少年と武士と、気になるあの子。

B&B

始まりの夜に(一)



 ぶるり――肌寒さに身震いして僕は目を覚ました。ゴールデンウィークも過ぎ、春は終わりを告げてそろそろ初夏へと移ろう季節、窓を開けたまま寝るのにちょうど良い季節だ。
 けれどこの日の朝は、この時期としては季節外れの寒さであった。寒さにやられまいという本能からか、無意識のうちに布団をこんもりと巻きつけ、少しでも寒さを凌ごうとしていた。
 起きて窓を閉めれば早いのだけれど、そうしたところですぐに室内の温度が上がるわけでもない。どのみちもうちょっとで起床時間になるはずだと思うと、なんだかそれも面倒くさくて仕方なかった。
 寝ぼけ頭でぼうっと天井を見つめていたけれど、寝返りを打って枕元の目覚まし時計に目をやるも、デジタルの文字盤は薄ぼんやりとして何時なのか判然としない。
 善貴よしきはベッドの上でけだるげに伸びをして、のそのそと起き上がる。まだ眠気に重い瞼を擦りながら、もう一度伸びをした。頭が全く冴えないまま、いつも枕の横に置いてあるはずの眼鏡を手探りで探し当て、いつものように装着した。視界が明瞭になると、今度こそデジタルの文字盤がはっきりと読み取れる。
 時刻は六時を過ぎたばかりで、普段よりも一五分ほど起きるのが早かった。あくびを噛み殺しつつベッドを這い出ると、クローゼットにかけてある制服一式を取り出して着替え、一階のリビングへと降りていった。
 早いもので、母がすでに朝食の用意をしてくれていた。
「おはよう」
 朝食の用意をしている母にそういいながら、同じように返した母の横を洗面所へと向かう。顔を洗ってタオルで水分を取ると、ようやく少しばかり眠気が払われ頭も冴えてきた。
 眼鏡をかけ直し、鏡に映った自分の上体を意味もなく見つめた。寝癖もなく、かといって年頃の男子にありがちな、突っぱねるようにいじるわけでもない髪。ややふんわりとした黒い髪と薄い黒のフレームの眼鏡が、いかにも勉強してますという雰囲気を作り出している。
 白いシャツは、しっかりと学校指定のベルトを締めた制服のズボンの中に入れ、学ランの襟にカラーもしっかりと付けられている自分の姿は、絵に描いたような真面目で、ともするとオタクっぽさも滲み出ているなとすら思える容姿だ。
 けれども、それは自分にとって必要不必要を取捨選択した結果だ。眼鏡がなければまともに物も見えず、学校が指定する通りの姿でなければ教師たちからも何かと目を付けられかねない。
 年頃の男子生徒たちはシャツを出し、ズボンを腰でにまで下げたりしている者もいるが、それだと逆に寒いだろうし、裾が地面に擦れ靴のかかとが邪魔になって歩きにくいはずだから、わざわざそんな恰好するなど馬鹿らしく思えてならないのだ。
 髪だって同じで、わざわざ整えようという気にならない。そんなことのために時間を使いたいと思えず、何よりそこに価値と呼べるものを見出せないからだった。
 全ては自分なりの取捨選択をした結果に過ぎないのである。その結果がこんな真面目以外に取り得のなさそうな、オタクっぽさを滲み出させたような恰好になろうと、それは仕方のない話だろう。
 けれど、一応は気を遣うところはある。どんなに遅くても〇時までには就寝し、肌の健康には気を配っているつもりだ。夜更かしはお肌の天敵だとか、男でも肌のケアはしなくてはならないとか、歳の離れた姉が口うるさく言っているのもある。
 だからか鏡に映る自分の顔に、にきびなどのようなものは一切見当たらない。まぁ、確かに男でも、ニキビがあるよりは無い方が良いに決まっていることは間違いない。
 洗顔を終えた僕は、再びリビングに戻って粗方用意されていた朝食をとるために席についた。目覚めのコーヒーを、とも思ったけれど、食べた後でもかまわないだろう。
「あんた、今日はやけに早起きじゃない」
「んー、なんとなくね」
 そう、特に理由らしい理由なんてありはしない。ただいつもよりも早く目が覚め、早く起きてきただけ。別に理由があるわけでもなかった。
