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少年と武士と、気になるあの子。

B&B

始まりの夜に(二)


 カリカリと、シャーペンの進む音だけが自習室に響いている。ざっと一五〇名は入る大きな室内は解放され、多くの生徒たちが利用している……はずなのだが、実際にここで勉強しているのはほんの二〇名かそこらの人間だけで、後の一〇〇名近い人間は、割り当てられた部屋で各自休んでいるといった状態だった。
 しかし、この自習室を使っている連中は流石というべきか、皆、真剣に勉学に励んでいる。そこには、学年内では優秀で通った生徒たちのほとんどの姿があり、難関大への合格を一%でも上げようという連中ばかりだ。
 そうした人間だけが集まっているだけに、自習室は本当に静まりきっていた。時折、分からないことを聞くためか、聞こえるかどうかの小声で仲の良い友人に解き方を教わる声が聞こえるだけで、怖いくらいに静かだった。
 善貴も良い刺激になると思ってここに来たつもりだったが、いざ来てみると、連中の必死さに思わず圧倒されてしまった。本気度が違う。瞬時に肌でそう感じ取ってしまった。
 何かを目指すべくでもなく、ただ流されるがままに、大した装備も無しに受験戦争への最前線に乗り込む一兵卒など、はなっから話にならないことを突きつけてくるかのようだった。
 その空気感にいたたまれなくなって、僕はきりの良いところで切り上げて、そそくさと自習室を後にした。階段を上がって、二階の休憩スペースにある長椅子に腰かけた。
 休憩スペースの小さな自販機の横の壁にかかった時計は、午後八時半を指し示している。時計をぼんやりと眺めているうちに、深いため息が漏れ出た。ただ何となく参加した勉強合宿。まさかここまでとは……仲の良い友人たちも参加するというから、自分も参加しただけだったがこの空気は耐え難い。
 皆、なんでこんな場所に来てまで勉強してるんだろう。思わずそう口にしていた。すると、そこに一人の生徒が顔を覗かせた。
「よしき氏、こんなとこおったん?」
 そう声をかけられて僕は顔を上げた。そこにはこの学校に入学して以来、最も見知った人物である永井祐二ながいゆうじがへらっと笑って見せている。今日はそうでもないが、普段は寝癖がついていてもお構いなし、顔は丸く潰したような、やや蛙顔が印象的だ。
 僕と同じくゲームはもちろんアニメも好きらしく、よく深夜アニメを見るために夜更かししているためか顔は少し脂ぎっていて、ニキビができてはまた別のところにニキビができるから困っている、なんて話をしていたのを思い出す。
「うん。ちょっと疲れちゃって」
「あー、まあ仕方ないけどね、こんな朝から晩まで毎日勉強とかさー」
 二泊三日の勉強合宿は、朝の八時半から勉強が始まり、その後、昼の休憩時間を挟んで午後五時半までカリキュラムが組まれている。
 そこからは夕食までの約一時間のわずかな自由時間があるのだけど、その大半が休むまもなく分からなかった箇所の復習に精を出し、夕食後も風呂の時間以外を自習という形で、とにかく一日が勉強漬けという苦行のような合宿だった。
 もっとも、受験生という自分たちにとってはそれが当たり前であると言わんばかりに、黙々とそれらを勉強する人間もいる。先ほど自習室で、ひたすら勉学に励んでいる生徒たちがそれだ。僕にはとてもじゃないが彼らのような真似はできない。
 この友人は、そんな僕や彼らとはまるでかけ離れたタイプの人間だ。僕は一応勉強合宿なのだからという名目もあって、先ほどまでのように勉強したりはするけれど、この祐二は何のためにここに参加してるのかと聞きたくなるほどに、まるで学習している様子がない。
 いや、本来なら自分も祐二側の人間なのを背伸びして、そういう振りをしてるといった方が正しいかもしれない。できるものならすぐにでも家に帰って、部屋でだらだらしたい。せめてこの時間くらいは、スマホでゲームをしたいという欲求が強く勝っている。
 けれど、ここではスマホや携帯などは取り上げられ、全て教師たちによって管理されている。もし万一電話が鳴った場合に限り、その所有者に戻されることになっているのだ。つまりここにかかってくるのは、緊急電話以外にはあり得ないことが想定されているというわけだ。
「そういう祐二はどうしたのさ」
「おれ? なーんか面白いことないかなって適当にぶらついてた。部屋にもよしき氏いないし」
