家事力0の女魔術師が口の悪い使用人を雇ったところ、恋をこじらせました
第十三話 散らかったものの片付け方
ギルバートに寝室へ入られてしまった。
彼は明かりのついていない室内で、廊下から入りこむ光を頼りにミレーネの左腕を掴んだ。
ミレーネは振り払おうとするが、筋力の差は歴然だ。
「放してください」
「あんたが俺と話す気になったのならな」
ミレーネのローブに付いているフードは、ここまで走ってきたがゆえに脱げてしまっていた。
薄暗闇の中で目が合い、ミレーネはギルバートが真剣そのものであることに気付いてしまう。逃げ切れない。彼女は事ここに至って諦観した。
「……分かりました。お話しします」
「そう言って、魔法で瞬間移動したりしないだろうな」
「しませんよ。そうやって逃げても追いつかれそうな気がしますし」
ギルバートが手を離す。
ミレーネは暗澹たる心持ちで、部屋の魔法灯を点火した。
一気に明るくなった室内を目にし、ギルバートは眉をひそめる。
「なんでまた散らかっているんだ?」
先日片付けたばかりであるはずの寝室の床には、十数枚の紙が散らばっていた。
「全て、呪文構築のアイディアです。説明しましょうか?」
何もかもを諦めたミレーネは、自分の近くに落ちている紙を拾い上げた。紙面は彼女としては荒っぽい字でびっしりと埋まっている。
「案十一。不可視の鎖。対象者を透明な鎖で縛り、指定した地点から一定距離以上離れられないようにする呪文のアイディアです」
ギルバートは内心首をかしげた。
そんな呪文を何に使おうというのか。
ミレーネはまた別の紙を拾い上げる。
「案六。越境禁止結界。術者のみが出入りできる種類のものです。つまり、内部にいる者は結界が張られている限り、外へ出ることはできなくなります」
「それは、何のための呪文なんだ?」
「決まっているではありませんか。無理矢理にでもあなたをこの屋敷に閉じこめて、ずっとここにいてもらうためのものです」
「……俺を? 閉じこめる?」
ギルバートは彼女が何を言っているのか分からなかった。ミレーネは自分を追い出すための算段を付けていたはずだ。
「どれも、魔術師の倫理規定に真っ向から反する呪文ばかりです。私の破滅を望むのでしたら、これを証拠とすれば簡単ですよ」
紙に目を落としたまま、ふふふ、とミレーネは笑った。全てが終わるのだと思うと、なぜか笑いがこみ上げたのだ。
「分かりませんか。私があなたに、どれだけひどいことをしようと考えているか。自由を奪い、縛りつける。知られたくはありませんでした。しかし、知ったからには、もう迷いませんよね。今すぐこの家から出て行ってください。私が誘惑に負けてこれらの呪文を使い始める前に」
「俺がどう考えるか、何をしようとするかを勝手に決めるな」
怒りを孕んだ声がすぐ近くで聞こえたことに驚き、ミレーネは顔を上げた。
ごく近く、あと半歩で体が触れあいそうなほどの距離にギルバートがいる。
ミレーネは後退しようとしたが、機先を制したギルバートが両腕の中に自分より小さな体を拘束した。
背中に回された腕の力は強く、抜け出せそうにない。ミレーネは身を震わせた。
「俺の言葉を聞いてくれ。頼む。ちゃんと話すから」
体の震えが止まる。懇願するような声がミレーネのパニックを拭い去った。
もしも話を聞いてあげなければ、ギルバートのどこかが壊れてしまうのではないか。そう不安になり、ミレーネは無言で頷き、先を促した。
「謝りたいんだ。俺の言葉であんたは傷ついたんだろう? 正確に何を言ったのかは、悪い、覚えていないんだが、俺はあのカフェで、あんたが使用人に手を付けるような奴だと思われたくなくて、乱暴な物言いをした。なぜあんたがこんなに傷ついているかは分からないんだが、俺の発言のせいだということくらいは分かる」
ミレーネはじっとギルバートの声に耳を傾けていたが、一つ理解できない点があった。
「私が、使用人に手を付ける?」
「使用人と関係を持っていると疑われれば、主人の不名誉となる。共に外出するのとは訳が違う」
「えっと……ギルバートは、私があなたと懇ろな仲だと思われれば私に害が及ぶと思って、ああ言ったのですか?」
「そうだ。だが、どこか俺の言い方が悪かったんだろう? だから、面と向かって謝りたかった。許してくれとは言わない。ただ、伝えたかったんだ。それで、あんたが俺ともう顔も合わせたくないなら、潔く身を引くつもりだったんだが……」
