不本意ながら電波ちゃんの親友枠ってのになりまして

いわなが すみ

18.出会ってずっと片思い

司の視界に入った杏は、虚ろな瞳で司と栗山の一部始終を眺めていた。すべての感情を置き去りにしてきたかのような顔で、力なくそこに立ち尽くす杏に司は驚いて声も出なかった。

「早く中に入ろうぜ」

大輝が呆れたように司から目をそらすと、杏を伴って宿泊施設へ入って行った。
2人は他の生徒に紛れて、くすんだクリーム色の建物に吸い込まれていった。長いこと雨風に晒された施設はお世辞にも綺麗とは言えないが、初めての課外活動に生徒の心は浮足立っている。楽しそうに足を踏み入れる生徒たちに、杏と大輝の姿はすぐに見えなくなった。

早く弁解しなければ、取り返しがつかなくなる気がした。司が微笑んだのはそういう意味ではない。と

 「司くん?」

焦って2人を追いかけようとした司の手を取り、こてんと首を傾げる栗山。だが、心配げに見つめる瞳も、誰もが可愛いと頬を染める仕草も、今の司には意味がなかった。焦りを隠せない司はやんわりと栗山の手を離すと素早くリュックを背負い直した。

「悪い。今取り込んでる」

眉間にしわを寄せた司は、心配そうな尾白と栗山を置いて走り出した。

「俺の一番はずっと前から杏だけだっての」

生徒の隙間をぬって進みながら司は苦々しく呟いた。


◆ ◆ ◆


 「ねぇ、黒瀬くんって友達多いんだね」

これが杏からかけられた初めての言葉で、杏の表情から彼女なりの皮肉だと感じた。
彼女は前席に座る司の背中を、持っていた本の角で突いて振り向かせると、呆れた顔で先ほどまで司と話していた友人たちを目で追った。

彼らは司の友人で、いつも司の周りで楽しく騒いでいる。司は小学3年の時点で容姿も教養も周りから飛びぬけていたため、自然と人が集まった。

お陰で司は友人に困る事はない。ただ、司の意にそぐわない巨大グループになり、なんだか親交を深める間もなく外堀を埋め立てられたような気がした。

そんな彼らが杏の机にぶつかり、ひどい時は机を押しやったり邪魔だと言うこともあったらしい。

「別に黒瀬くんが悪いわけじゃないけど、注意しても治らないから。ちょっと八つ当たりした。ごめん」

彼女は終始つまらなそうな顔でそう言った。その通りだ。司に非はない。

司はそんな杏のことがはじめは苦手だった。まるで品定めをするようなその視線が背中を這ってぞわりとした。

「俺のせいでもあるみたいだから、それは、ごめん」
「こちらこそ。…人気者も大変だね」

無難に済ませようと謝った司に、杏は心底同情してため息をついた。

窓際の前から3列目の席だった司は、窓にもたれ掛って、椅子の背もたれを肘掛け代わりに腕を乗せた。それから視線だけ杏に向けた。

同情されたからかもしれない。感じたこともない視線は苦手だが、不思議と嫌だとは思わなかった。

だからこの目の前の小泉杏と話してみようと思った。

「小泉はいつもなに読んでるんだ?」

司の問いに杏は驚いたように顔を上げた。まさか会話が続くとは思っていなかったようだ。驚いた彼女の顔はさっきまでの不満そうな顔よりも幼く見えて、司は案外面白い子なのかもしれないと、どんどん杏に興味がわいてきた。

「…見習い魔法使いリリー」

カバーのかかった文庫本は、題名に似合わないハードなファンタジー小説の中巻だった。杏は恥ずかしそうに右下に視線を動かして、文庫本を机に置いた。
このグレーの薄い布製のカバーの下で、魔法使いがドラゴンを使役している。それがたまらなくおかしかった。
司が思う小泉杏は小難しくて、いつも本を読んでいて、その中身はもっぱらエッセイか推理小説だ。よくて女児向けの挿絵がたくさん入った恋愛小説かとも思った。まさかファンタジー小説を読んでいるとは夢にも思わなかった。

「へぇ、それ面白い?」

気が付けば司はそう口にしていた。気まずそうに伏せていた杏の顔がぐんと司に近づいたかと思うと、杏は身を乗り出すように司の右腕を両手でつかんだ。

「すごい面白い!黒瀬くんも読む?読むよね?」

きらきらした杏の色素の薄い瞳が、まっすぐ司を見ていた。少し押しつけがましい彼女はゆっくり微笑んで目を伏せた。

その所作はとてもきれいだった。

それから顔を上げて2回瞬きすると、彼女はランドセルから紙のカバーが付いた文庫本を取り出した。

「これ、上巻」

手渡された本を適当にめくり、羅列された文字を順に追っていく。あまり小説を読むほうではないが、司にも読めそうな感じだ。

「それゆっくりでいいから読んでみて、絶対気に入るから」

好きなものを語る時ほど美しい顔をする。
杏の顔は今までで一番輝いていた。

「でも本当に借りていいのか?お気に入りなんだろ?」
「いいの。黒瀬くんならなくしたりしないし、丁寧に扱ってくれるでしょ?」

本をめくりながら聞いた司に、杏は意地悪く微笑んだ。信用されているのかどうなのか。司はその顔と言葉は反則だと小3ながらに思った。

こうして二人は友人になった。

本を貸し借りして、ついでだから勉強もしようとなり、いつの間にかセットとして扱われるくらい一緒に居るようになった。と言っても学校の時間だけで、家に遊びに行くような仲ではなかった。そのころの司は杏のことをどの友人よりも一緒に居て楽だと思っていただけだ。

必要以上に騒がないし、司の話も聞いたうえで自分の意見を言ってくれるのが新鮮だった。司の周りは一方的に話すか、質問攻めにしてくる子がほとんどだったので、ちゃんと会話している気分になれた。


だが、そんな関係も中学に入って変わることを余儀なくされた。
思春期真只中の彼らは、男女が二人でいることに違和感を覚え、恋人同士を押し付けてくるようになった。付き合っているとかないとか、司には心底どうでもよかった。ただ、いつものように杏と二人で本を読み、勉強ができればよかった。

そのせいで以前ほど杏と一緒に居る時間を取れなくなった。杏はおとなしく見えるが、話すと世話焼きで口も軽快なことからすぐに友達をつくって、楽しそうにしている。

司はと言えば、また杏と出会う前に逆戻りだった。中学生になっても司の美貌は増すばかりで、切れ長の目と高い鼻筋、パーツもさることながら配置が完璧だった。

司の顔に寄ってくる生徒を無難に笑って適当にあしらって、それでも面倒な女子に好意を持たれて、日に日に気が滅入った。あの穏やかで安らぎのある時間を返してほしいと何度思ったことか。杏はそんな司を知ってか知らずか、自分の新しい世界で楽しそうに日々を過ごしていた。

あんまりだ。

司はこんなに杏との時間を取り戻したくて、彼女に焦がれているのに、当の彼女は自分のことなど見ていない。

これはあんまりだ。

その時初めてできた親友とも呼べる嶋大輝が、それは恋だと言った。

司は中学1年にしてやっと自分の初恋を自覚した。

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