 なんとも率直な答えに思わず笑いが漏れた。やっぱりこいつといると、いつも何かを考えすぎる自分が馬鹿らしく思えてきてしまう。
 祐二はそのまま僕の横に腰かけて、合宿前に予約しておいたアニメが撮られているかちょっと心配だとか、新しいアプリがあるから今度一緒にやろうとか、そんなオタク向けの話題を振った。
 祐二は、気の置くことのない友人だったが、この手の話は良く分からないというのが正直なところだった。嫌いなわけでもなかったが、この友人ほどゲームやアニメに打ち込んではいないのだ。
 ゲームならアニメよりは分かるつもりだけれど、祐二の守備範囲のゲームと自分の趣味のゲームは偉く差があったりする。というのも、祐二の好きだと公言するゲームは俗にいう、美しょげーと呼ばれるジャンルで、可愛い女の子と恋愛するもので、そこに絡んで卑猥なものも含め、そういう方面のゲームが多かった。
 対して僕は、どちらかといえば大衆的なものがメインだ。今ハマッているのはモンスタースタジアム、通称モンスタというアプリで、キャラクターを矢印の方向に弾いて敵を倒していくという至極簡単なゲームだ。色々なギミックがあったりして、意外と頭を使うところもあって結構面白い。
 祐二はそういった大衆的なゲームはあまりやならないので、いまいち趣味が合わない時があるのだけど、周囲からは同じゲームが趣味ということで、気付けば彼とは同じ”オタク”グループとして一括りにされていた。
 モンスタくらい運動部の連中はもちろん、そうでない明らかにオタク趣味などとは無縁そうな連中もやっているのだから、そうオタクっぽさはない。なのに大人しそう、かつ眼鏡という容姿のせいか、善貴はそのグループに括られていた。
 思えば理不尽な話だ。ただそうした友人と一緒にいるだけでそのように一括りされてしまうのだから。
 けれど、祐二との会話は決してつまらないものでもない。一体どれだけ引き出しがあるのか知らないが、無尽蔵かと思えるほどに祐二は次から次に話題を振ってくる。善貴にとっては、それだけで面白い奴認定できるほど、弁の立つ人物であると思えた。
 ひとしきり会話を終えたところで、ふと祐二が話題を変えた。
「ようやく明日で帰れるなぁ……早く帰りたいわ」
「そうだね」
 何となくではなく本気の合意。好き好んでこんな山奥の合宿所に来たいとは誰も思ってないはずだ。パソコンはもちろん、スマホなども一切禁止なんて今時どんな収容所だよ、なんて突っ込みを何度も入れたのは記憶に新しい。
 けれど、それも明日までだ。明日の午前中には解放され、昼過ぎには自宅に戻っているはずだ。そして、すぐに中間考査があって、鬱陶しい梅雨を乗り切る頃にはあっという間に期末考査があって、それが終われば夏休みだ。
 普段の夏休みなら羽を伸ばせる!と思うところだけれど、残念ながら今年ばかりはそうもいかない。なんせ受験生なのだ。実際今は予備校にも通っている身なのだ。
「でも意外だったな、あいつらも来るなんてさ」
 思いついたように裕二が言ったあいつらとは、あの女子グループのことだろう。クラスではもちろん、学内でも比較的目立つ女子グループのことだ。学内で比較的目立つということは、事実上、学内において、トップクラスの目立つ存在だということに他ならない。
 一番そうさせているのは、彼女たちの容姿だ。皆三者三様で、髪一つとってもその長さ、色、型まで違いがあり、やや化粧っぽさもある。ピアスこそ教師たちに咎められるので誰もしていないが、その容姿は誰もが可愛い、綺麗……男子なら皆これらの言葉を口々に、一度くらいは付き合いたいと思うには十分の容姿をしているグループだ。
 もちろん、そう思うのは善貴とて同じだった。ほとんどといって良いほど絡みのない彼女たちだけれど、何も思わないというのは無理がある。
 ただ善貴の場合、自分から彼女たちに近付くようなことはほとんどしていなかった。容姿は男子たちの話題の的になるだけあって申し分ない。けれど、自分からそうしようとは思わなかった。
 見た目が麗しいという理由だけで、こちらの目を楽しませてくれるには十分過ぎる彼女たちだけれど、僕にはどうにも苦手意識があったのだ。
 彼女たちの周りには、いつも人だかりができていて、当然中には自分の嫌いな人種も混じっていないわけではないからだ。むしろ、その嫌いな人種たちが主な原因かもしれない。善貴はそう思った。
