絶望の サイキック
岩月 透
ドンッ!
壁を拳で叩く乾いた音が響いた。悔しそうな表情で唇を噛み締めて血を流す赤髪の少年。
少年の名は伏見 紅輝。
つい先日まで入院していた彼は通常なら退院出来たことでテンションが高くなって仲間の元へと戻った筈だ。
だが、今の彼にはそんな様子が見られない。その理由は退院してアジトへ戻ってきた時に聞いた仲間の死。
同じ組織の仲間として一緒に仕事をこなした時もあった。
自分の手が届かないところで死んでしまった仲間たち。
その悔しさは自分がそこへ行けなかった事への後悔。
この怒りは仲間を殺された事と救う事が出来なかった自分への憤怒。
「クソっ!」
その叫び声だけが虚しく響いた。
彼は長い廊下を歩きだし、その先にある部屋へと脚を踏み入れた。
紅輝に視線が集まる。
「⋯⋯テルヤは?」
紅輝の声に黒髪ロングの白衣の女性、須棟久奈が首を横に振った。
仲間の死にそれぞれが悲しみや絶望に彩られて落ち込みを表している。
どんよりとした暗く重い空気に肌が刺激される。
この場にいる者は案外少なかった。
リーダーの不在に本来情報を集めるメンバーの不在。
他にも居ない者がいる。
仲間の死に孤独で耐える者もいれば、仇討ちと街中を走り回る者もいる。
悲しむ姿を誰にも見せない為に独りで消えた者もいる。
何かしらの用事があって居ない者もいる。
「これから、どうするのじゃ」
暗い空気の中でそう呟いたのは眼鏡をかけた薄紅色の長髪の少女、独場 未央だ。
その声に茶髪のポニーテールの少女、末笠 菊乃が反応した。
「リーダー不在の中でその決断は厳しいんじゃない?」
「いや、やる事は決まってるだろ!奴を討つ!」
紅輝はそう叫んだ。
「⋯⋯⋯⋯気持ちはわかるが、全員では動けないだろ」
淡い緑色の髪を襟まで伸ばし、顎にうっすらと髭を生やしている男性、クルさんがそう呟く。
「そうですね。でも、敵は相当強いですよ」
蟹目ミミが口を開いた。彼女は実際に敵の戦闘を目にし、狙撃という形で戦闘に参加した。
「敵は恐らく、『腕刃』だろう。本名は⋯⋯リンゴならわかるだろうが⋯⋯⋯⋯、」
須棟久奈がそう呟く。
「『腕刃』、確か女性を好んで殺す殺人鬼ですね。腕刃というのは能力から付けられたらしいですよ」
蟹目ミミが解説する。彼女はリンゴ程ではないが、結構情報を持っている。
情報量の多さでいったらリンゴ、桃李、須棟久奈、蟹目ミミという順番になるだろう。
「名前からして、腕を刃物化する能力。素手で戦うのは危険だと思いますが」
「だからじっとしてろって?!嫌だ!」
蟹目ミミの忠告を紅輝は拒否する。それも強めに。
「コホンっ、とりあえず、捜索する者を決めよう」
わざとらしい咳きをした須棟久奈の意見に一時の静寂が訪れた。
「俺は行くぞ!」
「私も」
そう名乗りでたのは紅輝と末笠 菊乃。
「わしはパスじゃ」
独場 未央は参加しないらしい。
「⋯⋯⋯⋯、俺も行きたいが、これ以上ここの戦力を欠くわけにはいかない」
「そうだな」
クルさんの意見に須棟久奈が賛成する。
「私は能力的に捜索に参加した方がいいでしょうね」
蟹目ミミが低く手を挙げて呟いた。
「では、捜索メンバーは蒼雅に加えて紅輝、菊乃、ミミとする」
須棟久奈の確認の元、3人は早足で外へと向かった。
まただ
また、ひとり
また、生き残ってしまった
伽藍堂な部屋で虚ろな少年は隅の壁に頭を擦りつけていた。
「⋯⋯⋯⋯ぅ、⋯⋯⋯⋯ぁ」
ただ、そう呟いては泣き、頭を打ち付け、擦って、呟いて、を繰り返していた。
時間の経過など関係なく、彼の時間は全て停止していた。
眠る事もできずに、眼は赤く腫れその下には大きなクマが出来ている。
光を通さない暗い瞳には何も映らず、憂い、悲しみ、嘆く。
何も入っていない胃腸に、腹が鳴る事は無い。
人として必要な生理現象など起こることも許されず彼はその場から動こうとしない。
そうさせるのは仲間の死という現実だけではない。
あの時と違い、テルヤにはみんなを守る力があった。
能力を行使すれば敵は倒せていた⋯⋯いや、殺せていた。確実に。
それなのに、テルヤは能力を使えなかった。
誰かを救う事出来た筈なのに
その機会があった筈なのに
また、失った。
何故
何故また独りなのだろうか?
