鮫島くんのおっぱい
バルフレアの宴③
「リタ様」
聞き覚えのある声がかけられて、ハッと覚醒する。
すぐ正面に、バルフレアの少女――ハーニャがいた。
昨日とは、衣装がさまがわりしている。白い薄布のワンピース、全身を飾る蔓花と鮮やかな色の木の実。手足には鈴。バルフレア族の化粧だろうか、目元に紅い染料を塗られていた。素朴であるが華やかで、どことはなしに色っぽい。
「ハーニャ。その格好は? ずいぶんオシャレをしてるね」
ハーニャはにっこり、笑った。
「踊り手の衣装です。これを着れるのは、村長の家の娘だけなのですよ」
「踊り手?」
「ええ。リタ様にお見せしたいものがあるって言ったでしょう? 見ていてね。――わたしが踊る姿を……」
ハーニャは立ち上がり、焚き火のほうへと歩いて行った。
宴会はまだ続いている。
カロリン。
木製の鈴が鳴る。踊り手が高らかに手をあげて、大きく鈴を鳴らしても、誰もオシャベリを止めなかった。あいかわらず好き勝手に騎士達に絡んでいる。
そんな、全く畏まりのない場所で、ハーニャは踊り始めた。
カロリン、カリル、カルカルカル、カロリン。
バルフレアの鈴は、木彫りの珠で出来ている。ハーニャが手首を返すたび、カリル、カリルと堅く澄んだ音が鳴っていた。金属製のものと比べれば、その音は小さく地味だ。しかしぬくもりがあり心地いい。
カロリン、カルカルカルカルカル、カロン。カコロン。カリカリカロル。
「おおっ、フィンバルの演舞か。初めて見た」
盃を手にしたまま、虎が呟く。それがあの楽器の名前だろうか? 尋ねた梨太に、応えたのはバルフレア族だった。
「フィンバルはもともと木の名前なのです。木鈴……ハが濁ってバル。堅くて洞があって、風が通るとああしてカロンカロンといい音が出る。魔除けの鈴として、古くから我らはみな身につけておりました」
「バルフレア族の名前は、あの踊りからつけられたものだ」
続けたのは、鮫島。
「名付けたのは、ラトキア人。二百年も前、ラトキア王都民は、奴隷として獣人を王都に連れ込んだ。しかし言葉は通じず、さほど力があるわけではない。娼婦代わりにしようにも繁殖期以外は使い物にならない。なにか俺たちを喜ばせてみろ、できなければ殺す――そう脅したときに、彼らはフィンバルを鳴らして踊って見せた……そこで初めて、『ヒトによく似た家畜』は、バルフレア族という名が付けられたといわれているんだ」
「……それ、歴史の教科書には書いてなかったよ」
騎士団長は、ただ黙って苦笑いしてみせた。
「俺も半年ほど前、この村ではじめて聞いた」
「鮫騎士団長どのは、素晴らしいかたです!」
バルフレアの男が言った。
「マトモに聞いてくれたラトキア人はいません! でたらめと笑うか、先祖を侮辱するなと怒り出すか」
「それは、仕方ない。ラトキア民族は自分たちがかつての支配者の血族であることを忘れたがっている。被害者でいたいんだ。バルフレア人を奴隷ではなく、あえて家畜と呼んでいたのもそのためだろう」
「なんかソレ、ウサギを鳥だっつって食べてた生臭坊主みたい」
「いやいや、知らなかったという条件は、騎士団長どのだって同じのはず。われら獣人、こうも素直に聞いて信じて頂けるなど、夢にも」
感動でふるえ始めるバルフレア族。鮫島は不思議そうな顔をしていた。どんな身分の者の話でも、正当性があれば素直に聞き入れる騎士団長……それがどれほどのことか、自分の価値に気づいていない。
梨太は隣でニヤニヤ笑った。
(ああ、こういうとこ。こういう所、鮫島くんのほんとに可愛いところだ――)
カロカロリン、カロリン。カロンカロン。
いつのまにか、周りのバルフレアも踊り始めていた。ハーニャほど洗練されたものではなく、音に乗って適当に身体を動かしているだけだろう。それでも数が揃えば圧巻だ。陽気な獣人の舞は、焚き火を中心にどんどん広がっていく。ついには村人中が集まって、大きな宴になっていった。
二時間ばかり経った頃か、背後から、ちょいちょいと服を引かれた。女児のような可愛い所作で、やってきたのは村長である。彼は一度、梨太に深々と一礼。
それから虎のほうへ向き直った。
「お待たせしました、虎どの。用意が整いましたです。お望みどおりの物件ですぞ、ご満足頂けると思いますです。ご確認を」
「おっ、まじか。手際いいなぁ」
虎が笑顔で立ち上がる。村長もニコニコ顔で、そのままなにやら大金の話を始めた。虎が何かを買ったのかと思えば、村長から値切るような言葉も聞こえる。どうしても気になって、梨太は虎の裾を引いた。
「ねえ、何の話? なんか傭兵の仕事受けたの?」
「ああ、この村全体の用心棒ってやつだ。元騎士の戦士が常駐してくれたら超ありがてえーって、昨夜のうちに持ちかけられてな」
「常駐って――それじゃあ、ココで暮らすってこと?」
「ああ、そうなると家が必要だろ? 空き家を譲ってもらったんだ。ライフラインは自腹になるが、給金と相殺すれば赤字はちょっぴりだな」
「家を買った? 赤字??」
「借金はしてねーぞ、ちゃんと貯金で足りる。いやほんと助かったぜ、探してた通りの理想の環境だ。仕事はあるし飯も合う。ちょっとしたものも王都との交易で手に入るしな」
意味がわからない。
何ヶ月の契約だか知らないが、衣食住を整えて赤字では商売になるまい。給金自体、たいしたものではないだろう。バルフレア人が王都の貴族以上の報償を払えるわけがないのだ。
王都では、効率よく大金を稼ぐため、危険な仕事を詰め込んでいた虎。
突然の転身――その目的がわからなかった。
疑問符でいっぱいになっている梨太に、彼はふと、目を細めた。
「……お前とは、もうちょっとトモダチやってたかったって思うけど――まあ、二度と会えないって距離でもない。生きてりゃどこかですれ違うだろ。そのときは、またマンガの話でもしようや」
「えっ。それってどういう」
カロリン。
言いかけた台詞が、鈴の音にかき消される。
思わずそちらを振り向くと、気を散らせるなと叱るように、ハーニャが強いまなざしを向けている。だがそちらに気を戻したのはほんの一瞬だった。すぐに虎のほうへ向き直った梨太、その隙に、鮫島が言葉を差し込んだ。いつもの怜悧な声音で、彼はシンプルに問うた。
「もう、戻る気は無いのか」
虎は頷いた。
「うん。――王都にも、騎士団にも。俺はもう帰らない。蝶アタリにはそう、適当に言っておいてくれ。……ヨロシクな」
バルフレアの娘が鈴を鳴らす。
だが梨太はもう、その音に意識をとられることはなかった。
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