白昼夢の終演、僕が見たエトセトラ

些稚絃羽

Epilogue

 たかが一週間を跨いだだけでその場所を懐かしく思うのは、やはりそこが故郷である証拠なのかもしれない。そして図らずも誰かの探し物を拾ってしまうのも。


 桜の花びらが風に乗って僕の前を横切る。まだ蕾だった木々が、ここ数日の気候のお蔭で一気に咲き始めたらしい。電車の中で相席したご老人の話だ。いい季節になりましたね、とそういう話ができるとは数日前は思いもしていなかった。

 季節は変わる。時は進み、人も変わる。だけれど春になれば桜が咲くように、変わらないものも確かにある。
 どちらがいいとは言えない。変わることで進まなければいけないこともあれば、変わらないことで立ち止まらなければいけない場面もあるだろう。
 僕達は、変わったのだろうか。

 老夫婦が寄り添い歩くのに向けて挨拶をする。頭を軽く下げてふたりは去っていく。会話もなくただひたすら歩いているだけなのに、幸せの象徴のように見えた。曲がった腰も、年代物の服も、すり減った靴も。太陽の熱よりも暖かな、穏やかな眺めだ。
 そして僕が拾った真っ赤な財布は、同様に僕の心に穏やかさをくれる。

 完璧じゃなくていい、沢山の失敗をしながらも前を向いて進んで行くことが、きっと何より大切なんだと思う。どんな風に在り方が変わっても、家族でなくなるのはそれを本気でやめた時だけだ。



 向こうを発つ前、駅のホームで奥野さんと交わした約束を思い返す。約束というよりは僕がしたお願いを彼が聞き入れてくれただけのことだが。

――母さんの傍に、これからも居てもらえませんか?

 私でいいのかと彼は言った。申し訳なさそうに、僕と母さんの表情をそれぞれ窺って。
 母さんの命と向き合う覚悟はできていた。そこから逃げるつもりも目を背けるつもりもない。けれど、だからこそ母さんの思いに応えたかった。母さんが僕の未来を思いこの道を選んだことを、僕自身の道を選び進むことで肯定したかった。

 奥野さんに願ったのは、都合のいいエゴだ。

 母さんにどのくらいの猶予が残されているのかは分からない。だから少しでも幸せを感じられるものがあるなら、余すことなく目の前に集めてあげたくて。きっとそこには奥野さんの存在は今や欠かせないと思ったから。
 彼が引け目に感じる必要はない。だって本当に、これは僕のエゴだから。そんなことを端的に話した。

 そのお返しに、奥野さんからはこんな話をされた。

「栞理さんと私がただの同居人なのはね、『生涯愛するのは夫と息子だけ』って宣言をされたからなんだ。
ファミレスでそのことをすぐに話さなかったのは、彼女に愛されている息子への……嫉妬、かな」

 恥ずかしそうに打ち明けた彼は、その告白でおあいこだと笑う。このみっともない感情だってエゴだ、という言葉で僕の願いを認めてくれた。いつでも訪ねておいでと言ってくれた。
 母さんが奥野さんと出会えて本当に良かったと思う。近くに居られたのが僕でも父さんでもなかったことはまだ割り切ることはできないけれど、傍で支えられなかった間の時間も母さんがひとりじゃなかったことは、素直に嬉しい。


 父さんについては、あれから特別なことはない。母さんが、次に会った時はちゃんと父さんと呼んであげて、と言うから間違えないように反芻しているけれど。
 最後まで何も話せなかった。結局僕が言いたいことをぶちまけただけに終わった。でもほんの少し、進歩も感じているんだ。あんな風に言い合えるのだと分かったから。

 春の陽気に浮かされて、いつもはしないようなことをしてみたくなる。
 携帯電話の電話帳には<神咲学>の名前がある。未登録だったのをせっつかれて登録したのだ。あるのは電話番号だけ。その番号にショートメールを打つ。
 文面は考えない。ただ浮かんだ言葉を、顔が見えないからこそ言える五文字の言葉を打ち込んだ。

 どこかすっきりした。読まれなくても問題ないし、返信があるとも思えないけれど、伝えたいことは伝えた。大仕事を終えたように晴れ晴れとしている。これがはじめの一歩だ。


「探し物屋さん!」

 そこに聞き慣れた声が届く。一週間前と変わらず不安そうな面持ちで、けれど微かに希望の色を滲ませながら僕の元まで駆け寄って来た。

「帰って来たの、よね?」
「高橋さんの失くし癖が心配で。案の定、ねぇ?」

 差し出した財布を恥ずかしそうに受け取る。その指が一瞬震えるから、どうしようもなく胸の底が熱くなった。
 どうしてこんなにも懐かしく思えるのだろう。少し長めの旅行をしてきたようなものなのに。色んなことがまとめて起こりすぎたからだろうか。高橋さんだって決して普通の人とは言えないけれど、高橋さんを含めた目の前の景色を、日常だと感じている。

 言いにくそうに歪められる唇は、口紅がわずかにはみ出ていた。

「……探し物は見つかった?」
「どうでしょう、よく分からなくなってしまいました」

 正直な気持ちだ。旅立つ前の言葉を覆すことになってしまうけれど。
 僕が探していたものは、母さんだったのか、家族だったのか、僕自身だったのか。それすら僕の中で曖昧になっている。だから見つかったような、見つからなかったような。
 けれど自然と口元が緩んだ。何かが得られた手応えがある訳でもないのに、これで十分だと思えた。幸せ、とは違うかもしれない。でも僕の歩くこの人生を認めてもいいような、そんな気がするんだ。

「もし良かったら、その話を聞かせてもらっても……?」

 いつもは強引で、人の話なんて聞かずに走り出してしまうような高橋さんがしおらしくお伺いを立てるのは、こう言っては何だが可笑しかった。可笑しくて、そして、嬉しかった。
 僕のことを知りたいと思ってくれる人がいること、ここに居ていいと受け入れてくれる人がいること。
 それは多分、気にしなければ普通のことで、考えてみれば特別なことだ。

 僕はここに居ていいんだ。ここに居る理由が必要なら、こうして提示されているじゃないか。それでも足りなくて僕自身が認めるための理由が更に必要なら、これから探していけばいい。時に限りがあるからこそ、その時が尽きるまで探していけばいい。
 だって、僕は。

「答えを、一緒に探してくれますか?」

 探し物探偵なのだから。




END
  

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