鮫島くんのおっぱい

とびらの

旅立ちの準備


 教会からの帰り道、王都の書店で大きな地図を購入。惑星中、とはいかないが、王都の外――壁の向こう側にある施設と、交流のある民族の村々が載っている。
 ラトキア王都の土地は、ちょうど日本の四国一周と同じほど。交流範囲として地図にのっているのは、西日本まるまるといったところか。こうしてみると、ラトキアは小さな国であった。

「この地図の外は、どうなってるの?」

 という梨太の問いに、鮫島の返答は端的だった。

「未開の地。行く必要がないから行ったことがない」

 なるほどと納得し、梨太は地図を畳んだ。地球から持ってきたリュックに詰めて、念のため中身をすべて確認する。
 旅の荷物は明日、本格的に買い込むことになる。入っているのは着替えと飲み水、簡単な筆記用具と資料書、鮫島が常備していた携帯食料といくつかの医療品。そして、ラトキア王都外でも使えるという現金だ。明日買い込むものリストを一番上にして封をする。

「――よし、明日の支度おっけいっ」
「何度目の確認だ? リタは慎重だな」

 鮫島が笑った。

 夜――鮫島の屋敷で、梨太に与えられた寝室である。二人とも寝間着姿で、梨太は床に座り込みリュックの確認。鮫島は風呂上がりで、まだわずかに湿った髪をワシャワシャと適当に拭いていた。それですぐに乾き、寝ぐせもろくにつかないのだから、ずるい。梨太とは大違いだ。ドライヤーをかけないといつまでたっても乾かないのがクセっ毛のいちばんつらいところである。
 と、意味のないことを考えてから、梨太は立ち上がった。

「完璧にしてからでないと、眠れない性分なんだよ。途中、王都の外にいる貴族も訪ね歩きながら、二週間くらいの旅になるんでしょ。知らない惑星ほしだもの。僕の想像もできないものがあるだろうし」
「俺は何度も出ている。任務の往復だけだから、観光名所は知らないけどな。街道に沿っていくぶんには大型獣も出ないし、野盗はふつう軍用車を襲わない。郊外貴族も、いきなり取って食いはしないだろう。それほど危険ではない」
「……なんか微妙に不安な言い回しやめてよ……」


 そう言いながら梨太はベッドに寝転がった。

「明日はまず騎士団で軍用車を借りるんでしょ。それから買い出し。そして旅立ち。朝早いからね。睡眠はしっかりとっておかないと」
「そうだな」

 部屋の隅で、鮫島が頷く。
 梨太は枕に頭を乗せ、深呼吸した。

「じゃあ、僕もう寝るね」
「ああ」
「おやすみ、鮫島くん」
「おやすみ」

 ――この会話の、三分後、梨太は目を開けた。
 そこには目を閉じる前と全く同じ光景。客室の隅に、長い黒髪をした美丈夫が、どうということもなく立っている。

「……鮫島くん。おやすみ?」
「……ああ」

 彼は頷き、そしてやはり、微動だにしなかった。梨太はふと思いつき恐る恐る、尋ねてみる。

「もしかして一緒に寝たかったりする?」

 彼は、首を振った。そのまま床に腰を下ろし、壁に背を付け、膝を抱える。

「ここでいい」

(……で、いい、って。明らかに妥協じゃないか)

 梨太は半眼になり、ほんの少しだけ迷った。ベッドの大きさを確認し、端へ移動して、シーツを持ち上げる。

「入ってきていいよ」

 と言うと彼はすぐに立ち上がりなんの逡巡もなく、その位置へ潜り込み、大きな体を横たえた。シーツをかけてあげながら、梨太は思わず笑ってしまう。

「君のその、素直なとこはホントすごいと思うよ」
「……いいって言ったじゃないか」

 恨みがましく確認されるのを、背中を叩いて肯定してやる。それで鮫島は安心し、目を閉じた。
 そのまま動かなくなる彼。
 さっそく落ち着きすぎだろ……とげんなりしながらも、興奮されたら困るのは事実。
 梨太も体制を直し、天井を向いて目を閉じた。


早く眠らなくてはいけない。

 そして早起きをして、旅の足を確保。午前中には王都の外に出るつもりだった。
 それを電話で鯨に伝えた時、彼女は驚き、酷く心配していた。やはり危険であること、梨太の負担が大きいことを熱弁された。

