愉快な増田家

増田朋美

これは、僕が僕の顔を見ることができた時代の話である。
僕の家は、毎日箏の音で目が覚める。
「雄鹿なく、この山里といいじけむ、、、。」
この歌をきくと、ああ、今日は、良治伯父さん、元気だな、とおもう。
朝、起きると、祖母が漬け物をきる音、祖父が吸う煙草のにおい、父が新聞をめくるおとが聞こえる。弟、長治郎も起きてくる。
「朋美」
と、祖母が僕に言う。
「良治伯父さんを呼んできて。」
僕は、一番奥の一番狭い部屋に行く。常に雨戸を閉め、外からみたら、物置に見える部屋で、良治伯父さんは、箏を弾いている。
「伯父さん、ご飯だよ。」
と、僕は伯父さんの肩をたたく。そうしなければ、伯父さんは気がつかない。良治伯父さんは、肩を叩かれるとびくっとする。
「お、おう。」
と、キーが高い声で伯父さんは、やっとこちらに戻ってくる。伯父さんは、外国人の俳優さんみたいに良い顔をしている。それなのに、結婚はしていない。伯父さんは、母の実の兄であり、僕の父は婿養子なのだ。しかし、母は弟が生まれたときに、難産で亡くなった。そうなれば、父は、名字を戻して、僕らを連れてこのうちにさようならをするはずである。
しかし、父は、増田のまま、残っている。だから、僕は増田朋美だし、弟は、増田長治郎なのだ。



僕は、極普通の人が行く、市立の小学校に入学した。入学式の日、父は、出張で不在であった。銀行員の父は、月に何度も出張にいった。祖父も、祖母もそれぞれ仕事に出かけなければならず、結局良治伯父さんが行ってくれることになった。前日に、夕飯をたべながら、祖母は、こんなことをいった。
「良治、明日はあなたが主役じゃないのよ、朋美をひきたててあげてね。」
「わかりましたよ」
と、良治伯父さんはいった。僕は、なんとなく、変な気持ちになった。
次の日、良治伯父さんは、黒の紋付きを身につけ、僕は、ランドセルを背負った。ズシッと重かった。良治伯父さんと僕は、手を繋いだ。二人並んで道路をあるいた。すると、近所のおばあさんたちが、こんなことをはなしていた。
「あんれまあ、あんな良い顔の男が、働きもしないくせに、よう子どもを引っ張っていけるねぇ。あの子どもは、将来どうなるかねえ。」
良治伯父さんは、全く気にせず、六段の調べのメロディーを口ずさんだ。
すこしいくと、派手な洋服をきた、おそらく僕と同じ学校へいくと思われる、少年が、良治伯父さんをみて、指さした。
「あ、増田良治。頭のおかしいオヤジだー。よう、増田良治、きみは、漢字も平仮名も書けないんだよねえ。おれねえ、ついに漢字を書けるようになったで。増田良治、お前は漢字かけないから、俺のパシりになれー。」
「こら、そんな事を言っちゃいけません。頭のおかしい人ではないのよ!」
と、母親がよびとめた。この少年は、後に腐れ縁のようになる。その当時の僕は、予想はしていなかったが。
入学式の会場に入った。どの子も、みんな母親と一緒で男性は、良治伯父さんだけだった。
新入生呼名が始まった。大規模な学校だから、えらく時間がかかり、僕は、眠くなった。すると、
「おい、朋美、次によばれるぞ!」
と、こえがした。と、同時に校長が、
「増田朋美君!」
とよんだ。僕は、
「は、はい?」
と周りをみわたした。すると、そこには、冷たい目がずらっと並び、ざわめきが聞こえてきた。
「お静かに!次は、佐藤加代子さん!」
と校長が、よんだ。
「はい!」
隣に座った少女は、佐藤加代子であった。とても朗らかなこえだった、
本来なら、こういう返事をするはずだろう。僕は、それができなかった。それがすごく
くやまれた。
式はおわり、教室へとおされた。むろん、保護者なのだから、良治伯父さんもはいるのであるが、
母親たちの何人かが教室のドアを閉めて、伯父さんは、廊下に追い出された。
僕は、机の上にある教科書を、みつめた。心に重石が乗ったようだった。
隣に座ったのは、佐藤加代子。前に座ったのは、あの、道路で遭遇した、植松であった。
僕は、不安でたまらなかった。この先、やれるだろうか。
教科書が入ったランドセルは、漬け物石のようだった。
僕は、大人の人たちがなぜ同じ大人の良治伯父さんを、邪険に扱うのか、理解できなかった。それは、次第にわかるようになる。それは、地獄の始まりであった。 

