鮫島くんのおっぱい

とびらの

鮫島くんのおうち②

 鮫島が待つ、応接室は、家政夫のいうとおりすぐにわかった。

 扉が三つ並んでおり、それぞれに女の胸像。豪奢な髪がうねるの豊満な女、しなやかな長髪の細身の女、短髪の中性的な美少女。並びから順に、長女、次女、三女と予想がつく。なんとなく、どこかで見たような気もして、梨太は首をかしげながら、一番左の扉を開けた。

「鮫島くん?」

 意外にも、シンプルな部屋だった。それほど広いわけでもない。六人掛けほどのテーブルに心地の良さそうな椅子のほか、キャビネットがひとつあるきり何もない。この屋敷の主の姿も。

「鮫島くん? あれ、いないの」

「おはようリタ」

 声は頭上から聞こえた。見上げると、高い天井につり下がるシャンデリアに鮫島が張り付いていた。梨太は特に驚きもせず、彼が音もなく着地してくるのを待つ。

「……おはよ。掃除? それとも電球変えてたの」

「いや、トレーニング。不安定なところに上ったり降りたりして、バランス運動により体幹を鍛える。朝の日課だ」

 僕んちでもやってたんじゃないだろうな、と半眼になったが、それは確認しないでおいた。さすがの鮫島も、薄型シーリングライトに張り付くことはできないだろう。たぶん。きっと。

 鮫島の格好は、昨日と様変わりしていた。
 騎士団制服によく似たシルエットの、濃紺の貫頭衣である。長衣に対し腰帯は豪華で、高価な衣裳だと一見でわかった。ますますもって「貴族様」だ。
 ざんばらに伸びていた髪もうなじで縛り、整えられている。梨太はほほえんだ。

「前髪切ったの? さっぱりしたね」

 頷く鮫島。

「さっき、ハサミで」

「……君ってそういうとこ雑だよね」

「軍人ならみなこんなものだろう。目に入らないよう整えるくらいは自分でやる」

「後ろは難しかった? テキトーで良ければ僕が切ってあげるよ」

 今度は彼は首を振った。肩にかかる黒髪をつまんでみせる。どこか誇らしげにして。

「このラトキアで、長い髪は女の象徴。こうして飾らずただ縛ってあるのは既婚者や、心に決めた男がいる証明だ」

「いつから伸ばしてるの」

 鮫島は答えてくれなかった。言うまでもないだろう、と判断して。ただ彼は、梨太の質問とは全く違うことをつぶやいた。

「……もう、似合わなくなってしまったな。一度切ってしまおうか」

「主様、失礼いたします!」

 梨太が口を開くより早く、家政夫が扉を開けた。いちいち間の悪いおっさんだと歯がみしながら、梨太は一歩引き、両者のじゃまをしないようにした。

「宮殿より連絡がありました。これからこちらへ来られますが、お連れ様の都合で何時になるかははっきりしないとのことです」

「そうか。わかった、ありがとう」

 鮫島は穏やかに頷く。彼は決して、召使いに居丈高な態度は示さなかった。かといって愛想がいいわけではない。いつも通りの鮫島だ。
 おそらくは騎士団内でも、犯罪者たちが相手でも、そうして彼は彼らしい態度でいるのだろう。
 温厚で、物静かな青年。梨太は目を細めた。

(すっかり薬は抜けたみたいだ。……あの頃と同じ、鮫島くんだ……)

 家政夫は一礼して立ち去ろうとする。それを鮫島は引き留めた。ああそういえば、と簡単に、コーヒーでも頼むような軽い口調で。

「この家は処分することにした。明日からもう来なくていいぞ」

 梨太はそのまま前のめりにコケた。家政夫の方は、何を言われたのか理解できなかったらしい。青い瞳をぱちぱち、瞬きして、その場に立ち尽くしている。
 聞こえなかったと判断したか、鮫島はもう一度同じ言葉を繰り返した。
 そしてぺこりと、頭を下げる。

「今まで世話になった。どうもありがとう。お疲れ様でした」

「い、いやいやいやいやいやいやいや」

 梨太と家政婦が同じテンションでつっこんだ。きょとん、とする鮫島に、梨太のほうが飛びかかる。

「ちょっと待ってよ! なんでいきなりそんなことになってるの!?」

 やはりきょとん、と、鮫島。

「だって、結婚……しない、のか?」

 今度はしゅんと肩を落とす鮫島。瞳が本気で不安に揺れているのを見て取り、梨太は慌てて弁解した。

「するよしますよ結婚はする、大丈夫愛してますっ! ――いやそれで顔色パァッと輝かせないで、僕が言いたいのはそこじゃない!」

「……何の話かわからない」

「だからどうしてそれが、家の処分につながるのかって話」

 言うべきことを、梨太は頭の中で推敲した。
 彼を愛している、結婚したいと思う。それは梨太の中で真実である。だがそれだけで突っ走れないことを二十四の男はわかっていた。妻の顔をまっすぐ見据えて、梨太は言った。

