鮫島くんのおっぱい

とびらの

梨太君、がんばる

 ごめんねぇ、と明るく言ったのはカモメである。

「わたしはみんなのことを応援してるのよー。でも試験は不意打ちって規則で決まってるし日の余裕はないしで仕方なく。小姑のいじわるじゃないの。一応、気持ち甘めに採点はしてあげるからね」

(絶対嘘だ超辛口採点に違いない……)

 そう確信しながら、梨太は試験問題に臨んでいた。

 まったく唐突に、その場で始まったラトキア騎士入団筆記試験。

 五科目、二十問ずつ。文化、国語、物理、理科、政治経済というものだった。
 すぐ正面に試験官であるカモメ、真後ろにカンニング防止の監督官の鯨。真横で新妻(仮)の鮫島が、心配そうにじっと見つめている。メンタルコンディションは最悪だ。
 えーとえーとと唸りながら、文化のテストに挑む梨太。ラトキアの歴史と風俗を扱う科目だ。


――ラトキア王都の通貨『石』は、かつては文字通り稀少石を貨幣として使っていたことを語源とする。○か×か。

「……これはマルだ。ハーニャに聞いたぞ」

――ラトキア国民に着用義務のある『バングル』に登録されている個人情報をすべて答えよ。

「ええっと……国民ナンバー、名前、住所、家族構成、所持金、職業……あれっ枠が余る。あ、そうか、認証のための指紋、眼球の虹彩と顔写真」

――ラトキア星で、現在存在確認されている亜人種のうち、もっとも平均身長が高いのは何族か。

「ええええええっとぉおおおおお? セガイ……な、なんだっけ」

 結局五科目で、もっとも梨太が難儀したのがこの「文化」であった。地球の常識と学力、持ち前の知能が活かせない、純粋な知識、それも日常生活に必要ない、雑学のようなもの。ラトキアに来て四日間、後回しにしてきた勉強だった。

「がんばれ、リタ」

 真横で鮫島がつぶやく。彼は梨太よりもなお表情をこわばらせ、解答用紙を見つめていた。激励に返事ができない梨太に、さらに彼は続けた。

「俺や、虎も合格した試験だ。お前なら出来る」

「うわすごい気が楽になった。ありがとうがんばる」

 力強く頷いて、梨太は再び問題に取り組んだ。

 なんとか文化の科目を終了し、見直しをしてカモメに手渡す。彼女がさっそく採点している間に次の科目。物理だ。

「――そう言えば、虎ちゃんって元気してる? 騎士団で蝶さんとは会ったけど、猪さんと虎ちゃんは見てないや」

「おい、しゃべっている場合か」

 鯨からお叱りが飛ぶ。しかし梨太は首を振った。

「今は単純な暗算の繰り返しだから、同じことやってると飽きるんだよ。マルチ作業したほうが集中できるの」

「……うん?」

「勉強中はいつもそうだよ。僕、頭の中を四つに割ってそれぞれで違うこと考えたり覚えたりしてるの」

 ペンを走らせながら答える梨太。ラトキア人たちが首をかしげる。構わず、視線は紙面へ向けたまま続ける。

「そのうちの一つはいつもカラッポにしてる。で、飽きてきたらその四つをシャッフルして場所替えするんだ。そうするといつも違うことをやってるから、楽しくリフレッシュしつつ、同時進行で別の知識を詰め込める」

「……はあ?」

「んで、詰め込み作業が終了したら、最後に空いた一つを使って整理整頓するんだよ。とりあえず詰め込んでから、噛み砕いて消化吸収していく感じ。慣れたら誰でもできると思うよ」

 と、言いながら、多分伝わらないだろうなあと予測して顔を上げる。案の定、三人ともがよくわかっていない顔をしていた。一番早く頷いたのは鮫島だった。こちらの言うことを疑わず、素直に認めるのが彼の美点である。

「……実感としてはよくわからないが、システムは、牛の胃のようなものか」

「そのようなものですな」

 梨太は適当に返答した。


 ラトキアの物理学は、思っていたよりは簡単だった。私立霞ヶ丘高校数学科で、一年生で習ったような内容。数字の表記自体が違うが、内容を理解すれば支障はない。

 得意科目で無双する梨太に、鮫島も少し、安堵の表情。
 彼は穏やかに、梨太の問いかけに答えた。

「虎は、騎士団を辞めた」

 ガリッ――ペンが紙を削る。梨太は集中を切らせて振り返った。試験の邪魔をしたと悟ったのだろう、鮫島は淡々と事実を語る。

「二年ほど前のことだ。理由は、俺もわからない。特にトラブルやキッカケがあったわけではなかった。仲良くしていた蝶から、傭兵になったとは聞いたけど」

「傭兵……? あの虎ちゃんが……?」

 虎――赤い髪の少年騎士。いや、梨太と同じ年だから今は二十四、五歳の青年である。金色の目を細め、八重歯を見せてギャハハと笑う。「誉あるラトキア騎士団」――貴族の一員として、ソレラシイかといえばまったくラシくない。
 だが強くて優しくて、魅力的な騎士だった。
 梨太にとって傭兵という職業は身近ではない。『金で人を殺す仕事』という知識だけだ。梨太の概念でそれは殺し屋――悪人、だと思っていた。国という大義もなく、乱暴で残虐な職業である。同職業の者が、鮫島を殺そうとしていた。どうして虎が。どうして。

