少年と武士と、気になるあの子。

B&B

始まりの夜に(四)


 肝試しを中止させた僕らは、そのままのグループで山を降りていきがてら、瀬名川の捜索を行うことになった。皆、口々に瀬名川の名前を呼んでいる。残念ながら、その中にただの一人として、九鬼の名を呼んでいる人間はいなかった。
「けど、まさかこんな道があったなんてなぁ」
 善貴のすぐ近くを歩く山田が一人ごちた。共に下見をした内海がそれに相槌を打っている。
 善貴は、やるならもっと入念にやっておけよと思いながらも口にすることなく、黙々と先頭を歩いた。途中、最後に出発するはずだったグループを交え、肝試しはすぐに人探しへと変容していた。
 瀬名川を探すとなった時、全員嫌な顔することなく同意したのは、さすがにクラスの人気者だけあるなと善貴は思った。おそらく、これがもし自分ならこんなことにはならなかったろう。自分でそう結論付けて悲しいものがあるけれど、それが現実だ。
 そのうち、僕らのグループが迷った二股の分かれ道にまでやってきた。僕らがきたのが右の分かれ道だから、当然行くのは左の道だ。
「こんな道、あったっけか? 内海」
「うーん、なかったはずなんだけど……見落としてないとも言い切れないかも」
 自信のない内海に山田も同意するように頷いた。
「とにかく、女子たちはここから道下ってけば合宿所だ。後は俺たちでやるから」
「うちたちも探すよ」
 山田は少ない懐中電灯を持つ一人以外を残して、後のメンバーは合宿所に戻るよう指示したが、瀬名川の友人たちである女子グループの原田瑞奈や金森由美だけは断固として残ることを主張した。
 心配というのもあるだろうが、金森などは一緒に移動してきただけに、いくらかの責任も感じているんだろう。二人とも瀬名川とは仲が良いだけに、当然のことだというわけだ。
「じゃあ捜索メンバーは残ってくれ。合宿所に着いたメンバーは、もし二時間経っても俺たちが戻らなかったら、その時は先生たちに連絡してくれ。……それまではなるべく黙っておいてほしい」
 本来禁止されている肝試しなどしていたと知れれば、さすがの優等生を演じている連中たちも大目玉だろう。なるべく穏便にいきたいという山田の言葉に、誰もが言葉なく同意した。合宿所への下り道を懐中電灯を持つ一人が、善貴たちから離れて女子たちを先導して行った。
「じゃあ、おれたちも行こう」
 山田の合図で、僕達も瀬名川探しに二股を左の道へと進んでいった。どちらも進むと途端に下り坂になるのは間違いなかったが、左の道は長く下り坂になっていた。
 どうやら、この道は山頂へのルートとは違って、全く別の方面へと繋がる道なのかもしれない。案の定、下り坂はほとんど登りになることなく、ますます山頂から離れていく。
「瀬名川のやつ、本当にこっち行ったのか」
 伊東がふと疑問を口にした。善貴を含め、捜索に加わったメンバー全員がそう思っていた時だった。
「あ、これ!」
 金森が大きな声をあげてある場所を指差しながら、そこに向かって走っていく。指し示された地面に、青緑っぽい色の薄い生地が落ちていたのだ。原田と金森は急ぎ歩み寄ってその薄い生地を掴んで拡げた。
「間違いないよ。これ、セナのショールだ」
「ってことは……」
 合宿所を出る時まで身に着けていたものがこんな場所で落ちている。なのにその張本人がいないということは、明らかに道を外れてどこかに姿を消したと考えるのが自然だ。当然その思い当たる節は、道のすぐ脇に広がる急勾配になった山の斜面だった。
「でも、本当にここから……?」
 懐中電灯を持つ男子たちが皆、本当にそうなのかと疑問を口々にするが、善貴は半ば確信めいて道から外れて勾配のある斜面へと足を踏み入れた。
