるで意味不明だ。
 床に足を立て、ひっそりと移動しようと次なる一歩を踏み出そうとしたときだった。
 ぐらり――一歩を踏み出そうとした体が突然床に前のめりになる。思わず両手で、今の今まで寝ていた布団の乗った台につき、倒れこむのを防ぐ。踏ん張りがうまく利かない脚は、無様に笑ってしまっている。
 どうやらこの体は何日間か眠り込んでいたようで、全身に感じる痛みは肉が萎えてしまったことによる、無理な運動の弊害であるようだ。何日間眠っていたのか知らないが、何とも情けない体だ。その情けなさに、思わず女の体なんではないかと本気で心配してしまうほどだった。
 なんとか立ち上がると、動かそうとするたびに疼痛をさせる体に渇を入れ、天井から垂れた白布を引いた。室間は八畳程度の間取りで、部屋の隅にはもう一つ同じ白い布団を乗せた台が置いてある。なんとなく、ここは病人が寝かされるためであるように感じられた。
 しかしそれだとしても、こんなにも広い室間にたった二人分の布団しか置かないなど有り得るか? 俺は即座に否定した。病人は隔離され、押し込まれるものだ。この室間の広さならばざっと十人かそこらは押し込める。たった二人分というのは解せない。
 俺は室間の戸らしきものの前までやってきて、またもや考え込んだ。引戸のようだが、こんな引戸は見たことがない。山吹色の木目調をした引戸で、取っ手部分はこれはまた見たことがない磨きのかかった鈍色にびいろをした棒状ものだった。何もかもが目新しい半面、同じくらいに落ち着かない。
 意を決して鈍色の取っ手に左手をかけて、そっと引いた。身を戸の裏に置き、隠すようにしておくことは半ば無意識だった。もし戸を開けた瞬間に斬り込まれでもしたら、弱った体と丸腰の今では一貫の終わりだ。用心しておくに越したことはない。
 カラカラと乾いた音を響かせながら開けた引戸の向こうは、こちらが用心していたことなど馬鹿らしく思えるくらいにのどかで、室間の前を左右に広がる廊下の先から、童子たちの笑い、戯れている声が響いていた。
(いや、惑わされるな)
 俺は童子たちの声などに惑わされないよう自分を言い聞かせて、そろりと脚を廊下に踏み出した。童子たちの声が聞こえたのとは反対に行けば、また違う別のものが見れるに違いない。そう判断して、俺は童子たちのする声とは反対へと進んだ。
 ぺたぺたと、なんとも奇妙な音のする足音を響かせながら廊下を歩いた。本当は足音など立てたくないのだが、歩を変えようとも足の裏に張り付くような感覚と足音か消せず仕方なかったのだ。
 廊下の突き当たりは、またも奇妙にも薄くて透明な板を貼り付けた窓と、右手には上下に進める階段だった。その階段を下に進んだ。階段は途中、ぐるりと反転する形でさらに下へと伸びていた。
 その先からは、ざわざわと多くの人の気配と話し声。俺は身構えながら下へと降りて階段が反転するところで、下がどうなっているの、そっと下を覗きこむ。その様子を見て、思わずギョッとしてしまう。
 思わず、さっと身を隠して今のはなんだと冷静に頭をめぐらせる。自分と同じ黒髪の男女、しわくちゃの顔をして白髪をした老人は杖を持ち、その皆がまるで統一性のない服に身を包み込んでいた。
 俺は呼吸を整えてもう一度連中の姿を拝む。やはり見間違いでもなんでもなく、彼らは見たこともない衣服を身につけ、何をしているのか変わった形の長椅子に腰かけている。それに顔も自分と同じ日本人らしいが、どうも女の方は髪の色が違う者もいて、化粧っ毛のある者ない者、日本人と南蛮人かと思わせるような顔立ちの者もいる。
 だがやはり日本人らしく見えると思えたのは、顔の作りが南蛮人のそれよりも日本的な印象を受けるのだ。とにかく彼らに共通しているのは、全員が全員、なんとも神妙な表情をしていて、これから何かが起こる前触れか何かなのかと思わざるを得ない陰気さを感じさせることだ。
 その時だった。背後の上階段で、にわかに人が慌しく往来が激しくなったのが分かった。どうやら室間にいた病人が部屋からいなくなったということらしい。