 鯨とカモメの両者から叱責が飛んだ。梨太は意識を切り替えた。
 詳しいことは、いつか蝶から聞こう。そう決意して、手前の試験に集中した。


 ――二時間ほどのち。

「はい終了! リタ君お疲れ様でしたー」

 カモメの声に、梨太はひっくり返って天を仰いだ。一気に脱力する。カモメはニコニコと笑っていた。

「本当にお疲れ様。回答中、終わった科目を採点してたけど、大したものね。このラトキアに来て四日目の異邦人としては及第点だわ」

「その言い方……ネイティブラトキア人向けの試験としては、芳しくないってことですよね」

 梨太が呻くと、カモメはやはり微笑んだまま、

「そうねぇ。物理は満点、文化が二十問中十一点。他の二つが十五、十八。計六十四点。やっぱり文化が足を引っ張ったわね。合格点が計八十点だから……」

「おいカモメ、最後の科目は政治経済だろう。それは星帝になってから勉強すればいい。それこそ異邦人が解けるわけがないんだから」

 口を出したのは鯨だった。鮫島も激しく同意する。しかし教師は厳しかった。

「お黙り!」

 その一言で、姉弟は口を閉ざした。どうやら鮫島生家の五姉弟で、もっとも強いのは次女らしい。

「あなたたち、何か勘違いをしていないかしら。これはリタ君を星帝にしてあげるための出来レースじゃない。彼が星帝にふさわしいか、数いるライバルより優れているかどうかの審査でしょう。星帝立候補の前段階、騎士団への応募条件の筆記試験ごときスルリと合格してもらわねば、この国の帝王に推すことは出来ません」

 やはり甘口採点はありえなかった。シュンと肩を落とした鯨と鮫島に、梨太は明るい声を上げた。

「大丈夫、自信あるから」

「ほう? よくぞ言ったわね。これから最後の科目を採点するから、そこに座って待ってなさい」

 完全にノリが悪役である。必要以上に緊張し、採点結果を待つ三人。
 カモメは無言で、解答用紙をチェックして――
 次の台詞は、案外すぐに発せられた。

「――満点。これで計八十四点。合格よ」

 にっこり笑うカモメを前に、三人は一気に脱力した。

 試験が終われば、教師はまたにこやかな「宿屋のお姉さん」に戻った。梨太をねぎらい、鮫島をからかい、姉に向かって良かったわねぇと笑って見せる。長女と末弟は返事もできない。
 そんな彼らを放置して、カモメは再び、梨太の方へ向きなおった。

「さすがね、リタ君。とても賢くて勉強家だと聞いていた通りだわ」

「ありがとうございます。これからもがんばります」

 梨太は謙遜しなかった。これから、彼女を含め全ラトキア国民の頂点に立とうとしているのだ。自意識過剰に振舞うくらいでちょうどいい。カモメは軽く、首をかしげる。

「だけどどうして? 鯨の言ったように、ラトキアの政治経済を異邦人のあなたが習得しているなんて不思議だわ。まさか何年も前から、星帝の座を狙っていたわけじゃないでしょう」

 梨太は頷いた。もちろん、そんなつもりはなかった。鮫島が星帝候補になったと聞いたのもついこの先日である。その代わりになろうと考えたのは、このラトキアへ来てからだ。
 不思議そうな三人のラトキア人に、梨太は若干、照れながら。

「この三日間で勉強もしたけど……いつかラトキアで鮫島くんと結婚ってのはずっと思ってたことだから、五年前から政経のことは調べていたんだよ――っひゃ痛!?」

 瞬間、首の裏にチクリと痛みを覚えて振り返る。すぐ目の前に鮫島の顔がある。極端に体を摺り寄せてきていた。

「なにっ!? 今、鮫島くん何かした!?」
「別に。ちょっと噛んだだけ」
「は!?」

 目をしばたたかせる梨太に、鮫島はもう何も言わず、しれっと体勢を戻した。いったいなんだったのか、追及しようとしたところへ、鯨が手を叩いて意識を向かせる。

「じゃれ合いっこしているんじゃない。リタ君、気を抜くなよ。この筆記試験合格は、あくまで応募資格を得ただけ。実際に入団するにはまだ試験がある。さらには星帝の試練もだ」