「お、おい竹之内……」
「うん、やっぱり瀬名川はここから落ちたんだと思う」
 確信めいて言う僕に、山田や伊東もなぜそう結論付けたのかを反問する。
「ほら、あそこ。ここら辺、落ち葉がたくさんあるだろ? だけどここからすぐ下の木の根元辺りまで落ち葉がめくれて下の土が露出してるよね? 今確かめてみたけど落ち葉はそんなに深くないから、何か転げ落ちたりしたら、落ち葉ごと一緒に土もえぐられて跡が残るはずだよ」
 以前、父に教えられたことを実践してそう言っただけだったが、メンバーたちは善貴の説明に、大いに納得して、ここから降りれるルートはないかを模索し始めた。
 善貴は得意げに、勾配のある山の斜面をゆっくりと降りていった。けれどそれがいけなかった。
 普段、自分がこんなことをするようなキャラクターではないことを、もっと十分に理解しておくべきだったと後悔した。いや、普段なら十分に理解できているはずだったのに、なぜ今日という日に限ってそれを忘れてしまったのか。
 斜面を少しずつ降りていったところ、僕は降ろした足の下が緩い地盤になっているかもしれないことを、完全に失念してしまっていた。地に足をつけて体重を乗せた途端、僕は視界が暗がりに落ち込んだのを自覚した。
 その感覚が、自分が勾配を転げていくものだと理解したときには、もう自分ではどうしようもなく斜面を転げ落ちていくだけの、ただの物体に成り果てていた。
 手も足も出ない。斜面を転がりながら滑降していく中、手を出そうにも自由にできないのだ。
 手を出せば次の瞬間には体がバウンドし、足を出そうにも足を地につけられないためにただ投げ出すだけの恰好になった。
 全身を打ち付けられている感覚だけが善貴の意識を支配した。こういう時の対処法なんて、さすがの父も教えてはくれなかった。
 自らの不注意で始まった滑降もいつまでも続くわけでなく、それは唐突に収まった。急勾配な山の斜面を転げ落ちた僕は、ようやくその底で手足を伸ばすことができた。体のあちこちを打ったけれど、手足が大丈夫ということは一応問題はなさそうだ。
 山の斜面は昨日まで降っていた雨の影響により、水分を吸収した落ち葉と湿った土のおかげで、ふかふかになって地面が柔らかくなっていることが幸いした。
 逆にこれがもし、何日も雨が降らず固まった地面だったら、もっと大変なことになっていたかもしれない、そう思うと不幸中の幸いと言っても良いだろう。
「誰?」
 うつ伏せになっていた上体を、のろのろと起こし始めた時だった。突然聞こえた声に、僕は思わず反射的にそちらのほうを振り向いた。そこに暗がりに蹲る人影を見つけた。
「瀬名川……」
 暗がりに蹲っていたのは、探し人である瀬名川悠里だった。
 悠里は斜面の縁にある大きな岩を背に、両膝を抱え込むようにして座り込んでいた。肝試しと称しているためか、薄手のパーカーに学校指定のジャージという恰好だ。
 けれど衣服や露出している肌はところどころ土で汚れており、湿った土のために顔についた泥は拭いさられてはいるが、完全にぬぐい切れておらず、逆に薄くこびりついてしまっていた。
 見つけた途端、なんだかほっとした。気に食わない女だとは思っていたけれど、現金なもので、見つけたら見つけたらで、これまでとは違う感情があるものだと善貴は思った。 
「あんた……竹之内、だっけ?」
「うん。瀬名川探しにきたんだ」
「あんたが?」
「いや、俺だけじゃないけど。上で皆探してる」
 じゃあなんで善貴だけ……。悠里はそう思っているに違いなかった。クラスメイトらしいけれど親しいわけでもなく、まともに話したことすらないどころか、名前すら良く覚えていないような人間に助けられて彼女が良い顔をするはずがない。
