生きてくだけでおっぱい

とびらの

生きてくだけでおっぱい

 北海道の夏は涼しい。
 しかしそれは山合いに限る。盆地ともなれば本州より暑くなることもしばしばで、梨太は思わず、うなり声を漏らした。数年ぶりの生まれ故郷は、記憶よりもずっと蒸し暑い。

 木桶の水を柄杓ですくい、たっぷり、御影石にかけていく。意外にも掃除は行き届いていた。この共同墓地の管理人か、もしくは親戚の誰かがまめに通っているのだろう。たいしてやることもなく、梨太は片膝をついた。

 ――栗林家の墓――

 そんな簡単な刻印に、なんとなく、触れてみる。それでなにか感動があるわけではなかった。両親が眠っているという実感がない。それでも、わざわざ帰国して訪れたのは意味がある。

「……やあ、お父さん、お母さん。……二十歳になったよ」

 その報告と、自身の未来を、両親に伝える。

「……近いうちに、僕はこの世界を出て行く。顔を見せるのはコレが最初で最後になると思う」

 梨太の言葉に、返事はない。 それでも彼は続けた。

「見守っていてください」

 鞄から二つ、取りだした物を、並べて置く。父が好きだった日本酒と、母が好きだった和菓子だ。それから線香を上げ蝋燭を灯し、花を飾る。宣告通り、おそらくはコレが最初で最後の墓参りだ。
 梨太は目を閉じた。
 心の中で、祈りを捧げる。
 黙祷は十秒ほど――琥珀色の瞳を、静かに開く。そして、

「……んあ?」

 梨太は素っ頓狂な声を上げた。

 目の前に、猫が居た。
 梨太の股間のすぐそば、一匹の子猫が背を向けている。がつがつばくばくはぐはぐ、と、お世辞にも品が良いとは言えない音をたて、供えたばかりの饅頭を、『両手に掴んで』食いあさっている。

『うんまいにゃ! この漉し餡のなめらか具合は尋常じゃないにゃ。きっと創業四百年京都老舗の和菓子店、【まんだら煉獄本舗】熟練パートタイマー職人藤岡さんのお仕事だにゃ!』

「……いや、札幌ジャスコのタカラブネだけど。てかすごい名前の和菓子屋だな、実在すんの」

 思わず、穏やかにつっこむと、子猫はハッと振り返った。らんらんとした目をまんまるにして、梨太を見上げて、悲鳴を上げる。

『しまった! 見つかったニャ!!』
「見つけるよそりゃ。僕の股間の前だもの」
『おのれ【ごうつく京極横町】、この漉し餡がうますぎてうますぎて』
「そういう問題じゃないし、さっきと名前変わってるし」

 梨太は立ち上がると、膝に付いた土を軽くはたいた。子猫は多少、きまずそうに――といっても両手に掴んだ菓子は決して放さぬまま、上目遣いで梨太を見上げる。
 その大きな瞳の間に、異様なものを見つけた。ちょうど額のあたりに、きらきらと輝く宝石のようなものがくっついている。金持ちがペットにつけてやるならば普通、首輪だろう。
 しかしその違和感も、突然現れたしゃべる猫という荒唐無稽さと比べれば気にならない。

 不思議なところが多すぎて、あえてツッコム気が失せてしまった梨太に、子猫は首を傾げた。

『お前、なんでそんなクールなのニャ』
「いや、なんか、驚くタイミングを外して」

 梨太は笑った。子猫の外見はまさに猫。日本人平均より少しばかり小柄な梨太からしても、可愛い愛玩動物以外のなんでもない。よく見るとしっぽが二股に分かれているあたり、まあ、妖怪なのだろう。梨太はアゴを撫で呟いた。

「妖怪ってホントに居るんだね。それともあれか、猫の精霊……たしかケット・シーとかいう……」
『おおっ? 推察がサクサクだニャ。もしかしてお前も異世界の住人ニャ!?』
「いや、純度百パーセントの地球人だしバリバリの理系大学生、本籍は静岡県だよ」
『現代っ子らしくないニャ』