僕は、晴れて小学校という世界、即ち学校という世界に入った。しかし、五時間近く椅子に座らされ、威張っている先生の話をきくのはなりの苦痛だった。学校から帰ってきたら、二時間近く眠った。祖母が、それを見て、勉強しろしろと、怒鳴りつける。確かにもじや、計算ができて、嬉しい気持ちもあったが、学校は、憂鬱であった。
「朋美」
と、良治伯父さんが僕の部屋にやってきた。
「辛そうだね。」
伯父さんは、僕の気持ちを初めて共感してくれた。
「勉強も、いいけど、たまには息抜きも必要だよ。」
「伯父さん」
と、僕は、これぞとばかり頼んだ。
「お箏を教えて!」
伯父さんは、にこりと微笑んだ。タンポポの花のような笑顔だった。
早速、僕と伯父さんは、物置部屋にはいった。箏が二面と、布団があるだけの小さな部屋。
伯父さんは、三角形の部品を絃の下に置き、それを動かして、ミラシドミファラシドミファラシと言う音がでるようにした。これは、平調子と、言うものであった。
「では、桜桜を弾いてみようか。」
と、良治伯父さんは、箏を弾き始めた。
桜桜という単純なメロディーなのに、どうしてこんなに美しい音なのだろう。
良治伯父さんは、僕もハンサムなひとだと思っていたが、箏を弾いている時の伯父さんは、天の羽衣を身につけた、天人のようだ。その音、そうして慈しむような顔。良治伯父さんは、やっぱりすごい、と、僕は、おもった。
しかし、疑問があった。良治伯父さんの部屋には楽譜がない。教則本らしきものも、応用作品などもない。この部屋には押し入れもないし、箪笥も机もない。楽譜がないのになぜ音楽ができるのか。僕は、学校で、音楽はオタマジャクシのようなモノを読んで演奏するんだと、習ったし、箏のばあいは漢数字で、壱弐参四五六七八九十斗為巾と言う物が、オタマジャクシの代わりになると言うことも習ったが、その数字譜もないのだ。
しかし、良治伯父さんは、桜だけではなく、様々な曲を弾く。タイトルはわからないけれど、美しい曲をたくさん知っている、、、。
「朋美、伯父さんが弾くから、真似をしてごらん、それが一番近道だよ。」
「うん。」
と、僕は、伯父さんのあとに続いて桜を弾いた。はじめは、絃の位置を見きわめるのに苦労した。間違えると、伯父さんは、僕の手を掴んで、正しい絃のところへ持っていき、決して怒らずに、何回もやとてくれた。一時間したら、僕は、桜が弾けるようになった。
その次の日は、荒城の月、その次の日は、みかんの花咲く丘、など、毎日毎日欠かす事なく、この稽古は続いた。楽譜は一切しようしなかった。

ある日のことだった。僕は、いつも通り学校にいった。すると、同級生三人が、僕をとりかこんだ。
「お前のオヤジは、なんで字が読めないんだよ、馬鹿じゃねえの。」
「小学校一年だって、もう漢字習わなくちゃいけないのによ、何であいつは習わなくていいのかなあ。」
「俺達が、こんなつまらない学校に行かなきゃならないのによ、あいつは学校行かなかったんだなよなあ。」
と、ビニール袋から、僕の頭上に砂をかけた。
次のひも、その次の日も、同じことをされた。

僕は、家にかえった。帰り道で砂をかけられたので、髪は白くなっていた。
家のドアをあけると、良治伯父さんがでた。
「朋美、どうしたの、すぐお風呂に入って綺麗になっておいで。」
僕は、伯父さんに言われるがままに、お風呂にはいった。
お風呂から出ると、伯父さんは、ホットケーキと、ジュースをだしてくれた。
「ほら、これ食べて、元気だしな。」
僕は、国語の教科書をとりだした。
「良治伯父さん」
僕は、ごくりと生唾を、のみこんだ。
「この字、読める、、、?」
僕は、国語というタイトルを指さした。
「読めない、、、。」
と、伯父さんは、涙を堪えながら、いった。ああ、ついにわかってしまったか、という表情だった。声を出して泣こうとはしていなかったが、悲しみをこらえている事がわかった。
「ごめんね、朋美。ごめんね、ごめんね、、、。」
僕は、何といったらよいのかわからなかった。

