鮫島くんのおっぱい

とびらの

豆の国の試練①

 一晩続いた雨の後は、可笑しいほどの快晴となった。澄み渡る青空、豆の町を、ぬかるみを避けて歩く。

 ぬかるみは、水たまりと言うよりもはや沼に近い。町中に水が浮かんだ状態だった。あちこちが浸水している。
二人の靴は少々の泥水なら撥ねのける軍仕様である。それでも、足場は選んで歩いていく。

「このあたりは、昨夜のような豪雨がきっちり週に一度、かならず起こるものらしい。そしてこうしてカラリと晴れるのだと」

 地図をみながら、鮫島。そこには絵図しかかかれていないが、朝、宿にしたパブの店主から聞かされたのだ。それを覗き込みながら、梨太はフウン、と気のない声を返す。

「じゃあこんな状態は毎週の慣れっこなんだね。そういえば建物はぜんぶ高床だ……スコールは厄介だけど、定期的って、わかってれば順応できるか」
「雨の日に併せて世の仕事は休業し、主婦も安息するらしい。息抜きの日、だな」
「それであんなに酒場が繁盛してたのか。なるほど、おもしろいね」


ウンウン、頷く梨太。鮫島はふと、眉を寄せた。
背中に背負った彼を振り向き、小さな声で。

「あの……まだ、痛い?」
「ええもうさすがにだいぶ落ち着きましたよ。でももうちょっと歩くのは無理かな」

 梨太はぶっきら棒に言い捨てた。もう二度と、鮫島に『頼みごと』などするまいと改めて誓いつつ。

 妻におんぶをされたまま、通りを進むこと十五分。正面から来た人物に、二人は同時に違和感を覚えた。
 年のころは梨太と同じ、細長い体型。青い髪に、鮫島が着ているものとよく似た仕立てのいい衣装。どこぞの貴族かというだけだが、妙に既視感を覚える。
 ぎょろりと大きな金色の目に、異様に大きな眼帯――梨太はアッと声を上げた。

「虎ちゃん!? なにその格好」
「おう、おはよ。おまらこそなんだそれ、リタ、ケガでもしたのか?」

 片手をあげて、虎。鮫島が目をそらした。梨太はとりあえず彼の背から降り、少々ぎこちないが自力で立つ。

「ちょっとね、気にしないで。それより町まではいってきたんだね。僕たちこれから役場に行って、領主さんに面会のアポ取りをしてもらおうかと」
「それなら俺がやっといた」

 と、青い髪をした虎は、紙束をよこしてくる。領主家訪問にあたって、梨太たちの身分を記したものと地図である。

「それからコレ、リタの正装な。今の恰好が小汚いとはいわねえが、星帝候補として貴族の家を訪ねるのに、それじゃいけないだろ」

 思わずオオと声が出る。まさに、それは心配事のひとつであった。渡された袋を抱きしめて、梨太は笑った。

「ありがとう虎ちゃん、すごい、気が利くんだね!」
「こんなのも傭兵の仕事のうちさ。またごひいきに」

 冗談めかしていうのにまた笑う。しかしその横で、鮫島が眉をしかめていた。鮮やかな青色の、虎の頭髪を凝視して。

「……虎、その髪色はなんだ。……染髪は法律で禁止されている」

 虎は肩をすくめた。後頭部を鷲掴みにし、そのままずるりと剥ぎ取る。

「ただのかつらっすよ。赤髪が領主にアポ取りなんて出来るわけない。衣装も含めて傭兵隊の備品」
「…………鬘も、本来の髪色と違うものは、王都での着用は禁止だ」
「ココは王都じゃないぜ?」

 それで話を切り上げて、虎は背伸びした。

「それでも長時間、本物の貴族様相手じゃボロが出る。町の治安は良さそうだし、領主さんちにはそっちだけで行ってくれ。俺は燃料補給と、ちょいと息抜き。なんか甘いもん食いてえや」
「あっ、じゃあこの通りのサイモンズ・バーってとこ、はちみつケーキ美味しかったよ。昼間は喫茶店やってるって」

 虎は歓声を上げ、梨太の指した方向へと去っていった。彼の背中が見えなくなってから、梨太はそうっと、鮫島を見上げた。彼はなんとも複雑な顔をしていた。飽きれているような、悲しんでいるような。

「……なんで髪を染めるのが違法なの?」

 尋ねてみると、即答が来た。

「人体保護法だ。染髪剤はラトキア人の皮膚に合わない。爛れて大惨事になる」
「じゃあ、鬘がダメっていうのは?」
「…………身分査証。それで雇用や婚姻の契約を結んだ場合、詐欺になる。王都の治安が混乱する」
「二十年前に髪色での差別、生まれ育ちで身分を分けるのは禁止になったはずだよ。星帝ハルフィンが作り上げた法律。僕はそれを引き継いで、憲法にするためにここにいるんだけど」
「法の整備も、国民の感情もまだ出来上がっていないんだろう」

 言外に、俺を責めるなと懇願を含め、鮫島はそれで話題を切った。それはもちろん梨太もわかっている。どんな悪法であれ、現時点で違法であれば裁かれるべきだとも思う。まして騎士団長の立場なら、職務を遂行しなくてはならない。