――道中も危険だが、『光の塔』がどう出るかわからない。あそこは政治不可侵、治外法権なんだ。わたしの夢のために、リタ君が命をかけないでくれ!――

 その訴えに、梨太は頷かなかった。

目を開き、部屋の本棚を振り返る。そこには、これまでにもらった大切な推薦状がある。
 星帝皇后の鯨、元騎士団長の白熊、三女神教会の教主ウサギ。それと、鮫島の一筆。妻は公式に推薦はできないが、意思表示として有効だろうということで、己の辞退と梨太を推薦する一文を書いてくれた。
 そして、ハヤブサからの無効票。
 それからもう一枚――蛇という名の男から推薦状が届いていた。こちらは正式な用紙で、有効なものだ。ついさっき、早便で届いたその推薦者の名に覚えはない。しかし同封されていた手紙を見て、すぐにわかった。

『あのうるさいハヤブサが出ていくのなら、喜んで推薦してさしあげます』

 あの眼鏡の事務員である。
 梨太は口元に笑みを浮かべた。鮫島のほうを向き、

「なんやかんやで、ハヤブサさんは恩人だよね。彼女のおかげで教主様と、僧侶の推薦状がもらえたんだ。もしかたらまた増えるかも」

 言った言葉への返事がない。アレッと思ったとき、鮫島が薄く目を開けた。

「ん……ハヤブサがなんだって……」
「あっごめん寝てた?」

 寝つきの良さに驚きながら、梨太は口をつぐむ。しかし彼は首を振り、梨太の話を促した。さっきと同じことを言うと、彼は眉を寄せた。

「……礼を言う気はないけどな。初対面のリタにとび蹴りをしたやつだ」
「まあそう言わないで。僕はあのひと嫌いじゃないよ。鮫島くんに似てるとこもあるし」

 言われて、鮫島は心底嫌そうな顔をした。梨太は笑った。
 容姿も性格も、この姉弟は全く似ていない。しかし彼らには確かに共通するものがある。
 ハヤブサとの出会いから、梨太が学んだものは多かった。日中はまだ、形になっていなかった己の気持ち――自問自答を繰り返し、この感情を、言語化することができた。

「……ハヤブサさんの推薦状は大事にしたい。有効票ではないけど、鮫島くんの身代わり、鯨さんの跡継ぎじゃなく、星帝リタ――僕の政治っていうのを、期待された本当の推薦。清き一票ってやつだ」
「……そうだな」
「今まで僕は、推薦状を星帝になるまでの札としか考えてなかった。推薦者が、何を期待して書いてくれたか考えてなかったんだ。でも……」

 枕に顔を埋める。言葉が続かない、梨太の髪を、鮫島が撫でる。彼はそうして穏やかに梨太を慰めた。

「推薦者の、期待に応えたいと思うのか。リタ」
「……もし、僕の考えることで本当に『良い国』ができるなら……本気でがんばるべきなのかなって」

 ぽんぽん、頭を叩かれる。これは優しい、鮫島からのお叱りだ。

「未来のことをあまり気負うな。手前の仕事から片付けていこう」

 その手のぬくもりに、梨太は嘆息する。

「……鮫島くん……ほんとは、もう女のひとなんだよね。雌体として完成してたんだろ」
「完成、とは少し違うが。限界まで雌体優位に傾いていたな」
「いまそうして、男のひとなのは薬のせいで。効果が切れたら女性に戻るって」
「ああ。急にどうした」
「……旅の間、男のままでいるのは無理? 薬物は使わずに」

 鮫島は眉を寄せた。少し言葉を選んでから、慎重に回答をくれる。

「いや……不可能ではないが。でも……」
「じゃあ、できればそうしてほしい。獣も出るし野盗までいる、危険な旅になるんでしょ。なにかあったとき、僕の力で君を守っていけないから」

 鮫島は明るく笑った。

「完全に女になっても、俺は強いぞ。野盗くらい追い払う」
「……戦って負けない、じゃなく、戦いにならないに越した方がいい。僕みたいな小男と美女の二人旅じゃ悪党ホイホイだよ」

 それはたしかに、と頷く鮫島。彼自身、やはり女性の姿で戦場に出て、むやみに敵を作った覚えがあるのだろう。
 『ラトキア騎士団長・鮫』は主に男の姿で知られているし、見目が強そうというのはそれだけで鎧であり武器である。
 利用できるならしたほうがいい。

