白昼夢の終演、僕が見たエトセトラ
5.嫌悪する瞳
車椅子のグリップを握ったまま、消火活動に忙しい消防士の動きを見つめていた。視界の隅にずっと、見慣れない後頭部が映っている。見ないように努めている訳ではないけれど、直視するのは憚られた。たとえ親子の間柄であっても背後から見つめるのは不躾な気がしたのだ。
消防車のサイレンは僕達が坂を下りてすぐに聞こえ始めていた。周辺の家の人が連絡してくれたのだろう。それからは消防車と消防隊と、野次馬の動きを少し離れたところからひっそりと眺めていた。
奥野さんに何度も電話をかけているが留守電になってばかりだ。僕に強引に連れ出された母さんが慌てていないところを見ると無事だとは思うけれど、この目で確認するまでは落ち着かない気持ちが続くのだろう。
「火災現場の家の方ですか?」
ひとりの消防士が近付いてきた。
「僕は違います。母さ、いえ、彼女が住人です」
「お名前は?」
「本宮栞理です」
消防士の幾つかの質問に動じることなく答えていく。その中には奥野さんが友人宅を訪ねているという答えもあった。母さんの様子から、昼食に招待した相手はその友人だと思っていたようだ。しかし奥野さんの言う友人については知らないらしく、どこへ向かったのか情報は得られなかった。
ただ実際のところ招待を受けていたのは僕で、他に客がいる筈もないのだから、他の理由で彼は出掛けて行ったのだろう。勿論、約束の十二時までには戻るつもりで。気にはなるけれど本人が帰って来るまではどうしようもない。
消火活動は滞りなく進んでいるようで、もう少しで鎮火するから安心するよう言って、消防士は去って行った。
何はともあれ、火災に誰も巻き込まれなかったのは不幸中の幸いだ。倒れていた母さんの姿を思い出すとグリップを握る力が自然と強くなる、早く来て本当に良かった。
それからすぐ後、野次馬の中に奥野さんを見つけた。
「しおり、栞理さんっ!」
彼は僕達がここに居ることに気付いていないらしい。逼迫した面持ちに周囲もぎょっとしている。
「奥野さん、こっちです!」
「……あぁ、無事だったか!!」
夢中で人波を掻き分けて走って来る。その額には大粒の汗をかいていた。それだけ母さんの心配をしてくれていたのだと思うと熱いものがじんわりと胸の奥に滲んだ。
「栞理さん、どこも、何ともないね?」
「ええ、大丈夫。ありがとう」
「そうか。歩くんが来てくれていて本当に良かった」
「僕が来た時にはもう、かなり大きく燃えていました。風上だったのでなかなか気付かなかったんですが」
安堵の溜息を吐きながら呟く奥野さんに、僕は言う。あんなに近くに居たのだからもっと早く気が付けた筈だった。しかし彼は何でもないと言う風に首を振って僕の肩を叩いた。
「栞理さんが無事であれば十分だよ。それで、火元はどこだったのかな」
「燃えていたのは離れです。幸い母屋には移りませんでした」
出火の原因はまだ不明だが、奥野さんが出掛けてから火の手が上がったことは明白だ。火の不始末か、或いは放火の二択に絞られるだろう。後者であればなお悪い。離れに火気はあったのか尋ねると、一切なかったという答えが返ってきた。
「離れは書庫なんだ。この家は私の実家なんだが、祖父も父も収集家でね。大衆小説から郷土文献、新聞に雑誌、ポスターまで。古くて黄ばみきったやつがあそこにはびっしり詰まっていたんだ。掃除はするけど今更長居するような場所でもないし、火事に繋がりそうなものは置いていない」
昨日奥野さんと初めて顔を合わせた時、ふと香った古い紙の匂いは離れの匂いだったらしい。祖父の代からということは相当年季が入っている。小さな火ひとつで一気に燃え上がるだろう。
