鮫島くんのおっぱい

とびらの

親の気持ち、子の気持ち

 梨太の歓声で、鮫島も振り向く。

 突然の来訪者は、確かにラトキア騎士団随一の巨漢、猪である。
 五年前と変わりない。相変わらずの体躯、岩石のような仏頂面に短い髪、騎士団の軍服姿もかつてのままだ。考えてみれば梨太はこの男の、そうでない姿を見たことがない。

 白熊が小さく悲鳴を上げる。

「リタ君、まだ勝負は途中だろう。私の三手目っ」
「あ、それで僕のアガリです」
「なにおぅ!?」

 放置して、梨太は扉口に駆け寄った。鮫島も隣に並ぶ。

「……リタ殿。どうも」

 五年ぶりの挨拶は、やはりそんな愛想のないものだった。猪の後ろにチラリと緑色の頭が見えた。首を伸ばすと、そこに蝶の姿があった。彼も小さな男ではないが、猪の後ろでは仕方が無い。
 鮫島もそれを視認すると、不思議そうに眉を寄せた。

「なんだ? 珍しいな。俺の実家に二人して訪ねてくるなんて一体何の用事だ」

 猪は全身を鮫島の方へと向けた。綺麗に腰を折って一礼。巨大な体が、半分に折りたたまれる。

「昨日、自分は王都外へ出ており、一連のことは蝶から先ほど伺いました。牢を出られたこと、まずはおめでとうございます」

「ああ」

 簡単にうなずく鮫島。猪は体勢を戻し、懐から、紙を取り出した。開いて鮫島へ突きつける。

「……して、この置手紙はなんでしょうか。自分めの私室にありましたが、何かの間違いではと」

 鮫島は紙を見もしなかった。すぐに首を振り、こともなげに答える。

「いや、確かに俺が書いたものだ。俺はこの機会に騎士団を辞すと」

 猪の目が細くなった。笑ったのではない。据えさせたのだ。

「……星帝になられるさい、団を辞めることは伺っております。しかし状況が改まったと聞きました。リタ殿が星帝となられ、ご婚姻されるとのこと」

「うん」

「ならば、貴方が騎士団を辞める理由はないのでは?」

 鮫島は首を振り、雌体化すること、そして梨太と共に暮らしたいことを猪に伝えた。それに対し、今度は猪のほうが首を振る。

「元来、騎士団長は戦場に出るものではありません。子を持つ女性に勤まらないとは限らない。それに、騎士団寮と星帝宮殿はさほどの距離ではない。どちらかが通えば、寝食を共にすることも可能でしょう」

 さすがに、梨太も眉をひそめた。鮫島の両親、猪の連れである蝶もまた、不信感を顔に表わす。
 猪の言うことは、一考に値する提案だった。梨太もそれを考えていたし、鮫島も悩んでいたに違いない。だがそれを、いち騎士から言われるのは違和感がある。
 ましてこの、岩石を削り整えたような男が、他人のプライベートに口出しするなど。

 鮫島はしばらく、猪の意図をはかりかね、沈黙していた。やがてふと、思い当ったらしい。眉を跳ね、尋ねる。

「猪、お前……次期騎士団長になるのが嫌なのか?」

 猪は表情を変えなかった。

 しばらくの沈黙。我慢比べのような時間はそれでも三分と続かなかった。鮫島が顎をしゃくり、リビングを出ていく。梨太のいないところで、騎士同士の話し合いを求めた。猪は素直に従った。取り残された蝶が、キョロキョロと身の置き場を模索して、やがて二人について出て行った。
 どうやら彼は、責任を感じているらしい。
 鮫島と猪の信頼関係に亀裂を入れたこと。そして、騎士団で一、二を争うほどに寡黙で、戦闘派の二人を対話させることに危機感を覚えて。

