鮫島くんのおっぱい

とびらの

鮫島くんのおとうさんおかあさん


 鮫島の実家――

 梨太は全身をこわばらせ、震えていた。

「と……トイレ」
「リタ、もう六回目」
「緊張しすぎて、おなか痛い」

 ストレートに弱音を吐くと、鮫島は不思議そうな顔をする。梨太の髪を優しく撫でて慰めて、

「父は身分の出自などは関係なく、能力のある者が星帝になればいいという考えだ。お前なら必ず、推薦状をもらえる。心配しなくても大丈夫」

「そういうことじゃなくてね……」

 出された紅茶をすすり、ホウと嘆息。しかしやはり腹痛は治まらず、梨太はかがみ込んで悶絶した。

 鮫島の生家は、想像していたよりもずっと小さく、簡素な建物であった。もちろん梨太の基準では豪邸だが、鮫島の屋敷より二回りは小さい。しっかりとした造りの、古い建物を丁寧に住んでいるらしい。地味な調度品と家具、ぬくもりを維持したまま掃除の行き届いた屋敷は、主が質実な人物と思わせられる。
 騎士見習い生の養成所――ということで、校舎のような巨大な建物を想像していたぶん意外だった。これではまるきり、家族であった。

 梨太の家と変わらないサイズの応接リビング。手を伸ばせば届く距離に、美女が一人、座っていた。

 茶を飲み、お菓子をつまみ、食む。その作業で物音は一切しない。
 深い青の髪に青い瞳、飾り気のない民族衣装で、ソファの隅にちょこんと腰掛けている――年の頃は四十ほどの貴婦人。鮫島の実母である。ツバメと名乗った彼女は、ふと、バラ色の唇をかすかに開いた。

「……バルフレアの黄金葦おうごんあしの煎茶です。リタさんのお口に合いましたか?」

 静かな口調に、どこか冷気を感じる。梨太はぶんぶん首を振った。それで安心したらしい、特に会話を振ってくるでもなく、また沈黙してしまう。小柄でたおやか、顔立ちもさほど似ていないが、雰囲気が鮫島にそっくりだ。

 彼女の夫であり鮫島の父、この家の当主はちょうど入浴中だったらしい。こんな日中に、と鮫島は文句を言ったが、突然アポ無しで押しかけたのはこちらである。

 それを謝罪した梨太に、ツバメは全く気にするなと歓迎してくれた。曰く、四年前に最後の騎士見習い生が巣立って以来、当主はヒマで仕方が無いらしい。

「見習い生を育てるのは夫の生きがいでしたから」

 そう聞いた瞬間、梨太の胸がズキリと痛んだ。

(犬居さんの件でか……)

 彼が騎士養育という仕事を追われたのは、少なからず、梨太にも原因がある。こちらが被害者なので責められるいわれはないが、尻の据わりが悪くて仕方が無い。
 ぞわぞわと寒気がとまらず、梨太はやはり、トイレに立とうとした。
 引き留めたのは、ツバメの台詞だった。

シェノクは、あと五年ほどで出られるそうです」

 何も前置きのない、唐突なつぶやき。梨太は座り直し、鮫島も顔をやった。

「……元々、あいつはまじめな男だ。模範囚ならば当然だな」

「一番多いときで、十人ほどが一緒に暮らしたでしょうか。……虎という子は、一人でも十人分手がかかりましたが。私はここに嫁いでから、静けさとは無縁の家で生きていました」

 ツバメは独白のようにつぶやいていく。

「子供達も巣立ち、夫婦二人で暮らしてますと、家が何倍もに広く感じます。……早く帰ってきてほしいものです」

「あ、あの!」

 梨太は声を張り上げた。犬居と、彼らとの間の絆はよくわからない。だが事実は報告しなくてはならないと身を乗り出した、が、ツバメはそれを視線で制した。

「鯨から聞いております。あなたはなにも、気に負いませんよう」

「は……はい。いや、でも……」

 うまく言葉が纏まらず言いあぐねている間に、ふと、鮫島が顔を上げた。感情のこもらない声でつぶやく。

「おとうさん。帰ってる。隣は婚約したリタ」

 突然なにを言い出すのか――と、彼と同じ方向を見ると、いつの間にか――本当にいつの間にだか、壮年の紳士がそこに居た。

「うむ。おかえり」

 何の前置きもなしに現れた当主、鮫島の実父である。梨太は一度ソファから転がり落ちて、そのまま床で土下座した。

「突然お邪魔してすみません! ぼ、僕は栗林梨太といって、地球の日本の男で、鮫島くん、じゃなかったええとクーガさんとは八年も前からおつきあいを」

「してない」

「してませんでしたけどずっと前から好きでしたっ!」

 冷静な鮫島のつっこみにそのまま乗せて、なぜか告白のような形になるご挨拶。唐突に現れ、そして唐突に土下座で告白された老紳士は、ぶふっ、と息を吹き出した。腹を抱えて笑い出す。