「それとも、早く女性になりたい……?」

 梨太の問いに、鮫島は首を振った。

「俺はもともと雄体優位だから、この姿が嫌だという気持ちはない。性自認も体のほうに引きずられるから、今、リタに抱かれたいなんて気持ちはない」

梨太は上目遣いに、鮫島の表情を確認した。

「えーとじゃあなんで布団に入ってきたのかな?」

 彼はいつもの無表情で応える。

「リタを抱いて寝るときもちいい」
「危ない発言は慎んでください。えーと。違うよね? その、さっき言った雄体化を維持するための方法が、『オス』になることとかそういうんじゃないよね」
「ちがう。いや合ってるけど、俺とリタでは意味がない」
「……と言いますと」

 促すと、彼は思い切り、梨太の体抱き寄せた。とはいえ色っぽいものではなく、子供がぬいぐるみを抱くように、ぎゅうと乱暴に、自分の胸に圧しつける。

「うぎっ」
「――ラトキア人の性別変化は、ホルモンによるものだ。性交渉がその代表といわれているが、実は性器の使用や粘膜吸収より、精神的なものが大きいと、烏は結論付けていた」
「お、おう……」
「俺はリタのことを男性だと思っている。八年前はともかく、もう少女には見えない。……性転換は、『好きな人の異性』となるために行われる」
「あ、う、うん――」
「仮に、俺が男として、リタを女のように抱いたとしても」
「その例えやめて。うん?」
「俺の雄体化が促進されることはなく、逆に雌体へ傾いていくだろう。そういうことだ。わかったか?」
「わかりましたっ」

 と、言いながら、梨太は腕を突っ張り、鮫島から身を離した。

「つまり! 雄体を維持するためには、僕たちあんまりくっついちゃだめってことだね!」
「……。なんでそうなる」
「違うの?」
「…………。違わない」

 素直に認めて、彼は背中を向けた。それでもベッドから出ていきはしないのもまた素直である。
 おそらく、出て行けと言えばそれで素直に従うのだろうが――

(……好きな人に、より愛されたいという気持ちが性別変化させる。男のときにあまり距離を取りすぎるのも、雌体化促進させてしまうんじゃないかな?)

 おそらく、その推察は正しい。どうしたものかと思っていたところに、鮫島の言い訳じみた呟きが届く。

「俺は軍人だ。メンタルコントロールには慣れている」
「そだね」
「別に……同衾くらいで何も変わらない。行軍中は寝袋共有もよくするし」
「ああそう」
「自惚れるなよ。安眠用の抱き枕代わりにヒトを使ったからって、それでいちいち幸福感を感じたりとか――」
「なるほどわかった」

 と、頷いて、梨太は鮫島に背を向け、その背中をくっつけた。

「じゃあこのくらいが妥当かな」

 彼は反論しなかった。
 梨太はクスリと笑い、シーツをかけなおす。

「さあもう寝よう、明日は朝から旅だよっ」
「……気楽な旅行のつもりでいればいい」
「いやいやそうは言ってられないでしょ。僕はこの旅を無事に終えて、この国の王になって、鮫島くんを幸せにするんだからね」
「案ずるな。もう幸せだ」

 鮫島はそう言ったきり、沈黙。じきに穏やかな寝息が聞こえてきた。驚異的な寝つきの早さに微笑み、梨太も目を閉じる。
 そしてすぐ、深い眠りに落ちていった。


 早朝。
 太陽よりも、若干白っぽい朝日が昇り、秋のラトキアを明るく照らす。

 梨太と鮫島は、歯磨きをしていた。豪邸の洗面所はやはり豪華であり、ふたりが並んでも十分なスペースがある。
 大きな鏡に映る、自分たちの姿を、歯磨きしながらよくよく確認。
 ぶくぶくべえ、で泡を落としてから、梨太は鮫島を振り向いた。

「……鮫島くん。体、縮んでない?」

 しゃこしゃこしゃこ。無言で歯磨きを続行する鮫島。梨太は半眼になり、彼の寝間着をつまんで引く。

「昨夜よりあきらかに布が余ってるし。身長差も減ってるし」

 鮫島は答えず、歯磨きを続ける。梨太は嘆息した。

「……まだまだ男性だけどさ。旅は二週間、もしかしたらひと月かかるかもしれないんだよ。このペースはまずいんじゃない」

 鮫島は歯ブラシを洗い、コップに水を汲み、口に含んだ。ぶくぶくべえ、で吐き出して、タオルで拭う。

「我慢できそう?」

 という、梨太の問いに、彼は答えた。


「傭兵を雇おう」

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