 梨太も慌てて、三人のあとを追おうとした。引き留めたのはツバメだった。

「およしなさい。彼らにも、あなたに聞かせたくない会話があるでしょう」

「……で、でも……」

「うむ、置いておいた方がいい。あの後ろにいたの、ヘラヘラした顔つきだが相当腕が立つ。最悪、彼が身を挺して止めに入ってくれれば命の取り合いにはなるまいて」

「チョーさんはそこまでしてくれるほどイイヒトじゃないと思うけど」

 梨太は血の気を引かせ、扉口で迷っていた。夫妻の言うこともわかる。これからの未来、鮫島の夫となり騎士団に入るとはいえ、過去と現時点において梨太は完全に部外者だ。十余年の付き合いである、彼らの話し合いには場違いになる。喧嘩ではない。大人の、社会人の話し合いだ。とりあえず置いておくのが正解だろう。
 しかし――

「……僕……猪さんや、騎士のみんなにも認めてもらいたい。鮫島くんとの結婚を、それはいいことだって、喜んでもらえるように……」

 呟いた言葉を、白熊が笑った。手の中でカードを切り、三度、梨太の席に配りながら。

「……君はどうも、そう言ったところにこだわる気質があるらしいねえ」

「……いけないでしょうか」

「どうだろう? 少なくとも、必要ではないと思う。必要ないものを欲しがるのだがらよくばりだね」

 配り終えたカードを、白熊は手に取った。梨太は首を振った。

「あの、もうカードは」

「ツバメ。来客にお茶を。それと念のため、彼らの様子を見ておいてくれ」

 梨太の言葉を遮り、白熊は妻へ命じた。妻は無言で深く頷き、速やかに席を立つ。ラトキアの夫婦は、元来このように亭主関白が基本だ。だがこれまでとは、空気が変わったことに、梨太はちゃんと気が付いた。

 カードを手に取る。

「――奥さんと、鮫島くんに聞かせたくない話ですか」

「妻はもう知ってるよ。何度も見せたくはないだけで」

 しれっと肯定される。視線は手札を確認する、飄々とした翁のまま。

「君は本当に、いい男だねえ。あの鮫を、オーリオウルの英雄、惑星最強の男を妻にしようなどと。全く、大した度胸だ」

「……どうも」

 梨太も手札を確認した。

(……一、三、五、七、十、『嘘つき』。悪くない)

 「下克上」と名付けられたそのゲームは、とてもシンプルなゲームだった。一から十一まで、さらにもう一枚、『嘘つき』の絵札、合わせて十二枚を使い、六枚ずつ配る。合図と同時に一枚ずつだし、その数字が大いほうが勝ち。『嘘つき』は十一よりも上の最強カードだが、唯一、一にだけは負けてしまう。勝ったカードの数字を得点にして、六番勝負の合計を競う。

 地球にもよく似たゲームがあり、梨太はルールも勝利のコツもあっという間に覚えた。シンプルだが奥深く、面白いゲームだと思う。
 だが今はもちろん遊ぶ気にならない。

 コールと同時に、梨太はまず一を出した。嘘つきが手元にある以上、一は最弱のカードでしかない。さっさと切り捨てる。同じことを考えたか、白熊は二を出した。これであちらの二得点。

