鮫島くんのおっぱい

とびらの

鮫島くんが男前すぎる

 医者が来るまでの間、蝶はずっとぼやいていた。生来、笑っているような顔立ちを見るからに不機嫌に歪めて、

「わっけわっかんないよ。仕事なんて所詮、食い扶持じゃないか。ちょっと操作が面倒な給料吐きだしマシーン。そこにやりがいを感じるのは結構だけど、命かけるようなもんじゃないよ。くだらねえ」

「……たぶん、そういうことじゃないと思うけどね」

 梨太の言葉に、彼はフンと鼻を鳴らした。理解はしながらも共感は出来ず、蝶は己の感情を持て余しているらしかった。おそらく、かなり珍しいことだろう。平常、飄々とした蝶のぼやきは止まらない。

「おれだって団長の退団には反対だよ? 雌雄同体の黒髪ってんで中立の立場、それで面倒な仕事も危険な現場も全部背負って圧倒的に強いんだから、団の中はいいバランスで平和だったもの。でも辞めちゃうもんはしょうがないじゃないか。団員は大抵そんなもんだよ」

「……大抵?」

 梨太の問いかけに、蝶は憮然と応えた。

「ああ、何人かはいるよ、王都の方にも。鮫さんにあこがれて騎士団に入った、彼以外の団長は認めないっていうひと」

「……そうなんだ」

「ついでに言うと、例の『狂信者』もね。こっちは星帝に推してる方が多い。リタ君、あの人が星帝候補になったのはただ鯨将軍の推薦ってだけじゃないんだぜ。打算も含めて理由は色々だけど、多くの貴族連中が、あの人ならって思って推してるんだ。このまま鮫さんが降りても押し上げられる。君は彼よりも僕が星帝にふさわしい人物だってしめさなくちゃいけないんだ」

 彼の言葉は確かな脅迫として、梨太に突き刺さった。
 鮫島が星帝候補を下りたことは、まだ公に広まっていない。梨太が新たな候補者となったこともだ。
 もしも広まれば大騒ぎになるだろう。枢機院に梨太に好意的なものはまだいない。実績のある鮫島と比べて、梨太はあまりにも無名なのである。
 梨太は唸った。

「……僕の最大のライバルは鮫島くん、か。現段階じゃ絶対勝てないな。もっと推薦状を集めなくちゃ……」

「趣旨替えするよう説得するより、団長アンチを回ったほうが効率的だと思うよ。有名税ってやつで、敵もそれなりに多い人だから」

 玄関の方が騒がしくなった。どうやら医者が到着したようだ。梨太は一度、部屋の真ん中に横たわる大男に目をやった。今は静かに眠っている。
 梨太たちがここにいるのは同情と義務感のようなもので、鮫島はさっさと退室してしまった。看護するでもないのに俺が居ても仕方がないだろうという、その判断は理知的であり冷酷ではない。だが誤解を生む態度には違いなかった。
 鮫島のことを、血も涙もない冷血漢と考える人はかなりの数になるだろう。

「……チョーさんは? 騎士なら貴族階級で参政権があるし、推薦状を書いてくれたら助かるんだけど……」

 蝶は首を振り、嘆息して立ち上がった。

「悪いけどおれは中立で。さっきも言ったけど、団長に騎士を続けてほしい立場なんだからね。星帝リタ様は反対じゃないけど、応援するメリットもないし」

 梨太は苦笑してうなずいた。つれないセリフだが、彼の立場を考えれば精いっぱいの譲歩だろう。傍観していてくれるだけありがたい。
 それでも、やはり冷酷になりきれないのがこの男のサガらしい。素直に引き下がった梨太に、心地悪そうに頬をかき、

「……騎士にこそ団長アンチは結構いる。嫉妬と、これまでの騎士団長とやり方が違うっていう反発でさ。そのへんに、ライバルを推せばアイツをハナを明かせるかもって噂だけ流しておいてあげるよ。まあがんばって」