 明らかに自身が上位で、何かと人を見下すような連中、それに自分を良く見せたいからなのか、粗野で女子たちの前でだけ良い人面するような連中もだ。そういった連中は限って、女子たち、それもトップクラスと呼べる女子グループたちの周囲に群がっているのだ。
 そして、それに対してその女子グループたちも、自分の価値を高めようとして着飾り、そうさせるに相応しくないと判断したグループの人間に対しては、ものの見事に手の平を返すような態度をとってくる。
 その相応しくないと思われているグループに属しているのが自分という人間だった。正確には、勝手にそういうグループに一括りにされていると言ったほうが良い。
 何も、自ら望んでオタクと呼ぶに相応しい祐二と一緒にいるわけではなかった。たまたまそういう気質を持った友人ができたというだけなのだ。
 それを、大して良くも知らずにそういう風に考える彼ら彼女たちを、どうして好きになれるというのだろう。そんなのは、到底無理な相談というものではないか。
 おまけに彼ら彼女らのグループは奔放、気まま、そんな言葉が当てはまる行動を取ってばかりで、まともに進路とかは考えてなさそうなのに、こういうときに限ってなぜかこういう身の丈に合わないはずの勉強合宿になど参加しているのである。
 なんだか矛盾した行動に、ますます彼ら彼女らに対して無意識のうちに関わるなと、防衛本能が働いているのだ。
 それにああいう連中は、一人獲物を見つけるとこぞって馬鹿にし、最悪いじめにまで発展させかねない連中だ。つまり、関わるとろくなことがない、損しかしない連中だ。
 けれど、こうして勉強合宿に来てみると、意外なほどに普段は話さないようなタイプの人種と話せるのも事実で、善貴もいつの間にか運動部のグループとはそれとなく話せるような者も数人できていた。
 話してみると意外や意外、ちょっとオタクなきらいのある者、そうではないけれど話しやすく単純に話し相手として気の合う者と、普段は交流のないグループの者たちと話すのは、なかなかに悪いものではなかった。
 もちろん相変わらず好きになれない者もいるけれど、概ね多くの人間と話せるものだなと自分でも感心していた。この合宿所に着てからというもの、皆スマホも取り上げられてしまい、適当な時間の潰し方を文字通り潰されてしまっているのだから、ある種、不思議な連帯感が生まれるのも当然かもしれない。
 だからこそ余計に祐二のいう、あいつらが来たのが不思議に思えてならないのだろう。
「一応受験のこと考えてる奴がいるんだろ。一人参加すると決まると皆参加し出すし、ああいう奴ら」
 僕は断定するようにそういった。連中はなぜか、決まって単独行動することを良しとしない節がある。そのくせ一人者がいると、こぞって日陰者と馬鹿にするのだけれど、そういう性根が善貴は気に食わなかった。……それを面と向かっていえない自分もある意味では彼らと同じかもしれないが。
「そういうもんかねぇ」
「そういうもんだよ」
 祐二はどちらとも思わぬ曖昧な返事で、僕はすかさずそれを肯定した。祐二もああいった人種は苦手のはずだけれど、こいつはどうもそういうのに対して無頓着というか、本当にどうでも良いとすら思っている節がある。そんなんじゃ会社勤めすることになった時、苦労するに違いないぞと言った事もあるけれど、本人はどこ吹く風だ。
「ま、いっか。それでさ、よしき氏。これから中山たちが肝試しするって言ってるんだけど、行く?」
「肝試し?」
 待て待て、そんな話は初耳だ。昨日まで、いやつい何時間か前までしっかりと勉強して、後はこの夜の自習時間を過ごしてしまえば帰るだけの今、なんだって肝試しなんてものをしなくてはならないのか。
 善貴は嫌な予感がしてたまらなかった。別に肝試しが怖いわけじゃないけれど、なぜ大して興味もないことに付き合わされなくてはならないのか。そのことで善貴は強く否定した。
「マジ? うつみっちはやる気MAXだけど」
「いや、あいつはあいつだろ。僕は興味ないよ」
 うつみっちとは、僕と祐二と同じクラスメイトで僕と同じ中学の出身で、本名を内海俊英うつみとしひでといった。ひょろっとして上背もない祐二とは対照的に、一八〇近い身長に一二〇キロを近い体重という、所謂ぽっちゃり……酷い言い方だがデブといっても良い体格の友人だ。