 いや……そう思いかけて、やはり少しばかり理由らしい理由がないわけでもないかも、と思い直した。何せ、今日から二泊三日の勉強合宿なのだ。
 人並みに勉強する善貴ではあったが、同様に、人並みに勉強が嫌いでもある。よって、わざわざその勉強漬けになる合宿に行かなくてはならないというのが、面倒臭くて仕方ないのだ。
 けれど、仲の良い友人たちは皆参加するということもあり、半ば流されるままに善貴も合宿に参加することにしたのだ。高校三年生になった今年、受験生として人並みに勉強しておかなければ、後々どうなるか知れたものではないという、半ば強迫観念めいたものがあることも理由にないわけでもなかったが。
「三日間、大丈夫とは思うけどきちんと先生の言うこと聞きなさいよ」
「わかってるって。大体、僕は規則を破るようなことはしません」
「それもそうか。私が言うのもなんだけど、あんた、ほんと真面目だからねぇ」
 味噌汁を作り終えた母は、僕の前によそって置きながら、冗談交じりにそういった。冗談とは分かっているけれど、その言い分はまるで僕を草食動物か何かのように扱って、何の害も起こさないかのような奴だと決め付けている言い草だった。
(いや、あながち間違いじゃないけどさ……)
 だけど、僕だって男だ。何かを成しえるような凄い人物ではないけれど、何か、人をあっと言わせるようなことをしてみたいという、年頃の男子なら誰しも頭に思い描くような願望くらいはある。具体的にそれがどんなものであるかまでは無いのだけれど……。
 昔は悪い奴らから人々を守る、強いヒーローなんてものに憧れた。けれど、歳を重ねていくごとにつれて、現実を突きつけられていくと共に、そんなものはあくまで夢物語だと思い至るまでにそう時間がかからなかったように思う。
 人を守ろうたって自分にそんな力などありはしない。ならば知力で、技術で……そう思ってはいるけれど、結局のところ、どれも中途半端な感は否めないというのが自己評価だった。
 とりわけ成績が良いわけでも、体力的に優れていて、学年は元より競技で全国大会の優勝を目指せるわけでもない。人並みにはできるし、それなりに得意なものがないわけでもないが、かといってそれを自慢できるほどでもない。
 ならば、徹底して普通に紛れてしまえば良い。そのほうが楽で、自分の趣味に没頭できるというものだ。……もっとも、その趣味といってもネットサーフィンと、スマホのアプリでゲームするくらいが関の山であった。
 つまり、僕には人の役に立ち、人をあっと驚かせるような何かをやれるような、特別な能力など何もない、普通の男子高校生でしかないのだ。

 母との何気ない会話から、いつの間にか夢も希望もないネガティブな思考になっていたところ、点けられていたテレビのニュースは、いつの間にか天気予報のコーナーに移り変わっていた。
 画面からは、お馴染みの予報士が今日から一週間分の天気予報を説明していた。今日の午前中から明後日まで、日本列島は軒並み傘と曇りマーク一色だった。
「あらなに、今日から雨なの? 向こうの方も雨じゃないの、もしかして」
 母も席につき一緒に朝食をとりつつ、目だけはテレビに向けてそういった。僕もそれを眺めながら、ほんとだ、と短く相槌を打った。これから三日間も何もない場所に行かなきゃいけないというのに、まさかの雨とは。
「仕方ないよ。それにどうせやるのは勉強だけだし」
「まあそうだけど……一応、雨具は持って行っときなさいよ」
「はいはい」
 はいは一度。ぴしゃりという母を鬱陶しく思いながら、善貴はもう一度はいはいと適当な相槌を打った。
 こういうことにはやけに厳しい母はまた何かと小言を言ってきたが、僕はそれを適当に受け流し、急いで朝食をかきこんでいった。どうやら今朝は、コーヒーを飲むような時間はないように思われた。



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