 なぜか不満そうに子猫。梨太は肩をすくめた。

「科学ってのは世のフシギを解き明かし、改善したり利用したりするためのものだ。自分の目で見たフシギなものを、そんなのありえないって見なかったフリするようじゃ科学者になんかなれっこないもん」
『でも普通、もっと驚くニャ。恐がってもいいと思うニャ』
「まーそうなんだけど、雌雄同体の宇宙人がウチでカレー食べながら軍事会議してたんだし、世の中けっこうなんでもありかなって」
『お前の人生ちょっとハプニング多過ぎやしないかニャ!?』
「それより君、異世界からきたって? インフラできてんの?」
『なんかこいつ、やりにくいニャー!!』

 子猫は絶叫すると、空中でくるりと身を翻し、仁王立ちで着地した。改めて向き直ってもやはり猫ではある。しかしさすがに二足で直立できるとは尋常でない。なんとなく、しゃべることよりもその股関節に驚いて、梨太は再びしゃがみ込んだ。それでもまだ見下ろす形で、手を伸ばす。

「ヨシヨシなでなで」
『ふにゃっ? なにするニャ!』
「なでなでなでなで。うりうりうりうり」
『あっ。そ、そこ、そこはっ』
「猫科の動物はこのへん弱いよね-。ほれほれ。うりうりうりうりうり」
『にゃあああああん』

 もんどりうってもだえまくる子猫。梨太はさらに撫で繰り回しながら、全く唐突に核心を突く。

「で、結局君は何者なんだい。さすがに普通の猫じゃないよね?」
『な、にゃ、……今それを言おうとしてたにゃ……っえーい撫でるのをやめるニャ!』
「白状したらやめてあげるよシュレディンガーくん」
『勝手に名前をつけるニャ! しかもネーミングセンスがひどいニャー!!』

 子猫は叫んで、とうとう梨太に強烈な猫パンチを食らわせた。猫らしく、俊敏な動きで梨太の身体を駆け上りくるりと回転。そして、彼はそのまま浮遊していた。さすがに梨太も声が出る。

「おおっ、浮いた!?」
『やっと驚いてくれたにゃ』

 ふふん、と顎を持ち上げてドヤる子猫。

「……でも空中移動手段は平泳ぎなんだ。微妙にかっこわるい」
『クロールも可能ニャ』
「おおすごい、僕より上手いよ」

 さらにドヤる猫。
 だがまた話が脱線仕掛けたのに気がつき、彼は体勢を戻した。

『ボクの名前はヤマザキハル――子猫なんかじゃないのにゃ。子猫の形をした霊的なもの、すなわち精霊。それも、いまや精霊王と呼ばれるリッパな地位にいる存在なのニャ』
「へえ。なんとなくめでたい名前だね」

 と、相づちを打ちつつ、ポケットからスマホを出す梨太。

『この世界でも、昔話、おとぎ話なんかで聞いたことあるニャ? 古来より、猫の精霊は賢くて人なつっこくしたたかニャ。ボクはおまえの何倍も生きているのニャ。神にも等しい尊い存在。尊敬しあがめ奉るがよろしかろうなのニャ』
「ひとの墓へのお供え物をむさぼり食ってたくせに」
『そこがボクとそこらへんの野良猫とが違うところだにゃ。ボクは生ゴミなんかあさらない、新鮮で清潔なものしか拾い食いはしないのニャ。お菓子は和菓子派なのニャ』
「お金払ってよ。890円」
『リアルに安いニャ。ロマンがないニャ』
「だって死人がお菓子食べるわけないし、形式だけのもんだもの」
『おまえさっき語った科学者の精神どこいった!?』
「実際に幽霊見たら信じるよ。――っと、動かないで。照準ブレた」
『あっごめんごめん……っておまえさっきからなに撮ってるニャ!?』
「ヤマザキくんの個体データスキャン」

