家事力0の女魔術師が口の悪い使用人を雇ったところ、恋をこじらせました
第十一話 対処の方法
屋敷の玄関へ行くには、必ずリビングルームを通過しなければならない。
そして今日はミレーネの休み明け。
それゆえギルバートはリビングにて、早朝から待ち構えていた。
朝八時半頃。リビングの、家の奥側の扉が開く。
灰色のローブをまとい、フードも目深にかぶったミレーネが姿を現した。
「待ってくれ」
玄関へと歩み去ろうとした彼女の前に立ち塞がったギルバートは、何を言うか考えていたはずなのに言葉がつっかえる。
ミレーネはギルバートの方を見ようともせず、フードで陰となっているせいで顔色も定かではない。
ただ無言で突っ立っていた。
真っ白になった頭の中から、ギルバートは必死に言葉を探す。
「朝食、食べていかないのか?」
「結構です」
静かな、感情を窺わせない声。
彼が馴染んできたミレーネの声との落差に、ギルバートは動揺する。
「昨日の昼から何も口にしていないだろ、あんた。ぶっ倒れても知らないぞ」
「ええ、知らなくて構いません」
ギルバートはまた自分が言葉を間違えたことに気付いた。
片付けのおかげで広々と歩けるようになった部屋を、ミレーネは彼の横を通り抜けて去ろうとする。
しかし、ギルバートの方が背が高く脚も長いので、再度行く手を阻むことができた。
「俺のことは許さなくていい。だがせめて、食事だけは取っていってくれないか? ダイニングに――」
「移動。跳躍。空間転移」
呪文が唱えられ、ギルバートの眼前から彼女の姿がかき消えた。
背後で音がしたので慌てて振り返ると、玄関への扉の向こうへローブの端が消え、扉が閉まるところだった。
バタンと閉じられた扉に駆け寄るが、ドアノブに手をかけたところでギルバートは動きを止める。
あれだけ明確な拒絶を突きつけられ、それでも追うことは正しいのか。
悩んでいる内に玄関の扉が開く音がして、ミレーネが家から出て行ったことが分かった。
「……雨、大丈夫だろうか」
彼女が去った後で、話そうとしていたことの一つを思い出す。
昨日から降り続いている雨にミレーネが濡れないかを話題の一つにするつもりだった。
今はただ、傘を持って行っているか、雨避けの魔法でも使っていることを願った。
「失礼します」
「ああ、ミレーネ。おはよう」
シェーメン市長は、朝に執務室へ訪ねてきた自分の魔術師を朗らかに歓迎した。
豪華な机の向こうのイスに腰かけたまま、ミレーネの様子を窺う。
このように下から見ると、いつもフードの陰に隠れている彼女の顔が少し見えるのだが、残念ながら今日も静かで感情のない表情をしていた。
しかし、気のせいかもしれないが、市長は彼女の顔色が普段よりも悪いように見えた。
秘書がミレーネにも座るよう勧めたが、「長々とした用件ではありませんから」と彼女は辞した。
「……休暇はどうだったかな?」
「それに関して、相談したいことが」
「ん、何だろうか」
「腕のよい使用人を探している家をご存知ありませんか?」
「何があったんだい?」
市長の驚いた様子にも、ミレーネは大した反応を示さなかった。
「あの男に何かされたのか?」
「いいえ。ギルバートは優れた腕前を有しています。私のもとで働くよりも、もっと適した場所があるはずだと、それだけです」
「……そうか。今すぐ使用人の雇用を希望している者がいたかは思い出せないが、調べておこう」
「急いでいただけると助かります」
市長は再び驚いた。
ミレーネは市長に対して常に控えめで、何かを頼むこと自体が稀だった。その上、魔術の仕事に関すること以外で、彼女に急ぐよう要請されたことなどなかった。
「ミレーネ、本当は何があったんだい? なぜそこまで早急に使用人を追い出したがる? 公にしづらいことであるのなら、秘密裏に私が手を下そうか?」
美しい顔に心配そうな表情を浮かべ、市長は優しい声で問いかける。
ミレーネはただ首を横に振った。
「神々に誓って、ギルバートは何もしていません。私が悪いのです。私が何かをしでかす前に手を打たなければならないのです」