火の不始末で挙げられるのは大抵、煙草や暖房器具だ。しかしよく離れを出入りする奥野さんは煙草を吸わないし、暖房器具はない。それなら電気さえ通していないかもしれない。母さんに至ってはほぼ出入りもしない。火は外部から持ち込まれたと考えた方が自然だ。
問題は放火だった場合、誰が何のために、という点を考えなくてはいけないことだ。悪戯であれば誰がしたのかを特定するのは難しいかもしれない。かといって、このふたりが誰かから放火をされるほど恨みを買うようには到底思えなかった。
……どうせならもっと早く来ておくんだった。そうすれば未然に防げたか放火犯を特定できたかもしれないのに。
まぁ、後悔しても遅い訳だし、これ以上は警察のお仕事だ。日本の優秀な組織にお任せするとしよう。
想定していた再会とはだいぶ違う形になってしまったが、おかげで少しの躊躇の間もなく、こうして会うことができた。まだきちんと話ができていないが、とりあえず消防隊が引き上げてしまえば時間が取れるだろう。
「ん、何だ、騒がしくなって」
奥野さんの言う通り、坂の上がざわついていた。僕達や野次馬には現状が分からなかったが、皆事態を知ろうとして耳をそばだてている。二、三の怒号らしきものがうっすらと聞こえたものの内容が聞き取れるほどではなく、更に近付いてくるパトカーの音にすっかり掻き消されてしまった。
パトカーから出てくる警官達。後ろに付けたワゴン車からはストレッチャーが運ばれている。
「誰かが、中に……?」
「え、そんな筈は」
しかしそうでなければあり得ない。だが、そうであれば一体何者か?
戸惑いに顔を顰めて様子を見守る奥野さんと、懇願するような瞳で煙を見上げている母さん。迷わず母さんの背に触れた。服の上からでも分かる骨ばった背中は、それでも温かい。おぶってくれていたあの背中が小さくなっているのに、今はそれでもここにこうして居てくれることが嬉しいと思った。
降りてきた消防士が警官と合流し、現場へと上っていく。ひとりの警官によって黄色いテープが張られ、坂より上は規制されてしまった。ここからなら母屋の端くらいは見えていたけれど、そこもブルーシートで目隠しをされてしまい、どうしようもできなくなった。
早く現状を教えてくれないだろうか。恐らく僕も関係者の内に含まれる筈だ。これまでとは違い、探られる番なのだと思っただけでこうも落ち着かない気分になるとは、考えてもみなかった。解放されるのはいつになるだろう。
しばらくして、ある警官が下りてくるのが見えた。ストレッチャーにはブルーシートが掛けられ、いかにもといった感じで僕達の前を通り過ぎた。体格や性別も分からない、ただ一人の犠牲者がでてしまったことだけははっきりと分かる。微かに焦げた臭い、しかしそう酷いものではなかった。案外こんなものかと思ってしまう程度のもので、遺体を目の当たりにしていない分、どこか遠く思えた。
遺体の確認がなかったのは、一目見ても分からないほど変わり果ててしまっているからなのだろうか。確認したところで僕が知っている人である筈もないが、何も進んでいないようでやきもきさせられる時間が長く感じた。奥野さんもそのようで、しきりに母さんの身体を気遣いながらもそわそわした様子で視線を走らせている。
消防隊が引き上げるのに対し、増えていく警察車両。慌ただしくなる現場に野次馬はやや色めき立っている。無関係な人にとってはドラマの中に入り込んだようなものなのだ。仕方ないと思いながらも、いつ自分の周囲に降りかかるか分からないことなんだぞと叫びたくなる。そんな自分に少しだけ安堵した。
「奥野さん、離れには誰でも入れたんですか?」
「あ、あぁ。盗まれて困るようなものもないし、前に鍵が壊れてからそのままにしていたよ」
「ならあのご遺体に当たりをつけるのも難しいですね」
「そうだね……離れの裏にも細いけど道があるんだ。だから本当に誰でも入れてしまう。
