白昼夢

安湖

1話 後編

 その後は、すぐに図書館から出た。まだ外は明るかったがすでに6時をまわっていた。青木は追ってきていないとはいえ、まださっきの恐怖が残っている。辺りをきょろきょろと振り返りながら早歩きで家路を急いだ。

 突然足元がぐにゃりと歪んだ感覚があり、下を見るがなにごともない。気のせいかと思い歩き出すが、1歩進むごとに足元がどんどんすり減っているような気がする。貧血?

 いろいろあって疲れているのかもしれない。とりあえず休もうと足を止め、コンクリートの壁に背中を預けた途端、地面が沈んだ。
今度は感覚などではない、ハッと足元を見ると禍々しい黒い穴が開いており、逃げようと立ち上がるが遅く気がつけば穴に落下していた。とっさに伸ばした手が運良く穴の淵にひっかかり落下は免れたが、足がかりがないため這い上がることも出来ずぶら下がっているだけだ。
ここからどうしよう。

 「お前か!」

地上から声が聞こえたと思うと、穴の淵にぶら下がっていた腕をガッと掴み引っ張られた。その力はとんでもなく強く、引き上げられるどころか私は空中に投げられた。喉がヒュッと音を立てる。

「ええええええ」

3mは飛んだと思う。なぜ自分がいま宙にいるのか理解出来ない。遥か下の地面では私を飛ばしたと思われる男がこちらを睨んでいた。とても人間業ではない。受け止めてくれそうもないので、頭から落ちないようにバランスをとってみたがまともに着地出来るはずもなく、無残にも激しく地面に転がった。痛い。

 転がる私を男が冷たく見下ろしている。青木かと思ったが違う。色黒でやたら髪の長い男だ。なぜだか和服を身につけており、金のラインが入った黒の羽織を着て帯を締めている。着慣れていそうだと思った。全身からギラギラとした気を感じる。その目に浮かぶのは憎悪だ。

 「お前が春慶さまの水晶を盗った犯人であるな」
「は・・・・・?」

変な人だ--。

 逃げなければと立ち上がるが、背中を蹴られ地面を削るように倒れた。おでこと膝を擦った。痛みと恐怖で涙が出てくる。なお這いつくばって逃げようとしたが、それはほとんど本能だったと思う。なんだか分からないがこの男がやばいということだけは分かる!

 突然脚に激痛が走り、私はそれ以上進めなくなった。痛い、とてつもなく痛い。今まで経験したことのないほどの痛みだった。
男を仰ぎ見ると、美しい日本刀をぶんと振った。赤い血が宙に飛び散った。まさか。自分の脚を見ると、右足のふくらはぎからだくだくと血が流れていた。ジーンズが血に染まって変色している。あまりのことに手は震えさらに痛みが増した。血の気がひいていく私を見て、男はフンと息を吐くと今度はそれを鼻先に向けてきた。

「この黒曜から逃げられるとでも思ったか」

もう無理だ、死ぬ。まだやりたいことたくさんあったのに。今年の大学の学費も払ったのに。

 「おい、泣いてないで答えろ。水晶はどこだ」
「水晶・・・・・・? 知らない」
「ふざけるな!」
「そんなこと言ったって・・・・・・知らないものは知らない・・・・・」

チッと舌打ちをされた。

「まぁ良い。答えないというのであれば殺してから探してやろう」

にやりと笑って男は日本刀を振りかぶる。剣先に反射した夕日が刺すように光った。観念した私はぎゅっと目をつぶった。

 「やめろ黒曜」

静かな声がした。なかなか切られないのでおそるおそる目を開けると、それは美しい男が立っていた。

「春慶さま!」

黒曜と呼ばれた黒い男は慌てて刀を下ろし跪いた。美しい男・・・春慶というらしいこの人は、黒曜の頭に手を乗せて「やりすぎだよ」と微笑んだ。そして私のほうを振り向いたのだが、彼はあまりにも美しく一瞬自分がどこにいるのか分からなくなった。

「うちの黒曜が大変失礼した。まだ若輩者であるゆえ・・・・・どうか許してやって欲しい」

 常人ではない--。
最初に思ったのはそれだ。
バランスのとれた細い身体、さらさらと風に揺れる色素の薄い繊細な髪、涼やかな目にすっと通った鼻、白い肌に浮く赤い唇。この人の周りだけ時間も気温も音もないのではないかと思うような凛とした人だ。なぜかこの人も着物を身にまとっているが嫌味なく似合っている。

 「血が出ている。黒曜がやったのか?」

春慶は私の脚を見てぎょっと目を見開いた。地面には既に私の血で小さな水たまりが出来ている。それを見たとたん、ハッと自分が切られたことを思い出した。
大量出血をしていると思い込み死んだ事例もあるというが、そういうことだろうか、呼吸が浅くなり体にも力が入らない。

 春慶が私にそっと近づき手を伸ばしてくる。顔を背けるがなんの意味もない。もうこうなったらどうにでもなれ--そう思ったと同時に、世界が遠ざかる感覚があり、いつの間にか意識を失っていた。


「白昼夢」を読んでいる人はこの作品も読んでいます

「ファンタジー」の人気作品

コメント

コメントを書く