そこでギルバートは言い淀んだ。
自分の腕の中から自分を見上げている視線を意識しないよう、目を逸らす。
「あー……本当は、俺にいてほしいのか?」
「……はい」
ミレーネの心は落ち着きつつあった。
ようやく彼女は、自分がひどい勘違いをして、勝手に彼を拒絶していたことに気が付いた。
それに、ここまで触れてくれているのだ、嫌われてはいないのだろうとミレーネは推測する。
そう考えると、多少は本心を話してもよい気がした。
「私、ギルバートがいてくれないと、寂しいです。それに、部屋もまた散らかってしまいます」
この部屋の床が早くも紙で覆われつつあったことを考え、ギルバートは苦笑する。
「俺もここにいたい。俺を受け入れてくれた場所は初めてなんだ。ある意味では仕事のやりがいもあるしな。だが……問題がある」
「えっ……何でしょうか?」
ミレーネの赤茶色の目が不安げに揺れる。
やはり出て行けと言われるかもしれない。しかし、一縷の希望を抱いてしまったギルバートは止まれなかった。
「好きなんだ。愛してる。あんたの側では自然でいられて、俺としてここに存在していいんだと感じるんだ。……だから、自分を抑え続けられる自信がない」
他の男の妻になっているあんたを見るのは御免だしな、と心の中でギルバートは付け加えた。
「関係を隠すのは気を使うことだ。露見すればあんたの名誉に関わる。リスクばかりが高いが、その、俺と付き合ってくれないか?」
言った。言ってしまった。口にした言葉をなかったことにはできない。ギルバートは期待と後悔を胸に、ミレーネの返答を待った。
「それは……本当なのですか?」
「……俺を信じられないか?」
「ご、ごめんなさい……。だって私は、もういい歳ですし、見た目もあなた達と違いますし……」
心底申し訳なさそうな顔をミレーネはした。
違う、とギルバートは思う。こんな顔をさせたいわけではない。
「いい。証拠が見たいということだろ? あんたがどういう返事をするのか、俺は緊張のあまり心臓が破裂しそうだ」
だから脈を、と言う前にミレーネが口を開いた。
「観察。看破。人体検査」
呪文を詠唱し、ミレーネはじっとギルバートを見る。
「確かに、血の巡りは平均よりも速く、体温も上がっていますね」
「待て。何だその呪文は」
唐突な魔法の行使に、ギルバートは真顔でツッコむ。
「治癒術の一つです。目に見えない部分を悪くしていたとしても、この呪文を使えばどこが悪いのか、体の調子が分かります。ちなみにギルバートは病気などはないようです。健康体です」
「……ありがとよ。ああ、とにかく、俺が嘘をついていないことは分かっただろ?」
「は、はい……」
ギルバートがミレーネをじっと見つめると、彼女は消え入りそうな声で、顔を赤くさせて頷いた。
「で、返事は?」
「ええとですね、隠すのは、嫌です」
「……そうか。それがあんたの答えなら、俺は受け入れる」
駄目だったか、とギルバートは残念に思った。
愛しているからこそ無理強いはできなかった。
いつまでも抱きしめているわけにもいかないと、腕を解こうとする。
しかしながら、その直前にミレーネの細腕が彼の背中に回されたため、ギルバートの体は固まった。
「ありがとうございます」
ミレーネの声には確かに喜色が含まれている。
「次は、堂々と胸を張って外に出ましょうね。その、恋人として」
ギルバートは頭をぶん殴られた気がした。
「はあっ?! 隠すのは嫌って、白日の下にさらすって意味か?!」
「はい、もちろん」
控えめだがミレーネの声は嬉しそうに弾んでいる。
ミレーネが喜んでいるのだからと全てを納得しそうになったが、ギルバートはあと一歩のところで常識を取り戻した。
「あんたは市長付き魔術師だぞ? 名誉が――」
「ギルバート、私は魔術師ですよ? 魔術師が一般常識に沿わない行動をする例なんて、枚挙に暇がありません。むしろ、常識に縛られていては、魔術師としては大成できません。その、心ないことを言ってくる方もいるかもしれませんが、我慢してくれますか?」
ギルバートは天井を仰いだ。
こんなに自分にとって都合がよくてもいいのだろうかと。
「私も、ギルバートのことが大好きです。どうか側にいてください」
「……ああ。あんたも俺の側にいてくれよ」
「当然です」
幸せそうにミレーネが笑うので、ギルバートも微笑みをこぼした。