自分で放った火に巻き込まれたのなら、可哀想だけど自業自得だね」
そうですね、と返しながら表情を窺った。特に含みのない自然な表情だ。
疑いたくはない。しかしその癖がついているのも事実だった。殺人は思いの外あっさりと行なわれてしまうことを僕は知っている。その動機に何があろうと明白に見える部分は結果だ。言ってしまえば小さな子供でさえそれは可能ということも知ってしまっている。建物が燃えて、死者が出て、それで放火犯が逃げ遅れたという結論に至るには、悪い結果を見過ぎていた。
不安、なのだと思う。僕の思考は大抵それによって縛られている。疑うことで、そしてそれが晴れることで、安心したいんだ。だから早く、ただの事故だったという結論を出してほしかった。
また一台、パトランプを光らせた黒いセダンが野次馬の後方に停車した。車を降りたスーツ姿の刑事がふたり、遺体の運び込まれたワゴン車に近付いていく。出てきたのはすぐで、僕がその刑事達と顔を合わせるのもすぐのことだった。
三十過ぎくらいの面長の刑事と、殺気立った目付きをした五十半ばの刑事。あと十メートルもない距離で後者が急に足を止め、若い刑事は驚いた顔をしてその横顔を見返している。視線の先に居るのが僕であることに気付くのも、やはりすぐのことだった。
「あれ、あの子どっかで」
「行くぞ」
先輩刑事に凄まれては着いて行くしかないのだろう。まだ考えている様子で僕達に軽くお辞儀をすると、現場へと上がって行った。
思い切り吸い込んだ空気に肺が震えた。
「すごい目をした刑事だったなぁ。あれが普通なのかな」
「アレは特別ですよ」
奥野さんは僕の言葉にそれほど意味を感じなかったらしい。そうだろうねと頷きながら見送っている。僕の視線に気付いたのか不思議そうな顔でこちらを見るから、思わず今すぐ現実を突きつけたくなった。
――どうです。面影、全くないでしょう?
声にする前に止められて良かった。知らないのだから能天気に見えても仕方ないし、そんな人に八つ当たりしている場合じゃない。
どうもあの人を前にすると、自分が嫌な人間に向かっていきそうになる。特にあの槍のような瞳。動じることも悲哀が灯ることもないただの武器のようなそれが、堪らなく嫌いだった。自分だけ全てを知っているみたいで、それなのに全てを隠しているみたいで。大好きだったはずのその人を嫌いになったのは、瞳が最初だった。
やっぱり嫌いだ。稲森さんの件はある意味小さな借しだけど、こうして対峙すれば思う。
神咲学。彼を“父さん”と呼ぶ日はもう来ないかもしれない。
消防車のサイレンは僕達が坂を下りてすぐに聞こえ始めていた。周辺の家の人が連絡してくれたのだろう。それからは消防車と消防隊と、野次馬の動きを少し離れたところからひっそりと眺めていた。
奥野さんに何度も電話をかけているが留守電になってばかりだ。僕に強引に連れ出された母さんが慌てていないところを見ると無事だとは思うけれど、この目で確認するまでは落ち着かない気持ちが続くのだろう。
「火災現場の家の方ですか?」
ひとりの消防士が近付いてきた。
「僕は違います。母さ、いえ、彼女が住人です」
「お名前は?」
「本宮栞理です」
消防士の幾つかの質問に動じることなく答えていく。その中には奥野さんが友人宅を訪ねているという答えもあった。母さんの様子から、昼食に招待した相手はその友人だと思っていたようだ。しかし奥野さんの言う友人については知らないらしく、どこへ向かったのか情報は得られなかった。
ただ実際のところ招待を受けていたのは僕で、他に客がいる筈もないのだから、他の理由で彼は出掛けて行ったのだろう。勿論、約束の十二時までには戻るつもりで。気にはなるけれど本人が帰って来るまではどうしようもない。