 梨太はアッサリ、そう答えると、スマホをサクサクと操作する。

「これ、僕が開発したアプリなんだけど。動物の動画を撮るだけでその個体情報があらかた取れるんだ。体長と体積からおおよその体重、同時にサーモグラフィで体温、マイクで脈拍と呼吸、電気反射で体脂肪率。精度を上げれば簡易版CTスキャンにも」
『ニャ!?』
「んん……ほうほう、なるほど。いや実は精巧なロボットてのを疑ってたんだけど、たしかに生体だね。かといって普通の猫とは全然違う。その口蓋の形状でどうやってヒトの言葉を流ちょうにしゃべれるのかなあと思ってたけども、こうなってんのか。はて、その額の石はなんだ? 強力なマイクロ波が待機状態になってる、この石はその発生装置? マグネトロンみたいな――」
『ていにゃーっ!』

 猫の精霊は渾身の猫キックで、梨太のスマホを蹴り飛ばした。藪の中に落ちていくのを慌てて追いかけ、振り返って怒鳴りつける。

「なにすんだよ!」
『お、おまえはファンタジー作家を殺す気かー!』
「何の話だよ。僕あんまりそういうの読まないし」
『ボクたちはコラボってはいけない星にそれぞれ生まれたようだニャァ……』

 ぐったりして、ヤマザキ。なんのことだかわからず、梨太は首を傾げていた。子猫は恨めしげな目をこちらへ向けて、深々と嘆息する。

『……二年ほど前、出会った別嬪も色々とやりにくかったけども、お前は別のベクトルでやりにくいのニャ……』
「そう? 僕わりと楽しく会話してるけど」
『そういうところがやりにくいのニャ。いいかお前ちょっと座れ、おいちゃんが説教してやるのニャ』
「え、やだ。ここ墓場だもん、下は砂利だし濡れてるっしょ、座ったら痛いし汚れるべさ」
『やりにくいニャー! こいつ可愛げないニャー!!』

 もんどりうってじたばたするヤマザキ。梨太は苦笑し、仕方ないなあと恩着せがましく膝をついた。さすがに正座はする気になれないが、とりあえず視線の高さはこれで合う。よし、とヤマザキは鷹揚に頷いた。

『まずお前……そういえば名前はなんというニャ?』
「栗林梨太。リタでいいよ」
『リタ? 女みたいな名前ニャ』

 ははは、と梨太は笑った。

「よく言われる。英名なら普通に女性名の愛称だからね」
『顔つきも女のようだニャ。お前、ほんとに男なのかニャ?』
「男だよ。ちんこ出そうか」
『いらないニャ! 無駄にメンタル男前だニャ』

 ヤマザキは絶叫すると、ジロジロと、上から下まで梨太を観た。その視線に合わせ、梨太は自分自身の姿を思い浮かべた。

 日本人離れしたふわんふわんの栗色の髪、愛らしく丸い栗色の瞳。ほんの少し上向きの小さな鼻に丸い唇。パーツのひとつひとつが女性的ではある、だがさすがに二十歳、女性と見間違われることはめったになく、女装でもすれば違和感が出るだろう。
 女のようだ、と言われることに、梨太は怒りを覚えなかった。たとえ本気で誤解されたとしても、訂正すれば済むだけのこと。あくまで自分は男性であり、その自負の元、自信があるのだ。

 梨太は笑った。

「一応、恋人もいるんだ。……色々と障害があって、いまは遠くに離れてるけど。いつか必ず会いに行くつもりだから」
『おお、ろまんちっくだニャ』

 ヤマザキは深々と頷き、真実、笑顔になった。

『ファンタジーはろまんすだニャ。お前も、超遠距離恋愛ができるだけのろまんちすとと聞いてホッとしたのニャ』

 まあね、と梨太は頷いた。

「彼」との別れから丸一年、自分がやってきた努力を省みれば、なるほど相当なロマンチストに違いない。相手は遙か彼方の銀河の向こう、煌めきも見えない星にいる。そんなところにいるひとを、何年もかけて追いかけていこうだなんて――そしてその間、相手が待っててくれてると思い込んでいるなんて。

