鮫島くんのおっぱい

とびらの

梨太君VSおとうさん

「いやすまん失敬、君を笑うつもりじゃなかったんだよリタ君!」

 ようやく、笑いの衝動を抑え込んで、白熊は鷹揚に胸を張って見せた。堂々としているのに嫌味が無いのは、長女、鯨と本当によく似ている。

「そういえば確かに鮫は、しばらく前まで雌体で新聞に写ってることが多かったな。優位性が変わったまでは知らなかった。ちっとも帰ってこないもんだから。……いやなるほど、そうかそうか君が鮫の彼氏」

「リタさんの彼女がうちの鮫」

 ツバメのつぶやきに、白熊は再び吹き出した。自分で言ったツバメもまた笑う。梨太は一緒になって笑うわけにいかず、かといってたしなめることも出来ず、ただ困惑して隣の鮫島を見やる。
 案の定、彼は機嫌を損ねていた。いつも仏頂面のようなものではあるが、そっぽを向いて明らかに気分を害している。
 梨太はずいぶん悩んでから、そっと進言した。

「……あの、ずっと雄体として考えていたご両親からは違和感があるかもしれませんけど、僕には可愛い、きれいな女の人にしか見えませんでしたから」

 言い訳だかなんだかわからない言い回しでも、「笑うのをやめろ」という意思はちゃんと伝わったらしい。彼らは決して、無礼な大人達ではなかった。梨太と鮫島、両方に詫び、ソファに座り直してくれる。多少、顔を引きつらせながらではあったが。

「――うん、なるほど、理解したよ。そういうことなら、推薦署名をさせてもらおう。私は星帝の器かどうかと見切れる慧眼などは持ち合わせていないが、この鮫を雌体化させたんだ。少なくとも、度胸は十分、世界トップクラスだよ」

「あ、ありがとう、ございます?」

 褒められたのかどうか、わからないままとりあえず礼を言う。

 ほっと、一息。隣で鮫島も嘆息していた。

 これが最初の推薦状。これからまだまだ、多くの栄士から署名を集めなくてはならない。この成果は、次に、またその次にとつながる第一歩だ。あの白熊が推薦したのだから、と、足掛かりにできるだろう。
 ずっと黙っていた鮫島も、やはりそれなりに気負っていたらしい。梨太にしか聞こえない声で、よかった、とつぶやいていた。

 白熊はペンを取り、速やかに推薦状へサインを入れた。インクを乾かすため手の上に載せたまま、ふと、目を輝かせる。

「リタ君の出身……地球の、日本と言ったか? そうすると君は日本人なのかね」

 質問は少々おかしな具合であったが、梨太は頷いた。

「はい。髪や目はちょっと日本人らしくないですけど、遠い血縁からの隔世遺伝で、国籍も育ちも日本国内です」

「おお! そうかそうか、なるほどそれで……あれが世に聞くドゲザ、本当にやるんだな! ハラキリ、サムライ、ニンジャシュリケン!」

 梨太は破顔した。

「よくご存じで。どれもなかなか、物語の中でしか見られませんが」

「そう、物語だよ。私は日本へ行ったことはないが、以前奉公に来ていた騎士見習い生が日本のコミックが好きでね。私も見せてもらったのだけど、彼が巣立っていってから続きが気になってなあ。えらい大金をかけて買い集めたよ、はっはっは」

「……その見習い生、たぶん知ってる騎士です……」

「おおそうか。じゃあ次に会ったら読み飽きたものを持ってくるよう伝えてくれ。全部買い取るから、それでまた新刊を買うといい。騎士は衣食住の保証と物資補給は手厚いが、現金収入はさほどでないしな」

 笑って言う白熊に、梨太は思わず、渋面になった。隣で鮫島も苦い顔。

(現金収入……虎ちゃんが騎士を辞めたのは、それが理由なのか……?)

 彼らの心情は知らず、白熊は楽しそうに語っていた。半分はジャパニーズカルチャーについて、そして半分は虎との思い出だ。
この老紳士がこれまでに、何人の騎士を育てたのかは梨太は知らない。だがきっと、何百人何千人いようとも、彼は一人一人を覚えている。その愛情は、実の子供達と変わりないように思えた。

 騎士達にとっては、あたたかく。
 子供達にとっては――どうだったのだろう?

 思案している間にインクが乾き、白熊はサイン入りの推薦状を差し出してきた。ありがたく、頂戴しようと手を伸ばす。用紙に爪が触れる寸前、白熊はヒョイと紙を引いた。つんのめる梨太に、老紳士は満面の笑み。

「別に、意地悪をするわけじゃないんだよ。君が星帝にふさわしくないとか、難癖つける気は一切無い」

「何を言っている、おとうさん。早くそれをよこせ」

 鮫島も手を伸ばしたが、やはりヒョイと逃げられる。再び梨太が挑戦するもヒョイヒョイと翻弄するばかり。さすが、彼も元騎士団長、身のこなしがただの老人ではない。

「あなたどうなさったの、つまらない冗談はやめましょう」

 さすがにツバメが助け船を出すが、当主はあくまでにやにや笑うばかり。そしていかにも機嫌良く、梨太に向かって言い出した。

「コミックを読んで、日本の文化のことは知っている。いや一回やってみたかったのだ。これだろう?――『貴様のような青二才に、うちの娘をやるものか! 嫁にほしくば私を倒して奪ってみろ』。ふふっ、うわっはははは」