「もしかしてと思ったけど、やっぱりここに落ちたんだね」
「は? 落ちてねーし」
 何気なく言っただけなのに、瀬名川は嫌悪感を滲ませながらそう返した。なんだこの女、可愛くないな。折角人がこうしてきたっていうのになんなんだその態度は……。
 こんな時にまでこの女は、自分よりも格下だと思ってる人間には関わりたくないというわけだ。もしかしたらそんな人間に助けられでもしたら、周りの連中からどんな風に言われるか、溜まったもんじゃないと思っているからかもしれない。
(素直じゃないな)
 それが善貴の神経を逆撫でする。この際だから一言いってやる。そのつもりで立ち上がろうとした善貴だったが、たちまち足から力が抜けてこけてしまった。
「ちょっと、何やってんの」
「あ、あれ……? 力が……」
 入らない。そう言うが早いか、力の抜けて使い物にならない足に目をやると、なぜ力が入らないのかその理由が分かった。たった今まで麻痺していて気付かなかったが、膝小僧の辺りに血が滲んでいる。
 どうやら転がり落ちる時、露出していた岩か何かで打ち付けて切ったのだろう。ジャージは破け、そこからヌルリとしたものを善貴は感じていた。
 力を入れようとしても、ガクガクと膝が笑うだけで言うことを聞かず、さらに出血までしてるこの状況に、善貴は訳が分からず顔面を蒼白とさせていた。もしかしたら一生足が使えないんじゃないか、そんな考えすら頭をよぎる。
「ちょ、ちょっと」
 善貴のただならぬ様子に、瀬名川は心配そうに駆け寄ってきた。
「ご、ごめ……足に力が入らない……」
「何してんの。助けに来る側が助けられようとしてるとかださいんだけど」
 こんな時にまで瀬名川は随分な言い草だった。けれど、心配そうに思ってこちらを覗き込み、かける声にもそれらしいものは伝わってくる。彼女なりの気遣いなのだろう。
「多分、落ちてきた時にどっかでぶつけたんだと思う。麻痺してるだけだから、しばらくすれば元に戻るはず……」
「当然でしょ。戻ってくんなきゃあたし、どうすればいいんだよ」
 こんな時にまで自分のことか。やっぱりこんな女のことを心配して損してしまった。ほんの一時のちっぽけな正義感のために、自分は急勾配の斜面を転がり落ちるだけでなく、足に怪我まで負ってしまい、挙句には迷った本人からありがたいこの言い草だ。
 本当にただの骨折り損だった。こんな女に関わるべきではなかった。いっそのこと女子たちを誘導し、合宿所に戻る役を買って出ればよかったと、善貴は本気で後悔した。
 そう思うと、なんだか踏ん張ってみせようとする自分が逆に情けなくて、僕は起き上がろうとする手足から力を抜いて、鬱屈したように地面に体を投げ出した。
 どうせしばらくしたら元に戻るならその方が良い。それにその間に、捜索メンバーもここまで降りてくるに違いない。情けない話だけれど、そこで助けてもらう方が結果として一番早いような気がする。
 なんせ捜索隊には力自慢の山田や内海もいるうえ、他にも頼りになりそうなのがいるのでなんとかなるはずだ。無駄に気を張るより、今はこうしていた方が得策であるように思われた。
 その時、駆け寄った瀬名川の表情が月明かりに顕になった。昨日までの雨をもたらしていた雲は切れ切れになっていて、今夜は切れ間に月を覗かせている。
 夜目の利く善貴には、その月明かりに照らされた瀬名川の顔がはっきりと見て取れた。俯いている彼女の鼻頭や頬を汚す泥すらも、その美貌を際立たせているように見えた。
 まともに彼女の顔を見たのは、もしかしたらこれが初めてかもしれないな。そんなことをぼんやりと思いながら、善貴はそんな彼女の横顔を見つめていた。
「とにかく今はここにいようよ。捜索してるメンバーが来るまでさ」