 白熊は、笑いもせずに笑い声を上げた。

「やったあ二点だ。――で、リタ君。さっき、君は私たちに結婚の許可をもらおうとしていたね。あれって、日本では本当にやるのかい?」

「……そうですね。許可というか、挨拶には……籍を入れる前に行くのが筋かと。たぶん一般的な考え方だと思います」

 二度目のコール。梨太はさらに三を出す。あちらは四。それで六得点を取った白熊は、カードを回収しながら簡単に呟く。

「もしそれで、反対されたらどうなるんだい。妻を諦めるのかね?」

 梨太は手を止めた。

 数秒間、言葉を悩む。結局は正直に口にした。

「まったく考えてませんでした。そもそもこの来訪も本当に急で、シミュレーションも何も」

「ははは、なるほど。――で、どうする?」

 白熊は逃がさない。梨太は応じた。

「諦めません。もちろんご両親を説得します」

「……どうしても首を縦に振らなかったら? ヒトの親といっても人間だ。好き嫌いはあるし、そいつだけはやめておけと言いたいこともあるだろう」

「それでも僕は説得を続けます。いつまででも――」

「仮にタイムリミットがあったらどうする。たとえばすでに身ごもっているとか」

「それは……仕方が無い、親御さんを振り切ってでも結婚します」

「それが親子仲の断裂となっても?」

「――仕方がないから――」

「オトーサンオカーサンを悲しませるなら結婚しないわと、妻が言い出したらどうするね」

 梨太は息をのんだ。

 絶句している間に三度目のコール。梨太は反射的に、手元にあった十を出した。ところが相手は十一。三連続で取られてしまった。これで十七点。完全に梨太の失策である。
 勝とうという気のない勝負とはいえ、不意に焦るような気持ちにさいなまれた。梨太は慌てて残りの札を確認した。残り札は五、七、嘘つきの三枚だけ。相手の持ち札を考えてみる。五を出して六に負け、七を出して八に負ける、嘘つきを出して九を奪っても、それでやっと十二点。ぼろ負け、だ。

 梨太の絶望を見て取り、白熊はさっさとカードを回収した。カードケースにしまいながら、穏やかにほほ笑んで見せた。

「和を重んじるという日本の精神、私はとても好きだよ。だけど結婚を、家と家との結びつきとするのは違和感があるな。ひと組の男女が愛し合うだけでもかように難しいのに、さらにその親兄弟みんなに気に入られようなんて強欲だよ。本当に可能なのかねそれ……むやみに難易度を上げているとしか、私には思えないんだよねえ」

「……最初から、親の気持ちなど聞かずに結婚してしまえと言うのですか?」

「ちょっと違うな。いやこれは概念から違うのだろう。やはり君は、外国人だからねえ」

 それは婉曲な婿否定であるように、梨太には思えた。しかし仮に親に嫌われても結婚を敢行しろと言ったのは白熊だ。彼の意図がわからず、黙って言葉を待つ。
 ただ何があっても、なんと言われても、鮫島をあきらめるつもりはない。それだけを琥珀色の瞳に込めてまっすぐ見据えていた。

 白熊は言った。

「親孝行とは、老いた親に尽くし身をやつすことではない。どんな形でも親を大切にし、喜ばせればそれが孝行――そう思わんかね」

「……思います」

「親の喜びは、子が幸せになることだよ。君の地球のご両親も同じなんじゃないか」

 ――ぞくりと、身の毛がよだった。青い瞳から目をそらす。――何かを読み取られた。まだ年若い自分が故郷を捨て、このラトキアで婿になろうというのはやはり、不自然だったろうか。その理由を、この老獪な翁にすべて見透かされた。追及される前に、梨太は自分から言う。

「僕のほうは両親とも亡くなりました」

 それは真実である。
 母は自殺まがいの事故、父は心不全――だがそのどちらもが、薬物中毒からくるものとは言えなかった。――言わなかった。隠したのではない。ただ、言語化の仕方がまだわからなくて。

 白熊は、穏やかに笑っていた。

「自分を愛してくれた親への最高の恩返しは、子が自立し、幸せになることだ。虐げてきた人間への最強の復讐は、自分が幸せになることだ」

「…………」

「これは、私が生徒こどもたちを世に出すときに必ず念押ししていた言葉なのだがね。……日本の概念に従って、これから私を父とするなら、リタ君もこの言葉を決して忘れるなよ」

 そして白熊は左手で梨太の手を取り、空いた右手をポケットへ。中からデータ保存端末を取り出すと、梨太の『バングル』にかざす。聞いたことのない電子音がした。

「――今のは?」

「明日、教会へ行く前に見ておいてほしい。鮫の夫となる前に、知っておくべき彼の過去だ。……私たち親のことを慮ってくれてありがとう」

 柔らかな握手を一度して、白熊は手を放した。

(鮫島くんの……過去?)

 肝心なことは教えてくれなかった。梨太はまだ、このバングルの使い方を熟知していない。動画データまでコピー保存できることも今初めて知ったのだ。
 見ろと言われても再生の手段がわからない――
 それを白熊に尋ねようとした、その時。

 遠くで、女の悲鳴が上がった。


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