 うつみっちとは中学時代からのあだ名で、中学時代にはその巨体ぶりから、デブな内海、略してデブ内などと呼ばれてもいた。その内海も少々変り種な人種で、自ら、でぶうちでーすなんて言って自己紹介したり、自身のコンプレックスすらも逆手にとってしまう辺りに、意外と同性から人気が在り、僕や祐二とは違ってそれなりに友好関係が広い。
 けれど、どういうわけか内海は僕らと良くいることが多く、ゆえに変り種と呼ばれる所以でもあった。
「というか、うつみっちが発案者っぽいけど」
「内海のやつ、何考えてるんだ……」
 善貴は大きくため息を漏らした。内海は妙なところで好奇心旺盛で、何か皆で集まったりすると、いつも冒険に行こうだとか、探検に行きたいだとか、はたまた今回のように肝試しなどと言い出すのだ。
 内海も僕や裕二同様、オタク趣味を持っていながら温厚で、いつも笑顔を絶やさずに人と接するためか、僕らのような人種にしては珍しくそう感じさせない性格だった。今回のような合宿では、何人かが面白そうだと言い出す連中がいたに違いない。
「山田君が女子たちにも声かけに行ったみたいだし、多分皆やるんじゃない?」
 丸坊主が印象的な山田は、内海と同じくらいの一八〇前後の身長であるが、柔道部の副主将をしているだけあって、がっちりとした体躯をした奴だ。
 武道をやってるだけのことはあるのか、引き締まった体躯の山田は同じくらいの身長である内海とは、随分と違った印象を受ける。そんな奴がまさか女子たちを誘いにいくなんて、武道をやってる人間が必ずしもルールにも従順であるとは限らない、良い好例だろう。
「いや、勉強してるやつだっているだろ。そんな奴らまで巻き込むのか」
 僕が渋っていると、廊下の方から数人の足音がすぐ近くに聞こえた。何気なくそちらの方に目を向けると、ギョッとしてしまった。廊下の向こうから現われたのはあろうことか、女子グループの頂点に君臨する彼女たち、あいつらだったのだ。
「あれ? 永井君と竹之内君じゃん。何してんの、こんなとこで」
 僕と祐二を見るや、比較的多くの方面に交友関係を持つ原田瑞奈はらだみなが言った。スポーツをしているわけではないけれど、運動神経が良くスラリとした印象の彼女は、トップクラスの女子グループの中では善貴もただ一人、いくらかは話せる人物だ。
「誰、こいつ」
 対して、無礼極まりない言葉に思わずムッとしてしまう。その声の主に、善貴は思わず目を追ってそこで固まってしまった。
 瀬名川悠里――視線の先にいたのは、このトップクラスの女子グループの中でも中心的存在である瀬名川悠里だったのだ。
(なんでこいつが……)
 そう最初に頭に思い浮かんで、次はやっぱり綺麗だ、だった。しかしそんな淡い気持ちもその張本人によってかき消される。
「瑞奈、こいつら誰?」
「え? いや、同じクラスの永井君と竹之内君じゃん。セナこそ何言ってんのー」
 原田奈美がけたけたと笑いながら言った。無礼も何もセナ、つまり瀬名川悠里にとって善貴と祐二は、相手にされていないどころかその存在すら認知されていないということなのか。
 善貴はますます腹立たしく悠里を見つめた。その瞳には幾分か、睨むようなニュアンスが含まれていたかもしれない。
「セナー、こんな奴らどうでもいいじゃん。早くいこ」
「あ、うん」
 金森由美かなもりゆみの催促に悠里は、善貴と祐二など初めからいなかったかのように、そっぽを向いて再び廊下を歩き出した。
「ちょっと待ってよー。永井君と竹之内君も肝試し行くんでしょ? また後でね」
 奈美は、置いてきぼりをくらった僕らに対して手切りを拝みながら、瀬名川悠里たちの後を追っていった。別棟へと繋がる渡り廊下を行った彼女たちの姿が見えなくなったところで、ようやく善貴は息を吐き出した。
 知らず知らずのうちに、呼吸を止めてしまっていたらしい。そんな僕の様子に、裕二も同じように安堵した表情を浮かべながら言った。
「よしき氏、緊張してんな」
「祐二もだろ」
「うん、まぁね」
 ……本当に嫌いだ、あの連中。人をなんだと思っているのだ。別に気に入られたいとか、仲良くしたいとかそんな気持ちは毛頭ないけれど、まるで自分を認識していないようなあの態度が本当に腹立たしい。
「それにしても瀬名川さんたち、まさか本当に肝試しに参加する気なんかな」
 祐二の呟きに僕は、その気なんだろ、と吐き捨てるように言った。




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