普段通りの静かな声で発せられた彼女の言葉に、どこか鬼気迫るものがあることを市長は感じた。
「どうかよろしくお願いします、市長。……失礼します」
一礼をして、ミレーネは市長の執務室から平常に退室した。
市長の顔が秘書に向けられる。
「急用だ。今日の予定は全て後日に回してくれ」
「は、しかし――」
「文句を言う者がいたら、市長の命令だと伝えて構わない」
秘書の反論を封じ、市長は厳かな声で言い放った。異議を差し挟むことを許可しない威圧がそこにはあった。
「……承知いたしました。各所へ連絡する手はずを整えて参ります」
秘書が早足で退室し、執務室には市長一人が残される。
彼は深刻な表情で、大切な自分の魔術師を悩ましている問題にどう手を打つべきか思案しだした。
ミレーネはどうすれば食事をしてくれるだろうか。
さすがに今夜の夕食には腹を空かせているから食べてくれるだろうか。
そもそも、空腹で倒れていないだろうか。
そのように様々なことを考えながら、ギルバートは片手で傘を差し、もう片方の腕で買いこんだ食料品を抱え、ミレーネ邸への帰路に就いていた。
雨のせいで、まだ昼だというのに周囲は薄暗い。
角を曲がり、家を視界に入れた彼は、屋敷を囲む鉄柵の門前に人影があることに気付く。傘を差した三人の男が立っていた。
二人は鎧をまとっている。心臓などの要所のみを守る金属鎧に刻まれた市の紋章から、この都市の衛兵であることは一目瞭然だ。
そしてもう一人は見覚えがあった。
祭りの混乱を堂々たる弁論で収めた男。シェーメン市長だ。
「市長閣下? ミレーネは仕事に出たはずですが、何かございましたか?」
丁寧な口調を心がけながら、ギルバートが集団に歩み寄り声をかける。
彼の声に気付いた市長は、美しい顔に微笑みを浮かべながら使用人に視線を向けた。
「やあ、ギルバート。実はきみに用があってね。家にいないようだったので、待っていたんだ」
「自分に? 何用でしょうか」
「我が魔術師殿を苦しめている男はどのような人物か、この目で見てみたくてね」
ギルバートの口角が引きつる。
市長は彼の様子を目敏く観察しながら、仰々しく肩をすくめた。
「ミレーネが男の使用人を雇ったと聞いたときから気がかりだったのだが、どうやら悪い予感は的中してしまったようだ。彼女から、きみをよそへやってくれるよう頼まれたよ。転職先の希望はあるかな?」
「ミレーネが、俺の解雇を希望していると。そう相談されたということですか」
「その通りだ」
ギルバートの傘を握る力が強くなる。
高い権力を持つ者の前であるため表情は変えないように努めていたが、動揺が動きの端々に表れていた。
「ミレーネはひどく思い悩んでいるようだった。なぜそうなってしまったのか、きみは知っているのでは?」
「……ええ。自分は口の悪さのおかげで前の職を失い、故郷を去らなければならない状況に追いこまれましたので。今回はそのようなことはすまいと考えていたのですが、また駄目だったようですね」
ギルバートは自虐的に笑った。
「何を言った」
端的な問いかけに、ギルバートは昨日のことを思い返す。
「ミレーネがなぜ様子を変えてしまったのかは分かりませんが、きっかけが自分の言葉であったことは自明です。ミレーネが使用人に手を出すはずがないと言った後です、彼女の様子がおかしくなったのは」
「ほう?」
予想外の証言が出てきたため、市長はとりあえず続きを促した。
「使用人に手出しをしたなどという醜聞を退け、ミレーネの名誉を守りたかった。それゆえとっさにそう言ったのですが、きっと自分の言い方か何かが悪かったのでしょう」
会話が途切れる。
ざあざあと降る雨粒が傘に当たり、絶え間なく音を立てている。
市長は考えを巡らし、様々な仮説を検証した。
結論を下し、どう行動するかを心に決め、傷心した様子を見せているギルバートに向かって口を開く。
「話はよく分かった。きみの転職先は私が見つけよう。そして私はミレーネに求婚する」
「……は?」
ギルバートが素で驚きの声を発したのも、無理のないことだろう。