 梨太は神妙にうなずいた。
 散々脅しかけてくるということは、相当に厳しい試練が梨太を待っているのだろう。
 だが鯨が見込んでくれたなら、梨太に実行可能――少なくとも、可能性はゼロではないということだ。
 それならば希望しかない。精悍な顔つきで見つめ返す青年に、鯨が口を開いた。

「まずは婚姻、それから騎士入団試験、そして星帝への立候補――と、順番に行きたいところだが、そうもいっていられない。同時進行で、君には動いてもらうことになる」

「はい。覚悟の上で――ぅふひゃっ!? なにっ!?」

 またうなじに異様な感触を覚えて振り向くと、いつの間に背後に回ったのか、鮫島が後ろから身を寄せていた。梨太の肩に顎を乗せて、いつもの無表情でボソリという。

「今度は噛んでないぞ。吸っただけだ」

「やめて」
「やめろ」
「やめなさい」

 三人からきっぱり叱られて、鮫島は自ら、部屋の隅っこへ移動した。どうやら梨太のそばにいると、何かしたくて仕方ないらしい。もう放っておくことにして、梨太は再び鯨のほうへ向きなおる。
 鯨は頭痛を抑える仕草をしていた。本当にコイツを星帝にしなくてよかった、と小さな声で呟き顔を上げる。
 そして端的に告げた。

「とりあえず……うちの実家に行って、親父殿に挨拶していらっしゃい」

 梨太は椅子から滑り落ちた。


 梨太が星帝になるための条件、こなさなくてはならない課題は多岐多様にわたる。だが、大きく分ければたったの二つである。
 一つ目は、星帝にふさわしい身分になること。
 もう一つは、多くの有力者から推薦を貰うこと。

 おさらいとして、そう明示した鯨に、鮫島がポンと手を打った。

「なるほど。騎士となるための推薦、星帝になるための推薦。その両方が、うちの父親ひとりで二つ分捺せるな。あれは元騎士団長であり騎士の教育係、一生涯続く貴族階級の持ち主だ。ではさっそく訪ねるか」

「ちょちょちょちょっと待ってお願い……」

 地面を這いながら、梨太は何とか声を絞り出す。今すぐ部屋を出ようとする鮫島に縋り付き、ひざまずいて息を整えた。

「ん、どうしたリタ。顔が真っ青だぞ」

「……本気で失念してた……そうだよコレが一番先だよ……あああどうしたらいいんだっけ、このラトキアの礼装ってナニどこに売ってるの、土産は? 酒でいいのか?」

「体調が悪いのかリタ、何を言っている?」

「うわああやばい、冠婚葬祭なんか全然勉強してない! ゼク○ィ買ってくる、読破するまでちょっとだけ待ってぇ」

「何の話か分からない。日が暮れる前にさっさと行くぞ」

 じたばたと抵抗する梨太を、鮫島が担ぎ上げて運んでいく。後ろでカモメが茶を片づけ、鯨が家政夫に言伝ことづてしていた。鮫島はそういったことに見向きもせず、大股で屋敷を歩き、玄関から出ていく。

 屋敷を出るまでにはさすがに梨太も落ち着いていた。というより開きなおっていた。お姫様ダッコから下ろすように頼み、ラトキアの大地に着地する。
 鮫島とともに王都高級住宅地の道を歩きながら、胸を張って。

「――仕方ない。服と手土産と覚悟は歩きながら、一つずつ揃えていこう」

 鮫島は首をかしげながら歩き、角を一つ曲がった。そこに現れた門扉のドアベルを、迷うことなくポチリと押す。
 インターフォンから声がした。

「――はい、どちら様でしょう」
「おかあさん? 鮫だ。ただいま帰りました」
「めちゃくちゃ近所かよっ!!」

 絶叫し、反射的に逃走した梨太を鮫島が捕まえる。
梨太は悲鳴を上げた。今回ばかりは本気で逃げたかった。妻の実家へ初めての訪問、婚約の報告。政治家立候補などよりもよほど大仕事である。その心の準備を、徒歩三分で到着されて出来るわけがない。
じたばた暴れる梨太を抑えながら、鮫島は穏やかに言った。

「このあたり一帯は、貴族の高級住宅地。俺も父もそうなのだから、近所で当たり前だろう」

泣きっ面の先で、鯨とカモメが手を振っていた。ニコニコ、にやにやしながら。

「がんばれよ、少年」

「鮫島くんのおっぱい」を読んでいる人はこの作品も読んでいます

「恋愛」の人気作品

コメント

コメントを書く