孤独。
自分だけが生き残る。何の為にだろうか?
何の意味があって生かされているのだろうか?
ひとり、独り、1人
壁と向かい合う形で座り込んでその作業をずっと繰り返している。
思考など、脳など必要なく
ただ、それを繰り返している。
憂い、悲しみ、嘆き
絶望
あの時、能力が何故使えなかったのか
それを今はハッキリと理解出来ている。
結局は怖かったのだ。
人を殺す事が、罪を犯す事が、この身体が汚れる事が
怖かった。ただ、単純に恐ろしかった。
枯れたはずの眼から水滴が落ちた。
ゴンッ!と頭を打ち付けた。
理由などない。
悲劇
擦り付けた。
⋯⋯⋯⋯
⋯⋯⋯⋯
────────
「ぅ⋯⋯、ぁ」
水滴が落ちる音が響いた。
ゴンッ!
擦り付ける音がする。
⋯⋯⋯⋯⋯⋯
「⋯⋯ぅ、」
ポタッ
⋯⋯⋯ゴンッ!
擦り付けた。
⋯⋯⋯⋯
────────
「⋯⋯⋯⋯ぁ⋯⋯⋯⋯ぅ、ぅ」
ポタッ
ゴンッ!
擦った
「ぅ」
ポタッ
ゴンッ!
「⋯⋯⋯⋯錦」
その声は唐突に響いた。
気付いたらすぐ側に人の気配があった。
聞いた事のあるその声は確かに少年の名前を呼んだ。
「⋯⋯⋯⋯⋯⋯」
(⋯⋯⋯⋯⋯⋯、?)
その声は女性のものだった。
ストレートロングの黒髪で白衣の女性は「少しいいか?」と尋ねてその場に腰を下ろした。
それはテルヤの真横だった。
「⋯⋯⋯⋯すまないな。君に辛いものを押し付けてしまった」 
その言葉の意味がよくわからなかった。
理解できない。思考が停止したままでこの声の主すら思い出せていない。
その声は、この匂いは
少年の心に忘れることの出来ないものを刻んだ人だ。暖かく、優しく、美しい。
「私のミスだ。あの日、君たちに巡回を任せなければよかったんだ」
(⋯⋯この人は何を言っているんだろう?私のミス?え?違う、違う違う違う違う違う!あれは俺のミスでしょ?俺に何の覚悟もなかったから。俺のミスだ。俺の責任だ)
他の誰も悪くない。
テルヤだけのミス。少年だけの責任。
「私を責めたければ気が済むまで責めてくれて構わない」
「⋯⋯⋯⋯⋯⋯」
(⋯⋯⋯⋯え?なんで?意味がわからない)
そこで、ようやく少年は隣に座る人物を思い出す。
(⋯⋯⋯⋯これは、須棟さんの責任じゃない)
「私にもっと力があったらな」
(⋯⋯⋯⋯違う。須棟さんはよくやっている。新人の俺でもわかる程須棟さんは働いている。須棟さんひとりでリーダーの不在をカバーしている。)
「⋯⋯⋯⋯いつも、後悔ばっかりなんだ」
「⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯す、とう、さん」
彼女の声にそう反応した。
乾いた唇を必死に動かして、喉の奥から声を発した。
「⋯⋯⋯⋯ぅ、俺の、せいで、す」
眼が滲み始めた。
「⋯⋯⋯⋯俺が、弱いからぁ」
「⋯⋯⋯⋯⋯⋯」
優しいだけでは救えないものがある。
弱さでは誰も救えない。
テルヤに足らなかったのはひと握りの勇気と覚悟。
「⋯⋯⋯⋯俺が、ダメだったんです」
救えない悲しみを、悔しさを知った。
それを掘り起こされ、自分の弱さを知った。
目尻から大粒の涙が落ちた。
弱くて誰も救えず、自分は死ねない。
辛さを知った。
テルヤの眼に光がほんの少しだけ戻った。その眼は見るからに赤く腫れている。
須棟久奈はテルヤの顔を見詰める。顔色は悪く、弱々しい。
それもそのはずだ。この数日間、彼は何も食べていないのだから。
不食、不眠の生活を続けて精神も肉体も限界まですり減らした。
目の前の少年を救う。
そして、正しい方向へと導く。