消火活動は滞りなく進んでいるようで、もう少しで鎮火するから安心するよう言って、消防士は去って行った。
何はともあれ、火災に誰も巻き込まれなかったのは不幸中の幸いだ。倒れていた母さんの姿を思い出すとグリップを握る力が自然と強くなる、早く来て本当に良かった。
それからすぐ後、野次馬の中に奥野さんを見つけた。
「しおり、栞理さんっ!」
彼は僕達がここに居ることに気付いていないらしい。逼迫した面持ちに周囲もぎょっとしている。
「奥野さん、こっちです!」
「……あぁ、無事だったか!!」
夢中で人波を掻き分けて走って来る。その額には大粒の汗をかいていた。それだけ母さんの心配をしてくれていたのだと思うと熱いものがじんわりと胸の奥に滲んだ。
「栞理さん、どこも、何ともないね?」
「ええ、大丈夫。ありがとう」
「そうか。歩くんが来てくれていて本当に良かった」
「僕が来た時にはもう、かなり大きく燃えていました。風上だったのでなかなか気付かなかったんですが」
安堵の溜息を吐きながら呟く奥野さんに、僕は言う。あんなに近くに居たのだからもっと早く気が付けた筈だった。しかし彼は何でもないと言う風に首を振って僕の肩を叩いた。
「栞理さんが無事であれば十分だよ。それで、火元はどこだったのかな」
「燃えていたのは離れです。幸い母屋には移りませんでした」
出火の原因はまだ不明だが、奥野さんが出掛けてから火の手が上がったことは明白だ。火の不始末か、或いは放火の二択に絞られるだろう。後者であればなお悪い。離れに火気はあったのか尋ねると、一切なかったという答えが返ってきた。
「離れは書庫なんだ。この家は私の実家なんだが、祖父も父も収集家でね。大衆小説から郷土文献、新聞に雑誌、ポスターまで。古くて黄ばみきったやつがあそこにはびっしり詰まっていたんだ。掃除はするけど今更長居するような場所でもないし、火事に繋がりそうなものは置いていない」
昨日奥野さんと初めて顔を合わせた時、ふと香った古い紙の匂いは離れの匂いだったらしい。祖父の代からということは相当年季が入っている。小さな火ひとつで一気に燃え上がるだろう。
火の不始末で挙げられるのは大抵、煙草や暖房器具だ。しかしよく離れを出入りする奥野さんは煙草を吸わないし、暖房器具はない。それなら電気さえ通していないかもしれない。母さんに至ってはほぼ出入りもしない。火は外部から持ち込まれたと考えた方が自然だ。
問題は放火だった場合、誰が何のために、という点を考えなくてはいけないことだ。悪戯であれば誰がしたのかを特定するのは難しいかもしれない。かといって、このふたりが誰かから放火をされるほど恨みを買うようには到底思えなかった。
……どうせならもっと早く来ておくんだった。そうすれば未然に防げたか放火犯を特定できたかもしれないのに。
まぁ、後悔しても遅い訳だし、これ以上は警察のお仕事だ。日本の優秀な組織にお任せするとしよう。
想定していた再会とはだいぶ違う形になってしまったが、おかげで少しの躊躇の間もなく、こうして会うことができた。まだきちんと話ができていないが、とりあえず消防隊が引き上げてしまえば時間が取れるだろう。
「ん、何だ、騒がしくなって」
奥野さんの言う通り、坂の上がざわついていた。僕達や野次馬には現状が分からなかったが、皆事態を知ろうとして耳をそばだてている。二、三の怒号らしきものがうっすらと聞こえたものの内容が聞き取れるほどではなく、更に近付いてくるパトカーの音にすっかり掻き消されてしまった。
パトカーから出てくる警官達。後ろに付けたワゴン車からはストレッチャーが運ばれている。
「誰かが、中に……?」
「え、そんな筈は」
しかしそうでなければあり得ない。だが、そうであれば一体何者か?