その夜、僕は、祖父にきいてみた。
「良治伯父さんは、字がよめないの?」
「お前も気づいたか。」と、祖父は静かにいった。
「良治伯父さんは、ディスレクシア、という障害で、いくら練習しても読み書きができないんだ。知恵遅れでも、自閉症でもない。それなのに、平仮名も片仮名も漢字も読めないし書けない。だから、雇ってくれるところがないから、おばあちゃんが箏を習わせたよ。楽譜は全て暗譜。朋美、これは、仕方ないことなんだ。」
「大丈夫、」と、僕は、張り切っていった。
「僕が伯父さんの力になる。僕、良治伯父さん大好きだから。」 


僕は、いつでもどこでも、良治伯父さんと一緒だった。伯父さんの買い物は独特だった。まず、スマートフォンを常に出している。それには、きゅうり、人参、などの野菜の写真。牛肉、豚肉などの食材の写真をみて、同じ物を買っていくのだった。だから、すぐパッケージが変わるようなものは、買うことができない。なので良治伯父さんは、インスタント食品は全く買わず
全て生鮮食品を買った。調味料も、塩こしょうや醤油程度しかない。それゆえに、伯父さんのつくる料理は、野菜のにものばかりだった。よく同級生の植松がからかうことがあったが、小学生だったので、まだ親の力が大きい年であるから、べつに気にしなかった。
伯父さんは、駅の名前なども、読むことはできないが、電車が発車するときになる音楽で、駅を識別していた。また電車の色などで、各路線をある程度把握していた。本を読むこともできないが、図書館の朗読サービスなどを利用していた。きいているときの伯父さんは、とても真剣であった。
楽しかった小学生時代もおわり、中学生になった。やはり、入学式は、良治伯父さんに来てもらった。しかし、中学校は、小学校と全く違った。各教科ごとに教師がいる。そしてなにより、「試験の点数」、「内申点」に縛られた。
入学式の翌日のことだった。
「ただいま。」
と、父が帰ってきた。
「なんだおまえ、こんな早く帰ってきたのか。」
と、祖父は、間延びしていった。
「お父様、僕は、今年から支店長に、なりました。なので、帰宅も早くなります。これから朋美と、長治郎は、僕がみます。」
父は、選挙演説のように話した。
「朋美、お前は、内申点を取って、私立高校へいけ。長治郎もだ。」
「はいよ、」
と、長治郎は、ふてぶてしくいった。
「直樹君、君は焦りすぎじゃないのか、朋美はまだ、中学生になったばかりだぞ。もっと楽しませてやれよ、受験は、その後でいいだろ、」
「お兄さんは、社会人経験がないから、そんなこと言えるんですよ。いいか朋美、まず、箏を処分しなさい。そして睡眠を削って生活しなさい。中間テストまでもうすぐきてしまうぞ。三年になってからでは、おそすぎるから。」
僕は、父が何故このようなことをいうのかわからなかった。
その日から、僕の生活は天国から地獄になった。父は、毎日勉強したか、と怒鳴りつけ、ノートを全てみて、気に入らないことがあれば、紙筒でひっぱたく。例えば、僕がアルファベットのスクリプト体を習って、覚えるために、何回か書いて、形が崩れてしまったときの激怒は、すさまじかまった。
「おまえは、真似をすることもできないのか、このばかもんが!」
などといい、背を物差しでぶった。しかし、弟の長治郎は、同級生の書いたものをトレーシングペーパーなどで、写して、実際にはしなかった。暇があれば遊びにいった。
祖父も、祖母も父には何もいえなくなった。父は、二人が大切にしている、着物などを自分の部屋に持っていき、朋美や長治郎のことについて文句があるなら、燃やしてしまいますよ、などといって脅し、誰も逆らえないようにしていた。
良治伯父さんだけが父に刃向かっていた。朋美が可哀想だ、と、僕の見方になってくれた。しかし、父は、馬耳東風。読み書きのできない伯父さんに、朋美に近づいたら箏を没収するという誓約書を書かせた。
一体、父は、何故鬼のようになってしまったのだろうか? 



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