「我ながら、まったくとんだロマンチストだよ」

 ウンウン満足げに頷くヤマザキ。よきかなよきかなと嬉しそうに、ぽんと梨太の肩を肉球で叩いて。

『――で、やっぱりリタが【受け】なのかニャ?』
「……………………」

 問答無用、梨太はヤマザキの襟首を捕まえて天高く持ち上げた。そのまま手旗のように振り回す。ニャアニャアと悲鳴を上げる精霊を揺さぶって、梨太は剣呑な声を出した。

「なにをナチュラルに僕の恋人が男だと思い込んでんの」
『ち、違うのニャ? ええい放すニャ!』
「さっき僕は男だっていったよね? んで恋人の性別に言及してないよね。僕がゲイかもしれない前振りなんにもなかったよね!?」
『えっ、あっ、うん。ニャ、でもなんかそんな気がして』
「鮫島くんは男じゃないよ! 僕にとっては女性っ! いやたしかに出会ったときは男の人だったし今もどうなのかわかんないけどたぶんきっと女性の姿をしているはずなんだからっ!!」
『えっ、えっ、ちょっと待って設定が特殊すぎてわけがわからない』
「設定は特殊でも中身は純愛ストレートフラッシュだこんちくしょー!」

 梨太はくるりと腕を回し、子猫型精霊をひっくり返した。腕に抱き留め仰向けにし、ぱかりと後ろ足を開く。

「ごかいちょー」
『うにゃああああああああああああ』
「はっはっは。さっきは骨格が邪魔で見えなかったけども、こうしておいて撮影すれば、生殖器関連がばっちりスキャンできちゃうぞ。やあ前から興味あったんだよね。神様とか悪魔とか、精霊や妖怪ってどうやって繁殖するのかなって」
『ひんにゅぁああああああああああああああ』
「んー? 生殖器らしいものが見当たらないなあ。単細胞じゃあるまいし、分裂ってことはないよねえ」
『ふんぬりゅぁあああああああああああああああ』
「ねえねえヤマザキくん、君のちんこどこにあるの?」
『ひっ、ひっ、ひっ――』
「ひ? ラマーズ法?」

『ひっ――百烈猫パンチぃいいいいいいいっ!!!』

 精霊の前足が光を放つ。梨太は反射的に目をつむった。衝撃波はすぐに来た。パンチ、というよりは鐘突きをくらったかのような重く大きなインパクトで、梨太は思いきり後ろの吹っ飛んだ。
 墓石に当たったのが背中でよかったものの、後頭部だったら頭蓋が割れていたかも知れない。咳き込みながら、さすがにぞっとして顔を上げる。
 と――そこにはもう、なにもいなかった。

 一陣の風が、青葉を乗せて過ぎてゆく。

「……悪かったよ、ちょっとやり過ぎたね」

 梨太は後ろ頭を掻いた。人を食ったように飄々とした、それでいて意外とツッコミ体質な猫型精霊。できればもう少し、交流してみたかったのに、調子に乗りすぎて逃げられた。
 素直に反省しながらも、ちろりと小さく、舌を出す。

「でもなんか、ちょっとイジワルしてやらないといけない、義務があるような気がしてさ」

 そう嘯いて、梨太は立ち上がった。母にそなえた和菓子の包み紙と、父にそなえていた、日本酒瓶を回収しようとし――その両方が、きれいさっぱりなくなっているのに気づく。

「やれやれ、転んでもただじゃ起きないにゃんこだな」

 悔しそうに、嬉しそうに目を細めて、梨太はカラになった紙袋をたたむ。
 そして故郷をあとにした。

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