鮫島くんのおっぱい

とびらの

天才の跡

 鰐の家は、森の中にポツンと建てられた小屋である。大きな一部屋を部分的に衝立で仕切っているような建てましで、かろうじて水道が通り、電化製品がいくつか置かれている程度。
 風呂場らしいものが見つからず、梨太は主を振り向いた。

「お風呂ってどこにあるんですか?」
「ああ、研究所のすぐ裏だよ。ここから水道管伝いに進んで、三分ほど歩くかな」

 と、鰐が答える前に、鮫島は消えていた。どうやら勝手はわかっているらしい。鰐も食事の続きと、赤ん坊たちの世話にと部屋へ戻ってしまった。所在なくて、梨太はとりあえず鰐に続く。

「これってソース付けなければ子供でも食えるな。すげー美味しそうに食べてる」

 双子の口に、小さく切ったお好み焼きを放り込みながら、鰐。さて一歳児にあげていいのかなと梨太は悩んだが、よくわからない。親がいいというのだからいいのだろう。

「んあー」
「まあーま」

 まだろくに歯も生えていないながら、器用にもちゃもちゃと食べる子供たち。
 二人の乳幼児は、さすが双子、よく似ていた。しかし髪の色が違う。一人は黒髪、一人は青い髪だ。しばらく微笑ましく眺めていて、ふと疑問がわいた。

 先ほど見た写真――鰐の妻は、赤い髪をしていた。この髪の色は父親からの遺伝なのだろう。しかしそれが引っかかる。 

(……黒と青……どっちが優性遺伝なんだ?)

「双子が珍しいか、リタ?」

 梨太の視線は、まったく別の誤解を鰐に与えたらしい。一度首を振り、改めて考えてから頷いた。

「驚きはしないけど、自分の周りにはいなかったです。そもそも兄弟があんまり。僕自身一人っ子だし、友達でも、兄弟両方と知り合いっていうのはないですね。双子の子供が双子、というのは初めて見ました」
「双子は双子を孕みやすいと統計に出てるぞ。そういう遺伝子なのか、体格的なものなのかは知らないが」
「えっ、じゃあ鮫島くんも? うわあ、子供ひとりでも大変だろうに、想像がつかないや……」

 梨太は天井を仰いだ。自分自身、赤ん坊の世話はなにをどうしていいのかよくわからない。

「正直、おかあさん鮫島くん、ってのも想像できないなあ」

 無理やり妄想に起こしてみて、梨太は思わず吹き出した。

 そのまま笑い出す――と。鰐は目を細めた。


 梨太の呟きに、鰐は眉を上げた。赤ん坊たちに食後のお茶を飲ませながら、にやりと笑う。

「リタは、本業は研究者――それも専門は生物学だったっけ?」
「そうですね。どちらかというと魚類だけど。水族館っていう、人工飼育機関で労働しながら、生態とか養殖とかやってます」
「交配による品種改良っていうのはわかるか?」
「もちろん。すごく一般的ですよ。病気に強いやつとか美味しいやつとか、優れたもの同士を掛け合わせて、新種として完成させてしまう――肉も野菜も、日本で食べられてるものはもうほぼ百パーセントそれじゃないかなあ。種無しの果物も珍しくないし……」
「それ、お前はどう思う?」

 今度は梨太が眉を上げる番だった。

「どうって……環境学? 倫理的に?」

 問い返したが、鰐は答えてくれなかった。
 無言のまま立ち上がり、外套を出す。そしておんぶ紐まで巻きだした。どこか出かけるのかと問う梨太に、答えの代わりに、子供を一人押し付けて、

「リタ、準備しろ。うちの研究所に案内してやる」
「へっ!? そりゃ面白そうだけども、今ですか?」
「ああ。クゥが風呂にいってる間のひまつぶし。時間がかかることじゃない。この旅が終わったらそうそうここへ来る機会はないだろ」

 そう言い切り、さっさと子供を背負って出る鰐。梨太の腕には彼の子が一人、おとなしく梨太を見上げていた。とりあえずおっかなびっくりダッコして、慌てて彼を追いかけていった。
 こういうマイペースなところは鮫島にそっくりだ、などと思いながら。


