鮫島くんのおっぱい

とびらの

盲目の梨太②


 一週間ほど前から、鮫島は梨太に肌を見せなくなっていた。

 厚みのある貴族服に外套を重ね、着膨れもしていた。それに元々、彼は並よりも大柄だ。背丈を含め全体的に縮んでも、梨太よりも長身には変わらない。
 凛々しく繊細な面差し、中性的な美貌も変わらず。

 見間違えたって、しかたない。

 そう、言い訳を並べた梨太を、鰐は一笑に付した。

「そうだな。お前たちが今日で初対面だっていうなら仕方ない。だがあいつが雄体化しているときに旅を始めて、今に至るんだろ。過去に雌体化したところを、ちゃんと見たこともあるんだろ。なぜわからない? なぜ男のままだと思い込んでるんだ?」

 ぐうの音も出ない。俯く梨太を、妻の兄は責め立てる。

「なんでこのオレと見間違えた。オレが見下ろすほど背も縮んで、声まで変わっているのに。別の場所で見たならまだしも、隣に並べば似ても似つかない。そんな兄妹を、なぜ見間違える」

 梨太は答えられなかった。
 鰐が、何を言っているのかわからなかった。だが否定することもできない。モニター越しに見た鮫島は、確かにもう、男性的な特徴はどこにもない。鰐とも、もう全然似ていなかった。だがそれを理解できない。
 限りなく女性のかたちによく似た、男性の「鮫島くん」としか思えないのだ。


「クゥは、自分の理解者に飢えてる。オレと離れて以来、アイツの本性を見破ってくれるやつはそうそういないからな。……烏に懐いてたのも、鯨の言いなりになってるのもそれだ。お前を夫に選んだのもそうだろう?」
「……それは……そうかもしれない、けど……」
「だが三人ともハズレだ。クゥは見る目がない。みんな自分の欲を叶えるために、アイツを便利な道具にしているだけだ」
「それは違うっ」

 梨太は首を振った。
 断じて、そんな風には思っていない。
 ちょっと見間違えただけ、ちょっと気付くのが遅れただけだ。旅の疲れと未来への不安、心も体も自分のことで忙しくて、ちょっとおざなりになってしまっただけなのだ。これから気を付ければ挽回できることである。
 梨太は気持ちを持ち上げた。強い意志を持って、宣言する。

「鮫島くんは便利な道具なんかじゃない。僕の大事な家族です」

「……それじゃあお前は、幻の家族と旅をしていたんだな」

 鰐の揶揄に、梨太は激しく慟哭した。
 そしてもう何も言えなくなってしまった。


 森を出て、バルフレアの村までの道中、梨太が運転を担った。平原をまっすぐに走るだけならば問題ない。昼間の戦闘から、ずっと運転をしてくれた鮫島への気遣いだった。

「じゃあ、お言葉に甘えて」

と、彼も助手席でシートを倒した。

 軍用車の運転にはすぐに慣れた。
天気は上々、視界は良好。目も、これ以上なく冴えている。何の問題もない。


 ――あれから、鰐は梨太を責め立てたりなどしなかった。
 むしろ親切だった。小屋に戻り、旅の支度を手伝ってくれた。
 もともとの要件、光の塔への馬車も請け負ってくれた。

「放牧している馬からイイヤツを見繕い、と馬車クルマの整備をする必要がある。バルフレアの村で待っていればいい。三日はかからず届けてやるよ」

 礼を言った梨太に、鰐は不敵に笑った。

「その三日間で、じっくり考え直すといい。自分がクゥと家族になる資格があるのか、星帝になれるだけの器か。……どちらもお前の代わりはちゃんといる。それを忘れるなよ」

 彼の声は優しかったが、たしかに梨太の肺腑をえぐった。解除不可能な時限爆弾を、体内に埋め込まれた気分だった。


「ん……」

 すぐ隣で、鮫島がちいさく寝言を漏らす。
 梨太は車を停めた。
その気配を察したか、彼は目を開けた。起こしてごめん、寝ててもいいよという言葉の代わりに、口から出たのは詰問だった。

「なんで隠してたの。雌体化してること」

 鮫島は強張りなどしなかった。ただキョトンと眉を上げ、小首をかしげる。

「別に……何も隠してないけど」
「でも自分で言ってた。俺はまだ男だって、ずっと」
「リタからそう見えるんだったら、そうだろう。実際まだ完璧じゃないし。地球人の女性とは違う」

 あっけらかんと言われた。気づかれていたのだ、鮫島に、梨太が盲目になっていることを。
梨太は強いショックを受けた。それをそのまま彼にぶつけた。

「言えばいいじゃないか! 自分はもうほとんど女の体なんだから、男扱いするなって、僕に怒ればよかったんだよ。なのに黙って、素肌を隠して触らせないようにして。もっと見せつけてくれたら僕だってちゃんと気づいた。なんで逃げた?」
「……嫌だったから。嫌だって言ったぞ」
「なにが嫌!? それこそ男同士だからってことじゃないの? 体が雌体化すれば心も女性になるっていう話は!――っ……」

 問いかけながら、自身のセリフで答えを悟る。口をつぐみ、頭を抱えた。

「……心も、女性が……好きな男に、同性にしか見えないなんて言われたくない、よな。そりゃ、そうだ……」

 脱力して、運転席へと戻っていった。

 運転を再開する。そのまま目的地まで、一度も鮫島を振り返らなかった。
 運転に不慣れなフリをして、彼に向き合うことから逃げた。

 視界の外で、鮫島が言った。

「ごめん」
「…………なにが?」
「ちゃんと言おうとは思ってた。けれども、言葉が下手で、なかなかまとまらなくて」

 梨太は返事が出来なかった。

「昔から、あのルゥが俺のことをぜんぶ察して、俺の言葉をぜんぶ代わってくれていたから。仕事の経過報告なんかは舌が回るんだけどな。これじゃいけないと思って、この頃は……眠いとか休みたいとか、言うようになった、けども」

 彼は気恥ずかしそうに、自嘲した。

「俺はリタに甘えすぎだ。このまま家族になったら、きっとずっとこのまま。リタが兄になってしまうだろう。俺は普通の……虎が羨ましいんだ。ああなりたい。リタとケンカがしたい。俺もあんな風に、リタと友達みたいに……」

 言いながら、文法が支離滅裂になっているのを自覚したらしい。クスクス笑った。

「俺は本当に下手だな。やっぱりもうちょっと待って。ちゃんとまとめる」
「……もういいよ。大丈夫」

 これ以上なく、ちゃんと伝わってきていた。ゆえになおさら、彼の顔が見れなかった。前を向いたままただ手を伸ばし、鮫島の髪を撫でる。彼はすかさずほおずりしてきた。それからこちらを窺った。

「リタ、俺がこうしても、嫌ではない?」
「好きだよ」

 答えになってはいなかったが、鮫島は天啓を得たらしい。笑い声をあげ、嬉しそうにほおずりを続けた。
 梨太の指に唇を寄せ、鼻先で愛撫する。やがて梨太の手を枕に安眠していった。

「……本当に好きなんだよ」

 聞く者のいないセリフを吐く。
 嘘ではなかった。

「君と結婚したい。家族になりたいんだ。ごめんなさい、もう見逃さないから。だから……」


 どこにも行かないで、そばにいて。


 本当の気持ちは、言葉にすることが出来なかった。

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