家事力0の女魔術師が口の悪い使用人を雇ったところ、恋をこじらせました

アウトサイダーK

第三話 魔術師の屋敷の惨状

ミレーネは、グリフォンに襲われかけていた男が、少し前に自分を助けてくれた者であることに気が付いた。
ミレーネの灰色のフードに半ば隠れた赤茶色の目と、使用人の服装をした男の暗色の目が合う。


その様子を彼女の横から見ていた市長はステージから飛び降り、尻餅を付いたままの男へと歩み寄っていった。


「すまない、災難だったね。私はユリウス・ウーレンフート。この都市の市長だ。きみは?」


「俺……あー、自分は、ギルバート・ペリオッドと申します、市長閣下」


市長とはつまり、都市の最高権力者である。
その市長にフランクに話しかけられ、ギルバートは少し混乱した。


「見たところ旅行者かな。せっかくの来訪に泥を塗るようなことになってしまって残念だ。……立てるかな?」


「いや、足をくじいてしまいまして」


「申し訳ない。補償はしよう。治癒師の所まで……」


「いいえ、市長。彼のことは私に任せてください」


いつの間にか市長とギルバートの近くまでミレーネが来ていた。
男性二人はミレーネの提案に驚き、目を見開いた。


「ミレーネ? きみは露店の視察や先程の騒動鎮圧で疲れているだろう。もあまり残っていないのでは? ここは任せてくれて構わない」


「お心遣い感謝いたします。しかしながら、私は彼に恩があるのです。治癒師はグリフォン騒動で出た負傷者の対応に追われていることでしょうから、彼は私が面倒をみます」


「ほお……分かった、きみがそうしたいのなら、そうすればいい」


「はい、そうします」


自分の頭上で交わされる会話を聞いていたギルバートの方へ、唐突にミレーネが顔を向ける。
フードで隠された顔からは何の表情もうかがえなかった。


「私の家で治療を行います」


「あんた……いや、あなたの家で?」


「はい」


「あなたは市長付きの魔術師なのでは? そのような方の手を煩わすほどのことでは――」


「私に恩を返されるのは嫌ですか?」


ギルバートの反論がなかったため、ミレーネはかばんからひもで巻かれた紙を取り出した。
紐を解き、一辺の長さが一メートルもない紙を手中に展開する。


それから、ギルバートの背後に回ると、彼に背後から抱きついた。前方、ギルバートにも見える位置に紙を掲げる。


紙面には左右非対称な円形の模様が描かれていたが、背中に感じる温かい感触に対する驚きのあまりギルバートの目には何も入ってこなかった。


「あんた、何して――」


「発動。帰還。ギルバートと私を転移」


ミレーネが呪文紙を発動させると、瞬時に二人の姿は大広場から消えた。
魔術行使のためとはいえ彼女の取った大胆な行動に市長はぽかんと口を開けていたが、すぐに気を取り直し、人々の指揮に戻った。






自宅への転移魔法が刻まれた呪文紙は、その役目を終えると砂のような粒となってミレーネの手から落ち、地面に小さな山を作った。
目的地に無事到着したため、ミレーネはすっと立ち上がる。
くらくらする奇妙な不快感を覚えながらギルバートが辺りを見回すと、目の前には屋敷があった。
大きさこそそれほどでもない、せいぜい三人が暮らせそうな程度だ。
しかしながら、周囲はしっかりと鉄柵で覆われている、クリーム色の石で造られた立派な見た目の屋敷だ。


ミレーネが鉄柵の門に触れると、門は音もなく左右に開いた。
そしてギルバートの方を振り返る。


「立て……ませんよね。ここで待っていてもらうのも……気が引けます」


ミレーネは日が傾きつつあることを察知していた。
気温がどんどん下がりつつある。外で待たせるのは酷だ。


「支えますから、玄関まで来てください。痛むのはどちらの足ですか?」


「……左だ」


ギルバートの左横に回りこんだミレーネは、地面に座りこんでいる彼の左腕を自分の肩に回させ、肩を貸す。
その体勢が露店の押し売りから助けてもらったときと似ていることに気が付き、ミレーネは少し頬を赤らめた。