 このことから二つのことが分かった。まずここにいる彼らが同じ日本人であるということ。聞こえてきた言葉は、間違いなく馴染みのある日本語のそれだ。もう一つは、そのいなくなったという病人が自分のことを指しているということである。
 自分以外の可能性もあるが、状況から考えてまずそれはあるまい。丸腰の状況では何とも心もとないが、いざという時は、戦場で磨き上げた無手の極意で持って相手の息の根を止める術も心得ているつもりだ。もちろん交渉次第では、こちらの要求を飲ませて隠された太刀を戻し、そこからの果し合いに持ち込めるかもしれない。
 こうなっては仕方ない。俺は覚悟して身を隠すためにしゃがんでいた階段の踊り場から立ち上がり、堂々と下へ降りていく。ここでビビッていては完全に向こうの意のままだから、堂々としているくらいがちょうど良い。緊張しすぎは体が縮こまってしまい、本来の動きを阻害してしまうことは長年の経験から嫌というほど知っている。
 それに、体が万全でないことをなるべく知られたくないというのもある。兵法において、自分の弱みを知られるということは即ち、死を意味する。何も自分から相手に弱点を教えてやる必要もないだろう。最も、これがそもそも連中の罠だとしたら、弱みも何もあったものではないが。
 堂々と階段を降りてくる俺に、下にいた連中の何人かがこちらを一瞥すると、その誰もが特におかしいものはなかったかのようにまた視線を戻した。中には視線を戻しながら、またこちらに視線を向けた者もいた。その視線を敵意あるものとして視線を送ると、逆にバツが悪かったように視線を逸らした。
(おかしい)
 それが最初に抱いた感情だった。敵意を向けた視線をやったにも関わらず、ここにいる連中は自分のことなど何も珍しいものでなく、ただ全員がぼんやりとした表情を見せているだけなのだ。通常ならば何かしらの害意を目を向けてくるものだが、ここの連中からそれらしいものは一切感じられなかった。
 もしかすると、ここは敵陣中ではなく、単なる病持ちたちを押し込めた隔離所か。いや、敵勢力圏内に置かれた隔離所ということは考えられる。しかし、そもそもそんなことをして連中に何の得があるというのだろう。むしろ首級として討ち取るのが自然ではないのか。
 ここの連中を見てここは敵陣中でも、その勢力圏内でもないように思えてならない。それに全員が見たこともない服に身を包んでいる様子は、単純に敵勢力だとかそんな程度の話では収まらない。むしろ全く違う、異国に連れてこられた可能性の方が遥かに大きく思われたのだ。
 見たことがある明や朝鮮の衣装とも違っている。行ったことはなく知識程度しかないが、もしかしたら中国の西にあるというガンダーラの国の衣装か。それとも大陸の遥か西国にあるという南蛮か。いいや、そのいずれにも該当しない。どの民族もこれらの衣装には該当しない。
 やはり、自分すら知らない遥か別の国に連れてこられたのか。そうでないなら、やはりここは坊主たちが説く極楽浄土なのか……。ますます混乱して頭を悩ませる俺に、一人の女がこちらを見て叫んだ。
「竹之内さん」
 どこかで聞き覚えのある名だと思っていると、再度名を呼ばれる。
「竹之内善貴さん」
 そう呼んだ女が真っ直ぐこちらに向かってきて、けたたましく喚きたててくる。
「何してるんですか、突然病室からいなくなって。皆さん心配されてるんですよ! さ、早く病室に戻ってください!」
 俺の前で両手を腰に捲くし立てる女は、見たところ三十路になるかどうかの年増で、白い化粧に唇を淡い赤の口紅をつけている。見る者を圧倒する見事なまでに豊満な乳房を持つ女で、腰に両手をやっている姿はまるで、その乳房を自慢しているかのようにすら見える。
 そしてその豊満な乳房には、黒い文字で「豊島」と書かれた札をつけている。良く分からないが、恐らくこの年増を示す名前か階級かなのだろう。
「……”トシマ”」
 乳房に掲げられている札の文字をそう読んだ瞬間、目の前の年増は一瞬静まり返ったかと思うと、次の瞬間には爆発したように大声で罵声を浴びせてきた。



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