八女津一族の野望

ひなたまひる

師範と弟子

もし自分に本当に力があるのなら、2時間目に出された日本史のレポート課題を一瞬で終わらせて、弓道部の昼練に行くのに。

星野珠姫は怒っていた。
どうして学校の宿題というものは、こうも無駄に時間がかかるのだろう?

日本史なんて中学までに隅から隅まで暗記しているし、試験は確実に満点がとれる。
そもそも教科書に書かれていることなど、上っ面をすくった上澄みだけで、本当の歴史はもっと複雑で奥深いもなのに。

今夜から秋の放生会の練習が始まる。初日は今年の世話役との顔合わせや、神降ろしの儀式があるため、珠姫は夕方から深夜まで八幡宮に篭りきりになってしまう。

せめて昼休みだけでも夏の弓道大会に向けた練習がしたいのに、わかりきった日本史のレポートなどチンタラ書いている暇はないのだ。

「おい、珠姫。お前神楽の授業サボったんだって?江上先生が怒ってたぞ。」
気乗りしないレポートをやっと半分書いた頃、隣のクラスの矢部真珸が、昼食のコロッケパンをかじりながらズカズカと2年A組に入ってきた。

「カグラ」というのは、珠姫が通う福岡県立福島高校で特別に設けられた全員必修の科目である。
八女の地に伝わる伝統芸能「神楽」を体験しながら学ぶ授業で、音楽と歴史と体育が混ざったような科目だ。「舞」か「囃子」のどちらかを選んで履修しなければならず、単位は卒業に関わる。

「うるさいな。今宿題で忙しいの!」
「なんで昼休みに宿題なんかやってんの?そんなのお前の頭ならちゃちゃっとできんだろ?」
「今夜は放生会練の初日だから家で宿題やる暇がないんだよ…」
「あれ?今日だったっけ?やべぇ」

大切な儀式の日をすっかり忘れていた真珸は、軽く青ざめている。
彼もまた、今夜の儀式に参加する神楽方の1人なのだ。
当然、珠姫と同じく今夜宿題をこなす時間はない。
それでも真珸は義務を果たそうとして続けた。

「それはそうと、八女津本家の娘が神楽サボっちゃマズイだろ。師範からすぐに家に連絡されて婆様に絞られるぞ?」

「だって今日の『教え』、誰だったか知ってるでしょ?父さんとは今ケンカしてるから、顔を合わせたくないの。仮病使って保健室に逃げてた。」

普段忙しくて家にいることも少ない珠姫の父・憲次郎が、学校に来るのはとても珍しいことだ。
しかし、八女の地で神楽の『教え』を行えるのは珠姫と真珸の一族の者だけなので、ごく稀に「囃子方」の師範である憲次郎が舞踏場に現れることもある。

本来なら「囃子方」と珠姫の所属する「舞方」は別々に『教え』を受けるが、今日は放生会練の初日で師範たちが出払っていたため、舞方と囃子方が一緒に憲次郎から『教え』を受けることになってしまった。

ここのところ珠姫は父親と進路について言い合いになることが多い。
家でも顔を合わせたくないと思っているのに、よりによって学校で、弟子らしくうやうやしく相対しなければならないなんて冗談じゃない。

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