「あっチョーさん待って!」

 ぶっきらぼうに言って立ち去ろうとするのを引きとめる。彼にはまだ聞かなくてはいけないことがある。大事な用事だった。

「虎ちゃんが騎士を辞めたって聞いた。なんで? 彼はいまどうしてる?」

 その問いに、蝶はますます機嫌を悪くした。明らかに足音を高くして、去り際に吐き捨てた。

「おれも何も知らない。会いたければ西スラムの傭兵団を訪ねてみな。門前払いされるだけだけど」

 傭兵になったのは本当らしい。だがそれ以上の情報はなく、梨太は黙って、蝶の後姿を見送っていた。

 蝶と行き違いに、ツバメが入室してきた。仏頂面のままつかつかと歩み寄ると、彼女は梨太にバスケットを押し付ける。

「夕食を用意しました。鮫の家で温めてどうぞ」

「ど、どうも……鮫島くんは?」

「先に帰りました。なにか支度をするとかで。相変わらず空気の読めない子です」

「あっ身内でもそういう評価なんだ」

「馬鹿ではないのですがアホなのです」

 その酷評は、ただの身内による謙遜というわけではなさそうだった。なんとも言い難く口を噤む梨太に、ツバメは深々と嘆息する。

「……わたくしは反対だったのです。騎士団長だの星帝だの、向いていないとずっと言ってきたのに……」

「……でも……実績は上げてますよね」

「だからこそです。立場が上になるほど、あの子は自ら仕事を背負い込む。人を使うことができない子なのです」

 さすが実母、鮫島の特性をよく見抜いている。不言実行、誰よりも先に自ら動く鮫島はリーダーとして優れ尊敬されるが、司令官としては失格だ。
 ツバメはもう一度嘆息する。

「……そうでなくても、どこの親が、我が子が人殺しになって喜びますか。リタさん、わたくしはあなたを応援します。どうかあの子を……当人の手に負えないほど偉く成り上がってしまったあの子を、地面に引きずりおろしてくださいませ」

 そう言って、彼女は体を九十度に曲げ、梨太に深く頭を下げて見せた。


 白熊の家から、鮫島の家まで歩いて三分。どれだけゆっくり歩いても五分でつく。その間に、梨太は歩きながらバングルをあちこちいじってみた。
 内蔵のメモリーに、動画データがあることを確認。歩きながら、なんとなく『決定』のボタンを押してみる。すると間もなく再生が始まった。空中にぼんやり映像が浮かぶ。

『……あ……おとうさん? ……見える? ひさしぶりね』

 プロジェクターだ。どうやら元来、暗いところで、白い壁にかざして観るものらしい。
 夕刻の屋外でほとんど見て取れないが、音声から、それが鯨の半身だと察しがついた。

『突然ごめんね……おとうさんと、おかあさんに、見てほしいものがあって……』

 表情までは分からない。だが、その声はひどく沈み、梨太の知る気丈な女将軍の口調とは全く違っていた。

『……ごめんね。特におかあさんは気分を悪く……すると思う。でも……ごめん。わたし一人じゃ背負いきれなくて……助けてほしいの。意見を聞かせて……』

 これは、何年前の物だろう。地球人と比べ加齢がゆるやかなラトキア人、それもうすぼんやりとした画像では鯨の年齢はわからなかった。それでも梨太は十年以上前ではないかと見当をつけた。今の鯨とあまりに違いすぎたからだ。
 鯨はひどく声を沈ませ、マイクに向かって囁いていた。

『わたしはクゥを、騎士団長に推そうと思う。いずれは将軍、そして星帝になってくれたら……。……うん、わたしのエゴ……ハルフィンの悲願を押し付けようとしてるだけ。……それでも、クゥは分かったって言ったし……ああ、うん、きっとわたしのためね。優しい子だもの……』

 ここで、鮫島の屋敷の門に到着してしまった。再生したまま扉を開けようとして、

『これから流す映像は、決して鮫には見せないで。あの子はもう全てを忘れているのだから』

 梨太は停止ボタンを押した。
 扉が開いたのはその直後だった。木の扉の間から、ひょこっと、小さな頭が顔を出す。

「リタ。おかえり」
「た、ただいま。ただいま?」

 首をかしげながらも中へと入る。今日はもう、家政夫は来ないらしい。一人で梨太を迎え入れた鮫島に、梨太はとりあえずバスケットを渡した。

「これ、お義母さんから。夜ご飯だって」

 鮫島は嬉しそうに、母親の手料理を受け取った。バスケットにかぶせられた布を取り、ん、と怪訝な声を漏らす。梨太も覗き込むと、弁当箱の上に封筒が二つ載せられていた。両方とも、『猪殿』と宛名がある。

「猪さんへの手紙? なんだろう」
「さあ」

 と、言いながら、鮫島は躊躇なく封書を開けた。引き留める間もなく中の手紙を引き出し、速やかに黙読。そして梨太へ向きなおり。

「リタ、父が俺達に早く子供を作れって」

「――はっ? え、いや、それ猪さんあての手紙でしょ」

 梨太は慌てて手紙をひったくった。文字を追いながら声を上げて読み上げる。

「猪殿――貴殿と同じく、軍人として職務を終え寿命を待つだけの老人である私には、貴殿の気持ちはわかる。心に神を持ち戦場にいた者が、その両方を失くして生きるのはつらかろう。だが貴殿の主もまた人である。貴殿は他の物を神として、生まれ変わらなくてはならないのだ――ちょっと鮫島くん、子供作れなんて書いてないじゃん」