それが須棟久奈のやるべき事なのだ。
「少し、いいか?」
須棟久奈は首を傾げてそう囁いた。
眩しい。
久しぶりの陽の光を頭から浴びて気分が更に悪くなった。
「⋯⋯須棟さん。外はちょっと」
須棟久奈は躊躇うことなくテルヤを外へ連れ出した。
テルヤは外に出る気分じゃなかったし、歩くのも嫌だったのだが、黙って引き返す訳には行かない。
身体も心も限界まですり減っているのに何故動かなければならないのか、と思考は怠惰に支配されていた。
須棟久奈は何も言わずにテルヤの前を歩く。一定の間隔を空けてテルヤは俯いたままついて行く。
彼らに会話は無く、傍から見たら暗い空気の少年を大人の女性が連れ回している風にしか見えない。
テルヤの顔色は相当悪く、見る人から見たら色々と勘違いされてしまいそうな程だ。
「ここだ」
須棟久奈はそう呟いた。
そこは公園だった。まだ幼い子供が滑り台や、ブランコ、砂場で遊んでいる。
いくつかのグループにわかれている子供たちは全員騒がしい。近くに大人の女性もちらほら見える。
その光景はテルヤにとって、あの懐かしい記憶を呼び覚ませる。
親友や幼馴染みの少女と遊んだ尊い日々を。
入口で呆然としていると、須棟久奈に手首を掴まれて引っ張られる。
そして、入口から1番離れた奥のベンチまで連れていかれた。
木で作られた長椅子。そこには少年がひとり座っているだけだった。
その少年はテルヤと須棟久奈に気付くと立ち上がってぺこりと頭を下げた。
その少年には見覚えがあった。
確か、病院で紅輝の見舞いの時に会った、鮮やかな緑色の棘頭の少年だった。
(⋯⋯⋯⋯確か、名前は⋯⋯、)
「岩月 透です」
「⋯⋯ぁ、どうも。錦 輝夜です」
その後、テルヤはベンチに座らされた。
テルヤをここに連れてきた須棟久奈は少し離れた木にもたれかかっている。
「⋯⋯⋯⋯話は聞きました。仲間が亡くなったそうですね」
最初にそう切り出した言葉でテルヤの顔に更に暗い影が落ちた。
「⋯⋯⋯⋯⋯⋯うん」
「⋯⋯⋯⋯俺も昔、親友を失ったんです」
隣の少年の声にテルヤはピクリと肩を動かした。その反応を無視して岩月 透は語り出した。
「⋯⋯⋯⋯よくある話です。通り魔に殺されたんです。腹にナイフがグサッて刺さっていたらしいです」
岩月透は少しずつ、目を閉じて宝物に触れるかのように語る。
「そいつは昔からの付き合いで、親友と呼べる存在でした。その日もちょうど遊ぶ約束をしていたんです」
テルヤは少しずつ空いた思考でその光景を想像しだす。
「でも、その前日に少し喧嘩をしてしまって、それで俺は集合場所に行かなかったんです」
彼の言葉にテルヤは顔を上げた。その先が簡単に想像出来る結末だったから。
「親友が死んだのは集合場所でした。殺されたのは夜の9時近くだと聞いています。そいつ、本当に⋯⋯バカで⋯⋯⋯、俺との約束を守る為に1日中そこで待っていたんです」
少しずつ嗚咽が混じり始めたその声に、テルヤは隣から顔を逸らした。
「⋯⋯めっちゃ後悔しました。能力が発動したのはその時です。⋯⋯⋯⋯能力者は全員悲しい過去を持つ」
「⋯⋯え?」
「能力の発動条件は聞いた事がありますか?」
岩月透の質問に過去の事を思い出して首を縦に降る。
初めてアルドアージュのアジトに行った時に聞いた事がある。
「家族や友人、恋人など、知人の死や自分の命の危険、それ以上の絶望などによって引き起こる⋯⋯⋯⋯能力の覚醒条件」
岩月透の声のトーンが一段と低くなった。