戸惑いに顔を顰めて様子を見守る奥野さんと、懇願するような瞳で煙を見上げている母さん。迷わず母さんの背に触れた。服の上からでも分かる骨ばった背中は、それでも温かい。おぶってくれていたあの背中が小さくなっているのに、今はそれでもここにこうして居てくれることが嬉しいと思った。
降りてきた消防士が警官と合流し、現場へと上っていく。ひとりの警官によって黄色いテープが張られ、坂より上は規制されてしまった。ここからなら母屋の端くらいは見えていたけれど、そこもブルーシートで目隠しをされてしまい、どうしようもできなくなった。
早く現状を教えてくれないだろうか。恐らく僕も関係者の内に含まれる筈だ。これまでとは違い、探られる番なのだと思っただけでこうも落ち着かない気分になるとは、考えてもみなかった。解放されるのはいつになるだろう。
しばらくして、ある警官が下りてくるのが見えた。ストレッチャーにはブルーシートが掛けられ、いかにもといった感じで僕達の前を通り過ぎた。体格や性別も分からない、ただ一人の犠牲者がでてしまったことだけははっきりと分かる。微かに焦げた臭い、しかしそう酷いものではなかった。案外こんなものかと思ってしまう程度のもので、遺体を目の当たりにしていない分、どこか遠く思えた。
遺体の確認がなかったのは、一目見ても分からないほど変わり果ててしまっているからなのだろうか。確認したところで僕が知っている人である筈もないが、何も進んでいないようでやきもきさせられる時間が長く感じた。奥野さんもそのようで、しきりに母さんの身体を気遣いながらもそわそわした様子で視線を走らせている。
消防隊が引き上げるのに対し、増えていく警察車両。慌ただしくなる現場に野次馬はやや色めき立っている。無関係な人にとってはドラマの中に入り込んだようなものなのだ。仕方ないと思いながらも、いつ自分の周囲に降りかかるか分からないことなんだぞと叫びたくなる。そんな自分に少しだけ安堵した。
「奥野さん、離れには誰でも入れたんですか?」
「あ、あぁ。盗まれて困るようなものもないし、前に鍵が壊れてからそのままにしていたよ」
「ならあのご遺体に当たりをつけるのも難しいですね」
「そうだね……離れの裏にも細いけど道があるんだ。だから本当に誰でも入れてしまう。
自分で放った火に巻き込まれたのなら、可哀想だけど自業自得だね」
そうですね、と返しながら表情を窺った。特に含みのない自然な表情だ。
疑いたくはない。しかしその癖がついているのも事実だった。殺人は思いの外あっさりと行なわれてしまうことを僕は知っている。その動機に何があろうと明白に見える部分は結果だ。言ってしまえば小さな子供でさえそれは可能ということも知ってしまっている。建物が燃えて、死者が出て、それで放火犯が逃げ遅れたという結論に至るには、悪い結果を見過ぎていた。
不安、なのだと思う。僕の思考は大抵それによって縛られている。疑うことで、そしてそれが晴れることで、安心したいんだ。だから早く、ただの事故だったという結論を出してほしかった。
また一台、パトランプを光らせた黒いセダンが野次馬の後方に停車した。車を降りたスーツ姿の刑事がふたり、遺体の運び込まれたワゴン車に近付いていく。出てきたのはすぐで、僕がその刑事達と顔を合わせるのもすぐのことだった。
三十過ぎくらいの面長の刑事と、殺気立った目付きをした五十半ばの刑事。あと十メートルもない距離で後者が急に足を止め、若い刑事は驚いた顔をしてその横顔を見返している。視線の先に居るのが僕であることに気付くのも、やはりすぐのことだった。
「あれ、あの子どっかで」
「行くぞ」
先輩刑事に凄まれては着いて行くしかないのだろう。まだ考えている様子で僕達に軽くお辞儀をすると、現場へと上がって行った。
思い切り吸い込んだ空気に肺が震えた。
「すごい目をした刑事だったなぁ。あれが普通なのかな」
「アレは特別ですよ」
奥野さんは僕の言葉にそれほど意味を感じなかったらしい。そうだろうねと頷きながら見送っている。僕の視線に気付いたのか不思議そうな顔でこちらを見るから、思わず今すぐ現実を突きつけたくなった。
――どうです。面影、全くないでしょう?
声にする前に止められて良かった。知らないのだから能天気に見えても仕方ないし、そんな人に八つ当たりしている場合じゃない。
どうもあの人を前にすると、自分が嫌な人間に向かっていきそうになる。特にあの槍のような瞳。動じることも悲哀が灯ることもないただの武器のようなそれが、堪らなく嫌いだった。自分だけ全てを知っているみたいで、それなのに全てを隠しているみたいで。大好きだったはずのその人を嫌いになったのは、瞳が最初だった。
やっぱり嫌いだ。稲森さんの件はある意味小さな借しだけど、こうして対峙すれば思う。
神咲学。彼を“父さん”と呼ぶ日はもう来ないかもしれない。
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