彼は明かりのついていない室内で、廊下から入りこむ光を頼りにミレーネの左腕を掴んだ。
ミレーネは振り払おうとするが、筋力の差は歴然だ。
「放してください」
「あんたが俺と話す気になったのならな」
ミレーネのローブに付いているフードは、ここまで走ってきたがゆえに脱げてしまっていた。
薄暗闇の中で目が合い、ミレーネはギルバートが真剣そのものであることに気付いてしまう。逃げ切れない。彼女は事ここに至って諦観した。
「……分かりました。お話しします」
「そう言って、魔法で瞬間移動したりしないだろうな」
「しませんよ。そうやって逃げても追いつかれそうな気がしますし」
ギルバートが手を離す。
ミレーネは暗澹たる心持ちで、部屋の魔法灯を点火した。
一気に明るくなった室内を目にし、ギルバートは眉をひそめる。
「なんでまた散らかっているんだ?」
先日片付けたばかりであるはずの寝室の床には、十数枚の紙が散らばっていた。
「全て、呪文構築のアイディアです。説明しましょうか?」
何もかもを諦めたミレーネは、自分の近くに落ちている紙を拾い上げた。紙面は彼女としては荒っぽい字でびっしりと埋まっている。
「案十一。不可視の鎖。対象者を透明な鎖で縛り、指定した地点から一定距離以上離れられないようにする呪文のアイディアです」
ギルバートは内心首をかしげた。
そんな呪文を何に使おうというのか。
ミレーネはまた別の紙を拾い上げる。
「案六。越境禁止結界。術者のみが出入りできる種類のものです。つまり、内部にいる者は結界が張られている限り、外へ出ることはできなくなります」
「それは、何のための呪文なんだ?」
「決まっているではありませんか。無理矢理にでもあなたをこの屋敷に閉じこめて、ずっとここにいてもらうためのものです」
「……俺を? 閉じこめる?」
ギルバートは彼女が何を言っているのか分からなかった。ミレーネは自分を追い出すための算段を付けていたはずだ。
「どれも、魔術師の倫理規定に真っ向から反する呪文ばかりです。私の破滅を望むのでしたら、これを証拠とすれば簡単ですよ」
紙に目を落としたまま、ふふふ、とミレーネは笑った。全てが終わるのだと思うと、なぜか笑いがこみ上げたのだ。
「分かりませんか。私があなたに、どれだけひどいことをしようと考えているか。自由を奪い、縛りつける。知られたくはありませんでした。しかし、知ったからには、もう迷いませんよね。今すぐこの家から出て行ってください。私が誘惑に負けてこれらの呪文を使い始める前に」
「俺がどう考えるか、何をしようとするかを勝手に決めるな」
怒りを孕んだ声がすぐ近くで聞こえたことに驚き、ミレーネは顔を上げた。
ごく近く、あと半歩で体が触れあいそうなほどの距離にギルバートがいる。
ミレーネは後退しようとしたが、機先を制したギルバートが両腕の中に自分より小さな体を拘束した。
背中に回された腕の力は強く、抜け出せそうにない。ミレーネは身を震わせた。
「俺の言葉を聞いてくれ。頼む。ちゃんと話すから」
体の震えが止まる。懇願するような声がミレーネのパニックを拭い去った。
もしも話を聞いてあげなければ、ギルバートのどこかが壊れてしまうのではないか。そう不安になり、ミレーネは無言で頷き、先を促した。
「謝りたいんだ。俺の言葉であんたは傷ついたんだろう? 正確に何を言ったのかは、悪い、覚えていないんだが、俺はあのカフェで、あんたが使用人に手を付けるような奴だと思われたくなくて、乱暴な物言いをした。なぜあんたがこんなに傷ついているかは分からないんだが、俺の発言のせいだということくらいは分かる」
ミレーネはじっとギルバートの声に耳を傾けていたが、一つ理解できない点があった。
「私が、使用人に手を付ける?」
「使用人と関係を持っていると疑われれば、主人の不名誉となる。共に外出するのとは訳が違う」
「えっと……ギルバートは、私があなたと懇ろな仲だと思われれば私に害が及ぶと思って、ああ言ったのですか?」
「そうだ。だが、どこか俺の言い方が悪かったんだろう? だから、面と向かって謝りたかった。許してくれとは言わない。ただ、伝えたかったんだ。それで、あんたが俺ともう顔も合わせたくないなら、潔く身を引くつもりだったんだが……」
そこでギルバートは言い淀んだ。
自分の腕の中から自分を見上げている視線を意識しないよう、目を逸らす。