「だから、能力者は皆、誰にも明かせない辛いものを抱えながら生きている。俺は初めは能力が嫌いでした。誰かの死がきっかけになって発動するなんてふざけてる!って思っていました」
「⋯⋯⋯⋯⋯⋯」
「でも、他の超能力者に出会ってその考えは変わりました。俺の能力はそんなに便利なものじゃないんです。ほんの少し、この世界が綺麗に見えるだけ、なんですよ」
その言葉を聞いて、病室での紅輝との会話を思い出した。
「悲しく、辛い現実によって能力は引き出される。トモキ⋯⋯親友の死によって」
トモキというのは亡くなった親友の名前だろうか?
「きっと、違います。これは力なんです。アイツが俺に託してくれた、引き出してくれた力なんです。アイツの死によって引き出されたものなんかじゃない!アイツが齎してくれた力なんです」
岩月透は顔を上げて、空を見詰めて目を細めながらそう言った。
「意味は一緒なのかもしれません。でも、俺はポジティブに捉えています。だってそっちの方が絶対にいいじゃないですか。⋯⋯⋯⋯俺はアイツの分までこの眼で美しい世界を見るんです」
岩月透の眼の色が変色した。それはテルヤと同じ変化だった。ただ、違うのは能力と変わった眼の色。
彼の眼は神秘的で深い緑色の光を放った。
エメラルドグリーン。緑の石。
その宝石のように輝く緑色はこの世界をどんな風に捉えているのだろうか
岩月透はテルヤに1枚の写真を手渡した。
その写真を受け取ったテルヤから音が消えた。それは超能力などという力ではなく、一種の感動によって引き起こされた錯覚だった。
目を見開いてそれを見詰める。
その写真は彼が視る世界を写したものだった。
葉っぱが半透明で太陽光を吸収して世界を緑に照らしている。
それは「窓」だ。
葉の1枚1枚が窓のようになっていて半透明に輝く。そして、光を取り込んでいる。
窓の所々に白や緑の筋模様が入っていて更に美しく世界を彩っている。
「俺の能力は『透視』です。少し特殊な透視で、葉っぱが窓のように透けて視えるんです」
それはハルオチアという植物を連想させる光景だった。世界の全てがハルオチアで覆い尽くされている。
普段見ているこの光景が、目の前の世界が、ひとつ視点を変えるだけでそんなにも美しく、綺麗に見えるなんて誰が思うだろうか
テルヤは息を飲んでそれを見詰めた。心を打たれ、その衝撃に身動きが取れなくなる。
赤く腫れた眼から涙が溢れた。
「⋯⋯ぅ、⋯⋯ぅぅ」
ボタボタと涙を零して、涙で見えにくくなった写真をそれでも凝視する。
つい、写真を持つ手に力が入ってしまう。その力と落ちる涙によってしわくちゃになる写真。
親友が死んだ。幼馴染みが死んだ。クラスメイトが、先生が死んだ。仲間が死んだ。
しんどい。辛い。悲しい。
それに塗れた少年の心をそれは確かに揺さぶって動かした。
テルヤの瞳が光を取り戻す。
 
俺達が生きるこの世界はこんなにも美しく、綺麗に輝いていたんだ。
いつの間にか見えなくなっていたものがこんなにも近くに転がっていた。
そんな気がした。
壁を拳で叩く乾いた音が響いた。悔しそうな表情で唇を噛み締めて血を流す赤髪の少年。
少年の名は伏見 紅輝。
つい先日まで入院していた彼は通常なら退院出来たことでテンションが高くなって仲間の元へと戻った筈だ。
だが、今の彼にはそんな様子が見られない。その理由は退院してアジトへ戻ってきた時に聞いた仲間の死。
同じ組織の仲間として一緒に仕事をこなした時もあった。
自分の手が届かないところで死んでしまった仲間たち。
その悔しさは自分がそこへ行けなかった事への後悔。
この怒りは仲間を殺された事と救う事が出来なかった自分への憤怒。