そして今日はミレーネの休み明け。
それゆえギルバートはリビングにて、早朝から待ち構えていた。
朝八時半頃。リビングの、家の奥側の扉が開く。
灰色のローブをまとい、フードも目深にかぶったミレーネが姿を現した。
「待ってくれ」
玄関へと歩み去ろうとした彼女の前に立ち塞がったギルバートは、何を言うか考えていたはずなのに言葉がつっかえる。
ミレーネはギルバートの方を見ようともせず、フードで陰となっているせいで顔色も定かではない。
ただ無言で突っ立っていた。
真っ白になった頭の中から、ギルバートは必死に言葉を探す。
「朝食、食べていかないのか?」
「結構です」
静かな、感情を窺わせない声。
彼が馴染んできたミレーネの声との落差に、ギルバートは動揺する。
「昨日の昼から何も口にしていないだろ、あんた。ぶっ倒れても知らないぞ」
「ええ、知らなくて構いません」
ギルバートはまた自分が言葉を間違えたことに気付いた。
片付けのおかげで広々と歩けるようになった部屋を、ミレーネは彼の横を通り抜けて去ろうとする。
しかし、ギルバートの方が背が高く脚も長いので、再度行く手を阻むことができた。
「俺のことは許さなくていい。だがせめて、食事だけは取っていってくれないか? ダイニングに――」
「移動。跳躍。空間転移」
呪文が唱えられ、ギルバートの眼前から彼女の姿がかき消えた。
背後で音がしたので慌てて振り返ると、玄関への扉の向こうへローブの端が消え、扉が閉まるところだった。
バタンと閉じられた扉に駆け寄るが、ドアノブに手をかけたところでギルバートは動きを止める。
あれだけ明確な拒絶を突きつけられ、それでも追うことは正しいのか。
悩んでいる内に玄関の扉が開く音がして、ミレーネが家から出て行ったことが分かった。
「……雨、大丈夫だろうか」
彼女が去った後で、話そうとしていたことの一つを思い出す。
昨日から降り続いている雨にミレーネが濡れないかを話題の一つにするつもりだった。
今はただ、傘を持って行っているか、雨避けの魔法でも使っていることを願った。
「失礼します」
「ああ、ミレーネ。おはよう」
シェーメン市長は、朝に執務室へ訪ねてきた自分の魔術師を朗らかに歓迎した。
豪華な机の向こうのイスに腰かけたまま、ミレーネの様子を窺う。
このように下から見ると、いつもフードの陰に隠れている彼女の顔が少し見えるのだが、残念ながら今日も静かで感情のない表情をしていた。
しかし、気のせいかもしれないが、市長は彼女の顔色が普段よりも悪いように見えた。
秘書がミレーネにも座るよう勧めたが、「長々とした用件ではありませんから」と彼女は辞した。
「……休暇はどうだったかな?」
「それに関して、相談したいことが」
「ん、何だろうか」
「腕のよい使用人を探している家をご存知ありませんか?」
「何があったんだい?」
市長の驚いた様子にも、ミレーネは大した反応を示さなかった。
「あの男に何かされたのか?」
「いいえ。ギルバートは優れた腕前を有しています。私のもとで働くよりも、もっと適した場所があるはずだと、それだけです」
「……そうか。今すぐ使用人の雇用を希望している者がいたかは思い出せないが、調べておこう」
「急いでいただけると助かります」
市長は再び驚いた。
ミレーネは市長に対して常に控えめで、何かを頼むこと自体が稀だった。その上、魔術の仕事に関すること以外で、彼女に急ぐよう要請されたことなどなかった。
「ミレーネ、本当は何があったんだい? なぜそこまで早急に使用人を追い出したがる? 公にしづらいことであるのなら、秘密裏に私が手を下そうか?」
美しい顔に心配そうな表情を浮かべ、市長は優しい声で問いかける。
ミレーネはただ首を横に振った。
「神々に誓って、ギルバートは何もしていません。私が悪いのです。私が何かをしでかす前に手を打たなければならないのです」
普段通りの静かな声で発せられた彼女の言葉に、どこか鬼気迫るものがあることを市長は感じた。