「僕、現時点、無職だよ。星帝になればきっとあの宮殿にでも住むんだろうけど、今はまだ見込み、いや見込みがあるのかどうかを鯨さんからの連絡待ちなんだからね? いきなり宿無しになってどうするんだよ」

 あまり格好の良くないセリフではある。だが言わないわけにはいかなかった。
 無職、とは、社会人として信用がないとか不安定だとかの話ではない。収入がない、生活費がない、食費がないということになる。
 その状況で、今ある家を手放すのはいくらなんでも計画性が無さすぎる。
 そう諭した梨太に、鮫島は不思議そうな顔をして見せた。

「手放すと言っても、捨てるわけじゃない。土地は国からの借り物、建物は国に還す形になり、見た目で期待できるほど大した額にはならないが、とりあえずまとまった現金になる。色々不安定だからこそ、面倒が多い不動産より現金が便利だろう。それに、維持費だってかかるんだ。まして家政夫など無駄でしかない」

「無駄……」

 壁際で肩を落とす家政夫は放置して、梨太はムムムと唸った。

「でもさすがに、もったいなくない? こんなすごい家、もう二度と住めないよ絶対」

 鮫島は複雑な顔をした。

「……星帝の宮殿は、もっとずっと立派だ、そしてもし星帝になれなかった場合、後継問題は抜きにして、俺達は生活のため働かなくてはいけない。ならばここは王都の商業地からは遠すぎる。安くて便利のいい、小さなアパートを借りたい」

「とりあえずしばらく、騎士の仕事を続けるってのは」

「……たとえ近くに家を持っても、騎士団は全寮制。俺はリタと、一緒に暮らしたい」

 率直すぎる物言いに、梨太は膝から崩れそうになった。それこそ、何が不思議なのかわからないといった顔の鮫島。

「宇宙航海や王都外への遠征もある。そうなると、数か月、数年、王都を離れることになる。……また離ればなれだ」

 彼の言葉に、梨太は深く、頷いた。

「うん。それはダメだね」

 そうだろう、と満足そうに微笑む彼に背を向けて、梨太はまっすぐ、執事のほうへ向きなおった。

「お疲れ様でした!」

 執事は今度こそ、膝から垂直に崩れ落ち、そのまま床に突っ伏していった。
 ふらふらと出ていく執事を笑顔で見送って、ふと気配を感じて振り返る。
 すぐ目の前に、鮫島が近づいてきていた。

「リタ」

 耳元でささやく声。ほぼ同時に、彼は梨太を抱き寄せた。大きな体の中に閉じ込めて、髪を撫でる。指先でアゴを持ち上げられた時点で、梨太は慌てた。

「え、ええと、鮫島くん……」

「なんだ」

「今更ながら、つかぬ事をお伺いしますけど……薬が切れてまた雌体化するのっていつ? 二、三年ってことはないよね」

「……どうだろう。今回は無理やり変化しているからな……長くなるか短くなるか」

 と、言いながら、自分の胸に、梨太の顔をうずめた。貧乳、ではなくきっぱりと胸板としかいいようのない平らな面につぶされて、梨太はむぎゅぅと呻く。

「うぎ、鮫島くん――ええとね……いやあれだよ。愛してます」

「うん」

 頷き、鮫島は一度、体を離した。それで解放されるかと思いきや、また顎を持ち上げられる。梨太は腕を突っ張り、全力で顔をそむけた。

「で、でね。僕もアレ、ほら、新婚だし、そりゃそれなりにイチャイチャもしたい願望はあるよ? あるんだよ?」

「うん」

「でもねそれはそのアレ――……つまりですね」

 と、言いながらしゃがみこむ。それで、鮫島の腕から逃れた梨太はそのままダッシュで壁際まで逃げ去った。

「こういうことするのはさすがに、雌体化してからであってほしいなっ!」

 鮫島は反論しなかった。さてはわかっててやってたな、と確信し、梨太は早口でまくしたてる。

「昨日のアレは儀式的なもので例外だからね。僕はあくまで異性愛者で、そこの壁を破ったわけじゃないから」

「……八年前は、男のままでも迫ってこられたような気がするが……」

「いやちゃんと『女の子になったら』て前提で口説いてたよ!?」

「そうだっけ」

 首をかしげる鮫島。実際のところどうだったか、もう八年も前のことを、梨太もはっきりは覚えていない。しかしいずれにせよ、当時の鮫島はまだ少年、今よりもずっと中性的な印象だったのだ。この八年、さらに戦歴を重ねた鮫島はよりいっそうたくましく、精悍さを増している。相変わらずの顔面偏差値でも、男前度が上がってはどうしようもない。
 薬品のせいとはいえ、完璧な雄体化を遂げた鮫島――現時点、梨太にとってきっぱりと、同性でしかなかった。