「クソっ!」
その叫び声だけが虚しく響いた。
彼は長い廊下を歩きだし、その先にある部屋へと脚を踏み入れた。
紅輝に視線が集まる。
「⋯⋯テルヤは?」
紅輝の声に黒髪ロングの白衣の女性、須棟久奈が首を横に振った。
仲間の死にそれぞれが悲しみや絶望に彩られて落ち込みを表している。
どんよりとした暗く重い空気に肌が刺激される。
この場にいる者は案外少なかった。
リーダーの不在に本来情報を集めるメンバーの不在。
他にも居ない者がいる。
仲間の死に孤独で耐える者もいれば、仇討ちと街中を走り回る者もいる。
悲しむ姿を誰にも見せない為に独りで消えた者もいる。
何かしらの用事があって居ない者もいる。
「これから、どうするのじゃ」
暗い空気の中でそう呟いたのは眼鏡をかけた薄紅色の長髪の少女、独場 未央だ。
その声に茶髪のポニーテールの少女、末笠 菊乃が反応した。
「リーダー不在の中でその決断は厳しいんじゃない?」
「いや、やる事は決まってるだろ!奴を討つ!」
紅輝はそう叫んだ。
「⋯⋯⋯⋯気持ちはわかるが、全員では動けないだろ」
淡い緑色の髪を襟まで伸ばし、顎にうっすらと髭を生やしている男性、クルさんがそう呟く。
「そうですね。でも、敵は相当強いですよ」
蟹目ミミが口を開いた。彼女は実際に敵の戦闘を目にし、狙撃という形で戦闘に参加した。
「敵は恐らく、『腕刃』だろう。本名は⋯⋯リンゴならわかるだろうが⋯⋯⋯⋯、」
須棟久奈がそう呟く。
「『腕刃』、確か女性を好んで殺す殺人鬼ですね。腕刃というのは能力から付けられたらしいですよ」
蟹目ミミが解説する。彼女はリンゴ程ではないが、結構情報を持っている。
情報量の多さでいったらリンゴ、桃李、須棟久奈、蟹目ミミという順番になるだろう。
「名前からして、腕を刃物化する能力。素手で戦うのは危険だと思いますが」
「だからじっとしてろって?!嫌だ!」
蟹目ミミの忠告を紅輝は拒否する。それも強めに。
「コホンっ、とりあえず、捜索する者を決めよう」
わざとらしい咳きをした須棟久奈の意見に一時の静寂が訪れた。
「俺は行くぞ!」
「私も」
そう名乗りでたのは紅輝と末笠 菊乃。
「わしはパスじゃ」
独場 未央は参加しないらしい。
「⋯⋯⋯⋯、俺も行きたいが、これ以上ここの戦力を欠くわけにはいかない」
「そうだな」
クルさんの意見に須棟久奈が賛成する。
「私は能力的に捜索に参加した方がいいでしょうね」
蟹目ミミが低く手を挙げて呟いた。
「では、捜索メンバーは蒼雅に加えて紅輝、菊乃、ミミとする」
須棟久奈の確認の元、3人は早足で外へと向かった。
まただ
また、ひとり
また、生き残ってしまった
伽藍堂な部屋で虚ろな少年は隅の壁に頭を擦りつけていた。
「⋯⋯⋯⋯ぅ、⋯⋯⋯⋯ぁ」
ただ、そう呟いては泣き、頭を打ち付け、擦って、呟いて、を繰り返していた。
時間の経過など関係なく、彼の時間は全て停止していた。
眠る事もできずに、眼は赤く腫れその下には大きなクマが出来ている。
光を通さない暗い瞳には何も映らず、憂い、悲しみ、嘆く。
何も入っていない胃腸に、腹が鳴る事は無い。
人として必要な生理現象など起こることも許されず彼はその場から動こうとしない。
そうさせるのは仲間の死という現実だけではない。
あの時と違い、テルヤにはみんなを守る力があった。
能力を行使すれば敵は倒せていた⋯⋯いや、殺せていた。確実に。
それなのに、テルヤは能力を使えなかった。
誰かを救う事出来た筈なのに
その機会があった筈なのに
また、失った。
何故
何故また独りなのだろうか?