 鰐の研究所は、本当に小屋のすぐ裏側にあった。森林になじむペイントのされた建物である。
 さほど大きくはない。小屋よりは大きいがせいぜい普通の一軒家、長方形の建造物である。それもそのはず、鰐の研究所はこの森全体だ。建物は資料置き場とデスクに過ぎない。梨太のかつての職場と同じである。

 鉄の扉を開くと、自動で明かりがつく。書籍の資料は数えるほどしかなく、百をゆうに超えるモニターが壁一面を埋め尽くしていた。アナログな住処とは、文明レベルの次元が違っていた。
 モニターを覗くと、すべての画面が暗視カメラによるものだ。動物の体につけられているらしい、動いている者もあるし、巣の中で眠る群れが映っていることもあった。

「これで、野生動物の生活を24時間観測してるんですね」

 キョロキョロ見回す梨太に、鰐は紙束を突き付けた。表紙には、ラトキアの公共語で、ブタの観測記録と書かれている。
 梨太は苦笑した。

「あの、確かに僕も同業者として興味深いです。もともと動物好きだし。けど、今ここで長居するつもりは」

 と、言いかけた言葉が止まった。

――キリコ

 レポートの表紙に、そう署名されているのに気が付いて。


 鰐は続けて、いくつもの紙束、保存端末、書籍を梨太の前に積み上げた。そのすべてに烏の署名があった。絶句している梨太に、彼は淡々と語りかける。

「――いまからもう、十五年ほど前になるか。オレは王都の学校じゃなく、この施設で見習い学芸員をやってた。要するに下っ端だ。やることはもっぱら雑用、力仕事や地味な記録作業。具体的に、研究の目的などは聞かされていなかった」

 鰐の説明は、すべて過去形で語られた。

「それでも、責任者の名前くらいは知っていた。……帝都の研究所長、科学の一人者、このラトキアの大脳と呼ばれる人間――烏。初めて会ったときは女性だったかな? どうでもいいけど」
「……あのひと、鰐さんを見て驚いたでしょう。鮫島くんとそっくりだから。……変なことされませんでした?」
「いや別に。特に興味も持たれなかったよ」

 あっさり返され、梨太は沈黙した。

「その時はいっぱいスタッフがいたし、視界に入ってなかったんじゃないか? オレもただ年に数回、あのひとが来るたび所長が畏まるのを面白がってたくらいだ。
 それから何年か――ある日突然、烏が軍人を辞めた。するとココはいきなり責任者不在、スタッフは大騒ぎしたあげく、自分には関係ないとばかりに解散した。オレも途方に暮れたよ」
「……騎士団にスカウトとかされなかったですか? その時なら、新米団長の鮫島くんはあなたのサポートが欲しかったはず」
「鯨から話はあったよ。でもオレは断って、ここにひとり残った。人の手に触れて自活できなくなったやつや、親から引きはがしたままの雛が気になってな」

 と、鰐はモニターの一つに視線を止めた。すぐにインカムで、スタッフへ指示を出す。

「西のカメラ二十三、が木に登ったまま降りられなくなってる。近くに誰かいるか? ――それじゃあ下ろしてやってくれ」


 梨太は違和感を覚えた。木に登る犬? ラトキアの犬は木に登るのか。いや、降りられなくなったというなら、登らないのが普通か。
 だがそれよりも今は別の話が気になる。

「オレはそれから一年くらい、適当にサバイバルやってた。電気も止められていたけど、ハコだけあれば十分暖は獲れたし。だがある時急に電気が通り、お湯が出たんだ。直後にやってきたのがあの烏――軍人を辞めて、個人の資産でココを買い取ったんだと。驚いてるオレを見て驚いてたよ、あれはちょっとしたコントだったなー」

 はっはっは、と明るく笑う鰐。梨太は笑えない。愕然としていた。

「……じゃあ……それから烏は研究を再開して――あなたたちは二人で、ここで暮らしていたんですか……」
「そういうこと」

 にっこり笑って、鰐は頷いた。

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