「……あんたさ、一体何のためにきたの」
 呆れるような声とともに顔を上げてこちらを向いた瀬名川に、僕自身も分からず、さあ?とだけ言った。

 それからどれほどの時間が経ったろう。五分か十分か。それともまさか二〇分は経っているだろうか。
 時計がないから正確な時刻は分からないけれど、そろそろ捜索のメンバーたちが着いても良い頃合だと思うが、いまだそれらしい気配がない。
 先ほどまで、力を入れようとするとガクガクと笑っていた脚の麻痺も、徐々に収まりつつある。他の部分は何とか動くようだから、動けるようになるのも時間の問題だろう。
「ねぇ、ほんとに他の子たちいるの?」
 不安げにそういう悠里に善貴も、そのはずだけど、と短く答えるが正直なところまるで人の気配を感じられないことに、善貴もまた少しばかりの不安を抱えていた。
 捜索しているはずなのだから、何かしら山に人らしい声や気配があっても良いはずなのに……。それになんだろう。どうも嫌な予感がした。
 善貴は突然、意味もわからずに襲ってきた悪い予感に、何とも言い得ぬ胸騒ぎを覚えた。不安になって周囲を見渡そうとして、ついでに空を見上げた時だ。
「あれ? 月が……」
「月?」
 たまたま空を見上げた善貴につられて、悠里もまた空を見上げた。雲の切れ間に覗いていた月が、赤っぽく変色しているように見えたのである。
「月ってあんな色……」
 してたっけ? 悠里がそう言おうとした時だった。突然ぐらぐらと二人の視界が揺れ始めた。
 善貴は初め、ただ自分の膝に力が入らないことによる副作用か何かが体に影響しているのかと思った。しかし、それは地面から伝わってきており、すぐにこれが地震だと気付いた。
「嘘、地震?」
 ぐらぐらと揺れ始めた地震は、瞬く間にその揺れの強さを増していき、あっという間に全身を揺さぶるような大きなものとへ変わった。
 すでに膝が抜けてしまっていた善貴は元より、傍にいた瀬名川も地べたに座り込み、不安げに周囲を見回している。その表情は恐怖に顔を強張らせていた。
 それは僕も似たようなものだったと思う。自分のことはそっちのけで、僕はこの女もこんな顔をするんだな、などと馬鹿なことを思いつつ、二人はどちらともいえず互いに身を寄せ合った。
 こんな大きな地震を経験したことのない二人の脳裏に、まさか地面が陥没するのではないか、あるいは天変地異の前触れか何かではないのか、と次から次に余計なことが頭を過ぎっては消えていく。
 善貴は完全に頭が混乱し、まともな考えなど浮かべることはできなくなっていた。ただ胸中にあるのは、一秒でも早くこの揺れが収まってくれることだけを、誰かに願っていた。
(誰か、頼むからこいつを止めてくれ。頼むから)
 情けないくらいに必死にそれを願う善貴をよそに、揺れはさらに大きくなり、ついには周囲の山の斜面が崩壊し始めた。それは怒号となって崩れ麓にいる二人を襲う。
「瀬名川っ!」
 善貴が叫んだ。今の今まで動かなかった足が、突然意識を取り戻したかのように動き、傍で蹲っている悠里を抱え込むように掴んで突き飛ばしていた。
 そこからの善貴の記憶は曖昧なものだった。悠里を突き飛ばしたまでは良かったものの、次の瞬間には前のめりになり、地面に叩きつけられたかと思うと、体中に湿った土と腐葉土の匂いに包み込まれたことを彼は覚えているだろうか。
 ただ、その瞬間にも彼が思ったのは、美人で、少しだけ気のあるとても嫌いな女の子のことと、何よりもこれが夢であってくれという背反した思いだった。それは、生きたいという願い、ただそれだけだった。



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