孤独。
自分だけが生き残る。何の為にだろうか?
何の意味があって生かされているのだろうか?
ひとり、独り、1人
壁と向かい合う形で座り込んでその作業をずっと繰り返している。
思考など、脳など必要なく
ただ、それを繰り返している。
憂い、悲しみ、嘆き
絶望
あの時、能力が何故使えなかったのか
それを今はハッキリと理解出来ている。
結局は怖かったのだ。
人を殺す事が、罪を犯す事が、この身体が汚れる事が
怖かった。ただ、単純に恐ろしかった。
枯れたはずの眼から水滴が落ちた。
ゴンッ!と頭を打ち付けた。
理由などない。
悲劇
擦り付けた。
⋯⋯⋯⋯
⋯⋯⋯⋯
────────
「ぅ⋯⋯、ぁ」
水滴が落ちる音が響いた。
ゴンッ!
擦り付ける音がする。
⋯⋯⋯⋯⋯⋯
「⋯⋯ぅ、」
ポタッ
⋯⋯⋯ゴンッ!
擦り付けた。
⋯⋯⋯⋯
────────
「⋯⋯⋯⋯ぁ⋯⋯⋯⋯ぅ、ぅ」
ポタッ
ゴンッ!
擦った
「ぅ」
ポタッ
ゴンッ!
「⋯⋯⋯⋯錦」
その声は唐突に響いた。
気付いたらすぐ側に人の気配があった。
聞いた事のあるその声は確かに少年の名前を呼んだ。
「⋯⋯⋯⋯⋯⋯」
(⋯⋯⋯⋯⋯⋯、?)
その声は女性のものだった。
ストレートロングの黒髪で白衣の女性は「少しいいか?」と尋ねてその場に腰を下ろした。
それはテルヤの真横だった。
「⋯⋯⋯⋯すまないな。君に辛いものを押し付けてしまった」 
その言葉の意味がよくわからなかった。
理解できない。思考が停止したままでこの声の主すら思い出せていない。
その声は、この匂いは
少年の心に忘れることの出来ないものを刻んだ人だ。暖かく、優しく、美しい。
「私のミスだ。あの日、君たちに巡回を任せなければよかったんだ」
(⋯⋯この人は何を言っているんだろう?私のミス?え?違う、違う違う違う違う違う!あれは俺のミスでしょ?俺に何の覚悟もなかったから。俺のミスだ。俺の責任だ)
他の誰も悪くない。
テルヤだけのミス。少年だけの責任。
「私を責めたければ気が済むまで責めてくれて構わない」
「⋯⋯⋯⋯⋯⋯」
(⋯⋯⋯⋯え?なんで?意味がわからない)
そこで、ようやく少年は隣に座る人物を思い出す。
(⋯⋯⋯⋯これは、須棟さんの責任じゃない)
「私にもっと力があったらな」
(⋯⋯⋯⋯違う。須棟さんはよくやっている。新人の俺でもわかる程須棟さんは働いている。須棟さんひとりでリーダーの不在をカバーしている。)
「⋯⋯⋯⋯いつも、後悔ばっかりなんだ」
「⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯す、とう、さん」
彼女の声にそう反応した。
乾いた唇を必死に動かして、喉の奥から声を発した。
「⋯⋯⋯⋯ぅ、俺の、せいで、す」
眼が滲み始めた。
「⋯⋯⋯⋯俺が、弱いからぁ」
「⋯⋯⋯⋯⋯⋯」
優しいだけでは救えないものがある。
弱さでは誰も救えない。
テルヤに足らなかったのはひと握りの勇気と覚悟。
「⋯⋯⋯⋯俺が、ダメだったんです」
救えない悲しみを、悔しさを知った。
それを掘り起こされ、自分の弱さを知った。
目尻から大粒の涙が落ちた。
弱くて誰も救えず、自分は死ねない。
辛さを知った。
テルヤの眼に光がほんの少しだけ戻った。その眼は見るからに赤く腫れている。
須棟久奈はテルヤの顔を見詰める。顔色は悪く、弱々しい。