「うはっはははは、なんだそれは。なんだなんだ、なんで床に座っている。ははは。君の国ではそうするのが挨拶なのかね。おもしろいねえ」

 そう言って、自分も床に膝をついた。梨太と同じ、両手をついて頭を下げようとするのを慌てて止める。

「違います違います、これは婿がやることで、いやそれも違くて、ただソファから落ちた勢いそのまま這いつくばっただけです」

「なぜソファから落ちたのだ。リタ君と言ったか、君は面白いな。はははははは」

 大笑いしながら、彼は鮫島の向かい席、妻の隣に腰掛けた。風呂に入っていたと聞いたとおり、暗い青色の髪から湯気が立っている。長袖の貫頭衣一枚、腰紐で結んでいるというこれ以上無くラフな部屋着で、長身の男は鷹揚に胸を張っていた。

「いらっしゃい。話だけは長女から聞いているよ。私が当主、白熊だ。お待たせしてすまなかった」

「いえ本当に、突然押しかけたのはこちらで」

 とりあえず座り直しながら、改めて頭を下げる梨太。カウル、と発音されたラトキアの人名は、地球の動物でいうホッキョクグマにあたる、海の肉食獣であるはずだ。鮫、鯨の父らしい強そうな名前、外見も大柄で凜々しいが、人柄は本当に気さくらしい。
 妻に自分の茶をお願いすると、にこやかな顔で、梨太を見る。深い青の目が鮫島と同じだった。

(……あれ? 両親とも黒髪ではないんだ……)

 ふとそこが気になったが、口にはしなかった。居住まいを正して向き直る。

「改めまして、栗林梨太と申します。地球という遠い星から来ました。鮫島くんとは、彼が仕事で僕の学校に来ていて、それで知り合って……」

「おとうさん、このリタが星帝になりたいから推薦状にサインをくれないか」

「鮫島くん単刀直入だしそれあとでよくないっ!?」

「あとってなんだ、この用事で来たんだろう」

 彼は首を傾げた。白熊、ツバメも、鮫島の差し出した書類を覗き込んでくる。そのまま夫婦で熟読。どうやら本当に、気負っているのは梨太一人だけらしい。

(……というかもしかして、結婚に、親は全然関係ない文化なのか……?)

 ふと、そんなことを思いつく。名字もなく、貴族階級は家督ではなく個人に与えられ、家業を継ぐという概念がないこのラトキア。地球でも戸籍制度は日本と中国の二つだけ、それも夫婦で独立し新戸籍を作るように変わっている。
 ――いや、それにしても親への挨拶は全世界的に慣例だと思うのだが。

 そういうことを、梨太はこっそり鮫島に訊ねてみた。彼は心底不思議そうな顔をした。

「なんで結婚したら、リタが俺の両親の子供になるんだ。俺達は兄弟になるのか? わけがわからない。俺だってもう『この家の子供』ではないぞ。成人しているんだから」

 なるほどと理解はしつつ、やはり、実感はできなかった。法律や形式はどうあれ、距離感は人それぞれ、家それぞれなのではとも思う。
 この家はことさら、子供の自立を応援する両親なのだろう。

(……とりあえず、『貴様のような青瓢箪が息子を嫁にくださいなど、片腹痛いわ!』なんていって殴られる展開はなさそうだ……)

 一安心して、梨太は静かに、この国の栄士の応えを座して待つことにした。

 白熊、ツバメ夫妻は、やけに時間をかけて推薦状を黙読していた。やがて夫婦で同時に首を傾げる。両者、鮫島にそっくりだった。

「……おや? リタ君が星帝になるのか。ちょっと聞き違いをしていたな。鮫が星帝となり、そのあとリタ君に代わるのかと思っていた」

「鯨が今朝急にきて、玄関でまくし立てていっただけですからねえ。鮫の代わりにリタ君が星帝になるというから、てっきり」

「しかしそれでは、鮫は宮殿での仕事を探さないとな。騎士団を辞めるのはいいが、星帝の夫が無職では立つ瀬が無いぞ」

「そもそも、どうして代わるのでしたっけ……鮫が政治家に向いていないのはわかりますけど、そこはリタさんが子育ての合間で支えるというほうが効率的なんじゃないでしょうか。いえ父親に子育てが出来ないとは言いませんけど、どうしたって母乳というものが……」

 夫婦の会話に、梨太はソロリと挙手をした。

「あ、あの。僕、男です」

「ん? それは見ればわかる。心配はいらないよ、妻が雌雄不安定なままで結婚式を挙げるカップルはそんなに珍しくないからな。このツバメも私と出会ったころはまだ」

「じゃなくてあの、地球人は雌雄が分かれてる種族なので」

 再び、首を傾げる夫婦。今度は逆側に傾いたのを、鮫島が紅茶をすすりながら粉砕した。

「リタが夫で、俺が妻になるんだ」

 きっかり、三秒――夫婦は目を丸くして黙り込んで――三秒後、同時に吹き出し、そのままソファからひっくり返った。ぶるぶる震え、床をたたいて悶絶。そして聞こえてきたのは笑い声。

 片腹どころか、腹まるごとと背中まで抱えて笑い転げる妻の両親を、梨太はなんとも複雑な気分で見下ろす。彼らの笑いが収まるまで、そうして静かに座っていた。

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