「どうかよろしくお願いします、市長。……失礼します」
一礼をして、ミレーネは市長の執務室から平常に退室した。
市長の顔が秘書に向けられる。
「急用だ。今日の予定は全て後日に回してくれ」
「は、しかし――」
「文句を言う者がいたら、市長の命令だと伝えて構わない」
秘書の反論を封じ、市長は厳かな声で言い放った。異議を差し挟むことを許可しない威圧がそこにはあった。
「……承知いたしました。各所へ連絡する手はずを整えて参ります」
秘書が早足で退室し、執務室には市長一人が残される。
彼は深刻な表情で、大切な自分の魔術師を悩ましている問題にどう手を打つべきか思案しだした。
ミレーネはどうすれば食事をしてくれるだろうか。
さすがに今夜の夕食には腹を空かせているから食べてくれるだろうか。
そもそも、空腹で倒れていないだろうか。
そのように様々なことを考えながら、ギルバートは片手で傘を差し、もう片方の腕で買いこんだ食料品を抱え、ミレーネ邸への帰路に就いていた。
雨のせいで、まだ昼だというのに周囲は薄暗い。
角を曲がり、家を視界に入れた彼は、屋敷を囲む鉄柵の門前に人影があることに気付く。傘を差した三人の男が立っていた。
二人は鎧をまとっている。心臓などの要所のみを守る金属鎧に刻まれた市の紋章から、この都市の衛兵であることは一目瞭然だ。
そしてもう一人は見覚えがあった。
祭りの混乱を堂々たる弁論で収めた男。シェーメン市長だ。
「市長閣下? ミレーネは仕事に出たはずですが、何かございましたか?」
丁寧な口調を心がけながら、ギルバートが集団に歩み寄り声をかける。
彼の声に気付いた市長は、美しい顔に微笑みを浮かべながら使用人に視線を向けた。
「やあ、ギルバート。実はきみに用があってね。家にいないようだったので、待っていたんだ」
「自分に? 何用でしょうか」
「我が魔術師殿を苦しめている男はどのような人物か、この目で見てみたくてね」
ギルバートの口角が引きつる。
市長は彼の様子を目敏く観察しながら、仰々しく肩をすくめた。
「ミレーネが男の使用人を雇ったと聞いたときから気がかりだったのだが、どうやら悪い予感は的中してしまったようだ。彼女から、きみをよそへやってくれるよう頼まれたよ。転職先の希望はあるかな?」
「ミレーネが、俺の解雇を希望していると。そう相談されたということですか」
「その通りだ」
ギルバートの傘を握る力が強くなる。
高い権力を持つ者の前であるため表情は変えないように努めていたが、動揺が動きの端々に表れていた。
「ミレーネはひどく思い悩んでいるようだった。なぜそうなってしまったのか、きみは知っているのでは?」
「……ええ。自分は口の悪さのおかげで前の職を失い、故郷を去らなければならない状況に追いこまれましたので。今回はそのようなことはすまいと考えていたのですが、また駄目だったようですね」
ギルバートは自虐的に笑った。
「何を言った」
端的な問いかけに、ギルバートは昨日のことを思い返す。
「ミレーネがなぜ様子を変えてしまったのかは分かりませんが、きっかけが自分の言葉であったことは自明です。ミレーネが使用人に手を出すはずがないと言った後です、彼女の様子がおかしくなったのは」
「ほう?」
予想外の証言が出てきたため、市長はとりあえず続きを促した。
「使用人に手出しをしたなどという醜聞を退け、ミレーネの名誉を守りたかった。それゆえとっさにそう言ったのですが、きっと自分の言い方か何かが悪かったのでしょう」
会話が途切れる。
ざあざあと降る雨粒が傘に当たり、絶え間なく音を立てている。
市長は考えを巡らし、様々な仮説を検証した。
結論を下し、どう行動するかを心に決め、傷心した様子を見せているギルバートに向かって口を開く。
「話はよく分かった。きみの転職先は私が見つけよう。そして私はミレーネに求婚する」
「……は?」
ギルバートが素で驚きの声を発したのも、無理のないことだろう。
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