それもそのはずだ。この数日間、彼は何も食べていないのだから。
不食、不眠の生活を続けて精神も肉体も限界まですり減らした。
目の前の少年を救う。
そして、正しい方向へと導く。
それが須棟久奈のやるべき事なのだ。
「少し、いいか?」
須棟久奈は首を傾げてそう囁いた。
眩しい。
久しぶりの陽の光を頭から浴びて気分が更に悪くなった。
「⋯⋯須棟さん。外はちょっと」
須棟久奈は躊躇うことなくテルヤを外へ連れ出した。
テルヤは外に出る気分じゃなかったし、歩くのも嫌だったのだが、黙って引き返す訳には行かない。
身体も心も限界まですり減っているのに何故動かなければならないのか、と思考は怠惰に支配されていた。
須棟久奈は何も言わずにテルヤの前を歩く。一定の間隔を空けてテルヤは俯いたままついて行く。
彼らに会話は無く、傍から見たら暗い空気の少年を大人の女性が連れ回している風にしか見えない。
テルヤの顔色は相当悪く、見る人から見たら色々と勘違いされてしまいそうな程だ。
「ここだ」
須棟久奈はそう呟いた。
そこは公園だった。まだ幼い子供が滑り台や、ブランコ、砂場で遊んでいる。
いくつかのグループにわかれている子供たちは全員騒がしい。近くに大人の女性もちらほら見える。
その光景はテルヤにとって、あの懐かしい記憶を呼び覚ませる。
親友や幼馴染みの少女と遊んだ尊い日々を。
入口で呆然としていると、須棟久奈に手首を掴まれて引っ張られる。
そして、入口から1番離れた奥のベンチまで連れていかれた。
木で作られた長椅子。そこには少年がひとり座っているだけだった。
その少年はテルヤと須棟久奈に気付くと立ち上がってぺこりと頭を下げた。
その少年には見覚えがあった。
確か、病院で紅輝の見舞いの時に会った、鮮やかな緑色の棘頭の少年だった。
(⋯⋯⋯⋯確か、名前は⋯⋯、)
「岩月 透です」
「⋯⋯ぁ、どうも。錦 輝夜です」
その後、テルヤはベンチに座らされた。
テルヤをここに連れてきた須棟久奈は少し離れた木にもたれかかっている。
「⋯⋯⋯⋯話は聞きました。仲間が亡くなったそうですね」
最初にそう切り出した言葉でテルヤの顔に更に暗い影が落ちた。
「⋯⋯⋯⋯⋯⋯うん」
「⋯⋯⋯⋯俺も昔、親友を失ったんです」
隣の少年の声にテルヤはピクリと肩を動かした。その反応を無視して岩月 透は語り出した。
「⋯⋯⋯⋯よくある話です。通り魔に殺されたんです。腹にナイフがグサッて刺さっていたらしいです」
岩月透は少しずつ、目を閉じて宝物に触れるかのように語る。
「そいつは昔からの付き合いで、親友と呼べる存在でした。その日もちょうど遊ぶ約束をしていたんです」
テルヤは少しずつ空いた思考でその光景を想像しだす。
「でも、その前日に少し喧嘩をしてしまって、それで俺は集合場所に行かなかったんです」
彼の言葉にテルヤは顔を上げた。その先が簡単に想像出来る結末だったから。
「親友が死んだのは集合場所でした。殺されたのは夜の9時近くだと聞いています。そいつ、本当に⋯⋯バカで⋯⋯⋯、俺との約束を守る為に1日中そこで待っていたんです」
少しずつ嗚咽が混じり始めたその声に、テルヤは隣から顔を逸らした。
「⋯⋯めっちゃ後悔しました。能力が発動したのはその時です。⋯⋯⋯⋯能力者は全員悲しい過去を持つ」
「⋯⋯え?」
「能力の発動条件は聞いた事がありますか?」
岩月透の質問に過去の事を思い出して首を縦に降る。