「最後のところ」

「最後? ――ええと、次なる英雄の誕生に希望を託すのもまた一つの道だろう――え? これ別に僕らの子供って話じゃないでしょ意訳も甚だしいよ鮫島くん!」

「そうかな」

 適当なことを言いながら、二つ目の封筒を開けている鮫島。梨太はすっかり諦めて、彼が黙読を終えるのを待った。その間は三秒となく、鮫島は内容を伝えてくれる。

「こっちは母からだな。猪に、『自殺はひとりでしろ』だそうだ」

「……見せて」

 素直に渡された手紙を読むと、やはり鮫島の言葉は意訳されたものだった。しかし文字数は同じくらい短く、ぶっきらぼうではある。梨太は首をかしげた。

「……『神が欲しいなら光の塔にお行きなさい』……なにこれ、どういう意味? 光の塔って?」

「自殺志願者を安楽死させる施設。火葬場兼葬儀場でもある。ラトキア王都の外にある」

「なにその物騒な施設……」

 梨太は深々と嘆息した。そんな施設の存在も気味が悪いが、勧めたツバメの辛辣さにげんなりする。鮫島の意訳は正しいものだろう。

 しかし、共感の言葉から始まり丁寧に締めた白熊の手紙とて、やはり優しくはなかった。夫婦ともに同じことを言っている――もう息子につきまとうなと。

 彼らは、梨太の味方であった。二人の結婚を応援してくれているし、何より鮫島のことを想っている。この手紙はそれを物語る、とても嬉しいものだ。
 だが同時に、猪のことも気にかかった。梨太は特別、あの騎士と親交があったわけではない。しかし知らぬ仲ではなかった。
 手紙に目を落したまま、呟く。

「……あの、鮫島くん。例えばの話だけど、猪さんの言った通り、結婚しても騎士団長を続けることって、できるのかな……?」

 問いかけに返事はなかった。顔を上げると鮫島の姿はなく、リビングルームを覗いても、テーブルにバスケットが置かれてるだけである。
 廊下を進んでみると、角のところに鮫島がいた。梨太に気づき、手招きをしてみせる。

「リタ、こっちへ。準備が出来た」
「えっ、なに? それより僕、まじめな話があるんだけど」
「後にしよう。それよりおいで」

 シリアスモードのこちらに対し、なんだかやけに機嫌がよさそうである。訝りながらも小走りで向かうと、彼は梨太の手を取り、さらに急かした。早足で引っ張られ、梨太は転びそうになりながらなんとかついていく。
 そうして屋敷の奥へ、奥へ。まだ開けたことのなかった扉の前で、鮫島はようやく足を止めた。仰々しく梨太を導く。
 なんだか知らないが、珍しくもったいぶったものである。説明もなく連れてこられ、梨太は少なからず機嫌を損ねていた。 

「なんなんだよ……」

 と、ぼやきながら、開かれた扉の向こうへ進んで――

「――うわぁ!!」

 思わず、大きな声を上げた。


 そこは屋敷の中央、中庭だった。天には青空が広がり、陽だまりが出来ている。足元には湖――いや、清潔な水を張ったプールがあった。ひょうたん型で、梨太の感覚で、学校にあるものの半分ほどの広さだ。

「プールだ! 金持ちの家だっ!!」

 率直すぎるコメントに、鮫島が笑った。しかしなぜか首を振ると、無言のまま梨太の手をまた引いた。屈ませて、水面までその手を導く。
 水中に指を付けて、梨太はまた仰天した。

「お湯? 温水――えっ、もしかしてこれ、お風呂? 露天風呂ぉ!?」

 今度こそ鮫島は頷いた。深海色の目を細め、薄い唇をにっこりと持ち上げて、かつて見たことが無いほど得意げに、彼は胸を張って見せた。

「プールはもともとあったが、五年前に改装して温熱装置を取り付けたんだ。日本の習慣で、リタはお湯に浸かるのが好きだって知ったから」

「ええっ!? だ、だって五年前って、僕まだ学生で、こうして来る保証なんて何もっ」

「うん。さすがに俺も、まさか本当に来るとは思ってなかった」

 こともなげに言われて、梨太は絶句した。鮫島の言葉は矛盾している。梨太がラトキアへ来ると思っていなかったなら、改装の意味がなくなってしまう。だが照れ隠しの嘘とも思えなかった。ひたすら混乱する梨太に、鮫島は囁いた。
 これ以上なく優しく甘い、男性の声で。

「俺の家で、お前が楽しそうに過ごす幻影ゆめが見たかったんだ」

 梨太はいよいよ完全に絶句。

(…………僕は、この人を『妻』にする……のか?)

 ぽっかりと口を開けたまま、この世のものとは思えぬほど男前な婚約者を見上げ、赤面するしかなかった。

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