 再び、鮫島の背中に乗って、その肩に鼻を埋める。
 このラトキア星に来る前に、ざっと勉強していた王都の法律と、歴史。

 ラトキア民族が、異星人により征服されたのは三百年前。その三百年後の現在、青い髪の貴族が政治を行い、赤い髪の匪賊が働いている。
 職業だけではない、テリトリーを住み分け、婚姻もタブー。経済力の格差、となれば教育にも落差があるだろう。赤い髪の女性となれば、識字率は二割を切るという。そこへいきなり差別からの解放、仕事の機会や参政権まで与えても、彼女たちはなにもできないのだ。


「……ほんの三百年前まで、みんなは同じ民族だったのに」

 ぼそりと呟く。聞こえた鮫島が頷いた。

「そうだな。身分への偏見などない社会になればいいと俺も思う」

 それ自体には同意である。しかし梨太は、まったく別のことを考えていた。口にはせず、ただ思考だけを巡らせていた。

(……ほんの三百年前まで、同じ民族。同じ種族)
(解放から二百年、差別意識が低く、人の出入りが多い商人を中心に混血が進んでる。混血児の蝶さんの髪色は、暗い緑だ――)
(……三百年前は、混血がなかった? 頭脳労働職がほとんどない原始的な生活で、貴族って何をやってたんだ)
(……三百年前……)

 異星人によって、このラトキアの社会が作られるより以前。

(ラトキア人の髪は、何色だったんだろう?)

 梨太は視線を上げた。すぐ目の前に、鮫島の後頭部がある。飾り紐で結んだ、つややかな長い黒髪。
白いうなじはたしかに美しく、繊細で、梨太よりも日焼けに弱そうではある。だが地球人と比べて特別、変わりあるようには思えない。染髪で皮膚がただれるというのは、疑わしい。検証したくてたまらなかった。

高度な文明、日本語のコミックが本屋で手に入るこの国で、そんな都市伝説がまかり通っている。

身分通りに、色分けされた髪の色。

(――誰が分けた?)

 梨太の問いに、答えられるものはこのラトキアにいない。



 大通りを歩き続けること二時間弱。開けた土地に、突然どんと巨大な建物がたたずんでいた。

「これが領主さんのおうちか。さすがでっかい」

 見上げて、梨太は呟いた。サイズとしては、鮫島の家と実家とのちょうど間くらい。王都の高級住宅地では珍しくないが、この辺境では特別なものである。白壁はまだ真新しく、築十年もいかないだろう。

「この町を開拓するのに派遣されてきたんだよね、領主さんって」

 うなずく鮫島。

「俺も会ったことはないが、元は王都の枢機院で、一次産業関連の法務大臣だった。さらにその前は商人で、その手腕が認められ貴族になりあがったのだと」
「へえ。じゃあコテコテの貴族ってわけじゃないんだ? 気さくな人だといいなあ」
「ふるまいはどうくるかわからないが、打算的で、頭の切れる人物だろう。うまく買収できたら楽でいいな」
「鮫島くん、こういう時、手段を択ばないよね」

 不穏な会話をしながらも、梨太は己の衣服を整えた。
 虎が持ち込んだ、訪問用の正装とは、つまるところラトキアの伝統の民族衣装だった。安物ではないがとくべつ上等でもない。かつて地球で、犬居が着ていたものと同じである。
ゆったりとした長袖長ズボンの上に貫頭衣、帯と小物だけは上物で、しっかり固めに腰を縛る。いわく、この帯の締め方で雌雄や職業を示すらしい。
星帝候補であり無職の梨太はどうしていいか迷ったが、鮫島の進言で、彼とおなじ結び方をしておいた。軍人は両腰部分に刀を差す輪を作るならわしだ。

「ははっ、なんかコスプレしてる気分」
「似合うぞ」

 騎士団長のお墨付きを頂き、梨太は後ろ頭を掻いた。

領主邸の門扉には、ドアベルを鳴らすまでもなく門番がいた。警備も兼ねているのだろう、屈強な男が二人。
彼らは無表情で、虎の用意した紹介状を一読。すぐに、少々お待ちくださいと中へ引っ込む。残った一人が、囁いた。

「あまり期待をするなよ。気難しいところのある方だし、今は収穫前の一番気を張ってるときでな。昨日がやっとひと月ぶりの休日オフだったんだ。二日酔いで寝ているかもしれん」

 梨太は胸を押さえ、フウと深呼吸。

「――どきどきしてきた。推薦状までもらえなくても、なんとかいいつながりが出来たらいいんだけどなあ」
「大丈夫。リタは可愛いから」

 梨太は笑った。そんなんで気に入ってもらえるなら苦労はしないよと返したところで、門番が戻ってきた。後ろになんだか偉そうな、年を取った男がいる。
 あれが領主かと、梨太たちは身構えた。しかし男は門を開いただけだった。
 うやうやしく頭を下げ、二人を中へ導いて。


「騎士団長の鮫さまに、星帝候補のリタさま……ですね? ……こちらへどうぞ。鈴虫ジージホックさまが、お待ちかねでございます」

 どうやら執事らしい。とりあえず面会がかなうことにホッとし、歩きだしてから、ふと二人は足を止めた。
 夫婦で顔を見合わせて、同じ方向に首をかしげる。


「――鈴虫?」

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