青い花に寄せて

増田朋美

つぐみは、コンクール入賞したのち、四年生になった。卒業に必要な単位はみんなとってしまったので、あとは、ピアノの個人レッスンのみとなった。そんなある日。
彼女が、自宅で、まどろんでいたとき、電話がかかってきた。
「もしもし?」
と、電話をとると、
「つぐみさんですよね。」
聞き覚えの、ある声。
「覚えていませんか?あなたに落とされた、私ですよ。皮肉なものね。もうわすれているの?」
電話の向こうでは、真智子が電話をかけ、周りに美里や、加代子もいた。
「誰よ、名前をいいなさいよ!」
「つぐみ、あたしよ、加代子。」
今度は、別の人物だった。
「あなた、時間にだらしなくて、コンサートに30分遅刻しても平気だったし、六時までに来てと言われれば、六時ぴったりにきて。よくそれでやれたわね。怒る人もいなかったんでしょ。あんたは美人でわがままで、人のことをなにも大切にしない、暴君にすぎないわ!何がコンクール入賞よ、あんたの音楽、ドイツ人の教授がいっていたけれど、ただの、モノマネにすぎないんですってよ!」
美里が電話をとった。
「あなた、土橋君のこと、好きなの?かれは、卒業したら日本を離れる積もりらしいわよ。なにしろ、日本は、狭いし、あんたのお陰で被差別部落民であったことがばれちゃって、他の人からいじめられるようになって、刺青までいれたのよ。これ以上日本には居れないから、ドイツへいって、音楽を学ぶんですって。」
もう一度、真智子にかわった。
「あなた、コンクール入賞はしたけど、学校で一番になったことは、いちどもないわよね。土橋君、大学の優秀奨学金をもらうんですって。いまのところ、応募したのは彼しかいないから、自動的に、かれがもらうことになるでしょうけど、まあ、あなたは、金持ちだからいらないわよね。せいぜい、音大生最後の日を満喫してくださいな。」
と、真智子は、電話を切った。真智子の家では、真智子、加代子、美里、三人が呵々大笑していた。
つぐみは、怒りで顔が真っ赤になっていた。同時に疑問もわいた。自分は小さいときから、優秀で、美人で、本当に、よくできた子どもだったはずだ。
しかし、大学へいってみたら、自分のことを、優秀といってくれる人は、だれもいないし、美人といわれたこともない。なぜ、、、?
つぐみは、テレビの前に寝ころんでいる母親に、きいてみた。
「お母さん、私は小さいときから優秀で、よくできた子どもといわれていたわよね、それなのに、大学はうまく行かないの。お母さんは成績が、よければ、世の中渡り歩けるってよくいっていたわよね。あたし、頑張っていい成績とったけど、幸せとかんじられないの、なぜなの!」
「あんた、まだそんなこと、いうの?」
母親はあきれたようなかおをした。
「いくらいい成績とっても、わからない事っていっぱいあるわよ。成績は、必要な時は確かにあるけど、それがすべてじゃないわよ。成績は、神様ではないのよ。あんた、もう音大生卒業するんだから、それくらいわかっていたとおもってたわ。文字通りに考えないで、その裏を感じなくちゃ。」
裏切ったとおもった。大人というものは、すぐこうやって言い訳をするのか、身勝手すぎる。自分に、可愛い、優秀、よくできた子どもと、いっておきながら、大学というところにいくと、まるで百八十度変わってしまったようだ。
「あたしは優秀だ、美人だ、周りで行う人がわるい。」
つぐみは、何回もいいきかせた。
そう、周りの人が、周りの人が、周りの人がわるい。
「殺してやる!」と、つぐみは、念じた。