「あー……本当は、俺にいてほしいのか?」
「……はい」
ミレーネの心は落ち着きつつあった。
ようやく彼女は、自分がひどい勘違いをして、勝手に彼を拒絶していたことに気が付いた。
それに、ここまで触れてくれているのだ、嫌われてはいないのだろうとミレーネは推測する。
そう考えると、多少は本心を話してもよい気がした。
「私、ギルバートがいてくれないと、寂しいです。それに、部屋もまた散らかってしまいます」
この部屋の床が早くも紙で覆われつつあったことを考え、ギルバートは苦笑する。
「俺もここにいたい。俺を受け入れてくれた場所は初めてなんだ。ある意味では仕事のやりがいもあるしな。だが……問題がある」
「えっ……何でしょうか?」
ミレーネの赤茶色の目が不安げに揺れる。
やはり出て行けと言われるかもしれない。しかし、一縷の希望を抱いてしまったギルバートは止まれなかった。
「好きなんだ。愛してる。あんたの側では自然でいられて、俺としてここに存在していいんだと感じるんだ。……だから、自分を抑え続けられる自信がない」
他の男の妻になっているあんたを見るのは御免だしな、と心の中でギルバートは付け加えた。
「関係を隠すのは気を使うことだ。露見すればあんたの名誉に関わる。リスクばかりが高いが、その、俺と付き合ってくれないか?」
言った。言ってしまった。口にした言葉をなかったことにはできない。ギルバートは期待と後悔を胸に、ミレーネの返答を待った。
「それは……本当なのですか?」
「……俺を信じられないか?」
「ご、ごめんなさい……。だって私は、もういい歳ですし、見た目もあなた達と違いますし……」
心底申し訳なさそうな顔をミレーネはした。
違う、とギルバートは思う。こんな顔をさせたいわけではない。
「いい。証拠が見たいということだろ? あんたがどういう返事をするのか、俺は緊張のあまり心臓が破裂しそうだ」
だから脈を、と言う前にミレーネが口を開いた。
「観察。看破。人体検査」
呪文を詠唱し、ミレーネはじっとギルバートを見る。
「確かに、血の巡りは平均よりも速く、体温も上がっていますね」
「待て。何だその呪文は」
唐突な魔法の行使に、ギルバートは真顔でツッコむ。
「治癒術の一つです。目に見えない部分を悪くしていたとしても、この呪文を使えばどこが悪いのか、体の調子が分かります。ちなみにギルバートは病気などはないようです。健康体です」
「……ありがとよ。ああ、とにかく、俺が嘘をついていないことは分かっただろ?」
「は、はい……」
ギルバートがミレーネをじっと見つめると、彼女は消え入りそうな声で、顔を赤くさせて頷いた。
「で、返事は?」
「ええとですね、隠すのは、嫌です」
「……そうか。それがあんたの答えなら、俺は受け入れる」
駄目だったか、とギルバートは残念に思った。
愛しているからこそ無理強いはできなかった。
いつまでも抱きしめているわけにもいかないと、腕を解こうとする。
しかしながら、その直前にミレーネの細腕が彼の背中に回されたため、ギルバートの体は固まった。
「ありがとうございます」
ミレーネの声には確かに喜色が含まれている。
「次は、堂々と胸を張って外に出ましょうね。その、恋人として」
ギルバートは頭をぶん殴られた気がした。
「はあっ?! 隠すのは嫌って、白日の下にさらすって意味か?!」
「はい、もちろん」
控えめだがミレーネの声は嬉しそうに弾んでいる。
ミレーネが喜んでいるのだからと全てを納得しそうになったが、ギルバートはあと一歩のところで常識を取り戻した。
「あんたは市長付き魔術師だぞ? 名誉が――」
「ギルバート、私は魔術師ですよ? 魔術師が一般常識に沿わない行動をする例なんて、枚挙に暇がありません。むしろ、常識に縛られていては、魔術師としては大成できません。その、心ないことを言ってくる方もいるかもしれませんが、我慢してくれますか?」
ギルバートは天井を仰いだ。
こんなに自分にとって都合がよくてもいいのだろうかと。
「私も、ギルバートのことが大好きです。どうか側にいてください」
「……ああ。あんたも俺の側にいてくれよ」
「当然です」
幸せそうにミレーネが笑うので、ギルバートも微笑みをこぼした。
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