「え、えっと、私に体重をかけて構いませんから、立ち上がってください」


「だが……」


「ほら、行きますよ」


会話を打ち切り、ミレーネは立ち上がる。
ギルバートは左脚に体重をかけず、右脚とミレーネの支えを用いながら何とか立ち上がった。


ミレーネは男性の体重の重さに眉をひそめたが、気付かれぬよう下を向く。


二人はゆっくりと歩き出した。
二人の背後で鉄柵の門が独りでに閉まる。


遅々とした歩みながら、二人が玄関の扉の前までたどり着いた。


「家主の帰還です。開きなさい」


ミレーネの声に呼応するように、ゆっくりと扉が外側へ開いていく。


暗い屋内に自動的に明かりが灯る。壁から光を投げかけているのは火ではなく、白い魔法の光だ。


歩行の補助をしてもらっていることに感じていた気恥ずかしさがギルバートの頭から吹き飛ぶ。
玄関から伸びている廊下は、控えめに言って惨状だった。全土が物で散らかっている。


「何だこれは」


「……負傷回復のポーションを取ってきます。ここで待っていてください」


家主はギルバートが何か言いたそうなことに気付いていたが、気付かなかったことにした。


ギルバートを玄関に座らせ――ようとして諦めた。座らせるためのスペースがない。
仕方がないので、壁に身を寄りかからせた。これなら左足に負担をかけずに待っていてもらえるはずだ。


ミレーネは廊下に向き合い、口を開きかけ、固まった。
今はが空になっていることを思い出したのだ。


ごくりとつばを飲みこむ。ギルバートの方を振り返ったその顔は悲壮さに満ちていた。


「……必ず戻ってきますので、少々お待ちいただけますか」


「いや、あんた、これを行くのか?」


ギルバートが思わず素の口調に戻り、ツッコミを入れたのも無理はなかった。


廊下には床が見えないほど物があふれかえっている。大部分は本や紙のようだ。箱もいくつかある。
足の踏み場はなかった。通行のための狭い一本道すらない。


ミレーネはギルバートの問いかけに答えずに、靴を脱いだ。
ここを通るには何かを踏んでいくしかない。靴を履いたままでは汚してしまう。
玄関に靴をそろえて置き、ミレーネは改めて廊下と向き合った。


一歩進む。靴下越しに足裏へ紙の感触。
ゆっくりともう一歩。紙ががさりと音を立てた。
さらに一歩踏み出しかけ、足裏に本の固い感触を覚えたので、着地地点を少し横にずらす。紙を踏みつける。


ギルバートはぜんとしながら、灰色のローブを着た魔術師が不格好に前進していく背中を見ていた。


わずか二メートルほどの廊下を、ミレーネは多大な時間をかけてようやく歩ききった。


突き当たりには扉が一つ。ミレーネはそれを押して開けた。


扉の向こうはギルバートからは見えない。ただ、魔法の明かりが灯って室内が明るくなったことだけが分かった。
ミレーネが扉をくぐり、後ろ手に閉める。


「――あっ!」


短い悲鳴。物が崩れる音。そして静寂。


「お、おい、大丈夫なのか?」


返事はない。ギルバートは様子を見に行こうとしたが、くじいた足の痛みにうめくだけに終わった。


何分待っただろうか。
廊下の突き当たりの扉が再び開いた。
ミレーネが姿を見せる。ただし、現在の彼女は床から浮いていた。回復のポーションを飲んできたおかげだ。
空中を滑るように飛び、ギルバートの眼前まで戻ってくる。
物が置かれていない玄関にミレーネは着地した。


「お待たせいたしました。回復薬です。どうぞ」


薄いピンク色の液体が入ったガラス瓶を、ギルバートは無言で受け取った。
コルク栓を開け、中身を飲み干す。
左足の痛みが見る見るうちに消えていった。体重をかけてみても、もう痛みはない。