「……俺も別に、そういうつもりじゃない」

 そういう顔はいつもの無表情に、無感動な口調のままだった。凛々しい青年の姿の妻は続けた。

「雌雄同体のラトキア人だって、自分の性が変われば『異性』も変わる。この姿の時は普通に女性が好きだ。昨日、牢でも言ったがリタとキスをするのははっきり言って気持ち悪い」

「で、ですよね」

 ほっと安堵の溜息をつく梨太。しかし、彼は同じ口調で続きを言った。

「でもくっつきたい」

 梨太は思い切り、真横にコケた。すかさず鮫島が支えにやってくる。その優しい抱擁を、梨太はいよいよ本気で引きはがした。

「いい加減にしろっ! 一生ダメって言ってるんじゃないんだよ!? 雌体化したらそっちがいい加減にしろって言うまで色んなことしてあげるからっ!」

「だから別に俺は、お前に何かしようなんて考えていない」

「嘘だ絶対嘘だ、なんか触り方やらしーもん絶対嘘だコレ」

「無理やりする気はない」

「同意だったらどこまでする気だ!」

「……一度、どこまでいけるか試してみようかなとは思ってる」

「思うなぁあああっ!」


 叫びながら暴れるが、鮫島の腕はびくともしなかった。圧倒的に強い拘束、逃れることが出来ないのに痛みはない。摩訶不思議な現象、なんだか既視感を覚え梨太は無性に可笑しくなってきた。
 複雑な顔色で引きつった笑いを浮かべる夫に、妻はさすがに、罪悪感を覚えたらしい。力を抜いて解放してくれた。瞬間、反対側の壁まで逃げる梨太。

 諦めてくれたらしい――と、安堵する梨太の前を過ぎて、鮫島はキャビネットから、小箱のようなものを取り出した。
 蓋を開け、手のひらの上にひっくり返す。そこにカードの束が乗っていた。

「……ラトキアのカードゲームだ。地球の、霞ヶ丘高校でよく似たものを見た。トランプ、と呼ばれていたと思う」

 言いながら、梨太にもそれを見せてくれる。四種類の記号、それぞれが十一枚、ラトキアの数字が通しで印刷されている。梨太の手から取り返し、鮫島は目を細めて言った。

「鯨が来るまで、どうせヒマだ。勝負をしないか。地球にあるゲームのルールでいい」

「……お? あ、ああ、うんいいよ」

 梨太は笑顔でうなずいた。
 ハグからは逃げ出したが、あくまで鮫島のことは大好きなのだ。男友達同士の遊びならば歓迎である。応接室のカーペットにべたりと座り込む鮫島。梨太も倣い、顎に手を当てて思案した。

「そうだなあ、じゃあババ抜きはどうかな? ルールは簡単だし勝負もわかりやすいもんね」

「ババ抜き……ああ、それならわかる」

 鮫島はカードの束を指先で揃えながら、しれっと穏やかな口調で続ける。

「じゃあ俺が勝ったら、とりあえず出来るところまで色々と試す」

「試すまでもなく、おはようのチューくらいが限界です」

「わかった、それで」

 あっさりと頷いて、鮫島はカードをきりはじめる。なんとなくノリで提案してしまった梨太は頭を掻いた。

「いや、それじゃ僕のメリットないじゃん。僕が勝ったらどうなるの」

「さあ? 任せる。今の俺にできることなら何でも。……女の俺にしてほしいことがあれば、それでも」

 梨太はニヤリと笑った。その言葉が聞きたかったのだ。改めて居住まいを正し、鮫島に向かって不敵な笑みを浮かべて見せる。

「オッケーいいよ。言っとくけど僕トランプ強いよ。友達とやってビリになったことないもん。もらっちゃったね」

 ふうん、と穏やかな相槌を打つ鮫島。今まで適当にきっていたカードを片手に持ち、

 ばらららららららららっ。

「楽しみだな。俺も、カードは負けたことが無いんだ。この二十年ほど一度も」

 しゅたたたたたたたたたたた。

 鮫島の手の中で、目に見えない速度でカードが撹拌されていく。そして高速で配られた。梨太の膝前、ぴったり同じ位置に積みあがっていく立方体。
 見下ろしながら、梨太は呟いた。

「…………鮫島くん。ちょっと卑怯じゃないかな」

「俺は軍人だからな」

 鮫島は言った。

「勇者じゃないし、格闘家でもない。勝てるとわかっている勝負しかしないんだ」

 なんだかいろいろとあきらめて、梨太は黙って、カードの束を拾い上げた。

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