つぐみは、奨学金の申請をした。これにより、奨学金贈呈試験が、行われることになった。この試験は他の学生にも、公開される。なぜなら、一番優秀なもの同士が戦うのだから、他の学生も、向学心を持って欲しい、という狙いがあるからだ。
試験は、一時間のプログラムを組んだリサイタル形式で行われる。つぐみは、急いでオーダーした、青色の派手なドレスを身にまとった。衣装も、音楽に近づく第一歩だ。衣装をきれば、別世界。だからなるべく派手な方がいい。とおもい、土橋輝を見ると、袖に綻びがある、黒の紋付き羽織り袴を着ている。バカな奴だ。と、つぐみは、おもった。やっぱり、被差別部落民である。衣装さえも買えないんだから。と、彼女は、土橋の方に目をやると、綻んだ彼の着物の袖から、金色の眼が、彼女を、にらみつけた。土橋の左手に彫られた龍だった。首回りは、ネックレスかと思ったが、すべて根性焼きであった。
「今日は、よろしく。」
つぐみは素っ気なくいった。
「ええ、まあ、僕はきっと、取れないでしょうけどね。つぐみさんの方が、演奏技術はあるでしょうから。」
「今日は、何を弾くの?」
「ベートーベンの、ハンマーグラビーア。」
あんな大曲、、、でも、土橋は手も小さいので、途中で間違えるだろう。
「あたしはね、ショパンの、ソナタ第二番を。」
「そうですか。」
と、土橋は力が抜けたようにいった。
奨学金は、もらった!と、つぐみは、思った。
試験が、始まった。つぐみが先行だった。何回も、徹夜して完成させたソナタを力いっぱいひいた。
「汚い音ね。」
客席で真智子がつぶやいた。
「本当だわ。アマチュアよりひどいわ。」
と、加代子がいうと、
「まあ、あのひとは、あれだけしか力がないってことよ。選曲も間違えているわ。ショパンなんか、あの人には、合わないわよ。それより、パンクをやった方がいいんじゃないかしらね、音が、トンカチでぶったたいてるみたい。ショパンは、そうやって、ひくもんじゃないわ。演奏技術はあるのかもしれないけど。」
と、分析する事が大好きな美里がいった。
つぐみは、ノーミスでショパンのソナタ第二番を弾き終えた。拍手が飛んだ。彼女は、楽屋でたいきしていた。
次に、土橋輝の、ハンマーグラビーアであった。かれは、舞台にでて、ピアノをひきはじめた。聴衆は、どよめいた。審査員たちも、驚きをかくせない。それほど美しい音色であった。
第一楽章、二楽章とすすみ、三楽章にはいると、審査員のひとりが、
「素晴らしい。」といった。ゆっくりしたテンポのなか、人生を回顧するようなこの三楽章を、二十二歳の青年がどう弾くのか、審査員たちは、疑問に思っていた節があった。しかし、彼の演奏を聞いて、審査員たちは、こういった。
「あの青年が、まだ青二才であるはずの年齢で、ベートーベンの偉大な曲を、こんなにも美しく弾きこなしてしまうのは、彼が、かわたであったからであり、非常に苦労してきたからであろう。今の学生は苦労を知らないで、音楽を、やってしまうから、モノマネみたいになってしまうけど、かわたであったかれは、きちんと自分を持っているのだ。」
「奨学金は、彼のものだ。音楽大学の歴史に、新しいページをめくったな。」
つぐみは、楽屋で流れてくる、土橋輝の演奏をききながら、自分の力のなさを、初めて知った。正しいとおもったことは、間違いだったのだ。成績がいい、優等生、美人、それらは飾りものにすぎない。それよりも、もっと、必要なものがある。
つぐみの顔に涙が浮かんだ、ああ、人生は、失敗だ、、、。と思って彼女は、わからなくなった。

つぐみは、目をさました。そこは、病院。自分はなぜ、まだ、生きていたのだろうか。もう人生は、いらないとおもったのに。
「つぐみさん、」
「真智子!」
目の前に真智子、加代子、美里がいた。
「過労性の脳貧血ですって。目をさませば、もう、大丈夫と。」
「み、みんな、、、。ごめんね、ごめんなさい、、、、ごめんなさい、ごめんなさい。」
つぐみは、皆に、土下座しそうな気持ちで謝った。
「もういいのよ、そんなこと、だって、ともだちじゃない。それより、あなたのフィランセ、今日、ドイツに向かうんですって。」 
美里がちょっと、意地悪くいった。
「いえ、あんなやつ、」
「いいえ、顔にでてるわよ。あんたが土橋輝のこと、好きだって。真智子がタクシーよんでおいたから、成田まで行って、フィランセに、謝ってきな。」
つぐみは、はっと我にかえり、病院をとびだした。玄関に、緑のタクシーが待っていた。行き先を成田空港と告げると、タクシーは、猛スピードで走り出した。
成田空港では、大島紬を身にまとった青年が、ドイツのベルリン行きの便の、搭乗手続きをしていた。すると、ベルリン行きは、天候がわるいため、当分飛びそうにない、と、アナウンスがながれた。青年は、軽くため息をついて、近くのベンチに、すわった。
つぐみは、成田空港にとびこんだ。看板の指示の通りに、走りだした。マラソンより、ずっとくるしかった。
そして、ベルリン行きの便の、搭乗口をみつけた。
大島紬を身にまとった青年は、本を読んでいたが、ふっと、てを止めた。誰かが自分の名を呼んでいる。その声はどんどん大きくなり、やがて泣き声にかわり、とうとうつぐみが、目の前にあらわれた。
「土橋君!」
と、つぐみは、激しい呼吸を、しながら
「ごめんなさあああっい!」
と、土橋のあしにかじりついた。
「そんなこと、もう、いいんですよ、
ありがとう。」
土橋は、静かにいった。
「ありがとう、、、。」
つぐみは、オウム返しに答えた。すると、ベルリン行きが発射可能になったという、アナウンスがながれた。
「では、また、いずれ。」
土橋は、搭乗口に、行ってしまった。
つぐみは、いつまでも、そこに立っていた。
空港の外に、青いばらが、植えられていた。風が吹いて、花弁が飛んでいった。

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