初めてアルドアージュのアジトに行った時に聞いた事がある。
「家族や友人、恋人など、知人の死や自分の命の危険、それ以上の絶望などによって引き起こる⋯⋯⋯⋯能力の覚醒条件」
岩月透の声のトーンが一段と低くなった。
「だから、能力者は皆、誰にも明かせない辛いものを抱えながら生きている。俺は初めは能力が嫌いでした。誰かの死がきっかけになって発動するなんてふざけてる!って思っていました」
「⋯⋯⋯⋯⋯⋯」
「でも、他の超能力者に出会ってその考えは変わりました。俺の能力はそんなに便利なものじゃないんです。ほんの少し、この世界が綺麗に見えるだけ、なんですよ」
その言葉を聞いて、病室での紅輝との会話を思い出した。
「悲しく、辛い現実によって能力は引き出される。トモキ⋯⋯親友の死によって」
トモキというのは亡くなった親友の名前だろうか?
「きっと、違います。これは力なんです。アイツが俺に託してくれた、引き出してくれた力なんです。アイツの死によって引き出されたものなんかじゃない!アイツが齎してくれた力なんです」
岩月透は顔を上げて、空を見詰めて目を細めながらそう言った。
「意味は一緒なのかもしれません。でも、俺はポジティブに捉えています。だってそっちの方が絶対にいいじゃないですか。⋯⋯⋯⋯俺はアイツの分までこの眼で美しい世界を見るんです」
岩月透の眼の色が変色した。それはテルヤと同じ変化だった。ただ、違うのは能力と変わった眼の色。
彼の眼は神秘的で深い緑色の光を放った。
エメラルドグリーン。緑の石。
その宝石のように輝く緑色はこの世界をどんな風に捉えているのだろうか
岩月透はテルヤに1枚の写真を手渡した。
その写真を受け取ったテルヤから音が消えた。それは超能力などという力ではなく、一種の感動によって引き起こされた錯覚だった。
目を見開いてそれを見詰める。
その写真は彼が視る世界を写したものだった。
葉っぱが半透明で太陽光を吸収して世界を緑に照らしている。
それは「窓」だ。
葉の1枚1枚が窓のようになっていて半透明に輝く。そして、光を取り込んでいる。
窓の所々に白や緑の筋模様が入っていて更に美しく世界を彩っている。
「俺の能力は『透視』です。少し特殊な透視で、葉っぱが窓のように透けて視えるんです」
それはハルオチアという植物を連想させる光景だった。世界の全てがハルオチアで覆い尽くされている。
普段見ているこの光景が、目の前の世界が、ひとつ視点を変えるだけでそんなにも美しく、綺麗に見えるなんて誰が思うだろうか
テルヤは息を飲んでそれを見詰めた。心を打たれ、その衝撃に身動きが取れなくなる。
赤く腫れた眼から涙が溢れた。
「⋯⋯ぅ、⋯⋯ぅぅ」
ボタボタと涙を零して、涙で見えにくくなった写真をそれでも凝視する。
つい、写真を持つ手に力が入ってしまう。その力と落ちる涙によってしわくちゃになる写真。
親友が死んだ。幼馴染みが死んだ。クラスメイトが、先生が死んだ。仲間が死んだ。
しんどい。辛い。悲しい。
それに塗れた少年の心をそれは確かに揺さぶって動かした。
テルヤの瞳が光を取り戻す。
 
俺達が生きるこの世界はこんなにも美しく、綺麗に輝いていたんだ。
いつの間にか見えなくなっていたものがこんなにも近くに転がっていた。
そんな気がした。
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