「治りましたか?」


「ああ」


「よかったです」


ミレーネの言葉にはほっとしたような雰囲気が含まれていた。


移動中にフードが脱げてしまったようで、あんしている顔がよく見えた。ローブも屋内へ入る前よりもいくらかしわが寄っている。


空になった瓶をギルバートから受け取ると、ミレーネはそれを廊下に置かれている箱の上へぞんざいに置いた。


「一ついいか?」


「はい、何でしょう」


「この散らかり具合は何だ!」


ギルバートの突然の鬼気迫る剣幕に、ミレーネの肩が跳ねる。


「ええと、疲れて家に帰ってきたときなどは、物を持っていくのも面倒ですので、つい廊下に置いたままにしてしまって」


ギルバートから目を逸らしながら、ミレーネは弁明をした。
男の眉がつり上がる。


「これで暮らしていけるのか?」


ようの呪文で飛んで移動すれば、どうとでもなりますので……」


「客が来たときは?」


「お客が来ることはありませんから」


「……中も見せてみろ」


「えっ」


ギルバートは革靴を脱いだ。


「失礼するぞ」


ミレーネがおろおろしている間に、ギルバートは廊下を突き進んだ。


足の裏に紙やら本の角やら、様々な感触が伝わるが無視する。
むにゅりと柔らかい感触がしたときは流石に足を止めたが、それも無視して前進する。


廊下の突き当たりにある扉を開ける。明かりが灯ったままのその部屋は、リビングルームのように見えた。


「見えた」とギルバートが感じたのは、それが彼の知る一般的なリビングルームとは桁違いに物が散乱しているから。
これがリビングルームだとは認めたくなかった。


大きな机が一卓と、一人がけの椅子が二脚。
積み上がった本のタワーが無数。床には数えられないほどの紙が重なりあっている。
机も椅子も床も、等しく本か紙で覆われていた。
そして本や紙の上や下に、ミレーネの服だと思われる布が見え隠れしている。
片方の椅子には脱ぎ散らかしたローブがかけられているだけで、そこに面する机の一角には多少のスペースが空いていたが、散らかっていることに変わりはない。
悪臭がしない、つまり生ゴミが放置されているわけではなさそうなことが唯一の救いか。


「最後に掃除をしたのはいつだ?」


「え? えーと……去年?」


後からついて来たミレーネが、目を泳がせながら答える。


「この大惨事は一体何なんだ! あんたはこんな所で暮らしているのか?!」


「困っては、いませんから……私は生活できています」


「……他の家事はどうしている」


ミレーネは押し黙った。しかしギルバートは追及の手を止めない。


「洗濯をしたのは何日前だ?」


「……一週間くらい前でしょうか」


「明日着る服はあるのか?」


「今日、家に帰ってから洗濯するつもりでした」


「……食事はどうしている?」


「パンなどを買ってきて食べています」


ギルバートのこめかみに青筋が浮かんだ。


「あんたは市長付きの魔術師だろう?!
こんなに立派な屋敷を都市の中に持っていて、中身がこれか?!!
使用人はどうした?!!」


「……ああ、なるほど。家のことをしてくれる誰かを雇えばよかったのですか。思い付きませんでした」


信じられないものを見る目でギルバートは目の前の女を見た。


彼女の言葉にうそいつわりはないようで、彼の言葉に素直に感心しているようだった。


ミレーネの視線がギルバートに注がれる。
その使用人の格好をした男を、頭の天辺から足先まで。


「ギルバート、あなたは確か、職を探しているのではありませんでしたか。前職は使用人だったのでは。
どうでしょう。私の使用人となって、この家を管理してくれませんか。
もちろん給金は払いますし、衣食住も提供します」


「いや、あんたは一人暮らしだろう?」


「はい」


「そこに女ではなく男の使用人を雇うつもりか?」


「何か問題があるのですか?」


ミレーネは首を傾げた。
何も問題はないと本気で考えている様子であるため、彼は頭を抱えた。


魔法使いは総じて頭がおかしいというのは、ちまたでよく言われている話だ。
しかし、現物がここまでおかしいとは予想を超えていた。


ギルバートは思案する。結論はすぐに出た。


「分かった。だが俺は安くないぞ」


「はい、希望の額はいくらですか?」


他の機会を期待して目の前の好機を捨てられるほど、ギルバートに余裕はなかったのだ。

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