梨太の横で鮫島が立ち上がった。巨大な拳をゴキゴキと鳴らしながら、

「よしわかったおとうさん、広間へ出ろ」

「お前じゃないっ! というか格闘技じゃなくてっ!」

 当主は慌てて逃亡した。キャビネットの引き出しに推薦状を放り込み、代わりに、何か小箱を取り出した。手のひらに載せて見せつけてくる。

「カードで勝負だリタ君。私に勝ったら推薦状と、鮫との結婚を認めてやろう。もしも負けたら――」

「おとうさんを潰して奪い取る。リタが負けた瞬間が最期だと思え」

「推薦状も結婚も認めるけどもし勝ったらご祝儀あげるから一回だけ勝負しようっ!」

 梨太はぽかんと口を開け、一連のやりとりを眺めていた。向かいを見ると、ツバメが頬杖をつき嘆息している。普段このヒマをこじらせた老人に、つきあっているのは彼女なのだろう。梨太と目があうと、彼女はゴメンネと視線で謝罪した。ちょっとだけつきあってやってくれという依頼とともに。

 梨太は笑って、頷いた。

「わかりました、やりましょう。あの……僕、あんまり強くないですけど」

「かまわん、かまわん。リベンジは何回だって受け付けるぞぉ」

 やれやれと鮫島が肩をすくめる。彼もまた半生で、父親の道楽趣味に飽き飽きしているらしい。
 もしかしたら実家に寄りつかないのはこのせいじゃなかろうか――そんなことを考えながら、配られたカードを受け取った。ラトキア独自のゲームというのも気になるところだ。ルールを教わりながら、同時に作戦を立てていく。
 そして、ゲームが始まった。


 それなりに真剣に、実父と遊び始めた夫の背中をみつめて。

「……やれやれ」

 手持ちぶさたになった鮫島に、ツバメが穏やかに話しかけた。

「鮫、婚姻届けは、教会を直接訪ねて申請しなさい」

「……郵送で済むはずだけど」

「そうですね。だけど上手くいけば司祭様から推薦状がいただけるかもしれません。後ろ盾になってもらえたら大きいですよ」

「……騎士団長の俺でも公用でなければおいそれと会える方ではないぞ」

「ハヤブサに連絡を入れておきましょう。独身貴族の間にずいぶん出世したそうで、取り次ぎを頼めるでしょう」

「ハヤブサに? ……かえって面倒になりそうな気がするけど」

 鮫島は首を振り、嘆息した。むやみにネガティブになっても意味が無いと悟ったか、口をつぐんで座り直す。数年ぶりの実家ソファに身を沈め、彼は目を閉じた。

「まあ、仕方ない。……がんばってみよう」

 そのつぶやきに、梨太の叫びが重なった。

「――弱っ! おとーさんカード弱っ!!」

 思わず腹から声を出したのを、老紳士がすぐさま否定する。

「ちがうぞこれはチュートリアルだから、リタ君に華を持たせただけだから!」
「いやいやいやそりゃないでしょう、さっきドヤ顔で『はっはっはこれでもう私の勝ちかな?』とか煽ってきたじゃないですか、次の瞬間返されたとき青ざめてたじゃないですか」
「だからそれは手加減をしただけで――よしわかったそこまで言うならもう一度勝負だ」
「なんでっ!? いやです!」
「リベンジは何回でも受け付けるって言ったじゃないか!」
「それはあなたが言ったんでしょうが!」
「お願いリタ君、もう君のほかに相手してくれるひとがいないんだようぅ」

 夫と婿のやりとりを、妻と嫁が聞き流す。二人、同時に嘆息をして。

「……ああ、始まった。長くかかりそうですね」

「もうじき日が暮れるな。教会訪問は明日にしよう」

「今夜は泊って行きますか? 食事の用意をしますよ」

「……いや、俺の家のほうに、リタに見せたいものがあるから――」

 そのとき、部屋に軽やかなベル音が鳴り響く。訪問客だ。二戦目に向けてカードを切っている当主を置いて、ツバメは玄関のほうへ向かっていった。どうやらこの家に、執事のたぐいはいないらしい。貴族としての力と、暮らしの豪勢さは比例しないのだ。

「さー次は負けないぞう」

 梨太の了承を聞かず、カードを配り始める白熊。梨太は苦笑しながら、それでもカードを手に取った。ここで恩を売る――もとい、親交を深めておくのは、のちに益となるだろう。
 高校生の時なら、つきあってられるかと投げたかもしれない。だが、梨太も二十四歳。立派な社会人である。リピート再生機能の壊れたプレイヤー状態の上司に、エンドレスで「それはすごいですね」と相づちとともにビールを継ぎ続ける技は習得済みだ。

 傍観している鮫島が労る。

「すまないな、リタ。父が面倒をかける」

「……なら鮫島くんも相手してあげたら」

「いやだ」

 こちらは、八年前とあまり変わっていないらしかった。単なる実父相手の内弁慶かもしれないが。

 視線を白熊へと戻す。真剣な顔でカードとにらめっこをしている老紳士。彼の正面で鮫島はくつろいでいるようだった。

 梨太は顔をほころばせた。

(いい家族だな)

 何の忌憚もなく、そう思う。

(……思ってたよりずっと、ほんとに優しいご両親だ。推薦状も無事にもらえそうだし、試練の旅も幸先よさそうだ――)

 ガチャリと、大きな音を立て扉が開いた。振り向いた方にまず目についたのは巨大な男。その前にはかすかに青ざめたツバメがいる。

「あの……二人に、お客様で――」

「――猪さん! お久しぶり!」

 梨太は歓声を上げて立ち上がった。

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